あまりにも大量の宿題に戦意喪失。それでも先生たちは温かく見守ってくれた。

司法試験といえば最難関資格試験の代名詞ですが、松前さんは子どもの頃から勉強がお好きだったのでしょうか。

松前さん 小学生の頃はまったく勉強しなかったです(笑)。そんな私を見るに見かねた母親が、半ば強制的に能力開発センター(以下、能開)に入塾を申し込みました。地元にも学習塾はありましたが、規模の大きい能開を選んだのは、より多くの同年代の中で刺激を受けさせたかったからと聞いています。車で30分ほどかかる能開加古川校には同じ小学校の友だちもいなかったので、たった一人で放り込まれて最初はちょっと心細かったですね。

勉強嫌いのお子さんが、能開に参加してみていかがでしたか?

松前さん 膨大な宿題に圧倒されて、すぐに戦意喪失してしまいました。何も手をつけられず、原田先生に叱られて教室から放り出されることもしばしば……。ノートの右側に赤線を引いてポイント欄を作る、基本的な"能開ルール"さえも守れない子どもでした。「今のうちからしっかり勉強しておけよ」と、あの頃の自分を戒めてやりたいです。

原田先生 「決められたことをきちんとやる人間になりなさい」と何度も諭しましたね。ただ、こちらの言葉にすぐ反応してくれる子どももいれば、松前さんのようにそうじゃない子もいますから、たとえ時間を要してもいずれ必ず芽を出すときがくると信じて、私たちは種を蒔き続けています。その結果、自らの力で花を咲かせてくれることを願うばかりです。

松前拓士さん

どんな指導が印象に残っていますか?

松前さん 週末の授業に向けて木曜・金曜あたりの夜になると、ちょうどテレビを観ている時間帯を見計らって原田先生から「宿題やっているか?」と自宅に電話がかかってくるのです。いつ電話が鳴るかとビクビクしていました(笑)。朝礼や終礼でうかがった原田先生のお話も印象に残っています。いわゆるポピュラーな偉人伝ではなく、日の目は見ないけれど立派な人物伝など、高尚で示唆に富んでいて子どもには難しかったですけれど。

原田先生 ほかにも寝不足で疲れている子どもたちのモチベーションをあげようと、芸達者な講師がコントや手品を披露することもありました。勉強を頑張れば楽しい時間もある、メリハリのある指導が子どもたちを惹きつけるポイントだと思っています。

松前さん 講習会のとき、「せめて今回だけでも宿題を頑張ってみよう」と一念発起したことがありました。最終日の表彰式で中山先生から科目別の「先生賞」をいただくことができて、瞬間最大風速的な頑張りをちゃんと評価してくれたことがとても嬉しかったです。

合宿にも参加されたのですか?

松前さん 中学1年生の夏、初めて練成合宿に参加しました。陸上部で長距離走に熱中していたので部活を休むのが嫌だったのですが、中山先生に強く勧められて……。

中山先生 合宿は学習習慣の習得もさることながら、生徒同士でお互いの頑張りが刺激になる場所です。松前さんも何か得られるものがあればと、合宿への参加を提案しました。

松前さん みんな、めっちゃ勉強するなと(笑)。一日中勉強するのは初めての経験で、"やらされている感じ"でしかなかったのが正直な気持ちです。でも、「こんなに成績のいい人がいるんだ!勉強のモチベーションはどこからくるのだろう」と衝撃を受けました。

中学3年生のときに「開成ゼミナール」に転籍されたのですね。

松前さん はい。3年生の秋まで週末に部活があったので、平日夜に通える「開成ゼミナール」に転籍して、部活と勉強を両立したいと思ったからです。第一志望の加古川西高校に合格して意気揚々と能開を訪れたとき、さぞかし先生たちが喜んでくれると思いきや、そんなに褒めてもらえませんでした。原田先生は表情も変えずに、「加古川東校じゃないのか」とトップ校の名をひと言。確かに加古川西高校は二番手ですが、私にとっては大金星だったので、しょんぼりしながら帰りました(笑)。今となればわかりますが、「もっと上を目指して挑戦し続けなさい」という暗黙のメッセージだったのですね。

原田先生 松前くんは"雑草魂"の持ち主だとお見受けしていたので、「まだゴールはここじゃないぞ。満足するな」という想いがありました。子どもの性格にもよりますが、あえて褒めないことで、その先へと奮起させる指導方法もあると思っています。

高校時代は東進衛星予備校で着実に基礎力を養い、指定校推薦で大学へ。

松前拓士さん

第一志望に合格して、高校生活は順調にスタートしましたか?

松前さん ところが、最初のテストで躓いてしまったのです。基礎力が不十分で中学の内申点もギリギリだったせいか、完全に出遅れてしまいました。それでも1年生の頃は大学受験もまだ遠い先に思えて、なかなか本気になれず悶々としていました。

いつ頃から大学受験を意識するようになったのでしょうか。

松前さん 2年生になってからです。いまの成績では大学にいけないかもしれない、と危機感を抱き始めました。ただ、高校入学と同時に東進衛星予備校に通っていたおかげで、自然と基礎力は身についていたのだと思います。3年生になってようやく本格的に受験勉強に取り組むようになると、徐々に学校の成績も伸び始めて、最終的には指定校推薦で関西学院大学法学部に入学することができました。

法学部に進路を決めた理由は?

松前さん もともと文系志望でしたが、純粋に法律を学んでみたいと興味を持ったからです。はっきりと弁護士になりたいと思ったのは、大学生になってからです。法律関係の仕事に就いている親戚がいて、多少は法曹界を身近に感じていたのかもしれません。