大学1年生の試験はすべて落第。人との交流でモチベーションを取り戻す。

その後、目標にしていた県立熊本高校に入学を果たしたわけですね。

はい。ただ、高校での成績は上位25%に入っていたものの、小学校、中学校のころのようにトップを取るのは難しくなりました。中学までの暗記中心の勉強が通用しなくなったからです。得意の数学も、知らないパターンが出てきたときに、自分の頭で考える思考力がなければ対応できません。
そのため、高校3年間は思考力を養うことに力を注ぎましたが、大学受験に間に合わず、1年浪人して熊本大学医学部に合格を果たしました。

医師になる夢へ、一歩近づいたのですね。

そうなんですが、正直なところ、迷った時期もありました。高校3年になり、いざ志望校を決めるころになって、医師になることは祖父や両親が敷いたレールのような気がして、反抗心が芽生えました。迷いを抱えたまま医学部を受験、一浪して合格を果たしたのですが、「このままでいいのだろうか」という思いをひきずったまま入学しました。

迷いを持ったままでは、勉強に身が入らなかったのではないでしょうか?

そうなんです。このままでいいのか、という思いのまま1年が過ぎてしまいました。すると、1年生の最後の試験で、すべての教科が追試となってしまいました。なんとか追試をクリアしたものの、このモチベーションではとてもじゃないけれど卒業できないと思いました。
医学部を辞めて他の学部への転部する道もありましたが、新しい人脈を広げてみようと考え、面白そうな部活やサークルを探して入りました。決定的な出来事があったわけではありませんが、さまざまな人と出会い、好きなことや興味を持っていることなど、いろいろな話をする中で、社会にでてどのような仕事がしたいのか、少しずつ自分の考えがまとまっていきました。

そうして医師として道が拓けて行ったのですね。

はい。あのとき、自分一人で考えていたのでは、モヤモヤした気持ちから抜け出すことはできなかったでしょう。また、人脈を広げるとともに、勉強方法も変えました。医師になるには、覚えることがたくさんあります。暗記中心の勉強法に変えて、しっかりと頭に叩き込んでいきました。

患者さんを治療できる喜びが内科への道を拓く。

川端知晶さん

現在、内科医としてご活躍ですが、
いつ頃内科医になろうと思ったのでしょうか。

大学を卒業し、医師になった時点では、2年間の研修期間が終わったら大学の医局に戻り、小児科に進もうと考えていました。その思いが変わったのは、研修医2年目にこの熊本赤十字病院で内科を経験してからです。
大学病院では上の先生が決めた治療方針に添って治療が進められるため、自分で考えて判断することができません。医者になったのに医者らしいことは何一つできないと感じていました。
ところが、熊本赤十字病院のような市中病院はとても忙しく、研修医であっても任せてくれます。もちろん、バックアップもしてくれます。フロントラインで治療にあたり、患者さんが良くなっていくのを実感することができました。

医師としてのやりがいを感じることができたのですね。

はい。まだ未熟な研修医ですから、自己満足かもしれませんが、医師として働いているという自覚を持つことができました。すでに熊本大学の小児科の医局に入局届けを出した後でしたが、「小児科でいいのだろうか」となかなか答えが出ずに悩んで……。熊本赤十字病院の内科の先生方から話を聞いたり、悩みを聞いてもらう中で、「やはり内科にしよう」と入局届けを取り下げ、熊本赤十字病院の内科に残りました。
今でもあのときの選択は正しかったと思います。ただ、熊本赤十字病院の内科で研修した3カ月は本当にきつくて、ベッドで横になっている患者さんをうらやましく思うほどでした。患者さんは病気を抱えて大変なのですが。

熊本赤十字病院の内科はどのような特徴がありますか?

内科を率いる部長が非常に柔軟な考えをお持ちで、好きな専門科をやっていいと言われています。総合内科という枠ですが、私は腎臓に対する専門性を高めています。同期の中には総合内科としてジェネラリストを目指す人や腫瘍内科を専門として深めている人もいます。