スイッチが入り、勉強に燃えた夏… 能開で培った土壌があったからこそ、花開く

高校受験に向けては、いつごろから勉強を始めたのでしょうか?

中学2年生までは、先生にも心配されるほど、成績の伸びはイマイチだったんです。宿題もズルをしているくらいですから、当然なんですが。転機は、中学3年生の1学期、分厚い形状から"電話帳"と呼ばれる高校入試の過去問集を買い、開いたときでした。何が書いてあるのか全然わからず、「これはヤバい!」と自覚し、スイッチが入ったんです。まさに、我に返った瞬間でした。

それからは、受験勉強に専念したのですか?

いえ、中学校では水泳部に所属しており、夏休みまでは部活があったんです。部活も最後までがんばりたいけど、部活を受験勉強ができない言い訳にはしたくない。そう思い、徹底的に勉強時間を洗い出して、夏休みのスケジュールを立てました。夏休みが終わるまでにはこのワークをすべてやり切ろう、と目標を立て、苦手なところは徹底的に反復学習して克服していきました。
中3の夏休みには能開の夏期講習や合宿にも参加しているはずなのですが、その記憶も曖昧なほど、この年の夏は勉強に燃えていました。

その勉強法というのは、能開で教わったのですか?

教わったというよりは、能開の日々の授業や宿題をこなすなかで学んだという感じです。覚えたことは問題の中で確認するとか、覚えられないことは、3日後、1週間後と、少し時間を置いてくり返し復習するといいとか、そういうことは能開の先生たちが折りに触れておっしゃっていました。
中学2年生まではのんびりとしていた私ですが、いざ受験勉強をしようとお尻に火がついたときに全力で走ることができたのは、自分でも気づかないうちに基礎ができていたから、そして、勉強の方法が身についていたからだと思います。本当に、能開に通っていたおかげです。

その後、高校受験は順調でしたか?

はい。2学期最初の能開のテストで、成績がぐんと伸びました。クラスも上に上がり、勉強の量も質もアップ。そのまま波に乗って勉強を続け、いよいよ翌日は試験本番というところまできました。能開の先生が、受験前日の過ごし方について、「"電話帳"を枕にして寝とけ」と言われたので、その言葉を真に受けて寝ていました。すると、先生から激励の電話があり、「言われた通りに寝ていました」と言うと、「あほか!見直せ!」と怒られました。やるだけやったら、あとはあれこれ考えずにしっかり寝て、翌日に備えるくらいの気持ちでリラックスしろよ、という意味だったようです。
このエピソードからもわかるように、私だけでなく当時の生徒たちはみんな、先生の言うことは絶対的に信頼していたのだと思います。おかげで、志望した大阪府立生野高校に進学できました。当時は、中学3年生で能開は卒塾で、私は大阪府に引っ越したこともあり、それ以来、能開の先生や友だちとは連絡をとっていませんでした。ですので、今回こうしてお話をすることができて、とてもうれしく思っています。

断じて中途で辞めるな。中断はゼロである

牛建昭子さん

勉強以外に、能開で学んだことは何でしょうか?

人を惹きつけることの素晴らしさ、でしょうか。能開の先生方は、常々、「勉強だけできてもあかん」とおっしゃっていました。先生方がウィットに富んだ話で生徒を授業に惹き込んだり、時には笑わせたりしている姿を見て、すごい先生たちだな、人を惹きつけられる人に私もなりたいなと思いました。
また、教室に貼ってあった「能開五訓」は、とても印象に残っています。とくに、「断じて中途で辞めるな。中断はゼロである」という言葉は、今でも折りに触れて思い出し、気持ちを引き締めています。

高校、大学時代はいかがでしたか?

高校は自由な校風で勉強も自主性に任されていたのですが、能開で勉強の方法やコツを身につけていたこともあってか、塾や予備校に通うことなく、大学にも現役で合格することができました。教員免許が取れることもあり、大阪教育大学に進学。私が描いていた憧れの教師像は、まさに能開の先生でした。あんな風にまっすぐに生徒と向き合い、熱い授業ができたらなあと思っていました。

大学卒業後は、どうされたのですか?

大学で教員免許は取得しましたが、教職に就くのはまだ先でいいかなと思い、一般企業に就職する道を選びました。幹部候補生ということで、日々の業務に加えて勉強会やレポートの提出、資料づくりと、多忙を極める毎日でした。でも、やるべきことが山積みのときでも、「能開の宿題の量よりはマシか。大丈夫、まだ行ける!」と自分を鼓舞していました。
また、能開の先生がおっしゃっていた「アホするときは、とことんアホになれ」という言葉も、社内のイベントで出し物をする際にはとても支えになりました。大変なときこそ、「こんなのへっちゃらや!」と笑い飛ばすユーモアが、いつのまにか自分の中に根付いていたようです。