新しいことを吸収するおもしろさを知る

能力開発センター(以下、能開)に入った経緯をお聞かせください。

小学5年生の春に、1週間の春期講習会に参加したのが、能開・宇部本校との出会いです。最初は母にすすめられたのですが、「行ったら図書券をあげる」という言葉につられたのが、正直なところです(笑)。でも、行ってみたら楽しくて。当時は中学受験を考えていたわけではなかったので、すぐには入会せず、また夏休みの夏期講習会に参加しました。そして、小学5年生の秋に正式に入会し、高校3年生まで通い続けました。

能開のどのようなところが楽しかったのでしょうか。

まず、学校の授業や勉強方法との違いが新鮮でした。「予習→授業で解説→復習テスト」という流れで新しいことをどんどん吸収していくことがおもしろく、勉強すること自体が楽しい、という感じでしたね。予習では未習分野の問題が出されるのですが、自分で解法を調べて試行錯誤しながら解いていく「開拓感」がたまらなくて。すぐに復習テストがあるので、勉強した成果が即座に数値として現れるのも、モチベーションになっていました。また、新しく友だちもでき、みんなでいっしょに勉強することも楽しかったですね。学習塾通いというとつらいイメージがありますが、私にとっては、習い事のひとつ、という感覚でした。

木村弘志さん

当時はどんな生徒だったのでしょうか。

当時も今も変わっていないのが、「好きなことはとことんやる」という性格です。逆に言うと、自分が好きなことしかしない。嫌いなことからは逃げます(笑)。小学4年生までは、水泳クラブと陸上クラブに所属し、そろばんも習っていました。ぜんぶ、好きだからやっていました。でも、能開に通うようになってからは、勉強に集中するようになりました。勉強の楽しさに目覚めたんです。

入会当初、つらいことはありませんでしたか。

楽しいという記憶しかないですね。問題が解けなくて悔しいということはありましたが、つらいとは思いませんでした。むしろ、「次は絶対に解いてやる!」と闘志を燃やしていました。仲間に対するライバル意識もとくになく、みんなでいっしょに勉強することが楽しかったんです。まさに、部活動のノリですよ。

では、中学受験はされなかったのですか。

当初は中学受験の予定はなかったのですが、能開の友だちがみんな受験するので、その流れで私も受験することになりました。宇部短期大学付属中学校(現・宇部フロンティア大学付属中学校)を受験し、合格しました。こちらも、猛勉強したというよりは、楽しかった思い出ばかりが残っていますね。

どんな中学時代を送りましたか。

1、2年生のときは部活のソフトテニスに夢中で、朝6時から朝練をして、放課後も毎日練習していました。ときには能開を休むこともあったのですが、能開の先生方は口うるさく注意することなく、私の意志を優先させてくれました。ありがたかったですね。3年生になると、能開の最上位のVクラスに所属し、高校受験に向けて仲間と切磋琢磨の日々を送りました。でも、高校受験の勉強も、つらいというよりは楽しかった印象が強いです。やはり、同じ目標に向かって努力する仲間がいたからでしょうね。

木村弘志さん

進学先はどのように決めたのですか。

その年、宇部本校からは、私も含めてラ・サール高に6名が合格しました。今では、どうやら伝説になっているようです(笑)。私は、久留米大学附設高にも合格して授業料免除の特待生にまで選ばれたのですが、どうしても山口県立宇部高校に行きたくて、断りました。宇部高に行きたかったのは、実は、高校生クイズで優勝したかったからなんです。名門のラ・サールは校内にライバルが多いでしょうし、福岡にある久留米大附設高は、県内での競争率が高い。山口県は競争率が低いと考え、宇部高から山口県代表として全国大会に出場することをねらっていました。能開の先生も親も、私の気持ちを理解して、私の選んだ道を応援してくれました。

クイズは以前から好きだったのですか。

私は小さい頃から本が好きで、よく市立図書館に通っていたのですが、あるときそこでクイズの本と出会ったんです。確か、中学生の頃だったと思います。その本には、クイズの問題だけでなく、クイズとは何かという理論や、クイズ問題の分析・研究が書かれていました。それを読んでクイズの魅力にハマった私は、高校生になったら高校生クイズに出場し、大学生になったらクイズ研究会に入ろうと決めていたのです。