求めたのは人の人生に影響を与える仕事。紆余曲折を経て辿り着いたのは……

高校は県下ナンバーワンの熊本高校に学区外から進まれたんですね。

当時は学区制が厳しく引かれており、学区外からは5%しか入学できないため、中学の先生からは学区内の高校を勧められました。でも、能開で全国の有名校の話を身近に聞き、「常に上を目指しなさい」という教育を受けていましたから、当然のように熊本高校を受験。無事に合格することができました。自由な学校でのびのびと高校生活を送りました。

大学は法学部ではなく、政治経済学部を選んだのはなぜでしょうか?

そのころは映画「ローマの休日」のグレゴリーペックに憧れて、大学卒業後はマスコミ(新聞記者)になりたいと安直な考えを持っていました(笑)。そこで、マスコミへの就職が強い早稲田の政治経済学部を選びました。

どのような大学時代でしたか?

学生時代は演劇にのめり込みました。相手の人生に影響を与えられるような仕事をしたい、ギリギリの瞬間に立ち会い、力を与えられる存在でありたいという想いがあり、メッセージ性のある台本を書き、演出し上演していました。
卒業後も演劇で食べていきたいと思っていたのですが、ある時、「演劇は、ある程度お金や気持ちにゆとりがある人しか観に来ない。ボクのメッセージを伝えたい人はここにはいないのではないか?ここはボクのいる場所ではないのではないか?」そう感じて別の道に進むことを決めました。

それから弁護士を目指したのですね。

「弁護士がいいのでは?」と提案してくれたのは、学生時代からバイトをしていた学習塾の塾長なんです。「あなたが子どもの代理人として、外敵(子どもの親や学校の先生)と戦っているのをよく目にしてきた。誰かの代理人となってその人の言葉を代弁する仕事があなたには向いていると思うよ。」と言われ、「確かにそうかもしれない」という気持ちになりました。理不尽だと思うことがあると、生徒が通う学校に苦情を言いに行くこともありましたから。

やり方によっては報われない努力もある。その経験が弁護士として生きる。

鹿瀬島正剛さん

当時は今と違い、ロースクールはありませんでしたね。

ええ。司法試験に受かることが弁護士への唯一の道でしたが、当時は合格率3%と狭き門でした。でも、合格率などはあまり気にしたことはなかったですね。大海での泳ぎ方は能開時代に身に着けていましたから、助言された次の日には司法試験予備校の入塾手続きをすませ、「よし、やるぞ!」と司法試験に向けて勉強を始めました。
この勉強は苦しい反面とても楽しかったです。学べば学ぶほど、法律が人を自由にするためにあることを知りました。また、今までは受験のための勉強しか知りませんでしたが、法律の勉強は弁護士としてその後ずっと必要になるものです。「一生使う道具を身につけている」という実感があり、より勉強が楽しく感じました。

では、合格率3%の難関をものともせず?

いえ、とても苦労しました。マークシート式の一次試験は2年目以降落ちたことはありませんでしたが、二次の論文試験で何度も落とされました。
当時の論文試験はAからGにランク分けされ、1,000人ほどいるAの上位700人が三次試験の口頭試問に進みます。ボクは論文試験1年目、A評価で落ちたので翌年は合格するだろうと安易に考えていました。
ところが翌年はB。これまで信じてきた勉強が通じないということに戸惑いを感じ、その翌年はDにまで落ちてしまったのです。

先の見えないことに挑戦し続けるのは大変なことですね。

ええ。D判定を受け、暗記主体の勉強では合格しないとわかりました。これまでの勉強法を全て捨てる決断をして、予備校のテキストやそれまでのノート類全てを手放しました。手元に残したのは六法全書と基本書のみ。これが正解でした。改めて六法全書や基本書をきちんと見るようになったのです。
弁護士は、新しいことに自分で答えを出す仕事です。頼りになるのは六法全書。それをどう分析して、解釈して、武器として使うか。法律に「使われる」のではなく、法律を「使う」人が弁護士として求められている。それに気づくことができました。

これまでにないご経験だったのではないでしょうか?

そうですね。それまでのボクは、「努力は必ず報われる」と思っていました。うまくいかないのは努力が足りないから。それは間違いではありません。でも、何度も司法試験に落ちたことで、やり方によっては「努力をしても報われないこともある」ことを学びました。
弁護士に相談に来る人の多くは、何かしら失敗をした人ですが、破産したくて借金をする人もいなければ、犯罪者になりたくて罪を犯す人もいません。その人なりに努力してきたけれど、うまくいかなかっただけ。
ボクが今、相談者や依頼者に対して「よく頑張りましたね。頑張っても報われないことってあるんですよね」と正直に言えるのは、司法試験で苦労した経験があるからです。弁護士としてとても大切なことを学びました。