大学推薦入試と前期試験は、不合格。後期試験で岐阜大学医学部に現役合格!

医師を目指したきっかけは?

村山さん もともと数学が好きで、理系を選択しようと思っていました。理系の中でも、人の命を救う医師の仕事は誰にでもできることではないところが、職業として最も惹かれた点です。命と向き合う医療ドラマを観て、「こんなかっこいい人間になりたい!」と漠然とした憧れを抱くようになりました。

村山万季さん

高校時代は東進衛星予備校で学び、3年生のときに
「模擬入試合宿」にも参加されたとうかがいました。

村山さん はい。合宿では入試会場の本番さながらにセッティングされた環境で、模擬入試に挑戦する貴重な体験でした。でも、「不合格じゃ何にもならんぞ!」と小池先生から釘を刺されていたのに、点数が伸び悩んでショックを受けて落ち込みました。後日、予想通り「不合格A」通知が届きました。

小池先生 センター試験や二次試験と同一の難易度の模擬試験で、しかるべき点数に達すると「合格通知」が届くシステムです。「不合格A」はもう少しで合格ラインですが、通い慣れた塾では点数が取れても、味わったことのない緊張感の中で追い込まれたときに実力を発揮できなかったということですね。

当初から、大学は推薦狙いだったのですか?

小池先生 謙虚な性格なので本人の口からは言わないと思いますが、中学・高校時代を通して、通知表はすべてオール5とオール10でした。私もさすがに、後にも先にもそのような通知表は見たことがありません。

村山さん 5教科以外の体育や家庭科も手を抜かなかった結果です。でも残念ながら、第一志望の名古屋大学医学部の推薦入試には失敗しました。私が受験した年は岐阜高校からの推薦枠は1名でした。結果的にセンター試験の点数が足りず、私は一次試験で不合格となってしまいました。

センター試験が敗因だったと?

村山さん 完敗です。数学・物理・化学はほぼ満点でしたが、国語144点、地理83点で、挽回しきれませんでした。そのあと、名古屋大学医学部の前期試験に挑戦しましたが、またもや合格ならず……。

小池先生 難関校になればなるほど、1点の重みが命取りになります。村山さんは名古屋大学の過去問10年分を繰り返し演習していましたし、ベストオブザベストを出せばいけるかもしれないと願いつつ、やはり厳しい戦いになると覚悟していました。前期試験で岐阜大学を受ければ合格だったかもしれませんが、「名古屋大学を受験したい!」という本人の意思は相当固いものでした。

村山さん 名古屋大学医学部を目指して頑張ってきたので、どうしても挑んでみたいという気持ちが強かったですね。挑戦せずに後悔するよりも、挑戦して失敗する方が自分自身納得できると思ったのです。ダメなら浪人覚悟でした。名古屋大学医学部は、私が得意な数学の点数配分が高かったので、奇跡が起きるかも……と淡い期待も抱いていました。

村山万季さん

浪人も視野に入れていたのですね。

村山さん ええ。でも前期試験が終わったあとに「いつ予備校の申し込みをすればいいでしょうか」と小池先生に相談したら、「まだ後期試験が終わっていないのに諦めるな!」と一喝されて目が覚めました。

残念ながら名古屋大学医学部の前期試験は不合格。
それで、岐阜大学医学部の後期試験に起死回生を狙って
立ち向かったのですね。

村山さん その年の後期試験の倍率は60倍、足切りで40倍でした。ほとんど運だめしのつもりで受験しましたが、実際には手応えを感じていました。

岐阜大学医学部合格の知らせを受けた時のことを教えてください。

村山さん 私は、大逆転の合格の喜びから一転、センター試験の受験票を紛失したことに気づいてパニックになり、電話口で小池先生を相手に大泣きしました。後期試験は合格の見込みが低かったため、試験直後にいろいろと整理していました。そのとき、全部捨ててしまったと勘違いしたのです。結局、受験票は自宅の本棚の隅から見つかって……。あのときは、お騒がせしました。

小池先生 あんなに焦らなくてもいいのに(笑)。これまで数多くの生徒を見てきましたが、中学・高校・大学と村山さんの成長を見守ってきたことは、私の人生の中でも節目になってきたように思います。村山さんはお世辞抜きで、私の教え子の中で"最高傑作"です。