きっかけは中1夏休みの模試。「負けるもんか!」と通塾を決めた。

鹿瀬島正剛さん

「能力開発センター(以下、能開)」に入ったきっかけは何でしたか?

中学1年の夏休みの最後の日曜日、高校受験を控えた2つ上の姉が、能開熊本本校で無料模試を受けるというのでついて行ったところ、ボクも勧められて模試を受けました。地元の中学では1番の成績をとっていたのに、問題が全然解けず、悔しさからその場で入塾を決めました。
後から考えると、夏期講習で先取り学習をしていて、その完成テストという位置づけでしたので、講習を受けていないボクが解けなくても当然でした。でも、一緒に受けていた熊本大学附属中の生徒がみんな頭良さそうで――。「負けるもんか!」という思いだけでしたね。

能開での勉強はいかがでしたか?

当時、熊本本校は開設されたばかりでしたが、神戸や姫路で灘高を目指す生徒と同じレベルのことを教えて頂いたと思います。常に頑張らないとついていけない。自分で参考書を買って、必死に勉強しました。そうじゃないと「こんなことも知らないのか!」と言われてしまうのです。

思い出に残っていることはありますか?

増澤先生に初めて会った時のことは忘れられないですね。非常に衝撃的で、同じ「ホモ・サピエンス」とは思えませんでした(笑)。というのも、生徒が10人弱、先生と生徒の距離は1メートル足らずという教室で、200名を前にしているかのような大声で授業をされるのです。

それはインパクトが大きいですね。

ええ。まるでアフリカのサバンナで野生動物を見ているかのように圧倒されてしまって、言葉も出ませんでした。でも不思議なことに恐怖心は全くありませんでした。迫力満点でしたが、温っかいイメージがあったのを覚えています。

増澤先生の他に印象に残っている先生はいらっしゃいますか?

増澤先生の授業は確か2学期の数か月だけで、替わって三井善二先生に教わるようになりました。三井先生にはその後ボクの結婚式で仲人をお願いしましたし、今でもお付き合いがあるので、今では心根はとても穏やかな方だとわかっていますが、当初は全く違いました。ある意味生徒の心をつかむのが上手。ボクは負けず嫌いでちょっとくらい叱られてもシュンとならないので、教室でも一番叱られたのではないでしょうか。
また、とにかく宿題の量が半端なかったのを覚えています。「こんなの楽勝だろ?」と山のような宿題をよく出されました(笑)。

全国の優秀な生徒との比較で上には上がいることを教えられた。

授業もあるし、宿題は大変だったのではないでしょうか。

はい。あるときは、「お前のために問題集を買ってきてやったぞ。来週までね!」と言われるんです。平日は学校と部活があるので、どんなに頑張っても無理と思い「えーっ!」と不満を言いたいところですが、他の生徒が不満を言って怒られているのを散々見ていましたからグッと我慢します。
でも、まじめにやったのでは到底間に合いません。先生のチェックの仕方をよく観察して、見られそうなところだけを重点的にやって提出します。ビクビクしていると見抜かれるので、堂々と「先生、こんなのチョロいですよ!」と出す。そうすると先生も「そうか、これでチョロかったなら次はこれと、これね」とさらに量が増える。その繰り返しでしたね。
不思議なことに先生のそういう愛のムチが嫌ではありませんでした。ズルをしながらでしたが、「よし、やってやるぞ!」と闘志が掻き立てられました。
当時三井先生は30代になるかならないかだったと思います。父とも兄とも違う特別な存在である三井先生に鍛えられ、最初から無理だと諦めるのではなく、とにかく取り組む姿勢が身につきました。

入塾当初は他の生徒が頭良さそうに見えたということでしたが、その後成績はどうでしたか?

三井先生のおかげで、熊本本校で1位を取れるようになりました。でも、それが何回か続くと調子に乗り始めるわけです。すると三井先生が「鹿瀬島、お前のライバルは姫路校のKくんだ!」と勝手にライバルを決められて、「来週の試験で負けたら宿題は倍だからな」と言われます。見たことも会ったこともないKくんは毎回全国で1位か2位の成績を取っている生徒。今まで一度も彼より高い点数を取ったことなどありません。「Kくんが風邪で試験を休んでくれないかなあ…。」と本気で考えたりしました(笑)。

結果はどうでしたか?

当然のように勝てず、宿題が倍出されました。その後も見えない敵のKくんと競わされ続け、大量の宿題をやり続けました。その後山口県で行われた合宿で、隣に座ったのがなんとそのKくんだったのです。
今思えば三井先生が増澤先生にお願いしてこの席順にしてくれた気がします。Kくんと直接話をして、同じ試験を受けて、答案を交換して採点しあう。ボクが全く解けなかった問題をKくんは隣でスラスラ解くし、彼の答案を採点することで、途中の計算式を見て「こうやって考えるのか!」というのもわかって非常に刺激になりました。

鹿瀬島正剛さん

貴重な経験をされたんですね。

自分が井の中の蛙であることに気づかされました。先生はボクたちに井の中の蛙がいかにして大海を泳ぐかを教えたかったのではないかと思います。
そのためにはまず、自分が井の中の蛙であると気づかなければなりません。そうでなければ「こんなにスイスイ泳いでいるのに、何か問題あるの?」と大海で泳ぐことを考えようともしないでしょう。
日頃の授業でも、灘高、開成、ラ・サール、久留米大附設といった全国の有名校の問題を解いたりと常に全国を意識する状況が作られていました。「上には上がいる。傲慢にならず常に上を目指しなさい」という教育でしたね。