復興の種 作文

高校2年生

「私の夢」 泉 美帆(岐阜金宝町・高2)

東北・関東大震災で被災されたみなさんの悲しみや苦しみは想像できないほど大きい、というのは書くまでもないことで、被害がほとんど無かった岐阜で普通の生活を送る私は何なんだろう、と思うことがよくあります。加えて、私がとても関心があるのは農作物の風評被害のことです。あれは本当におかしいし全力で東北、関東を支援していこうとするのとは正反対の動きです。私は京大の農学部を目指しており、放射性物質は難しいけど災害等に強くよりおいしい食材を作っていきたいと思っています。今回起きてしまったことは戻せないけど、もうこんなことが無いように自分が出来ることと将来の夢とをつなげて考えています。先はまだまだ暗いかもしれませんが、私達の世代がきっとこれからの明るい日本を作っていくので、希望を捨てないでほしいです。必ず皆さんの明るい未来の生活に貢献していきます。

「僕にできる事」 大西 正記(岐阜金宝町・高2)

今回の地震で僕は自分の無力さを痛感しています。現地に行って被災者の皆さんの手伝いをすることも、原発を落ち着かせるために知恵をしぼり行動することも、何一つできません。できることといえば僕の少ない貯金から募金したり献血に協力することくらいのものです。この作文で皆さんを元気づけられるかもわかりません。

でも、少しの間、数年、十数年、耐えてください。そしたら僕は必ず皆さんの力になります。僕は工業の道に進みます。そして地震がおこる前の、いやそれ以上の生活を営められるような機械、物品を開発します。

まだかなり先の話しだし、自分が具体的に何を創れるかはわかりません。でも今自分にできる事が限られている以上、その分将来必ず支援の手助けをします。

必ず皆さんの復興の力となります。どうか苦しい生活に負けず、耐えてください。

「考え方」 山田 涼太(岐阜金宝町・高2)

東北大地震が過ぎて一ヶ月がたった。この災害を受けて失ったものは数えきれないぐらいあると思います。家族、友人、家、など多くの物を失いデメリットばかりだと思われがちですがある朝のニュースである人が「この地震で多くのデメリットが生まれたが逆に多くのメリットも生まれた。」と言っていました。僕はこの人は女に言っているんだ?と思いつつ話をきいてみると「この地震で日本は本王に力強い団結力を見せてくれた。サッカーを初めとして多くのチャリティー活動があっちこっちで行われ、少ない食糧もみんなでわけあたえながら力を合せてみんなで戦っている。そんなことをこの地震で証明してくれたいわば物指しだ。」と言っていた。僕はものすごく納得しました。たしかにこれほど大きな被害が出ているのに一つたりとも暴動がおこったりしない外国にはない日本のすばらしさを証明できたと思いました。そうやってプラスな考えでこれからの日本を明るくしていきたい。

「みなさんへ」 伊藤 小夏(明石駅前・高2)

こんにちは。今日はどんな一日でしたか?どんな一日にしようと思っていますか?不安や悲しみでいっぱいの方も、復興に向けて一生懸命な方も色々な方がいらっしゃると思います

知っていますか?人生の幸せの比率。幸せが6、不幸が3、どうでもいいことが1、だそうです。人生、全体的には幸せが多いんですよ。今、最悪だって思っているなら、次は必ず幸せが待ってます!!不安な気持ち、悲しい気持ちになるのは当たり前。でも、少しずつでも前向きに、ポジティブに!!!日本中が、世界中が応援しています。募金くらいしかできない私だけど、心からみなさんの幸せを願っています。!!

「復興の種」 大野 真央(明石駅前・高2)

震災から一ヶ月が経ちましたが、ニュースを見ても、新聞を読んでも、まだまだ災害が続いていることが分かります。何の被害も受けていない私が泣きそうになります。津波や建物の倒壊で今までの写真などがなくなってしまうのは本当に苦しいと思います。私の祖父母の家も、昔、隣の家の火事がうつって全焼しました。どうすることもできませんでした。いつまで経っても悲しいです。でも、時間が経つにつれて楽しい思い出も増えました。今は苦しいと思いますが、前向きに、前向きに。会いには行けないけれど応援しています。

「復興の種」 大野 真央(明石駅前・高2)

震災から一ヶ月が経ちましたが、ニュースを見ても、新聞を読んでも、まだまだ災害が続いていることが分かります。何の被害も受けていない私が泣きそうになります。津波や建物の倒壊で今までの写真などがなくなってしまうのは本当に苦しいと思います。私の祖父母の家も、昔、隣の家の火事がうつって全焼しました。どうすることもできませんでした。いつまで経っても悲しいです。でも、時間が経つにつれて楽しい思い出も増えました。今は苦しいと思いますが、前向きに、前向きに。会いには行けないけれど応援しています。

「東北のみなさんへ」 堀田 梨奈(明石駅前・高2)

東北で起きた地震について毎日ニュースで見ています。最初の方は、現実味が無くどういうものなのか分かりませんでした。でも毎日ニュースを見ているうちに、これはリアルに起きてることなんだってだんだん現実を受け止めることができるようになりました。それと同時にとても怖くなりました。家を無くし、家族を亡くし、住む場所も無く、体力的にも精神的にも限界で生きる希望を無くしてしまいそうになる人もいると思います。でも、このメッセージを読んでくれている人は、生きています。この地震の津波で、なす術も無く亡くなってしまった人も多くいます。私は夢があって東進に通っています。その志なかばで亡くなってしまわれた方がいると思うと本当に心が、痛い。まだ生きている人達には命があります。生きていればきっと光が見えます。関西は頑張り続けたから、ここまで復興しました。きっと大丈夫!頑張れ、東北のみんな!

「復興の種」 森 菜摘(明石駅前・高2)

テレビや新聞で毎日、この震災についての情報が流れています。私は関西に住んでいるので計画停電や避難などの影響がありませんが、東北に住んでいる方々はまだまだ安心して生活できない状況が続いていると思います。

まだあまり辛い経験をしていない私がいっても励みにならないかもしれませんが、私は一年余り病気を経験して、学校に行きたくても行けず、いつ退院できるかお医者さんに聞くと切ない顔をされて教えてもらえない。そんな生活を送ったことがあります。でもその経験があったからこそ今のごく普通の生活を幸せに感じられ、勉強やいろんなことを精一杯できるようになりました。

今はつらいかもしれませんが、必ず強くなれます。私も将来この経験を生かして社会に貢献できる人間になりたいです。

一緒に頑張っていきましょう。

「復興の種」 原口 葉月(東進長崎県庁前・高2)

私は長崎に住む高校二年生です。少しでも何かの力になりたくて今みなさんにメッセージを心をこめて書きます。

今みなさんは何を感じ何を求めていますか。きっと私には想像つかないくらいの大きな悲しみや不安で毎日がつらいと思います。誰のせいにもできないこの災害は怒りをぶつける場所もなく歯がゆい思いを日々つのらせているこの毎日が嫌で嫌でたまらないと思います。でもたくさんの方々がみなさんを思い助け必死で日本を支えようとしていることをわかってください。メディアを通じてしか情報を受けとることはできない私たちですがみなさんの生活が心が少しでも良い方向に向かってくれることを願い活動しています。災害という言葉もまだわかっていない小さな女の子が黙祷をして首にかけている小さな財布から募金をしていました。私たちはつながっているのです。被害を受けたみなさんだけの問題でなく私たち日本の問題、課題として考えているのです。決して一人ではありませんよ。家族をなくしたり、知人を探したり不安で心がいっぱいになってもまた明るく笑顔で過ごせるような日が一刻もはやくみなさんに訪れますように。みなさんの深い深い悲しみは理解することが難しいかもしれませんが私たち高校生の力、日本の力でみなさんの不安な心が少しでも楽になるように長崎から協力します。

上を向いてください。今日より明日、明日より明後日がきっと良くなっているはずです。みなさんは生かされたのです。亡くなってしまった人たちの分まで上を向いて生きてください。生きたかったたくさんの人たちの分まで上を向いて生きてください。生きる希望をなくさないでくださいね。長崎から今もみなさんの一日もはやい復興を心から願っています。

「復興の種」 中尾 優佑(ホロン住吉・高2)

東北地方のみなさん、太平洋沖地震が起きて約一ヶ月が経ちましたが、どうか気を落とさないで下さい。多分、今ぐらいに現状を理解してきているとは思いますが、そんな時こそいろんなことに対して前向きに物事を考えていけば、きっと良いことが起こってくるはずです。僕たちのような他の都道府県の人たちも東北のみなさんが一日でも早く良い状態で暮らせるように節水や節電、チャリティー募金などで小さなことかもしれないけれど頑張っています。さらには、外国の人たちまでもがみなさんが少しでも元気づくような活動をしています。だから、余震ななんかに負けないで下さい。その他の二次災害に負けないで下さい。日本人の強さは、どんな時でも人を思いやることのできる心だと思っています。だから、日本の人たちやその他の国の人たちといっしょにがんばっていきましょう。

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