病院における医療面の責任者として、ボランティアや現地スタッフと奮闘中

ジャパンハートの活動についてお聞かせください。

2004年に吉岡秀人医師が率いる国際医療ボランティア団体として、"医療の届かないところに医療を届ける"を基本理念に掲げて設立されました。医療者不足が課題の僻地に看護師や医師を派遣し、海外ではミャンマー、カンボジア、ラオスで医療活動を行っています。ミャンマーは都市部に病院が集中しており、田舎の医師不足は深刻です。牛車やバスを何時間も乗り継いで病院にたどり着くのが現実で、保険制度がなく全額自己負担なので貧しい人たちは治療を受けることができません。ジャパンハートでは18歳以下は寄付金で治療費無料とし、外務省などに一部補助金を申請して活動を続けています。

ミャンマーでスタートしたばかりの頃から、河野さんは活動に参加されたのですね。

ジャパンハートの国際看護研修プログラムに参加するために私がミャンマーに渡ったのは、活動開始からまだ1年余りの頃です。ほぼ立ち上げメンバーとして、決して平坦ではない道を吉岡代表やスタッフとともに歩んできました。実際、寝る間もないほど忙しい現場です。気温は暑く、水は川の水のみで、頻繁に停電します。日本なら注文すれば消毒済みのガーゼが当たり前ですが、ミャンマーではガーゼを買って切って滅菌作業も自分たちで行わなければなりません。最初の頃は言葉の壁もあって、患者さんに「大丈夫ですよ」とひと言伝えることすらできず、自分の無力さが歯がゆくて落ち込むことばかりでした。でも、時間さえあれば辞書を片手に、患者さんや現地の人と話をして言葉を覚えるように努力しました。当初1年間の予定が現在まで9年間も続けることになったのは、吉岡代表から「次の新人ボランティアの指導のために残らないか」と声をかけてもらったことがきっかけです。私自身やり残したことが山積みだと思っていたので、即答で残留を決めました。

河野朋子さん

壮絶な現場で、毎日どんなことを考えていたのですか。

ミャンマーでは24時間体制で患者さんの治療が最優先です。自分たちを頼って患者さんが来るので、とにかく治療に専念します。感謝されるのは嬉しいし、やりがいもありますが、まだまだ感謝されるに値する自分ではない、と罪悪感すら抱くようになったのです。そして同時にますます何とかしなくちゃ、という強い気持ちに駆り立てられて走り続けてきました。看護師の役割も大きく、患者さんとの関係性は日本よりも数段濃厚です。医療を提供する側が責任感とプレッシャーを持って取り組まなければと、改めて気づかされました。

多くのメディアも注目する吉岡代表は、どんな求心力をお持ちの方なのでしょうか。

誰よりも一番に患者さんのことを考えて行動する医師です。目の前の患者さんが困っていれば、たとえ他に手が廻らなくてもその治療に専念する姿勢は、心から尊敬しています。彼に診てもらえる患者さんは幸せですね。私自身、医療の原点ともいえる現場にこれからも参加し続けていきたいと思っています。

現在の「プロジェクトディレクター」というポジションについて教えてください。

ミャンマーの医療面の責任者として現場を任されています。いわゆる看護部長的な立場で、病院での医療活動全体の統括業務です。補助金の申請など金銭的な管理も行いますし、日本人とミャンマー人のコミュニケーションを取り持つ役割も果たします。最も大事な仕事は、事故が起こらないように細心の注意を払う安全管理です。国籍も職種もさまざまな方々と出会うチャンスに恵まれ、多くの刺激をもらう日々です。

実際、相当ハードな毎日をお過ごしなのでしょうか。

ようやく1日の治療を終えても、朝になればまた患者さんが押し寄せます。そんな状況が1週間や10日間続くことも珍しくありません。ひたすら目の前の患者さんと向き合い、寝ずに黙々と仕事をする。そうやって走り続けた後の達成感は、実は能開のあの冬期講習で味わった感覚によく似ています。自分のためと誰かのためという差があるので似て非なるものですが、確実に共通点はありますね。ミャンマーは敬虔な仏教徒で国民性も穏やかなので、こちらが助けられることも多々あります。食事する時間も取れずに忙しくしているとお菓子を口に入れてくれたり、夜遅くに帰宅する時、患者さんの家族の方が付き添ってくれたり、停電中には懐中電灯で手元を照らして手伝ってくれることも。まさに手づくりの病院はハードな環境ですが、ここで働けることが幸せだと感じる瞬間に支えられています。

初めの4年間は完全無給で働いていらしたそうですね。

ええ、何の保証もありませんでした。代表の吉岡が給料を得る仕事として活動していませんから当然と言えば当然です。私自身、その場で必要とされ、仕事を続けたいと願っていたので、気持ちが途切れることはありませんでした。貯金が尽きたら帰国して看護師として働けばどうにかなると楽観視してみたり……。やがて、組織が大きくなるにつれて事務局体制が整い、ボランティアの交代制に左右されることなくノウハウを継承していくため、5年目から組織のコアとなるスタッフとして働くようになりました。

目下の仕事の課題をお聞かせください。

いままで医療従事者として病院でしか働いたことがなく、管理職経験がないのでマネジメントの難しさを痛感しています。ミャンマー人の心をつかみきれず、日本なら上手くいくはずのアプローチが通用しないこともありますし、また日本人ボランティアを動かすマネジメント力を身につけることも急務だと思っています。

日本らしいホスピタリティも取り入れて、ミャンマーで一番の病院を作りたい

河野朋子さん

ボランティアをやってみたいと思う人に、どんなメッセージを伝えたいですか。

私の経験上、興味があることなら何でも経験して損はないと断言できます。たとえそれが辛い経験になったとしても、自己成長や相手の気持ちを理解する手がかりになるものです。百聞は一見にしかずですから、チャンスがあるなら面倒くさがらずに挑戦してください。日本は恵まれていますが、一歩踏み出せば当たり前のことが当たり前ではない世界があります。それを体感するだけでも、その後の人生に大きく影響があるはずです。

学生時代にやっておくべきことは、どんなことだと思いますか。

将来の夢があるなら、いま目の前の勉強を頑張って、夢に到達する自分になるようにステップを踏んでいくことが大切です。一歩ずつ乗り越えていくことで、選択肢が広がっていくはずです。また、がむしゃらに勉強した経験は、必ず将来役立つと思います。

社会人として働く上で必要なことは?

自分の性格や興味は何かと突き詰めて、それを活かせる場所で仕事ができればベストです。そんな気構えの人から周囲が受ける印象は、明らかに"プラス"のオーラだと思います。私自身、日本で働いている時には見えなかった自分の弱さをミャンマーで初めて自覚しました。自分自身がどんな人間なのか、その現実と向き合うのは少々辛いこともありますが、この先どんな風に生きていきたいのか、社会にどのように役立っていきたいかを常に考えながら仕事をすることが大切です。人生のほとんどの時間を仕事に費やすわけですから、自分自身を成長させ、必死になれるものを見つけることが幸せではないでしょうか。

今後の夢をお聞かせください。

日々大勢の患者さんたちが集まってくるのは、治療費が安いという理由だけではないと思っています。彼らは口々に「ここのお医者さんや看護師さんと接しているだけで、病気が半分治った気がする」と言ってくれるからです。今後は一層技術レベルに磨きをかけ、治療の成果を上げながら、患者さんやご家族の精神的なケアや日本らしいホスピタリティも充実させて、"ミャンマーで一番"と言われるケアが提供できる病院を作るのが夢です。私がその中心となって現地スタッフの教育を行い、日本人ボランティアにも日本の良いところを持ち込んでもらいながら、理想の医療を提供していきたいと思っています。私自身は昨年子どもが生まれ、いままでと同じように仕事にすべての時間を費やすことは難しくなりましたが、子どもがいてもしっかりと役割を果たせるように頑張っていきたいですね。

それでは最後に、能開で学ぶ後輩たちへメッセージをお願いします。

人は一生をかけて自分の課題に取り組みながら、一歩一歩進んでいくものです。決して、大学合格や就職がゴールではありません。最終的なゴールは、人生が終わる瞬間です。だからこそ、身近なゴールに向かって目の前の一つひとつに全力で取り組み、経験を積み重ねていくことが大切ではないでしょうか。まずは受験勉強を頑張って、その試練を乗り越えることができたら次の夢を見つけ、またそこに向かって突き進んでほしいと思います。

貴重なお話をありがとうございました。

河野朋子さんインタビュー「こぼれ話」

生後2ヶ月のご長男とともにミャンマーに戻って、ご主人と一緒に生活の基盤を整えたら、すぐに仕事復帰をしたいと話す河野さん。ミャンマーには託児所がないため、人を雇って赤ちゃんを連れて職場に通う予定とのことです。母としてパワーアップされた河野さんの今後のご活躍、ますます期待したいですね。

教育理念 困難な時代を生き抜く力

ティエラコムは、創業期より「困難にたじろがない ひとりで勉強できる子に」を教育理念としてまいりました。
「学習塾」とは一線を画した「総合教育運動体」としての姿勢を貫き、子どもの成長の礎となる人間の生地を鍛える教育の実践こそが、私たちの使命であると考えます。

人が生きていく過程には、避けて通れない『困難』が待ち受けています。
それらを安易に回避したり、ストレスで押しつぶされたりといった現代人の忍耐力のなさが問題視されています。
私たちは、困難を乗り越えた先にある喜びを味わえるようあえて多くの試練を用意し、鍛え、励ますことが教育者の役割であると考えます。

私たちの教育目的は、時代やグローバル化の要請に応じて、有用な「人材」を育て社会へ送り出すことではありません。
試練を乗り越えた喜びとともに得た自信を年輪のように重ねた人間こそが、自身の幸せをかみしめ、より豊かな国や世界をつくっていくと確信しています。

ティエラコムの企業活動は、常に「変わらぬ理念」と「新たな挑戦」のもとにあります。

indexへ戻る