能開は家族のように温かな場所。いつも授業にワクワクしていた。

当時、朝礼で配布されていた手書きの「家庭通信」

永田先生千代美さんが「能力開発センター(以下、能開)」に通っていた約30年前は、神戸、姫路、福岡、長崎、熊本、鹿児島の6教室だけでしたが、おかげさまで全国に47校を数えるほどになりました。

藤井さんあの頃は、毎週日曜日に母が運転する車で、指宿の自宅から鹿児島市内の教室まで片道約1時間かけて通っていました。小学5年生だった私を筆頭に、3つ下の妹、4つ下の弟も一緒です。当時、週1回の通塾スタイルは画期的で、遠方から毎日通うことができない私たちにはありがたいチャンスでした。その後、中学入学時に鹿児島市内に引っ越ししたので、他に選択肢が広がりましたが、「能開を続けたい!」と卒業まで通いました。

永田先生当時から能開では小中(高)一貫教育の考え方をもち、子どもの人生の一定期間だけを預かるのではなく、一生を視野に入れた指導を心がけていました。通い続けてくれたことは先生冥利に尽きますね。

藤井さん1学年1クラスでせいぜい7~8人程度。週1回でしたが、私には家族のような場所でした。先生方も一風変わったキャラクターの持ち主ばかりだったので、塾で勉強をするというより、面白い話を聞きたくて通っていました。いつも授業にぐんぐん引き込まれていました。

医師国家試験の勉強よりも断然キツかった「夏期講習」。

全国各地から塾生が集まる夏合宿は、切磋琢磨の場でした。

藤井さん一番印象に残っているのは夏期講習の「徹夜学習」です。大量の宿題が出て、それを一晩徹夜で勉強させる塾なんて、他の塾では当時は考えられなかったですね。

永田先生「どうしてこんなことをやるんだろう?」と思っていたでしょうね。でも実際、世の中は理路整然としておらず不条理なことばかり。人生も予測不能なことの連続です。
たとえ受験当日に体調が悪くても、立ち向かっていくしかない。ならば、多少なりとも子どものうちに不条理なことを体験しておくべきだ。そんな考えから「徹夜学習」は生まれました。

藤井さん中学生には起きているだけでもしんどくて……。でもあの経験があったから、その後何回か徹夜で勉強しても、「あの時ほどキツくないな」と思いましたね。不思議な達成感もあって、楽しかったです。

永田先生講習会は1週間の間、集中して猛烈に勉強するので、子どもの負担は相当なものですよね。

藤井さん本当に。能開の夏期講習は、いまだに“私の人生で大変だったこと”不動のNo.1です。大げさではなく医師国家試験の勉強よりも、です。あの時期にあれだけの経験を積んでおけば、その後の人生もたいがいのことは乗り越えられるような気がしています。