中学受験から20年経ったいまも、目頭が熱くなる、先生からの手紙

高橋香さん

講習会や合宿の思い出をお聞かせください。

やはり、先にもお話した「絶対に終わらない宿題」が強烈な思い出ですね。算数国理トータルで1日100ページなんてことも! 理不尽な状況に呆然としながらも、何とか終わらせるために工夫したり、優先順位をつける判断力が養われました。

中学受験にチャレンジしようと思ったきっかけは?

能開で周囲の仲間たちが中学受験に向かっていく環境の中で、私も受験という選択肢を意識し始めました。6年生になって勉強の先に受験が見えてきた感じです。ごく自然にチャレンジを決意したので、気負いすぎず受験勉強に取り組むことができました。

中学受験で辛かったのはどんなことですか。

中学・高校・大学と3回の受験を経験する中でそれぞれにドラマがありましたが、私の場合は中学受験に辛さも喜びも凝縮されています。神戸大学附属中学の入試でいったん合格したものの、抽選で不合格になってしまい、悔しさのあまり親の前で感情を隠すことなく大泣きしたことをよく覚えています。

それはおそらく、人生で初めて味わった試練でしたね。

不合格の報告をした時、担任だった松尾先生は一緒に泣いてくださいました。そして、後日いただいたお手紙には、「いままでの努力は無駄じゃない。必ずあなたの力になっている」と心のこもった言葉が綴られていました。当時、生徒たちに決して明かされることのなかったファーストネームの署名もあり、一人の人間として向き合ってくれた真摯なメッセージが胸に響きました。補欠合格がわかった時もまた一緒に大喜びしてくれました。先生の嬉し涙も決して忘れることができません。いまでも思わず涙ぐんでしまいます。

その後、中学時代も能開に通い続けて高校受験されたのですね。

小学生にとって能開の先生は、松尾先生をはじめとして"第二の親"のような存在でしたが、中学生になると"尊敬すべき先生"として意識するようになりました。白陵高校の大学進学実績を見て、ここなら将来の選択肢が広がるはずだと思い、志望校に決めました。実際、白陵高校は聞きしに勝る進学校で、成績別クラス分けや補習など徹底した大学受験指導のおかげで、現役で東大理Ⅱに合格することができました。

能開で得られるのは、社会の疑似体験だと

高橋香さん

東大理Ⅱを選んだのはなぜですか。

幼い頃からムツゴロウ動物王国に憧れて、動物に関わる仕事に携わりたいと思っていました。一方で、高校時代には「NASAに行きたい」という漠然とした夢を高校の先生に打ち明けたこともあります。先生の進路アドバイスを受けて、大学選びは学部を絞り込まず、あらゆる可能性が広がる東大理Ⅱを目指すことに。東大では2年次の最後に進学振り分けで専攻を決めるため、2年間の"執行猶予期間"を最大限に利用して、ゆっくり進路を考えたいと思っていました。

後期試験で東大理Ⅱに現役合格されたのでしたね。

東大の前期試験で落ちた時はさすがに辛かったですし、後期試験までの2週間は死に物狂いで勉強しました。後期試験は苦手な数学がなく、英語と国語と理科の成績が良かったことも幸いでした。理科が好きで生物の勉強をしたいと思っていたので、前期で落ちた理Ⅱを諦めなかったですね。

念願の東大理Ⅱに進学して、どんな大学時代を過ごしたのでしょうか。

1・2年生の頃は離島でテント生活をしながらスキューバダイビングに明け暮れ、3・4年生になると沢木耕太郎著「深夜特急」を読んでバックパッカーに憧れて、一人旅で世界中を巡りました。アジア各国をはじめ、ウズベキスタンやイエメン、イスラエルなどにも単身で足を運び、日本の常識が世界では通用しないことを痛感したのです。「そんな"秘境"に一人で行けるなんてスゴイ!」とよく言われましたが、すべては気の持ちようだと思います。行こうと思えば本当は誰だって行ける、大事なのは行けると信じてその一歩を踏み出すかどうかだと思うのです。最初の一歩を踏み出しさえすれば、何だってできるというのが私のポリシーです。

世界をめぐる一人旅の魅力は、どんなところにあるのでしょうか。

いま思うと、場所はどこでもよかったのかもしれません。自分の足でどんどん前へ進み、日本で生活していると接点のない人に出会いながら、国境を超えて移動すること自体が楽しかったのです。次の旅先を決めるのは前の旅で出会った人からの口コミに頼ったことも。行きたいところに行けばいいし、雨が降ったら休めばいい。自分の意思で選ぶから、失敗しても人のせいにはできません。責任が自分にあるからこそ、すべてを受け入れることができました。とことん一人で自分と向き合う時間の中で、それまで自分を縛りつけていた固定観念を取っ払うことができました。純粋に自分の意思だけで決定することや、自分で自分の価値を見つけ、評価することはとても大切な成長のプロセスだったと思います。