復興の種 作文

中学1年生

「日本全ての"団結"」 越後 直哉(金沢南・中1)

ぼくは石川県に住んでいます。けれど、加賀地方に住んでいるので、地震が能登で起きたときもゆれをはっきり覚えていません。しかし今回、東日本大震災の被害をテレビを通して見て、同じ日本国民というだけあり、他人事とは思えませんでした。けれども、ぼく一人では何もできません。募金ぐらいしか、できません。しかし、日本のいい所は団結力がある所です。みんな、一人一円の募金でも日本国民全てが募金すれば、一億円にたっします。これからはぼくたち若者がふっこうしていかなければなりません。多くの有名人が言うように、「がんばれ」は言いにくい。もうすでにがんばっているのです。きっとぼくが二十才となり、社会人となっているころには、完全にふっこうしていると思います。けれど、このことを次にいかして、もっと安全で、本当に「住みやすい」日本にしていきたいと思います。東北の皆さん、笑顔を忘れず、毎日を生きていってください。

「今自分ができる事」 京谷 知美(ホロン芦屋・中1)

私は今回の東北関東大震災の事をテレビで見て思った事が2つあります。

一つ目は十六年前に起こった阪神淡路大震災の事です。私は千九百九十九年生まれで今は十二才なので阪神淡路大震災を経験していません。大津波にあった事もありません。だから、大地震・大津波のこわさやすごさもわかりません。けれど、被災者の人達の気持ちを考える事はあります。どんな事を考えるかというと、例えば"もし家族や友達や知り合いの人が津波で流されてなくなり、自分の家や持っていた物もすべて失ってしまっていたらどうやって生活したらいいんだろう"や、"もしどこかの避難所で避難しているとしたら自分が必要としていてどこからか送ってほしいと思う物は何だろう"などです。阪神淡路大震災を経験していなくても自分で考えられる事はたくさんあると思います。

二つ目は今自分ができる事と将来はボランティアに参加したい事についてです。今回の大震災で私が今できる事は何かないだろうかと考えました。まず一番に思いついたのは募金です。小学校を卒業する前は、自分達でお金を出し合って担任の先生への花束を買うお金を全て募金として被災地へ送りました。その他には塾でも募金をしました。今は行けませんが、将来は自分が住んでいない所で今回のような大震災が起こった時にボランティアに参加したいと思っています。小学校六年生の時に私のクラスの担任だった男の先生はいつも「余裕のある人が余裕のない人を助けるのは大切な事」だと言っていました。私もそんな大人になれるようにがんばりたいです。

今の私達ができる事は小さな事ですが、小さな事でも自分から進んでやっていきたいです。

「被害者のみなさんへ」 井ノ原 彩葉(山本塾本山・中1)

東日本大震災の、被災者のみなさん。特に同年代や、それより下の子たちに、私は伝えたいことがあります。

一つは、願うことです。私と同い年くらいの人たちは、「復興に携わることができない」と思っていませんか?ましてや、年下の子たちは「私たちには何もできない」と、落ち込んではいませんか?

いいえ。できることならあります。携われることならあります。願ってください。

私たちはもともと、願って生まれてきました。生まれてこられたことは奇跡です。そして今生きているのなら、もう一度願ってください。復興という奇跡を起こしたいと、願ってください。しつこいと思う人も、いるかもしれません。でも、私は思うのです。「願いのないところに奇跡は起こらない」と。

もう一つは、落ち込んでいる人に伝えたいです。それは信じることと、希望を持つことです。私は、信じるというのはとても大切だと思います。友達や家族を信じてください。そして未来を信じて、明日を信じてください。

希望をもつのも、信じることと同様でとても大切です。希望がもてなければ、願いはうまれません。でも、希望は、だれでももつことができます。もし今、落ち込んでいたり、元気がなかったりしたら、希望をもってほしいです。

今がどんなに辛くても、希望さえ失わなければ、希望さえもっていれば、明日はきっといい日になるよ。

「がんばろう!」 多村 由梨乃(御影・中1)

私の学校には卒業式を行う数日前に転校生が来ました。その子は男の子で、茨城県から来た子でした。男の子は家が被害にあって、御影にいるおばあちゃんの家に来たのでした。私は最初、つらそうだな、かわいそうだなと思っていました。けれども男の子はいつも楽しく元気いっぱいに遊んでいて、そして何よりも、とても前向きでした。また、東北関東大震災のテレビを見ていると、にこにこ笑いながら楽しそうにしていたので私はすごく胸がいっぱいになりました。だから私は、被災地の人は、かわいそうだなとか思われることが、つらいのではないのかなと思いました。

私は今、節電をがんばっています。そのほかにも、リサイクルをがんばっています。そして被災地の人の役に少しでも立てることができたらなと思っています。また、この気持ちが被災地の人たちに届いてくれたらなと思います。

そして今、日本は一人一人で協力しあってがんばるときです。地震から復活するために小さなことでもコツコツとやっていきたいと思います。被災地のみなさん。今は、つらくて大変かもしれませんが、あきらめずにがんばって下さい。私も、一日一日を大切に生きていけるようにがんばりたいと思いました。まだまだ、つらいことや苦しいことがあると思いますが、きっと幸せが訪れると思うのでがんばって生きてください。

「被災地の方々へ」 木戸内 裕紀(明石・中1)

被災地のみなさん、お元気ですか。今、本当に必要な物はなんですか。

ぼくは神戸に住んでいます。阪神淡路大震災、その被災者だった母から震災の話をよく聞きます。水をもらうのに、5時間ならんだり、ガスが出ないのでカセットコンロで生活したり、トイレが流せないのでなるべくがまんしたりしていたそうです。でも、家が残っただけまだ幸せだったといいます。

東日本大震災後、毎日ニュースではみなさんの町の事を報送されています。津波のおそろしさをはじめて知りました。家をなくされた方、家族や友人をなくされた方、それでも生きていかなければなりません。ひさんな状況だった神戸の町もいろいろな人に支えられ、長い年月をかけて、今の状態まで復興しました。だからきっと、みなさんの町も復興できると思います。みなさんだけががんばるのではなく、日本のみんなが心を一つにして、力を合わせてがんばる時です。今のぼくに何ができるのかはわかりません。でも、学校を通じて募金をしました。被災地のこまっている方々に届くなら、毛布や水を送りたいです

長い年月がかかったとしても、町はかならず復興します。それまではつらくても前を向いて、笑顔でがんばってください。ぼくたちに何ができるのか、何をしなければならないのか考えて、少しでも役に立てるようにがんばりたいです。

がんばろう日本!!

「被災地の方々へ」 吉川 遥脩(明石・中1)

東日本大震災で多くの大切な命がうばわれてしまいました。家族を失った方々もおられるでしょう。大切な家族が亡くなった事を考えずに、つらいでしょうが失った物を数えるのではなく自分に残っているものの数を数えてはどうでしょうか?あなた方に残っているものは、例えば「子供がいる」ということや、「親戚や友達がいる」などとなにかしらがあなたたちにはあると思います。今はつらいでしょうがそのつらい気持ちを押し殺してがんばって下さい。ぼくたちも精一杯応援します。ぼくは東日本大震災のような大きな地震を経験したことはありませんが話では阪神・淡路大震災よりも亡くなられた人の数も行方不明の人の数も多いときいています。

被災地の1日でも早い復興をお祈りしております。日本が一丸となってこの東日本大震災を乗り越えていきましょう。

日本が1つのチームなんです。

「東北地方のみなさんへ」 亀崎 望未(小野田・中1)

私は四月七日に入学式をむかえました。桜の木の下、私と同じように制服を着て、あたりまえの生活をして、いつもと同じ風景がある「日常」を送りたかった人が何人いらっしゃるだろうと痛感します。

三月十一日。この日に地しんがあった事を私は六時ごろまで知りませんでした。友達と遊んでいたからです。その後、テレビで地しんや津なみのニュースが流れ、傷がえぐられるような感覚になりました。私の住む山陽小野田市では去年の夏、激しい雨にみまわれ、あさ川がはんらんしました。手伝いに行く母と共に市街を車ではしっていると、町が死んでしまうような気がして、とてもつらかったです。あの時は東北の方々に大変お世話になったそうです。

私たちは学校でぼ金活動をして、少しでも役に立てるようがんばっています。なので、東北のみなさんも希望をすてず、前をむいてがんばっていって下さい。

「東北地方太平洋沖地震 〜被災者へのメッセージ〜」 原 明日香(大村・中1)

苦しい、悲しい、さみしい、嬉しい・・・多くのみなさんがそう感じているのではないでしょうか。

私達は、地震がおきず毎日幸せにすごすことができます。この地震で私は、勉強できること、楽しく生活ができること、食事ができること、家族と笑ってすごせることが幸せと感じることができました。しかしこんな私でも悲しいことが一つあります。それは、同じ日本人として少ししか協力することができないことです。少しでも早く復興してほしいのでできることがあればたくさん協力します。大きなことは、まだ中学一年生なのでできません。私達学生は小さなことしか力をかすことができませんができるかぎり協力してしていき応援し続けます。とてもつらい日々が続いていくと思いますが世界中のみなさんが味方です。何かあったら空を見上げて下さい。空は世界中つながっています。きっと空がみなさんに言葉を伝えてくれます。その声は聞こえないかもしれませんが世界中のみなさんの言葉です。

早く平和な日本に戻るように祈ってます。

「被災地のみなさんへ」 春田 菜々子(大村・中1)

東北地方太平洋沖地震の災害を受けた被災者のみなさん元気にされていますか。

わたしたちの予想をうわまわるほどおそろしかった今回の地震。テレビを見ていると津波で、学校、家、工場、スーパー、町のなにもかもがなくなってしまうほどの津波にとてもおどろきました。

わたし達があたりまえのように卒業式や入学式を行っていても被災地の同じぐらいの子があたりまえには行えないという現実を知るとわたし達は幸せだと改めて感じました。

また、原発などでせっかく作った野菜を捨ててしまわなければいけなくなっていることも知りました。そのような事がはやくなくなって被災地の方々が大切にそだてた野菜などをはやく食べたいと思ってます

被災地のみなさんが一日でもはやく明るく楽しい生活がもどるように、わたし達も力を合わせやれることを精一杯頑張るので、みなさんもどんな困難にも負けずがんばってください。わたし達はいつまでも応援しつづけます

「復興の種」 近藤 郁花(道ノ尾・中1)

およそ一ヶ月前に大きな地震、そして大きな津波が東北地方をおそいました。家は海に流され、言葉では言いきれないほど大変だと思います

中学一年生の私は、なんの力もない事が、改めて分かりました。地震や津波で大きな被害があった事や、たった今苦しんでいる人がいるのにそれを新聞やテレビなどを見るだけで時が過ぎていっていることです。せめて私にできるのは、募金をすることぐらいで、私が募金したお金が、苦しんでいる人を助けられたらいいなと願っています

こんななんの力もない私ですがみんなに伝えたい事があります。「あきらめないでください。」心の底からそう思います。「人生は、あきらめたら終わりだ。」私の小学校の担任の先生がよく言っていました。だからみなさんも絶対にあきらめないで、しんぼう強く日本が復興するのを待っていて下さい。神様は、その人がのりきれないような試練はあたえないそうです。つまり、神様がこのような試練をあたえたのは、現在被害にあっている方達がその試練を乗りこえられると思ったからだと思います。

これから何年後に日本が復興するか分かりませんが、日本の力を信じて最後まであきらめずにみんなで少しずつがんばって行きましょう。私も募金をして私ができることを少しずつしながらこの日本をいつか変えていきます。

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