能開で上には上がいることを知り、勉強のモチベーションに火がついた小学生時代。

川端知晶さん

「能力開発センター(以下、能開)」に入ったきっかけは何ですか?

中学受験を考えていたため、両親の勧めで小学校6年にあがる春から能開に通いはじめました。医師をしていた伯母の影響を受けたことに加え、大好きな祖父から「医師は経済的に自立できるし、いい仕事」と言われ、物心ついたころから「将来の夢はお医者さん」と思っていました。
熊本市内から少し離れた地元の公立小学校に通っていましたが、医学部に行けるよう、中学や高校は少しでも学力が上の学校に行きたいと思っていたのです。

能開での勉強はいかがでしたか?

地元の小学校では成績が常にダントツ1位でしたが、能開に通い始めると、もっと上がいることに呆然としました。でも、試験に限らず成果を出せば評価をしてくれるのが能開です。例えばノート作りも、自分で調べたことを余白にぎっしりと書いていると、一番上のAの判子を押してくれます。それがうれしくて、「次もAの判子が欲しい」と頑張りました。
すると自然と成績があがっていきました。成績があがることが次のモチベーションになってさらに頑張る。そういう繰り返しが自然とできるようになりました。能開に通うまでは家で勉強したことがなったのですが、能開で、上には上がいることを知り、さらに上を目指したくて勉強する習慣がつきました。

思い出に残っていることはありますか?

中学受験直前の正月特訓で徹夜合宿をしたことは忘れられません。徹夜で勉強するなんて初めての経験でしたから、とても大変でした。でも、それを乗り越えたことが大きな自信につながり、受験勉強に拍車がかかりました。中学受験も自信を持って臨むことができました。

ライバルとときには喧嘩も切磋琢磨しながら、人として必要なコミュニケーションを学ぶ。

川端知晶さん

中学は熊本大学教育学部附属中学校に進まれたんですね。

はい。目標としていた学校に入れたのはとてもうれしかったです。当時は二次選考に抽選があり、学力試験は合格したのに抽選でもれた友だちもいました。その子のことを考えると、中学校でも勉強を頑張らなければ!と自然と気合が入りました。
引き続き能開に通い、小学校からともに附属中学を目指し、合格を果たした同級生と、今度は県立熊本高校を目指して頑張ることができました。

同級生と切磋琢磨できるのはいいですね。

小さなときから何でも1番になるのが好きだったので、競い合える環境は私に向いていたと思います。特にいつも競っていたライバルがいたのですが、どんなに頑張っても勝てなくて、何度も悔しい思いをしました。彼女に勝ちたい、少しでも上の順番にあがりたいという思いがモチベーションになりました。また、そのライバルとはよく喧嘩もしました。大したことではないのに衝突して、急に口を利かなくなったりして(笑)。
能開では通常の授業以外にも合宿をはじめとしてさまざまな行事があります。その中で同級生とぶつかったり、また仲良くなったり。思春期にこうした濃いコミュニケーションを取ることができたのは、後の人生においてもとても意義のあることだったと思います。また、当時お世話になった松村毅先生と話をすると、私が忘れていたこともよく覚えてらっしゃいます。学年の担当ではありませんでしたが、よく見てくださっていたんだなとつくづく思います。同級生だけでなく、先生との関係でもコミュニケーション力が養われたのでしょう。

中学に入って能開の授業は変わりましたか?

実は授業の内容はあまり覚えてないんです。授業の態度がよくなくて怒られたことや、合宿で食事中に先生と話したことはよく覚えているのですが(笑)。
松村先生にも、「男女ともに仲がよく、また優秀だったけれど、勉強ができる優等生というより、元気がよくてうるさかった」といまだに言われます。ただ、目標にしていた熊本高校に落ちるのではないか、と不安になることはありませんでした。能開で出される莫大な量の宿題をこなし、努力を続けていれば大丈夫という安心感がありました。
それは、コツコツと努力を続けることで、自分が気づかないうちにレベルアップし、成果につながるという経験をしてきたからでしょう。「不断の努力」というものが身についていたのだと思います。