復興の種 作文

高校1年生

「復興の種」 松田 和樹(摂津本山・高1)

二千十一年三月十一日、日本は大きな地震を受けました。僕自身はその日、中学校の卒業式で家へ帰り、家族で過去のことをいろいろ話していました。すると、祖母から「テレビのニュースを見て」という電話がありました。そこには家や車などが津波に流されている、想像を絶する映像でした。次から次へと津波情報、死者、行方不明者の数字、避難場所などがテレビのスクリーンを横切り、「ただごとではないな」と感じました。

次の日、外へ出ると、いたるところで募金活動が行われており、多くの人が参加していました。また、テレビでは我が兵庫県が阪神淡路大震災の経験から多くのサポートをしていると聞き、「自分も率先して何かしなければ」と感じました。

被災地のみなさん、多くの人、世界の人、関係の悪かった中国、日本の支援を受けてきたのだから、次は私たちの番だ、と支援物資を送り続けている人、世界中の全ての人が、みなさんを応援しています。明日、食べるものもなく自らも支援を受けて生きている国の小さな子供たちが、「自分たちの支援金の全てを日本へ送る」とも言っています。今、本当に多くの人があなた方を応援しているのです。今の生活にもう限界を感じて、あきらめかけている人、絶対に前向きに生きて下さい。世界の人々が後ろで支えてくれています。今の僕には募金活動に参加する程のことしか出来ません。しかし、大打撃を受けた日本を、将来支え、元に戻します。そのことは僕らに任せて、自分たちの町・市・県から立て直していって下さい。そして、明日への明るい道を作って下さい。立ち上がれ、日本!

「「生きている」のは奇跡」 岡田 諒平(摂津本山・高1)

生きるって何だろう。生きていて楽しくない、生きる気力がない。どうして自分はこんな思いをしなければならないのか。僕はまだたった十五年しか生きていないけれど、そのように感じたことがたくさんある。他人がやたらと楽しそうに見える。

しかし人生はずっと不幸はあり得ない。たとえ何が起ころうと絶対に幸せは来るのだ。僕も実を言うと、小、中学校と全然おもしろくなくて、さらに運も最悪だったため、自分は生きている意味が本当にあるのかなと何度も思った。でも気づかないだけで自分のことを大切に思ってくれる人がいる。それは皮肉にもどん底から立ち上がった人にしかわからない。僕は高校生になってそのことに初めて気がついた。生きているだけでも奇跡なのである。

そんな中で、東北で大地震が起こった。たった一回の揺れと津波だけで命を失われている人がいるのに、自分は何と軽はずみなことを言っていたのだろうと思った。みんなまだ生きたかったはずなのに。

こういう時にこそ、大事に思う人の存在が大きくなるのではないかと僕は思った。日本国民全員が一致団結するときだと思う。

自分とつながりはなくても、同じ生きている人間として、震災にあわれた方々へ少しでも何かできることがあればしたい。そして早く復興できることが何よりである。

僕はこの震災を通して、共に助け合って生きていくという行為がどれだけ大切なことかを知ることができたと思う。

「被災者の皆様へ」 平尾 宏太郎(阪神御影・高1)

今回の地震によって被災された皆様、僕は大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。地震だけでなく津波による被害は想像を絶するものでした。また、毎日のように起こる余震には恐れる毎日だと思います。僕は兵庫県に住んでおり、阪神淡路大震災以来、地震には少なからず恐怖心を抱いています。しかし、阪神淡路大震災から長い月日を経て関西が復帰できたことはすごいことだと思っています。僕は関西だけでなく関東も震災から復帰できると思っています。というのも、僕には日本はすごい国だと思っているからです。

さて、日本が起こした奇跡をご存知だろうか。一つ目は明治維新、二つ目は戦後からの経済成長。これまで日本は高低関係なく立ち塞がる壁を乗り越え、奇跡を起こしてきました。今では、世界から日本は今回の大地震から復帰できると言われ、世界の国々から支援してもらっています。こんなに世界から期待されている国は他にあるでしょうか。諺で「二度あることは三度ある」とあるように二度も奇跡を起こした日本に三度目の奇跡を起こすことができない訳がありません。決して諦めない限り奇跡は起きます。応援しているので諦めないで下さい。必ず奇跡は起こります。「頑張ろう、日本」

「復興の種メッセージ」 前田 真里(玉名寺畑・高1)

私はよくテレビを見ていると地震の状況が毎日伝えられています。それを見て、一日でも早く復興できるようにと毎日願っています。

私の母は、私に「こんなにも恵まれた環境にいるのだったら被災している方の分まで勉強しなさい。」とよく言われます。春休みまでは行きたかった高校に合格し、毎日が浮かれ気分だったのに対して東北で被災された方は毎日が大変だったと思うと申し訳なく思いました。

今の日本は、いろいろな技術が進み、またたくさんの国との交流があるため寄付金が集められ、きっと元に戻ります。

私は、毎日高校に行き、大学という目標に向かって東進でも頑張っています。東進は親にすすめられませんでした。それは、経済的な面で大変だったからでしたが、今の私がすることは勉強しかないので、自分の意志で東進に入りました。学校の後に行くのはきついけれども、私なりに精一杯頑張りたいと思います。

私も頑張りますので、みなさんもあきらめずに一緒に頑張っていきましょう。そして、東北に明るい日が差すことを願っています。

「被災地の方々へ」 川端 美沙李(ホロン長与・高1)

ニュースで被災地の方々の現状を知りました。私は今年の春、高校一年生になりました。同じ15歳の方々、そして小学校への入学式、中学校への入学式、新たな一歩を踏み出そうとしている方々のことを思うと、胸が痛いです。今回の事で、今のあたしが持っている幸せについて考えさせられるものがありました。今、ご飯を食べられる幸せ。ふかふかなふとんでねむることができる幸せ。あたり前だと思っていたすべてのことが幸せだったことに気づくきっかけとなりました。

現地にいない私に頑張れといわれても、何がわかるんだよとなるかもしれません。辛い時でしょうが、乗り越えるときっと、きっと幸せが恵ってくると思います。その心の足しにこの作文がなれたらいいなと思います。私達家族では、自分達に何ができるのかと考えた結果、節電、節約、募金の三つを頑張ることにしました。少しでも多くの方が救われるように、少しでも多くの方の夢が実現できるように、九州から願っています。

他国の新聞では、「日本人のマナーのよさ、冷静さに感動している」とトップ記事に書いてあることを知りました。他国が言うように、日本人らしさである、助け合い、仲間、というものを大切にして下さい。

いつか心から笑顔になれる日がきっと来ます。応援しています。

このページの上へ