課外活動のボランティアに積極的に参加。人と接する仕事に憧れて、看護大学へ

もともと看護や福祉の分野に興味があったのですか。

看護師になりたいと決めていたわけではなく、漠然と人と接する仕事がしたいと考えていました。ソーシャルワーカーのような福祉関係にも興味があり、大学の社会福祉学部または医療福祉の分野に進みたいと思っていました。中学の頃から"自分でできることで誰かの役に立ちたい"と考え、ボランティア活動にも参加していました。高校生になると友達と一緒に、障害者の遠足の介助ボランティアに参加したり、加古川市の広報誌でボランティア募集に応募して、夏休みに知的障害者の施設に作業のお手伝いに行ったことも。こうした体験を通し、自分の能力を活かして人と接する仕事のイメージを膨らませていました。

河野朋子さん

興味のあることを実践する行動力は素晴らしいですね。高校の勉強はいかがでしたか。

地道にコツコツ勉強する習慣は中学時代の能開で身についていましたが、進学校なので勉強は基本的に自主性に任されていました。高校3年の終わり頃に進路を決めて看護大学を志望してから本格的にエンジンがかかりました。いまでこそ看護大学はたくさんありますが、当時はまだ全国的にも珍しく、看護大学の新設が私の大学受験に間に合って「ラッキー!」と思いました。大学4年間は、遊園地で接客業のアルバイトに精を出し、アルバイト代を貯めては友人とアジアやアメリカへ旅をしたことが、海外へと目を向けるきっかけになりました。

4年制の看護大学は、看護学校とはカリキュラムが異なるのでしょうか。

大まかに言うと、看護学校では実践を重視して即戦力の育成を図ります。看護大学は、看護の勉強とともに一般教養も学ぶことができる環境で、「看護師は医療の専門職である」ととらえ、医学的な根拠に基づいて患者さんのケアを行うことが大切だと考えられています。人間の身体や心の営みを知ってそれに寄り添うためには、知識の上に経験を重ね、対応力を磨くことが求められます。賛否両論ありますが、私は看護大学に行ってよかったと思います。なぜなら、その後の将来が広がったからです。ただ知識を身につけるだけでなく、もっといい方法がないかと自分の頭で考えることの大切さも学びました。また、海外経験豊富な教授や専門分野に秀でた講師との出会いも魅力です。病院の外の世界を知ることで、看護師という仕事のイメージが膨らみ、海外にも目が向くようになりました。

小児看護の経験や助産師の知識を積み重ねてキャリアアップ

看護大学卒業後のご経歴は?

兵庫県立こども病院の循環器病棟で、4年間勤務しました。小児看護を希望した理由は、学生時代の看護実習で一人の子どもを受け持ち、いい関係構築ができたので、もっと続けてみたいと思ったからです。患者さん本人はもちろん、そのお母さんたちのフォローも看護師の大切な仕事です。子どもを預ける親御さんの気持ちは、計り知れないものがありますから、卒業したばかりの看護師には信頼関係を築くことはとても大変でした。そんな中でも、重篤な患者さんの手術が成功して回復したり、退院後も病棟に会いにきてくれたり、手紙を送り続けてくれる子どももいて、もっと頑張ろうと思わせてもらいました。

心臓病を患う子どもたちの病棟では、厳しい現実に直面せざるを得ないのでしょうね。

どうしても治療がうまくいかない場合は、辛い現実と向き合わなければなりません。生まれてすぐに入院する子どもが多く、最先端の医療でも治療が難しい病気を患っているケースもあります。いまでも○○ちゃん、○○ちゃんと名前もお顔もよく覚えています。辛い経験も乗り越えながら、看護師としてもっともっと成長したいと考えるようになりました。

その後、いったん退職して助産師の学校に通われたのですね。

はい。1年間助産師の学校に通って、国家資格を取得しました。産後だけでなく子どもが生まれる前の妊婦さんの心身について知識を得ることで、産後ストレスを軽減できればと考えたのです。妊婦さんの心理的なサポートや母乳についてなど、産前の知識やお母さんたちのケアは小児科治療にとって不可欠です。また、4年間で病院勤務にもだいぶ慣れ、このままでいいのかという迷いもあり、看護師としての幅を広げてワンステップ上がりたいと思い、助産師の免許取得を目指しました。

助産師の免許を手に、再び臨床の現場に戻られたのですか。

大阪にある循環器病センターの周産期病棟に勤めました。妊婦さんのための産前ケアと生まれた赤ちゃんをトータルに診る病棟です。一般的な産婦人科とは異なり、もともと妊婦さんが心臓病で出産が難しい場合や、お腹の赤ちゃんに異常が見られるなどハイリスクの妊婦さんと子どもを預かる病棟です。それまでの看護師の経験と助産師の知識をトータルで活かせるこうした現場で、2年間勤務しました。

国内で着実にキャリアアップしてきた河野さんが、海外に目を向けたきっかけは?

アフガニスタンの医療活動から帰国した医師や、海外勤務経験を持つ助産師の先輩が、同じ職場にいたことが直接的なきっかけです。日本とは全く異なる環境で医療活動を行った彼らの存在は、輝いて見えました。私は日々自分の未熟さに気づかされるばかりで、ステップアップする方法を模索していたのです。医療物資はおろか水すら満足にない状況で、何とか工夫するしかないという海外の実態を耳にした時、「私に足りないのはこれだ!」と直感しました。悲惨な現状を嘆くのではなく、ある物で何とかしようと立ち向かい、患者さんに対して少しでも良い影響を与えられる看護師になりたいと考えるようになりました。看護や医療の仕事は、知識と経験だけで乗り切ることはできません。身体のケアや精神的なフォローを行うためには、相手からの信頼を得られる人間性が問われます。自分の経験値の分だけ、相手への共感を深めることができるはずだと確信し、海外に羽ばたいてみたいと考えるようになりました。