泣きながらやった山のような宿題…努力を積み重ね、着実に成績を伸ばす。

「能力開発センター(以下、能開)」に通い始めた経緯をお聞かせください。

中学1年生のときから姫路エリアのトップ校である兵庫県立姫路西高校(以下、西高)に行きたいと思っていたのですが、自分で勉強をするのに限界を感じ、2年生に上がる前の春休みに春の講習会に参加したのが最初です。能開を選んだのは、知名度が高かったから。あれほど厳しいとはまったく知らず、軽い気持ちで講習会に行きました。

高畑りささん

講習会に参加してみて、いかがでしたか?

入ってビックリしました。まず、講習会初日に宿題の量に圧倒されました。配られた宿題プリントをノートに貼って、それを解いていくのですが、私以外の塾生は講習の休み時間にババーッと貼っているんです。私は家に帰ってからキレイに貼ろうとのんびり構えていたのですが、宿題の量がものすごく多くて、自宅でプリントを丁寧に貼っている時間なんて到底ないことに気づき…翌日からは私も休み時間に貼るようになりました。
山のような宿題はやってもやっても終わらなくて、ひたすら手を動かしていた記憶しかありません。泣きながら勉強したのは、後にも先にもあのときだけです。

そこでめげずに、入塾を決めたのはなぜですか?

周りができていることを自分ができていないことが悔しくて…私、負けず嫌いなんです。当時は通常の授業として「土ゼミ(土曜ゼミ)」と「日ゼミ(日曜ゼミ)」がありました。日ゼミの方がレベルが高かったのですが、私は土ゼミからのスタートでした。それが悔しくて、もう必死で勉強しました。今振り返っても、相当やったと思います。

成績は順調に上がりましたか?

入塾当初はBクラスで、一生懸命に勉強してもしばらくは成績が伸びませんでした。先生方は、「寺内は言われたことをしっかりやる努力家。天才肌でも効率の良いタイプでもないから、伸びるのに時間がかかる」と見ていたようです。
自分自身でも「勉強ができるタイプ」ではないことは、よくわかっていました。でも、コツコツと続けるうちにリズムがつかめてきて、成果が出るようになり、2年生の冬にはAクラスに、3年生になる頃には特Aクラスに上がりました。最後まで成績トップは取れませんでしたが、成績順位表にも名前が載るようになり、とてもうれしかったのを覚えています。

能開で印象に残っていることをお聞かせください。

宿題の多さはさておき、とにかく先生方がめちゃめちゃ厳しかったことですね。小テストや満点テストで合格点に足りないと、1問のミスごとにものすごく叱られるので、必死で覚えました。また、国語では新聞の社説やコラムをノートに切り貼りして、要点をまとめ、語句の意味を調べ、自分の考えを書く、という宿題が出されて、これが後々大変役に立ちました。新聞まとめで培った国語力に加え、漢字、ことわざ、四字熟語などは小テストで覚えた知識が身についていたので、高校に入ってからは国語の勉強はしたことがありません。それでもセンター試験では9割(180点)という高得点がとれましたし、医学部入試の小論文も得意でした。また、高校生のときには、読書感想文で文部科学大臣賞をもらったりもしました。あのときの勉強は、試験に役立つという上辺のものではなく、本当の意味で力になっていたのだと思います。