能開は家族のように温かな場所。いつも授業にワクワクしていた。

大川夏子さん

「能力開発センター(以下、能開)」に通い始めたきっかけは?

大川さん小学3年生のとき、母に薦められて入会しました。8つ年上の兄が中学1年のとき、母が能開の評判を耳にして、夏期講習に兄を通わせたことがきっかけです。想像以上に難易度が高く大量の宿題を見て、母は「これを中学生がこなすのは本当に大変!」ととまどいながらも、「本気で取り組めば必ずためになる。もっと早いうちから通わせれば、スムーズについていけるはず」と確信したそうです。そんな母の想いから、私は小学3年生から能開に通うことになりました。谷内先生には小学6年の頃と、中学3年の受験期にお世話になりました。

やはり、早いうちから能開に通ってよかったと実感していますか。

大川さんそうですね。正直言って、通い始めた小学3年の頃のことはあまり記憶にないのですが、当時は毎回小テストがあって、その結果が巻物のように教室の壁に貼り出されていました。自分で言うのもおこがましいのですが、最初からわりと上位に名前が掲載され、「スゴイね!」って言われることが嬉しくて、次もまた頑張ることができました。小・中学校ともに週1回の授業でしたが、私にとってはまさに"第2の学校"のような存在です。正直私には、半分遊びに来るような感覚が無きにしも非ずで……。勉強はもちろんですが、同じ附属小学校の生徒も多く通っていましたし、休み時間に他の学校の子たちと交流できることも楽しかったですね。

自然合宿で人見知りを克服。受験合宿で全国レベルの刺激も。

大川夏子さんと谷内先生

谷内先生は、大川さんの子ども時代にどんな印象をお持ちですか。

谷内先生とても真面目でおとなしいタイプでしたね。課題に一生懸命取り組み、辛くても簡単に根を上げない模範生タイプ。成長とともにその殻から脱皮していかなくては、社会で色々な壁にぶつかることがあるかもしれないと思ってしまうほど、とにかく真面目な模範生でした。

大川さん能開に入ったばかりの頃は、人見知りで内弁慶な子どもでしたね。「他校の知らない生徒がたくさんいる場所に行くのが嫌!」と、最初は通塾すらちょっと億劫で……。初めてのスキー合宿の前々日、「あさってから行ってらっしゃい!」と母に背中を押され、「絶対に行きたくない!」と夜中に大泣きしたことも覚えています。

実際は、予想外に楽しめたのでしょうか。

大川さんもちろんです。上級生からも可愛がってもらえましたし、学校以外の同級生と一緒に過ごすのも楽しいものだと肌で感じるようになりました。全国からいろいろな個性の持ち主が集まる自然合宿で、はっきりと自己主張できる同級生に大いに感化されたと思います。初めは押されがちでも、一緒に過ごすうちに自己主張も必要なのだと学びました。

谷内先生お母様はそんな性格を見抜いた上で、一皮もふた皮も剥けて成長することに期待していたのでしょう。その他の自然体験合宿にも、積極的によく参加していましたね。

大川さんはい。サバイバルな無人島ツアーが印象的です。本気でゲームの勝ち負けを争ったり、水の大切さを実感する経験もしました。他にも、人気のテーマパークに足を運んだり、能登の海で過ごすミニ合宿など、小学生対象の自然体験合宿には多数参加しました。

受験合宿(勉強合宿)にはどんな思い出がありますか。

大川さん全国から受験意識の高い中学3年生が集結する「高校受験合宿(勉強合宿)」に参加したときのことです。試験結果が壁に貼り出され、上位に自分の名前を見つけてすごく嬉しかったことを鮮明に記憶しています。

谷内先生毎週行われている「通常テスト」でも、生徒一人ひとりが自分のテスト結果を全国比較できますよね。

大川さんはい。通常テストも「ずば抜けて勉強ができるライバルが日本中にいる。負けていられない」と、いつも刺激を受けていました。いまだに1位の常連だった男子生徒の名前は覚えていますから、相当ライバル心を燃やしていたのでしょうね。