膨大な量の宿題に取り組む中で、勉強する姿勢が自然と身についた。

いつから「能力開発センター(以下、能開)」に通い始めたのですか?

中学2年の夏期講習から石川県金沢市の野々市教室(現在、別の新校舎に統合)に通いました。もともと親は福岡県出身ですが、転勤族だったため、私は金沢で幼稚園から小中高校まで12年余りを過ごしました。

井上鉄也さん

能開に入ったきっかけは?

当時、兄がひと足先に通っていました。熱心な指導に親も信頼を寄せて、高校受験に向けて私にも通塾を勧めてくれました。今回のインタビューの前に、親に能開を選んだ理由を聞いてみたところ、当時から評判が良かったことに加えて、兄の中学の担任の先生のお子さんも通っていたことが、決め手だったそうです。

お兄様とご一緒に、能開に通われたのですね。

はい。兄は教科書を読めばすぐにわかる秀才肌でしたが、私は何度も書いて覚えるタイプでした。年子ですからどうしても比べられる環境で、中学の先生たちからも「井上の弟」と言われることが少なからずプレッシャーになって……。でも、親が"あなたは努力の子だから"と言ってくれて、兄は兄、自分は自分だと思うようになりましたし、"負けるものか"というハングリー精神も芽生えてきました。

中学校の成績はどうでしたか?

成績は良い方でしたが、所詮1つの中学校だけの評価ですから、"井の中の蛙"でした。能開で他校の生徒と席を並べた時、頭の回転が速い生徒が多くてショックを受けたことを覚えています。それまでは「中学で上位にいればいい」とタカをくくっていましたが、彼らと競い合う高校受験はこのままじゃいけないと奮い立ちました。

高校受験の厳しさを突きつけられて奮起したのですね。

ええ。能開はとにかく宿題の量が多くて、バレーボール部の部活との両立に必死でした。他校の生徒たちがきちんと宿題に取り組んでくるので、遅れをとりたくないという焦りと負けられないという気持ちで、何とか食らいついていました。もともと私はコツコツと問題を解くことが得意な方でしたが、能開に通い始めて数ヶ月経った頃には、自分なりに勉強時間を確保することができるようになりました。

膨大な量の宿題をこなすうちに、勉強する習慣が身についたのでしょうか?

圧倒的な学習総量によって、心身ともに鍛えられました。ただ、一度だけ宿題をやっていなかった時に先生に怒られたのは怖かったです(笑)。それでも、授業後すぐに「なぜできなかったのか」「わからないところがあるなら潰そう」と、個別にフォローしてくださったことがとてもありがたかったです。

人生で初の試練、高校受験。頑張れば未来は拓けると確信した。

井上鉄也さん

能開ではどんな指導が印象に残っていますか?

学校以上に手厚い進路指導です。その都度、自分の到達度を明確にしてくれて、足りない部分を一歩ずつ詰めていけば志望校のレベルに到達できる、とゴールも示していただきました。また、親へのフィードバックも非常に細やかだったようです。先生が親身に相談にのってくださったことが印象的だったと話しておりました。

受験指導だけではない、+αの進路指導も能開の魅力なのですね。

はい。能開は単に方程式や解答の出し方を教わる塾ではありません。「宿題を期限内に提出する」「遅刻は絶対禁止」などルールやマナー、社会の秩序や約束を守ることの大切さを学ぶことができました。

能開の勉強方法で、記憶に残っていることはありますか?

ノートの右側に線を引いて、左側に板書を書き写し、右側に自分で調べたことを書く勉強方法です。授業内容を漠然と書き留めるだけではなく、疑問点や興味を持った箇所について後から調べてノートを完成させます。一つの事柄を覚える時に何度も咀嚼をして自分のものにできますし、周辺知識を調べる習慣も身につきました。自分の気づきを書き残していくことで、授業で得た"一"の知識が"三"にも"四"にも膨らみます。テスト前に見直す時にも、非常に役立ちました。

高校受験は人生で初めて迎える関門だったのでは?

その通りです。能開の先生たちの叱咤激励や親の期待に応えたいという気持ちで頑張っていました。「金沢泉丘高校はしっかりとやっていれば大丈夫」と先生からお墨付きをもらっても不安が拭えず、しかも成績上位の生徒たちが同じ高校を受験すると聞いて、「彼らは1ランク上を受験すればいいのに……」と気弱になったこともありました(笑)。

見事、志望校に合格して、頑張れば未来を拓けるという成功体験を得たのですね。

私なりに精一杯背伸びをして受験に取り組んだので、努力が報われたことはやはり嬉しかったです。能開に通わせてくれた親にも心から感謝しました。受験当日、能開の先生たちが高校の門の前で待ち構えて、「頑張れ!」と激励してくれたこと、合格発表の瞬間も一緒に喜んでくださったことは、今でも忘れられません。

金沢泉丘高校入学後も、能開に通われたのですか?

入学式までの約1ヶ月間、高校で使う教科書を先取りする予習会に通いました。勉強面でスタートダッシュできたのはもちろんですが、同じ高校に合格した能開生が集まっていたのですぐに仲間ができて、スムーズに高校生活に入ることができました。その後も能開に通いましたが、実は高1の冬に大ケガをして通塾を諦めざるを得ませんでした。私自身は継続したかったのですが、大事をとってお休みすることになりました。

お兄様も同じ金沢泉丘高校に通っていたのですか?

兄は金沢大学附属高校に進学し、能開の金沢本校に高校3年間通いました。その後、大分医科大学(現在の国立大分大学医学部)に進学して医者になり、現在はパイロットという異色の経歴の持ち主です。