できなかったことができるようになる。その楽しさを知ることができるのが能開。

小さなころはどんなお子さんでしたか?

大久保さん 妹想いなことを除けば平凡。いろんなことは吸収するけれど、これといった特技がない子どもだったみたいです。読書が好きで、マザーテレサなどの偉人の伝記を好んで読んでいました。他の人よりも「憧れ」の気持ちが強いのだと思います。「この人かっこいい!この人みたいになりたい!」と思ったら、その目標に向かって一直線。それは今も変わらないですね。

大久保 理子さん

能力開発センター(以下、能開)には、いつから通い始めたのですか?

大久保さん 小学5年生の春期講習会からです。両親が共働きで、それまでは小学校から帰ると学童保育に行っていました。小学3年生で学童保育が終了になり、さあどうしようとなった時に、母が能開のチラシを見つけてきました。春期講習会をちょうど無料でやっていたので、試しに行ってみようと。塾は初めてだったのですが、面白い人はいるかな、いろんな人たちと一緒に勉強したいな、という期待感がありました。

能開富山本校は、どんな校舎でしたか?

大久保さん まだ開校2年目で生徒は少なかったのですが、その分、先生の目がかなり行き届いていて、先生との距離がいい意味で近かったのが良かったです。大野先生のことも、教室長という壁をあまり意識したことはなかったかもしれません(笑)。
宿題は多かったですが、頑張れば褒めていただけました。自分は褒められると伸びるタイプだと思っていたので、相性がいいなという直感はありましたね。

大野先生 開校したばかりで何も実績がない時でしたので、受験する子をなんとか合格に導きたいという思いがありました。大久保さんは中学受験を目指していましたが、手がかからない子でした。やりなさいということはしっかりやるし、手も抜きませんでしたね。
まだ実績のない校舎で、正直、保護者の方や本人は不安に思うところもあったと思うんです。それでもきちんと伝えたことをやってきてくれて、志望していた富山大学教育学部附属中学に合格してくれたことが嬉しかったですね。

能開に入ってから、どのような変化や成長がありましたか?

大久保さん 本当にいろいろ成長することができました。最初に「勉強の仕方」を教わったのが大きかったですね。どんどん予習をやって先に進み、塾から帰ってきたら復習をするようになりました。参考書の「自由自在」を使って、何でも積極的に自分で調べるようになりました。予習に重点を置くのは、今の学びのスタイルになっています。

大久保 理子さん

ノートまとめもかなり頑張っていたそうですね。

大久保さん 5年間で150冊以上仕上げました。ノートの取り方は、能開に来るまでは気にしたことはなかったのですが、一から教えていただきました。今も大学のノートに日付とタイトルをしっかり書いて、ノートの右側から7センチに赤線を引くようにしています。能開での学びが、自分の中にしっかりと残っているんだなと実感します。
能開のようにノートまとめにこだわった学習塾は、あまりないですよね。「こだわって勉強する」ことが自分に合っていたんだと思います。自分だけのノートができていく過程がすごく楽しかったです。同じ授業をみんな受けているけれど、「こういうとり方をしているのは私だけ」というオリジナリティが好きでした。ノートづくりが趣味になっていたかもしれません(笑)。

能開に入ってから、学習量もかなり増えたのではないですか。

大久保さん はい。能開に入る前は、オンラインゲームにハマっていた時期もありましたが、能開で勉強するうちに、自分自身がリアルに変わっていく方が楽しくなりました。
新しいことを知ることが好きだったので、能開での時間を「勉強」というよりも、「新しいことを知ることができる時間」と捉えていたのだと思います。できなかったことができるようになるのは、こんなに楽しいことなのかと思いました。
かなり負けず嫌いだったので、能開で順位を貼り出されるときは負けたくなかったです。受験合宿にも参加したんですが、他の県から自分よりもレベルの高い人がたくさんきていたり、模擬入試では不合格になって心が折れる経験もしました。能開での勉強を通して、自分の弱さ、強みを知ることができました。