個性豊かな先生、優秀な生徒、膨大な宿題…入塾当初は、驚きの連続!

牛建昭子さん

「能力開発センター(以下、能開)」に入ったきっかけは?

最初は母の勧めでした。当時は父の仕事の関係で、いつ転校するかわからない状況でした。そのため、母はいつも「いつどこに転校しても一目置かれる存在でいてほしい。そのためには成績は重要だよ」と言っていました。
能開を選んだのは、入塾テストがあり、「すごい塾だな」というイメージがあったから。「この塾に入ったら賢くなれそう」と思った記憶があります。私は姫路市内から車で40分ほど離れた郡部に住んでおり、地元の中学校の規模も小さかったので、自分の成績がどれくらいなのか知りたい、自分の力を試してみたい、という思いもありました。

入塾した当初の様子はいかがでしたか?

もう、驚きの連続でしたね。周りは優秀な生徒ばかりですし、先生たちはみなさん個性的で授業もおもしろく、学校の授業とは全然違いました。何より、宿題の量が当時の私には驚愕でした。能開という新しい環境に足を踏み入れ、「こんな世界があるんや…」と、衝撃を受けました。
私は、当時はおとなしい生徒だったと思います。極力、目立たないように努めていましたから。成績も中の中。学校ではけっこう上位でしたが、能開のテストはとても難しく感じられ、偏差値も50ちょっと、というところでした。

ついていけない、と挫折することはなかったのですか?

気持ちが折れることはありましたよ。当時は日曜日に行われる"日ゼミ"に参加していたのですが、朝から晩まで特訓でした。この特訓自体も厳しいのですが、1週間分の宿題がとてつもなく多くて…。各教科のノートまとめ、問題集、プリント、漢字演習問題と、盛りだくさん。木曜日まで手付かずで、金曜日・土曜日に必死になって仕上げることも多々ありました。宿題をやってこない生徒は、ビンタや正座ですからね…。そんなときは、いかにラクをするかを考えて、ときどきズルをしていたのは今でこそ言えることです。
でも「能開を辞めたい」と思ったことはありません。とても厳しかったですが、やっぱり楽しかったんですよね。ちなみに私の友人は、「たたかれても死ぬわけちゃうし、たたかれてくるわ!」とあっけらかんとしたもので、私はずいぶん驚きました。それ以降、「死ぬわけちゃうし、大丈夫!」は、私を支える言葉の一つになっています。

教室に生まれる一体感に引き込まれる。

能開のどういうところが楽しかったのでしょうか?

まず、先生たち。めちゃめちゃ厳しい先生が、講習会や学年末の終礼時にはチェッカーズを歌ったりするんです。「勉強ばかりではあかん。アホなこともできなあかんぞ」と常々おっしゃっていて、怒るときと笑わせるときのメリハリがすごい。授業にもグイグイ引き込まれるんですよね。だから、教室に一体感が生まれるんです。「おまえら、しっかりやれよー!」と大きな声で怒鳴る先生もいて、最初は怖いなと思っていたのですが、次第にその言葉に込められる情熱や生徒への愛情を感じるようになりました。
また、塾で他校の友だちができたのも、塾へ行く楽しみの一つでした。「あの子かっこいい!」とかいうことで騒ぐのもまた、楽しくて…。当時を思い出すだけで、今でも楽しい気持ちが湧き上がってくるぐらいです。

合宿には、参加されましたか?

はい。ちょうどカリヨンハウスができたときでした。3泊4日の勉強合宿では、"自主勉"といって、夕飯と入浴の間の時間に自由参加の自主勉強会がありました。私も興味本位で参加してみたのですが、そもそも、1時間もない隙間時間に勉強をするという習慣がなかったので、「やろうと思えば、勉強時間は作れるものなんだな」と、感銘を受けた記憶が残っています。また、他府県からの参加者と仲良くなることもあり、合宿も楽しかった能開の思い出の一つです。