習い事の延長で通い始めた能開は、刺激に満ちた学びの場だった

「能力開発センター(以下、能開)」に通いはじめた頃はどんなお子さんでしたか?

梅田さん "文武両道"が両親の教育方針でしたので、小さい頃から姉と一緒に水泳や体操、ソフトボール少年団など毎日習い事に通っていました。姉が小学6年生、私が4年生のときに能開に入塾しました。当時は、習い事の延長的な感覚で通い始めたように思います。ただ、能開は早い時期に始めた方がいいと姉は痛感したようで、後になって「4年生から通ったことがうらやましかった」と言われました。

実際に能開に通ってみて、いかがでしたか?

梅田さん まず、エネルギッシュな体育会系の先生たちに圧倒されました。指導は厳しかったですが辛いと感じた記憶はなくて、むしろ楽しくて仕方なかったです。よく覚えているのは、授業前の朝礼です。先生のお話やパフォーマンスがとにかく面白くて、人間的な魅力に惹きつけられました。

大原先生 どうしたら目の前の子どもたちが持つパワーを引き出せるか、いかに笑顔にさせて勉強への前向きな意欲を高めるか、そればかり考えて彼らと向き合っていたように思います。

梅田泰宜さん

能開で一緒に学んだ仲間たちとの思い出は?

梅田さん 能開では多くの友達に恵まれました。他校から集まってくる成績上位者たちの存在は、とても刺激的でした。みんながお互いにそう感じていたと思います。実は、小学4年のときに陸上部の競技大会に出たのですが、そこで競い合った他校の生徒が偶然にも同じ能開の教室に通っていたのです。すぐに仲良くなりました。

陸上でも能開でもライバルとして意識するようになったのですね。

梅田さん ええ。テストの成績順位が貼り出されるたびに、勝った・負けたとお互いに競争心を燃やしていました。部活と勉強を必死に両立していることをわかり合えるから、ライバルの頑張りは励みになりました。講習会の期間中、先生から激励の電話(通称"激電")がかかってきたときも、「頑張っているか?わからないところはないか?さっき○○君に電話したけど、もうすぐ宿題が終わると言ってたぞ。負けるなよ」なんて煽られました(笑)。

講習会では大量の宿題が出ましたよね。

梅田さん 夜中の2時までかかっても終わるメドが経たないほど、毎日とてつもない量でした。普段はそんな時間まで起きていないので、「いつになったら終わるんだろう」と半泣き状態です。父親は「もういいんじゃないの?怒られてくれば?」と言っていましたが、いま思えば先生に怒られたくないというよりも、褒められたい一心でした。子どもなりの意地もあって、宿題を終わらせるのは当たり前で、それをできるだけ満点にしないと意味がないと思っていました。

完璧を目指そうと努力するから、鍛えられるのですね。

梅田さん そうですね。そういう能開の雰囲気が好きでしたし、自分に合っていたと思います。授業後も居残りしてテストの復習や宿題をしたり、先生といろんな話をしたり。「いいかげんもう帰りなさい」と言われるまで、なかなか帰ろうとしない子どもでした(笑)。

私立中学受験をされたのでしょうか?

梅田さん いいえ。能開では中学受験クラスでしたが、陸上部が強い公立中学校への進学を決めていました。かつて有名な陸上選手だった顧問の先生に指導してもらいたいと思ったからです。小学校の勉強に物足りなさを感じてもっと勉強したいとも思っていましたし、両親も「できる子たちが集まる能開で、どんどん揉まれてきなさい」と通わせてくれました。

よき指導者に恵まれて、勉強と部活を両立した濃密な中学時代

それで、公立中学に入って陸上競技に邁進したのですね。

梅田さん 念願かなって中学2年のとき、全国大会の4×100メートルリレーで優勝しました。尊敬できる指導者とのめぐり会いが、勉強でもスポーツでも子どもの力を大きく伸ばすのだと思います。

まさに文武両道ですね。

梅田さん どちらも諦めたくないという意思は強かったですね。能開の宿題をやらなくちゃいけないけど、部活で時間がない。当然、短時間に集中するしかないわけです。入塾した当初は、昼ごはんを食べながら宿題をやってギリギリ間に合わせたことも。少しずつ訓練を積み重ねるうちに、いつの間にか効率よく勉強できるようになりました。

スポーツを通して勉強の集中力が鍛えられたということでしょうか?

梅田さん 集中力を高めるには、スポーツで養われる体力が基本となります。集中力は鍛えれば鍛えるほど持続する時間も増えるため、勉強とスポーツの相乗効果は高いと思います。

いつ頃から、高校受験を意識し始めたのですか?

梅田さん 中学校の先生から内申点で太鼓判をもらって、「いまの成績なら加古川東高校の理数科を狙える」と言われたのですが、正直あまり理数科に魅力を感じられなくて……。勉強だけのいわゆる"ガリ勉"が多いイメージだったからです。親にも理数科を勧められましたが、中学3年の夏まで目標が定まらず、成績が少し伸び悩んだ時期がありました。

梅田泰宜さん

加古川東高校の理数科に決めたきっかけは?

梅田さん 能開の数学の先生に相談しました。そのとき初めて知ったのですが、たまたまその先生が加古川東高校の理数科出身だったのです。学生時代からのスポーツマンで、「こんなにカッコいい先生が卒業生なら、自分も行きたい!」とガラリと印象が変わって、すぐに「理数科に行きます!」と宣言しました(笑)。

憧れの先生に背中を押されたのですね。
もともと数学は得意だったのですか?

梅田さん どちらかといえば理科や社会の方が好きで、数学はあまり得意ではありませんでしたが、その先生に教わってから成績がぐんと伸びました。高校受験の頃には「解けない問題はない!」と思えるくらい数学が好きになっていました。

大原先生 梅田さんの学年は優秀な生徒が多かったと記憶しています。当時、加古川東高校の理数科定員40名に対して、能開の生徒が合格者の8割を占めました。梅田さんは鍛えれば鍛えた分だけ伸びるタイプですから、大学受験のその先も飛躍してほしいと願っていました。

高校受験、大学、そしてその先の人生まで見据えた進路指導をされていたのですね。

梅田さん 能開の先生たちは常に子どもたちと一緒にいて、万全の"受け入れ態勢"でいてくれたので、何でも相談しやすい雰囲気でした。

大原先生 朝は必ず外で迎えて一人ひとりに声をかけていましたし、朝礼、授業、送り出しまでずっと子どもたちと一緒でしたね。

子どもにとって、見守ってもらえる安心感は大きいですよね。

梅田さん そうですね。今でも忘れられないのは、夏の講習会の最後に表彰状をもらったことです。1週間の成績の集計が発表されて、1位に私の名前が呼ばれた瞬間、みんなの前で「よっしゃー!」と大きくガッツポーズしました。「今日は順位が上がっているぞ」「明日も頑張れ!」「このまま行けばトップになれるぞ」と、毎日いろんな教科の先生が励ましてくれました。最終日には「初日はどうなるかと思ったけど、毎日コツコツよく頑張った!」と褒めてもらえて、本当に嬉しかったです。