アフリカに行くか。日本に残るか。大きな選択があった高校受験。

能開で印象に残っていることを教えてください。

大久保さん 附属中学に合格しましたが、中学の環境に馴染めず、勉強に集中できない時期がありました。大野先生から「勉強をやりなさい」と言われたことはあまり記憶にないんですが、中1の時に1度だけ釘を刺されたことは今でも覚えています。

大野先生 「最近の大久保の様子を見ているとちょっと心配だ。先生の勘違いならそう言ってくれ。自分でどう思う」と言ったと思います。

大久保さん 大野先生らしい釘の刺し方なんです(笑)。あと、「頑張れる人なのに頑張らない今の大久保を見ていると歯痒い」と言われた時もありました。その時はあまりの悔しさに、能開から自宅まで号泣しながら自転車を漕いで帰りました。帰宅すると母と妹がいて「最初は帰り道に痴漢にでもあったのかと思ったけど、能開で大野先生に指摘されたことが図星すぎて、悔しくて泣くとか面白すぎる」と爆笑されました(笑)。
逆に、頑張っているのに伸び悩んでいる時期には、大野先生は「そういう時もある。いまやっていることは間違っていないから、そのまま続ければいい」と励ましてくれました。怠けているところも、頑張っているところも、しっかり見てくださっていたんですね。

大野先生 大久保さんは、高校受験に向けてはトータルで言えば順調でした。途中一度ふらふらした時期はあったんですが、それでもすぐにちゃんとして戻ってきました。

大久保 理子さん

能開の先生は、どんな存在だったんでしょうか。

大久保さん 大野先生は「自分はカーナビです」といつもおっしゃっていました。「目的地までしっかり指導するけど、やるのは自分だよ」と。他にも若い先生がいて、カッコいいお姉さん的存在で、すごく憧れていました。サバサバしているけど面倒見が良くて優しい、そんな大人にいつか自分もなりたいと思っていました。いま思えば、自分にとってのロールモデルでしたね。
ノートを使い切ったときに、裏表紙に先生がイラストとメッセージを書いてくださるのが嬉しかったですね。中学受験と高校受験の数日前に、能開の先生方からいただいた応援メッセージは今も大切に持っています。

高校受験で、国際基督教大学高校(以下、ICUHS)を
目指した理由を教えてください。

大久保さん 志望校に決めたのは中3の4月です。その少し前に、父親のアフリカのナイジェリアへの転勤が決まったことがきっかけでした。

大野先生 最初相談を受けた時はびっくりしました。「えっ、ナイジェリア!?」と(笑)。

大久保さん 家族と一緒にアフリカに行くか、日本に残るか、すごく悩みました。大野先生とも話をして、大学進学まで考えるのならアフリカに一緒に行くと難しくなるのではないかとアドバイスをいただきました。
日本で一人になるのであれば、せっかくなら寮生活をしたいと思いました。あと、英語が好きだったので、将来的に日本の大学に通いながら海外の大学に行ける可能性もあるICUHSと、もう一つ他の高校を見つけてきました。入試日が一緒だったのでどちらかしか受けられず、ICUHSの方が難しかったのですが、そこで妥協したら一生後悔すると思いICUHSに決めました。

大学受験とその先までを考えた選択だったんですね。

大久保さん 富山に残って公立のトップ高校に行くという選択肢もありましたが、そこでがむしゃらに勉強しても自分の頭では東大や医学部は無理だろうと思っていました。詰込み型の勉強よりは、型にはまらずに自由に勉強できるICUHSの方が私には合っているんじゃないかと思いました。

大野先生 合格した時は、本当にすごいなと思いました。家族はアフリカに行ってしまうし、日本に一人だけ残るので合格するしかない。背水の陣ですよね。ICUHSの問題は独特なので、私たちも対策にかなり苦労しました。ただ、大久保さんはメンタルが強いので、本番でしっかり実力は発揮できるだろうと信じていました。

大久保さん 他の塾に行っていたら、ICUHSに行きたいとなったときに、そこまで個別の対策をしてくれなかったんじゃないかと母が言っていました。やっぱり私は能開富山本校の2期生で、古参だったからしっかり見てもらえたんじゃないかと(笑)。小5から通っていて、私の性格も先生は良くご存知でしたし、能開で良かったなと思いました。