飛び級制度を目指した大学時代、幅広い学びで視野を広げた。

大学受験を意識したのは、いつ頃からですか?

親になるべく学費の負担をかけたくなかったので、高校入学当初から国立大学を志望していました。また、親がリタイヤ後は福岡に戻るとわかっていたので、私自身も福岡で就職をしようと決めていました。それで、九州にも関西方面にも近い広島大学が、就職に有利なのではないかと思ったのです。

井上鉄也さん

広島大学経済学部に進学されて、
どんな学生時代を過ごしたのですか?

入学した年に、国立大学の飛び級制度が新設されたことを知り、これを利用して1年繰り上げて卒業して就職しようと考えました。全単位を3年間で習得するために、とにかく必死で勉強に打ち込みました。当時、デイトレーディングが流行っていたこともあって、日本の経済のしくみや株の動向に興味を持ち、「証券投資論」を専攻しました。

実際に3年間で卒業されたのですか?

卒業に必要な単位は3年間で取得しましたが、就職先が見つからず、結局4年間通いました。当時、飛び級制度で最終学歴が大卒と認められるのは、国家公務員と地方公務員のみだったのです。複数の民間企業を訪問しましたが、大学の卒業証書や予定書を持っていても、最終学歴は高卒と同じとのことでした。公務員試験もトライしましたが、やはり付け焼刃では合格できず……。もともと勉強は好きでしたから、あと1年も勉強できる時間を与えられたのだと気持ちを切り替えました。

それで、4年目は修得単位を積み上げていったのですね。

はい。専門以外に自分の興味があることを積極的学び、視野が広がりました。3年生の時にゼミで書き上げた「証券投資論」の論文に加えて、新たに卒論も仕上げました。

いまお勤めの大手銀行に就職を決めた理由は?

経済の知識を活かせる銀行や証券会社を中心に就職先を検討しました。私が就職活動をした2005年はいわゆる売り手市場ではなかったため、複数の企業をまわりました。わが社に決めた理由は、他社に比べてバラエティ豊かな人たちに出会ったからです。十人十色の人材が働く会社は、それを受け止める風土も豊かなのだろうと魅力を感じました。

幅広いソリューションを活用し、お客様の経営の強化にアプローチ。

福岡で就職活動をされたのですね。

はい。ただ、実際に配属された初任地は東京でした。都内の支店を転々と異動した後、自治体をクライアントとする公務部に所属しました。各自治体の地方債の引受をはじめとして、政策課題に対する基礎調査などが主な業務です。金融業界の知見やグループ会社のリサーチ機能を駆使し、政策立案のための基礎データの収集を請け負っていました。

井上鉄也さん

現在は、神戸支店で渉外担当として活躍されていますね。

東京以外に初の転勤地として、神戸に来て1年3ヶ月が過ぎました。お取引先は神戸ならではのスウィーツ会社やアパレル業界、地方公共団体など多岐にわたります。いわゆる銀行のイメージを超えて幅広いソリューションを提供する仕事で、コンサルタント業務に近いと思います。お客様の経営課題をうかがい、われわれの業法でできる範囲を超える案件については、グループ会社のソリューションをご紹介して経営課題解決のお手伝いをしています。

今、目の前にある課題をお聞かせください。

神戸配属とともに課長職に職階が変わり、マネジメント側に立つようになりました。初めて部下ができて、以前とは業務がガラリと変わったので、最初は正直とまどいました。以前は自分の成長こそが仕事のモチベーションでしたが、今は部下の成長が大きなウエイトを占めています。部下が今までできなかったことができるようになった時や、自分で考えて乗り越えることができた時、とても頼もしく感じます。

部下をマネジメントする際に、心がけていることは?

6名の部下は昭和生まれから平成生まれまで、個性豊かなわが社の縮図そのものです(笑)。日々コミュニケーションを取りながら、やる気をいかに出させるか、どんなハードルをどの高さで設けようか、一人ひとりにオーダーメイドのアドバイスを心がけています。とはいえ、まだまだ私自身も諸先輩方から叱咤激励していただいている状況です。