高校受験も大学受験もゴールじゃない。常に、その先にある目標を見据えるべき。

大川さん中学3年の頃、谷内先生がしばしば「高校受験はゴールじゃないぞ」とおっしゃっていたことをよく覚えています。

谷内先生何のために高校や大学を受験するのか、その先にある目標や目的意識についてよく話をしましたね。親御さんとも共有しながら、生徒の成長を見守ってきました。金沢地区は全般的に高校受験に力を注ぐエリアですが、決して高校入試がゴールではなく"人生の通過点"でしかないと、声を大にして唱え続けています。ですから、高校3年生には『大学受験はゴールじゃないぞ』といつも話していますよ(笑)。

大川さん高校時代も、能開に来れば確実に勉強時間を作ることができたのでありがたかったですね。小中学で身に着いた、自分で勉強する姿勢が大学受験にもしっかりと活かされたと思います。

谷内先生現在は、東進衛星予備校のコンテンツを取り入れ、大学受験指導がより充実しています。大川さんは、受験では苦労した様子もなく、こちらが敷いた長いレールにスーッと乗って走ってくれたように感じていますが……。

大川さんところが、できないものはとことんできなかったんです。確率統計や天体など苦手分野は小テストで0点を続出してしまい、先生方に「一体どうしたんだ?」と言われてしまうことも。理系の思考がない、としか言いようがないのですが……。

いつ頃、志望校や進路を決めたのでしょうか。

大川さん高校入学時には文系選択を決めていました。わが家は全員理系でしたし、もともと数学は嫌いではなかったのですが、物理や化学が大の苦手。そのかわり、英語は大好きな科目でした。東大に行けたらいいな、と漠然と憧れを抱いていましたが、まさか本当に行けると思ってもいませんでした。家族にも東大出身者はいないので、みんな疑心暗鬼でした(笑)。大阪大学や京都大学にも魅力を感じていましたが、最終的には学校の先生の進路相談で、「東大に挑戦してみたら」と言われて決めました。

谷内先生昔の夢は何だったんですか。

大川さん実は、小学生の頃、毎日19時のNHKニュースに出ていた女性アナウンサーに憧れていました。ある時、母に「この人は東大文Ⅲ出身よ」と言われ、「東大文Ⅲに行けばこんなステキな女性になれるのかな」と、子ども心にときめいたことを覚えています。文Ⅲ出身が本当だったのか、親の口から出まかせだったのかはわかりません(笑)。志望校を東大と決めたら、他の私立大学受験のための勉強は一切しませんでした。ただ、センター試験と面接で受けられる私立大学は、滑り止めに1校だけ受験しました。

就職活動、大学院進学を経て地元・北陸の新聞社で活躍中。

大川夏子さん

大学の専攻は?

大川さんマスコミ志望だったので社会学を学びました。文学部行動文化学科社会学専修課程です。卒論のテーマに選んだのは「家族」。当時「パラサイトシングル」という言葉が流行っていて、それをヒントに家族についての研究結果を卒論にまとめました。

就職活動は?

大川さん大学卒業時の就職活動はテレビ局だけに絞り込み、他業種はほとんど視野に入れていませんでした。でもなかなかうまくいかず、大学院で研究を続けながら自分の将来ともう一度真剣に向き合おうと思うようになったのです。卒論を取り下げて、翌年大学院へと進学しました。院卒で就職する際もマスコミ志望は変わらず、テレビ局と同じメディアという枠の中で、地元の新聞社を選びました。媒体こそ異なりますが、メディアに関わっていきたいという想いを貫くことができたと思っています。

新聞記者としてスタートされて、実際はいかがでしたか。

大川さん自分の目・耳・足・口をフルに使ってニュースを見つけてくる仕事です。ネタが見つからなければ紙面がブランクになってしまうので、記者には毎日プレッシャーがつきまといます。私が記者1年生だった時は「まち回り」といって、地域に密着した公民館や小学校などをエリアごとに担当しました。日々「何か話題はないですか?」と聞いて回ると、イベントのネタなどを提供されるのですが、自信たっぷりで会社に持ち帰っても、「そんなのニュースにならないよ!」と、けんもほろろ。そんなことを何度も繰り返し、何が新聞記事になるのかを少しずつ学んでいったと思います。

ニュースにふさわしい基準はあるのでしょうか。

大川さん正直、今でも分かっているかと言われると自信はありません。ただ、先輩には「ふーん」とか「へえ!」とか「おっ」と思うことがニュースになると言われたことがあります。非常に感覚的なものですし、センスが問われるところですが、ある程度は、経験値で磨かれていくものだとも思います。

谷内先生今の仕事に、能開で学んだことが役立っているという実感はありますか。

大川さん取材対象者の話を聞いて記事にまとめるには、要点を押さえて知識を整理する必要があります。力不足とはいえ、私が今持っているそのチカラには、あの"ノートまとめ"で養われたものがあるのではないでしょうか。ただし、勉強は一人で頑張るもの。でも、仕事は周囲の人の協力がなければ成り立たない複合的なものだと感じています。

谷内先生最近は、お仕事でよくお会いするようになりましたね。

大川さんええ。まさか仕事で再び能開にお邪魔することになるとは、びっくりです。現在は、書籍や雑誌づくりを担う出版局に在籍し、石川県や富山県で販売される総合月刊誌「北國アクタス」の編集に携わっています。私が担当する教育特集企画で、能開の先生方に受験をテーマにお話を伺ったり、合格者インタビューもしました。不思議なご縁ですね。

谷内先生教育熱が高いエリアなので、教育特集は注目度が高いのではないでしょうか。

大川さんおかげさまで、大型の受験特集を組む号は、書店で売り切れることもあります。新聞記事と比べて、雑誌は書く分量が多いだけに、伝えたい内容を何ページにも渡って掘り下げて記事にできる魅力があります。受験生から「アクタスを見て頑張って合格しました!」というハガキをいただいた時は、本当に嬉しかったですね。

新しいことに挑戦するのは怖いけれど、果敢にチャレンジしていきたい。

大変なこともたくさんあることでしょう。

大川さんもちろん批判をいただくことも少なくありません。現在の仕事は、ダイレクトに読者の反応が感じられます。失敗したら即、クレームにつながるリスクも背負っています。雑誌が出版されてからしばらくは、電話がかかってくるたびにドキドキヒヤヒヤ。日々、そんな独特の緊張感に包まれています。

いま乗り越えたい壁は?

大川さん初めて取り組むテーマは、試行錯誤の繰り返しです。不安で逃げたいと思ってしまう自分がいます。でも、立ち向かっていくしかないのです。学生時代の勉強は、「誰かができるなら自分だってできるはず」と思うようにして乗り越えてきましたが、社会人10年目を迎えたいまも、そんな気持ちを忘れずに取り組みたいです。

最後に、後輩たちへメッセージをお願いします。

大川さんいま、夢を持っている子どもは日本中にどれくらいいるのでしょうか。大学合格体験記の取材で難関大に合格した高校生に会うたびに、「大学はゴールじゃない。その先にある夢を抱き続けることが大切」と伝えています。「東大までの人」「東大からの人」という言葉で表現されるように、やりたいことがなければ東大を目指してもあまり意味がないと思います。実際、大学受験よりも就職試験の方が大変なのではないでしょうか。能開の先生方が「受験がすべてじゃない。大切なのは将来を見据えること」とよくおっしゃっていましたが、本当にその通りだと中高生の皆さんに訴えたいです。

ありがとうございました。

大川さんインタビュー「こぼれ話」

当時、金沢・富山エリアには「金沢本校」1教室のみでした(現在は7教室)。バスの便が良い場所に教室を構えていたため、週末には南部や北部など遠方から通う生徒も多かったですね。徐々に生徒数が増加し、小中学生合わせて1,000名に達しました。大川さんが通っていた頃はその時期です。リアルな学校の規模がありましたね。

能力開発センター 第1教育事業本部 副本部長
石川・富山地区 責任者
谷内先生

教育理念 困難な時代を生き抜く力

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私たちは、困難を乗り越えた先にある喜びを味わえるようあえて多くの試練を用意し、鍛え、励ますことが教育者の役割であると考えます。

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