専門性を追求するため海外留学へ。一流の医師の苦悩や葛藤も学んだ。

どんな大学生活を過ごされたのでしょうか。

入学してから迷わず野球部に入りました。練習も比較的厳しかったので、勉強以外の時間は毎日練習に明け暮れていました。小学4年からずっと野球をやりたい気持ちを抑えてきて、ようやく好きなことに思う存分没頭できることが嬉しくて仕方なかったです。

長久功さん

卒業後のご経歴をお聞かせください。

大学病院や関連病院の勤務を経て、サブスペシャリティを追求するために海外留学を決意しました。留学先に選んだのはインドとドイツ。いずれも、脳の深部にあたる「頭蓋底」の領域で最先端の研究が進む国で、それぞれ著名な医師の元で学ぶことができました。半年後に帰国し、国内の病院に出向いて海外で習得した手術を実践しました。その後は大学病院で講師なども務め、さらに大学院で博士号も取得しました。

優れた医師の元で着実にキャリアを積まれてきたのですね。

昨今は"神の手"といった言葉でテレビや雑誌などマスコミでも取り上げられますが、優れた医師は単に手術が上手いだけではありません。手術に至るまでに綿密な準備を重ね、苦渋の決断を下す瞬間の息遣いも間近に感じながら、さまざまな苦悩や葛藤も含めて全プロセスを見せてもらったことが私の財産です。偉大な医師でも、結果的に治療がうまくいかないこともあるのだから未熟な自分は何をどうすべきか、と考えるようになりました。

ダイジェスト版に編集されたテレビ番組では、決して見えない苦悩があるわけですね。

難しい治療はリスクを伴いますが、普通のことを普通のままやるだけではその先の医学の進歩はありません。残念ながら悪い結果から医師が学ぶことの方が多く、同じことを繰り返さないためにどうすべきか常に考えていかなければならないと思っています。

約10年間、国内外で最先端の医療現場を経験して、いまどんなことを感じていらっしゃいますか。

言い尽くせませんがしいて一つ挙げるなら、「一流の環境でこそ一流が育つ」ということです。有名な先生がなぜ有名なのか。なぜ人が集まってくるのか。実際にその環境に身を置けば、自ずと答えがわかります。塾や学校にもまったく同じことが当てはまると思います。一流の学び舎には一流の先生や生徒がいて、一流の学びがあるということですね。

最終的には、稼業の長久病院に戻ってこようと決めていたのですか。

遅かれ早かれいずれは戻るつもりでした。10年経ってそろそろ腰を据えて外の世界で学んだことを役立てたいと考えるようになり、すでに父親の病院を継いでいた脳外科医の兄と二人三脚で、地域医療に取り組んでいこうと一念発起しました。
父親に「帰ってこようと思う」と打ち明けた時は、意外にもあっさり「もういいのか」というひと言だけでしたね(笑)。医師として外の世界で勉強することを、温かく見守ってくれたことはありがたい限りです。

「自分の親だったら」と仮定して、高齢者の患者とその家族に接する。

現在お勤めの長久病院についてお聞かせください。

昭和54年4月に脳神経外科単科の病院として父親が立ち上げました。徐々に規模を拡大し、現在は脳神経外科を中心としながら循環器内科やリハビリテーション科なども備え、地域医療に取り組んでいます。

長久さんご自身が、病院とともに大きくなったわけですね。

昭和54年の発足当時、私は2歳ですからまさにそうですね。病院の隣に住んでいましたから、病院を身近に感じながら育ったせいか、兄妹4人ともごく自然に医師や薬剤師など医療関係の仕事に就きました。両親から「医者になりなさい」とか「脳神経外科を選んでほしい」と言われたことは一度も記憶にありません。私自身、最初は泌尿器科にも興味がありましたが、最終的には脳神経外科は取り組む価値があると再認識して専門を決めました。
私にとって脳神経外科は難しいからこそ興味深い分野ですが、残念ながら最近は医学生たちに「3K=汚い・キツイ・危険」と敬遠される診療科の一つになっています。それゆえ脳神経外科を目指す医師が年々減少していることが課題となっています。

現在のお仕事内容は?

当院は脳神経外科の看板をメインに掲げていますが、診療は頭部の疾患だけではありません。高血圧や糖尿病の患者さんも通院されています。そのため、外来診療から入院患者さんの手術まで「私の町のかかりつけのお医者さん」として24時間体制です。
通常、脳神経外科疾患は突然病状が急変して緊急で搬送される状況が多いですが、平均すると週1~2回の頻度でメスを握っています。1日2件の手術を行うハードな日も……。手術のために夜中に病院に呼びだされることもしばしばです。

計り知れないご苦労があるとお察ししますが、これまでに勤めた大学病院や国立病院と、
地域医療との差はどのように感じていらっしゃるのでしょうか。

決定的な差は、医師が治療に関わる期間の長さです。大きな病院では術後数ヶ月間は経過を観察しますが、最終的な経過まではわかりません。一方、地域医療の場合は一度診療したらその患者さんの症状が改善された時も悪化した時もひっくるめて長い目で診ていくこと、つまりその人のある時間を人生にわたって共にすることになります。その分、長年にわたって信頼関係を築いていくことが求められます。

長久功さん

長久先生がご実家に戻ったことで、
新たに病院の拡大期を迎えたわけですね。

建物も35年経って老朽化してきたので、思い切って移転を計画中です。敷地面積を拡大し、常々必要だと感じていた内科の拡充を図ります。一般に高齢の患者さんは複数の病気を抱えていることも多いので、現在は受け入れる病院も身構えてしまい、どなたでも受け入れる病院が残念ながら少ないのが現状です。そういった地域医療の改善に少しでも貢献していければと思っています。

脳神経外科医として治療に取り組む際、
大切にしている身上をお聞かせください。

患者さんの身体への負担は少なく、なおかつ安全な治療を心がけています。病状や治療法を理解していただくために、適切な言葉でコミュニケーションを交わすことも大切にしています。「この患者さんがもしも自分の親だったら……」と仮定し、目の前の患者さんとそのご家族にどんな治療法を薦めることができるかを考えるようにしています。

この仕事・この職場を選んでよかったと思うのはどんな時ですか。

やはり医者冥利に尽きるのは、命に関わるような病気で運ばれてきた患者さんが元気になって帰って行く姿を見送る時です。そして、その後も「かかりつけのお医者さん」として長いお付き合いの中で、地に足をつけて患者さんと絆を育んでいけるところですね。