逃げ切れないときは、全力でやるしかない

高校時代はどのように過ごしましたか。

いつの頃からか、京都大学理学部に入りたいと思うようになっていました。能開や学校でお世話になった先生に、京大理学部出身者が多かったこともあこがれた理由のひとつだと思います。当初の予定では、高校2年で全範囲を終わらせ、3年の夏くらいには受験対策も完ぺき…のはずでした。しかし、私の「好きなことにはとことん没頭する」という性格が、それを許しませんでした(笑)。まず、学校の先生にすすめられて、数学オリンピックを目指すことにした私は、1年の冬から2年の夏まで、その対策に集中しました。本選には出場できませんでしたが、予選の成績上位者に与えられる、大学の特別選抜入学試験の特典を得ることができました。

木村弘志さん

高校生クイズには出場したのですか。

ええ。1年生のときから毎年出場しました。2年生の夏には山口県代表に選ばれ、全国大会出場が決まると、能開で長年お世話になっていた薮木先生や仲間が、メッセージ入りのTシャツや色紙でエールを送ってくれました。その結果、なんと全国優勝を果たすことができたのです。練習に練習を重ねた結果が報われて、本当にうれしかったです。その後、次の年の大会に向けてさらにトレーニングを積んだのですが、なんと翌年は地方大会1回戦の1問目で間違い、まさかの予選敗退。そのときはショックが大きすぎて何も考えられない状態でしたが、まあ仕方ないと、気持ちを切り替えました。

ところで、勉強のほうはどうだったのでしょうか。

こんな状態ですから、数学オリンピックに向けた数学の勉強以外は、最低限しかやっていませんでした。ただ、その間も能開にはずっと通っていましたし、自分の中では勉強の印象は薄いですが、それなりにはやっていたのだと思います。3年の夏に高校生クイズに破れ、ようやく本格的に受験勉強に着手しました。遅いスタートでしたが、あまり焦りはありませんでした。

高校時代の能開での思い出をお聞かせください。

一番印象に残っているのが、1年生のときに英語を教えていただいた今井先生です。今井先生も京大出身で、京大の入試に出るような難解な英文和訳の課題を次々と出されて…。それに食らいついていくのはとても大変でしたが、やりがいがあって楽しかったですね。本当に、鍛えられました。今井先生から学んだのは、英語だけではありません。今や私の座右の書となっている庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』を紹介してくれたのが、今井先生なんです。おそらく、これまでに読み返した回数は200回近いのではないかと思います。細部まで読み込み、書き込みや付箋の数もものすごいことになっています(笑)。

例えば、どのような部分がお好きなのですか。

私がこの本から得たものは本当にたくさんあるのですが、その一つが、「嫌なことからはまず逃げてみろ」ということです。意外かもしれません。普通は、「嫌なことにも立ち向かえ」と言いますからね。でも、こう続くんです。「逃げてみて逃げ切れるなら、それは自分にとって不要なものだ」と。逃げ切る力があるということは、それ以外のものでカバーする力があるのだと。さらに、「逃げてみて逃げ切れないなら、向き合うしかない」と続きます。これはまさに、私の生き方です。好きなことはやるけど、嫌いなことはやらない。私は、嫌いなことからは逃げます。でも、どうしても逃げられないときもあるんですよね。そういうときは、好き嫌いとは関係なく、全力でやるしかないんです。

木村弘志さん

勉強も、好きなものを優先していたのですか。

ええ、かなり(笑)。私は暗記が苦手で、歴史などの科目は嫌いでした。でも、得意な数学でカバーができた。だから、苦しい思いをして苦手を克服するよりも、好きで得意な科目を伸ばすことを信条としていました。でも今は、「嫌いだと思っていたことも、やってみたらおもしろいかもしれない」とも思います。何事も、食わず嫌いはよくないですからね。

ところで、能開では合宿にも参加したのですか。

はい。小学6年生から高校3年生まで、7年間「勉強合宿」に参加し続けました。合宿のあの独特の高揚感がたまらなく好きで…。朝から晩まで勉強して、ときには徹夜でプリントをひたすら解きまくる。あの非日常的な感じや仲間といっしょにがんばる結束感が、気持ちを高めていたんだと思います。勉強だけに集中できることも快感でした。全国の生徒が神戸に集まる高校3年生の「受験合宿」も、楽しかったですね。実は、大学1年生のときにはOBとしても参加したんです。それくらい、合宿好きでした(笑)。

高校3年生の夏から始めた受験勉強は、順調に進んだのでしょうか。

得意な数学は問題なく、英語も能開で今井先生に鍛えられていたので下地はできていました。また、理科は3年の秋からで間に合うだろうと思っていました。国語は能開の川神先生にお世話になりましたね。先生方のサポートもあり、無事、京都大学理学部に合格できました。

大学時代はどのように過ごしたのですか。

大学ではクイズ研究会に入り、4年間、クイズひと筋でした。高校生までは、回答者として参加する立場でしたが、大会の企画・運営からすべてをマネジメントした経験が、今の社会人としての自分の土台になっていると思います。社会人サークルの人たちとも交流し、いろんなことを学ばせていただきました。一方、学問の面では、人類進化論の研究室に進み、サルや類人猿について学びました。講義や実習を通して学んだことをひと言でまとめると、「おかしな考えは受け入れろ。足りないものは批判せよ」という他者への向き合い方です。「おかしな」というのは、常識的ではない意見や、自分とは異なるもの、ということです。今、仕事をするうえでも、折りに触れてこの言葉を思い出しています。