復興の種 作文

中学3年生

「復興の種」 玉井 依利奈(金沢・中3)

私は、常々こう思います。「こんなことをしていてよいのか。」と。「私も何か協力できないのか。」と。そこで今、自分なりにできることをしてみようと考えています。

被災地の様子は、連日報道番組等で見ています。心が痛むものもありますが、感動的なものを目にする時があります。助け合ったり、励まし合ったりする様子が放送されると、すごく感心が持てます。これは人間として、とてもすばらしいことだと私は思います。

また、今も一生懸命復興に向けがんばっている方がいるんですよね。それは、とても容易なことではありません。特に、福島の原子力発電所です。常に放射能をあびながら働いているんです。

こんな報道を見て、無関心などなれるでしょうか。だから、今すごく協力したいという気持ちでいっぱいなんです。

東北の方は強いです。いつも思います。そこに日本全体の人々が加われば、きっと、いや絶対いい方向に向かっていくと私は信じています。この壁を乗りこえれば日本は絶対強くなる。そう信じてお互いがんばりましょう。同じ日本人である限り

「被災地のみなさんへ」 村上 昌弘(金沢東・中3)

三月十一日、ニュースを見た僕はとても驚きました。最大十五メートル超えの津波で、住宅街が波でさらわれ大勢の方がお亡くなりになった事を聞いて聞いてとても悲しくなりました。被災者のインタビューを聞いていても家族が心配ということが一番多くとても複雑になりました。今自分が普通だと思って家族と一緒にいるのが一瞬にして、普通ではなくなってしまっていたことにとても悲しく驚いたからです。

今もなお、津波の被害で福島の原子力発電所の状況がニュースでたくさん出ています。このニュースを見るたびに、僕はなんてかわいそうなんだろうと思います。そして自分がいかに無力であるのかを思い知らされます

僕達の学校では、被災者への募金を集める活動をしました。金額は今までで最高額でした。今の僕達には、これくらいの事ぐらいしかできることがありませんがこれからも支援活動を続けていきたいと思っています。日々の生活での節電や買いだめをひかえるなど、協力できることは全て行なっています。一刻も早く被災者に物資が届き、安全な生活をおくってほしいと思います。遠くからではありますが、被災者の皆様の御健康をお祈りしています。そして何事にもあきらめないことを決して忘れず、日本が復興するまで共に頑張りましょう。今、日本全体で協力して支え合う時だと思うので、力を合わせて応援していきたいと思っています。最後に被災した方々に心からお見舞い申し上げます。

「被災者の方々へ」 洞庭 沙紀(SKY内灘・中3)

三月十一日。少しの揺れを感じ、テレビをつけました。東北で起こった地震は私の想像をはるかに超える規模で、亡くなった方、行方不明の方はものすごいスピードで増えていきました。ご家族が見つからない方や、亡くなった方々の悲しみは、はかりしれません。しかし、ニュースでの被災者の方々のインタビューをきいていると、他人の方を優先に・・・という言葉がよくきかれ、素晴らしいと感じました。世界に誇れる日本だと思いました。

地震発生から一ヶ月が過ぎ、テレビでは、バラエティ番組やドラマなどが放送され、いろいろなCMも流れるようになりました。しかし、被災者の方々の心の傷がいえるには、もっともっと時間が必要だと思います。そんな中でも、復興を目指す前向きに頑張る方々を見て、いつも勇気をいただいています。まだまだ時間はかかると思いますが、私は、一番最後の被災者の方まで全員が「幸せだ。」といえるようになる日まで、応援し続けます。

「東日本大震災"被災地のみなさんへ」 佐伯 翼(六甲・中3)

毎日、テレビの報道で流れる様子を見ると胸が痛みます。僕のいとこや祖父母も千葉県と埼玉県で被災しました。そして、「物が無い。」と言って西日本に来た人もいました。しかし、東北地方に住まれている方々は、もっと不便な生活をされていると思うと自分たちは幸せだなと感じます。

今もなお余震が続き、原子炉発電所の問題や計画停電などまだまだ不安な面も多々あると思いますが頑張ってください。

大事なことは、自分を信じ、周りを信じ、みんなが一つになり、協力するということだと思います。みんなというのは、東北地方限定ではありません。日本。いや、世界の全ての人がみんな仲間です。世界中の人が今、日本を注目しています。エールを送っています。

その証拠として、僕の中学校で行った募金活動では、総額二十万五千五百五十五円というお金が集まりました。なので心配しないでください。絶対大丈夫です。

僕の住む兵庫県神戸市でも十六年前に阪神淡路大震災により大きな被害を受けました。しかし、みんなの支援によって復旧することが出来たのです!!やればできます。

One for all, All for oneという言葉があります。一人はみんなのために。みんなは一人のために。今こそ日本の真の実力を発揮するときです。日本いや世界が一つのチームなんです。みんな仲間です。僕も精一杯応援します。協力します。日本の力を信じています。

「復興の種」 阿部 拓真(芦屋・中3)

私が住んでいる街は今から約16年前に阪神淡路大震災がありました。私は当時まだ生まれていませんでした。しかし、たくさんのことを知っています。それは毎年一月十七日前後になると、阪神淡路大震災について親や先生などから聞いたり、調べたりするからです。だから私達は地震についても、多くの知識があると思いこんでいました。

そのような中で起こった東日本大震災は、阪神淡路大震災以上の被害と多くの被災者を出す、巨大地震でした。この地震とその後の津波によって多くの家や物が失われ、火事が起こり、さらには原子力発電所からの放射性物質がまきちらされ、家に帰りたくても帰れない人、家がもうなくなってしまった人が多数いることを知りました。私達のような年の人は、学校が使えなくなり、授業を受けたくても受けられない、・・・などの問題もテレビや新聞、インターネット等を通して知りました。

そのようなことが日本国内で起こっているにも関わらず、いつも通りに朝起き、学校へ行き、部活動を行い、三食の食事を取ることができ、風呂に入って寝ている自分に対して、被災者に申しわけないと感じます。その一方で、何か私たちにできることをしようという気にはすぐになりました。でも、おこづかいから出す募金しかなく、少し悔しいです。

私は、「生かされている命」を大切にし、今も普段通りに生活できていることに感謝して生活しています。

最後に、被災された方々へ。テレビで、「地震、津波、原発の三重の苦」があると言っていますが、実際は、さらに苦しい生活を送っていると思います。その一方で、復興も始まっています。明日への希望を忘れずに、くじけずに頑張ってほしいと思います。

「頑張れ、東北!」

「復興の種」 蛭田 真由(芦屋・中3)

私は、今回おきた東日本大震災のおそろしさがどのくらいなのか、正直分かりませんでした。私は阪神淡路大震災の後に生まれたので、地震にあったことも、大きな自然災害に遭ったこともありません。だから、被災地の人の気持ちは、分かりませんでした。

しかし、今回の震災から一週間経った頃、私はニュースで、ある小学生の男の子2人を見ました。2人は私より3才から5才くらい年下の兄弟でした。テレビをつけた時は、2人がどんな状態なのか分からなかったけど、少ししてから、2人の母親が行方不明なんだということが分かりました。2人の家は津波におし流されてしまって、後片もありませんでした。2人は、小学校を自分達の避難場所として、毎日毎日、お母さんを探しに行っていました。一生懸命に。何時間も。どんなに汚れても、つかれても、2人は母を探していました。気付いたら、私は少しだけ泣いていました。2人の姿に、何かを感じたからだと思います。それまで、あまり分からなかった恐怖や悲しみが、一気に分かったような気がしました。もし、自分がこんな災害に襲われて、もし、自分の大切な人を失うことになったら、そう考えさせられました。私はきっと、目の前が真っ暗になって、もういつもみたいに笑えないと思います。心の支えだった人を失うことは生きる希望を失うにも等しいと思うから、きっと私は笑えません。

そんな事を思っていたら、その兄弟は、震災前に自分達がキャッチボールに使っていた野球ボールをみつけました。泥まみれなったボール。それを見た2人は、涙を目にためながら、こう言いました。「震災にあっていない皆さんには、僕たちの分まで、亡くなった方の分まで、笑ってほしいです。」と。私は本当に感動しました。このことを言った後の後の2人の顔は、じっとボールを見つめたままだったけれど、とてもきれいな笑顔だったからです。2人の願いは、私を含め、ニュースを見ている人みーんなに伝わったはずだと思います。

そのニュースを見てから、私はちょっとやそっとの悩みがあっても気にせず、仲間と共に思いっきり笑って過ごしています。今、つらくて笑えない人達の分も、亡くなってしまった方達の分も、そう思って毎日を楽しく生きています。そして、あのニュースで見た2人のお母さんが、一日でも早く見つかることを願っています。私たちに出来ることは、どれも小さいけど、私は義援金や節電の前に、皆に「笑って」もらおうと思います。いつか東日本の人達と、あの兄弟が思いっきり、笑ってくれるように。日本みんなで、東日本を再興さして、元気をつけたいです!!これを読んだ貴方も皆と一緒に「笑って」すごしていきましょう!!

「人と防災未来センター」 井上 すう(本山・中3)

「地震は、忘れたころにやってくる。」誰から聞いたのかは覚えていませんが、本当にそのとおりだなと思います。阪神淡路大震災のお話を聞くたびにあの日の事は何があっても忘れないと決心するのですが、地震の話を聞いたときに気がつけばあの日の記憶が消えようとしてしまっているのです。東日本大震災がおこったと聞いたときも、私の頭では震災がおこったと聞いたときも、私の頭では震災という言葉が消えかけようとしていました。このままではだめだと思ったので友達三人と阪神淡路大震災記念の人と防災未来センターに行ってきました。まず最初に四階の震災追体フロアで一月十七日におこった地震を大型映像と音響で体感し、次に震災直後のまちを歩きました。まちは、ボロボロで
「おい!大丈夫か。いま助けるから。」「誰か・・・誰か助けて・・・。」「ウォォーン。ウォォーン。」
たくさんの音でいっぱいでした。あまりにも怖くて見ていられませんでした。この光景が東北でおこっているなんてとても考えられませんでした。

今回私は、「地震は大好きな町だけでなく心もボロボロにしてしまう。」ということを学びました。ニュースで被災された方が怯えながら生活されているのを見ると本当に胸が苦しくなります。けれど私は、被災者を励ますことも話を聞いてあげることもできません。なにもしてあげられないなんて悔しいと思っていました。でもよく考えたら今一生懸命勉強すれば将来被災された方を励ませれるような仕事につけるんだという事に気付きました。だから私は勉強を頑張ります。勉強がしたくてもできない人たちの分も頑張ります。お金を路上ダンスとかしてためて募金活動にも参加したいと思います。

最後になりましたが、東北の皆さんも頑張ってください。少しでもはやく皆さんが安心して暮らせますようにお祈りしてます。

「復興の種」 福原 千慧(御影・中3)

地震の日私の学校では卒業式を行っていました。卒業式を終えて部活の皆と後片付けをしていたら顧問の先生が東北で地震があったと教えてくれました。その時はまだ学校だったので、どれほど大変だったのか全然知りませんでした。なので、家に帰ってからニュースをみたときの衝撃はとても大きかったです。

あれから一ヶ月。もう一ヶ月なのか、まだ一ヶ月なのか。被災された方の生活は少しでも改善されたのでしょうか。ニュースを見ていると軽々しく「頑張って下さい。」と言えない気持ちになります。私はまだ中学生で、被災地を離れた関西では、何の役にも立てず無力感を感じたりしていました。そんな中で私はあるニュースを見ました。自分も被災しているのに避難場所でボランティアとして働く現地の中学生の姿です。重たい配給物資を運ぶ姿、小さな子供をあやしたり一緒に遊んであげる姿、進んで掃除をする姿。私は中学生で、何の役にも立てないと思っていましたが、同じ世代の皆さんが苦しい状況できびきび働く姿は輝いて見えて、本当に頼もしく思いました。ニュースでは、「これからの復興は、若い世代にかかっている」と言っていました。そして長い期間がかかる。とも言っていました。十年後には私達は二十四才になっています。私は、今、学校でも塾でも乗り越えないといけない事があって、将来の夢も決まっていなくて毎日しんどいな・・・と思う事が多いです。でも、日本の復興は私達にかかっているんだと感じます。十年後には少しでも役に立てる人間になりたいです。

これからも「頑張って下さい」じゃなくて一緒に乗り越えよう。という気持ちでいます。

「被災地の皆様に向けて」 辻 歩乃歌(朝霧・中3)

被災地の皆様に、お見舞い申し上げます。

私の友達も、被災地にいるため、とても大変だと聞いています。津波が来て、とても怖かったと言っていました。そんな中、がんばっている皆様は、すごいなぁと思います。私なら、もう心を閉ざしたままになっているかもしれません。でも、被災地の方々は、みんなで助け合い、協力して生活しているところがテレビにうつっていました。それを見て、とても感動したし、「やっぱり日本はすごいな。」と思いました。

そんな方々に、今、私ができることは二つです。それは、募金をすることと、何でも節約して使うことです。近くの駅でも、たくさんの人が、募金を訴えています。そこに私が、一円でも募金をすれば、誰かを助けることができると思います。それに、何にしても節約すれば、被災地にまわすことができると思います。それに、何にしても節約すれば、被災地にまわすことができると思います。なので、この二つを実践したいです。

一日もはやい復興をお祈りいたします。

「被災者の方々へ」 三木 鮎美(大久保・中3)

宮城県沖で起きた地震は、阪神淡路大震災よりも、規模が大きく、ここ兵庫県にも、津波注意報が出る程でした。こちらからはテレビなどでしか被害状況を知ることはできませんが、東北地方を復興させるためにも、私たちもできることからやっていきたいと思っています。例えば、節電や節水、ぼきんなど、少しのことしかできないけど、復興などの役に立てたらいいなぁと思います。

被災したみなさん、遅ればせながら、このたびの地震、心よりお見舞申し上げます。辛いこと、苦しいこと、多くあるとは思うけど、心を強くもって、がんばってほしいほしいです。そして、地震、津波に負けずに、新たな東北地方を創りあげてほしいです。こちらからは、1人1人が、自分にできることを考えて行動し、少しでも役に立てたら、と思います。

この作文が、被災地にいるみなさんの支えになることを願っています。

「復興の種」 釜谷 涼太郎(姫路・中3)

東日本の大地震が起きてから約3週間ほどの日がたちました。相次ぐ余震によって落ち着いて生活することさえ、ままならない日をお過ごしだと思います。福島の原発での事故などで体調のすぐれない方もいらっしゃると思います。西日本では募金や飲料水や日用品等を集めて少しでもそちらの人たちが楽にそしてより早い復興ができるように最大限の援助をしています。ぼくも塾や学校の募金活動ごく少量ですが募金をさしてもらいました。でもやっぱり僕達のような子供に出来ることはしっかり勉強して少しでも復興に協力できるような大人になることです。昔、こちらが阪神淡路大震災のときの恩をかえせるときがやってきました。東日本の方たちが早く落ち着いて生活ができるがおとずれるように願っています。なので東日本の方々も希望を捨てずに日々を過ごして下さい。

「今私達にできること」 山岡 栞(ホロン長崎・中3)

私は今回の震災について、テレビで初めて見たとき何がどうなっているのかが全く分かりませんでした。まるで映画を見ているようで、本当に日本で起こっていることなのかと疑いたくなりました。地震よりも津波の威力に圧倒されました。あのように、車や家や大きな船までもが簡単に流されるとは思いもしませんでした。何もかもが信じられないことばかりでした。

被災された人達の様子を見て、自分達に何かできるのだろうかと考えみた時、正直最初は、遠く離れた長崎にいても何も力になれないのではないかと考えてみた時、正直最初は、遠く離れた長崎にいても何も力になれないのではないかと思いました。

しかし、ニュースなどで募金をしたり、色々な物資を送ったりしているのを見て募金活動なら自分にもできるのではないかと思いました。

そこで、私達の中学校でも生徒会で話し合い、募金活動をすることにしました。

朝のあいさつ運動のときに募金箱を持って全校生徒に募金を呼びかけました。先生方にも手伝ってもらったり、家の方々にも協力をしてもらいました。三日間の活動で約十万円の義援金が集まりました。私は、生徒会の一員として義援金を赤十字社に持っていく役目を果たしました。赤十字社では事務局長さんから、さまざまなイベント会場や学校でも義援金活動の輪が広がっているという話を聞きました。

私はこの募金活動を通して、自分達で考え行動したことに対して、少しでも自分が役に立てたんだという充実感を感じました。何ができるんだろうと考えてばかりいるよりも、まずは行動してみることの大切さを学びました。この気持ちを忘れることなく今後もできることを続けていこうと思います。

「復興の種」 初瀬 翔太(ホロン住吉・中3)

僕は今、ここで生活することができています。けれど同じ日本の中で生死に関わる地震が起こり、普通の生活をすることができない人々がいます。

今回の事で、なにげない普通の生活を送ることができていることはとても幸せなことなんだと思うようになりました。僕は地震を経験したことがないので、上手く表現できないけれど、テレビのニュースで見る限りでは、被災者の方たちの苦しい生活を知ってとても心配です。働きたくても働けない、学校に行きたくてもいけない・・・。同年代の人々がこのような中、強く生きようとしている姿はとてもすばらしいと思いました。

今、遠い所に住んでいる僕たちもきっと何かできることがあると思います。例えば、電気をまめに切ったり、むだな物を買ったりしないことなどたくさんあると思います。小さな力だけど、被災者の方に早く普通の生活が戻ってくるように、協力していきたいです。

「被災者の方々へ」 田崎 秀征(道ノ尾・中3)

あの日、自分は、学校で友達と話して楽しくあそんでいました。家に帰り、いつものようにテレビをつけてみると、全部の局がニュースが流れていて、「えっ?」と最初思いました。見わたす限り家や船が水に浮かび、見たことがないようなすごい状況でした。

自分は、長崎生まれの長崎育ちです。長崎ではアメリカによる原子爆弾が60何年か前、投下され多くの人がぎせいとなり、今でも、毎年その期間になると長崎全体でもくとうや、原爆のおそろしさを勉強しています。その中で投下された後の町の写真などをよくみるのですが、今回の状況も本当に同じようで町も全壊、人も誰もおらず、ただ悲しむ人ばかりがいる、そんな状況でした。被災者の方々は本当に大変だと思います。自分は被害にあっていないので、どれだけ苦しいか、悲しいか正直、よくわかりません。けれど、同じ日本の国民として何かしたい、助けたいという気持ちがあります。なので、今は募金や節電、自分が力になれるか分からないけれど、できる限りのことをしています。学校でも、募金を呼びかけたり、節電のポスターを作ったり心がけてみんなしています。このように、みんなで、日本全体に一つになればどんな困難も乗り越えれると思います。

被災者の方々、どうか希望だけは捨てずに頑張って下さい。いつまでも下を向いていても始まらないので上を向いて共に頑張りましょう。遠くからですけど応援しています。

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