復興の種 作文

小学生

「ふっこうのたね」 掛屋 美律(ホロン住吉・小3)

ひさいされたみなさん、だいじょうぶですか。わたしは、地しんがあったとき、ならいごとにいっていました。長崎では、地しんがあまりありませんが、あったときには、わたしはびっくりします。みなさんたちも、地しんがあったときには、びっくりしたと思います。

わたしがいつもわすれないことばがあります。それは、めげないと、あきらめないということばです。みなさんたちも、めげないであきらめないでがんばってくだい。おうえんしています。

「東北のみなさんへ」 大田尾 明日翔(長崎・小3)

子どものみなさんへ

もう一ヶ月ですね。ひなんせいかつもつらいですね。わたしはきゅうしゅうにすんでいるのでどんなにつらいかわかりません。お母さんやお父さんをなくした人もいるでしょう。べんきょうをしたい人もいるでしょう。べんきょうをしたい人もいるでしょう。つなみにながされたお友だちもいるかもしれません。わたしも東北にお友だちがいます。2人います。どっちともメールをおくりました。おくった日にはかえってこなかったけどつぎの日には2人からメールがきました。

おとなのみなさんへ

ひなんせいかつはつらいですね。じしんになってから子どもとあっていない人もいるでしょう。つなみで家がながされてない人もいるでしょう。子どもがたすかってたらいいですね。わたしもむだづかいやかいだめをやめます。まだつらい時間がつづくかもしれません。

わたしの学校ではぼきんがはじまっています。わたしももっていこうかと思うけどわすれてしまいます。東北のみなさんのごはんはきいただけでもすくないなと思いました。みなさん力をあわせてもとの町を作っていってくださいね。わたしもじしんのいつかわぼきんをします。学校からかえってニュースをみたらじしんのことがありました。それをきいただけでも恐かったです。おとなの人たちがんばってください。ニュースではじしんとうじつに赤ちゃんをうんだ人がいたときいてちょっとうれしくなりました。子どものみなさんははやくべんきょうしたいですね。1日でもはやくなるようにわたしもおうえんしています。

「復興の種」 井沢 亮佑(金沢・小4)

今回の東日本大しんさいのせいで、くらしが全々、できないような被害ですが元気を出してください。日本中の人たちがみんなをおうえんしています。そして、ぼくも、おこずかいの百円と二十八円をぼ金したし、みんなだって合わせて、五十億円も集まったので、そのお金を、みなさんにおくるので、すこしでも楽になるかと思います。ぼくたちは、なんのひがいがなくてうらやましいかもしれないかもしれないけれど、元気を出して下さい。なにかあったら、日本中が助けるから、がんばってください。もし、ほうしゃのうが体についていても、しょげないでください。すごくむずかしいけど、がんばってください。子どもだけど、できることはするし、みんなが協力しています。安心してください。だれもが、こんなじしんがなかったらと思っていますから。本当に、心のそこから、しんさいなんて、とぼくは思っているので、がんばってください。おうえんしています。

「ひなん所のみなさんへ」 鈴木 静々流(ホロン長崎・小4)

わたしは、思ってもいなかったことがあって相当びっくりしていると思います。ひなん所生活は大変じゃないですか。赤ちゃんがおなかにいたお母さんとかもいて死んだりしたので、かわいそうでした。小さい子どもは、びっくりしたでしょうね。学校ではちゃんと勉強できていますか。文ぼう具とは買えたりしていますか。何週間も会えていない学校の友だちや家族とは会えましたか。家を流されて家をなくした人もいますが、わたしになにかできることはことはないですか。

大じしんがあってけがをしたり人が多かったようです。犬や動物とかも、流されたりしてかいぬしさんは、とてもかなしかったでしょう。じしんはいまおさまってきています。友だちや家族をなくした人は、とてもかなしかったでしょう。友だちや家族ときっと会えるのであんしんしてください。いまだんだんもどってきているので、あんしんしてください。

「復興の種」 西田 汐音(ホロン金沢東・小5)

東北で大地震、大津波が起こった三月十一日、私はとてもこわかったです。テレビを見ていると死者の数はどんどんふえるし、次々におそろしい映像がながれます。これは現実なのかと思うほどでした。

でもそれから一ヶ月くらいたって思います。たくさんの人々が死んでいく事、家や町がほろびていく事と同じくらい悲しい事は、被害に合わなかった私たちが、その事をわすれていく事かなと。だから私は、決してこの大地震、津波でたくさんの人たちが被害に合った事をわすれません。大金を出す事はできないけれど、これからもずっと被災地の人々を応えんします。

被災地のみなさん、これからも前を向いてがんばって下さい。

「被災地のみなさんへ」 谷口 さつき(六甲・小5)

被災地のみなさんはとても大変なめにあったと思います。でも、日本は一つのチームです。私もチームの一員としてみなさんといっしょにがんばります。

学校ではぼ金活動が始まり私もぼ金をしました。そのほか、学校では文ぼう具も集めていたので私のえんぴつもわたしました。私はえんぴつに「がんばってきてね。」と言いました。私は私のえんぴつで被害があったみなさんを一つでも多くのにこにこしたすてきな笑顔ができたらいいなと思ってえんぴつに一言いいました。

とても大変で苦しいこともいっぱいあると思うけど、希望と笑顔は絶対わすれないでいつまでも明るくいてください。

私は、大きい震災はけいけんはしたことはないけど、学校のじゅぎょうで阪神淡路大震災について勉強しました。学校で勉強をするまではけいけんしていないからどんなに大変かというのがあまりわかりませんでした。でも、勉強をしたり親に聞いたりしてどんなに大変だったかがわかりました。阪神淡路大震災で協力できなかったぶん、この震災では心から助けてあげたいと思いました。だからぼ金活動や文ぼう具集めなどをみんなといっしょに、いっしょうけん命しました。

私が住んでいる神戸も昔阪神淡路大震災ですごく被害が多かったけど時間をかけて、ゆっくりともとの町にもどりました。だからみなさんの町ももとどおりにもどると信じています。

「東日本大震災にあわれたみなさまへ」 川上 日菜子(長与・小5)

今の生活うまくいっていますか?きっとまだ食事も十分にとれずおふろにも入れなかったりしていると思います。わたしたちは長崎に住んでいて被害にはあいませんでした。だから、食事も十分にとれているし、おふろにも入れるし、テレビをみれます。電気もついて、勉強も遊ぶこともできます。でも私は、ニュースをみたり、ケンカをしたりしているとき、こう思います。

「私たちだけ、こんならくしてていいのかな。ケンカをすることも、被災者の人たちには、とてもうらやましいことだろうな。私たち子どもにもできるかな。なにかやりたい。」と思います。でも、千羽づるをおるにも人手が足りないし、ぼ金をするにも子どもだけではできないので、こういう風に手紙をかくことしかできません。でも、大人の方も、ボランティアをやったり、働いたりしてすごいなと思います。がんばってください。どんな困難にあってもまけずにたちむかってください。みんなと協力していろんなことをがんばってください。わたしはずっと応えんしています。

「復興の種」 西田 汐音(ホロン金沢東・小6)

東北で大地震、大津波が起こった三月十一日、私はとてもこわかったです。テレビを見ていると死者の数はどんどんふえるし、次々におそろしい映像がながれます。これは現実なのかと思うほどでした。

でもそれから一ヶ月くらいたって思います。たくさんの人々が死んでいく事、家や町がほろびていく事と同じくらい悲しい事は、被害に合わなかった私たちが、その事をわすれていく事かなと。だから私は、決してこの大地震、津波でたくさんの人たちが被害に合った事をわすれません。大金を出す事はできないけれど、これからもずっと被災地の人々を応えんします。

被災地のみなさん、これからも前を向いてがんばって下さい。

「東日本大震災」 寺崎 万真(垂水・小6)

東日本大震災が起こったとき、ぼくは神戸の小学校にいました。ぼくは地震のゆれを、全く感じなかったので、家に帰るまで地震があったことを知りませんでした。津波で家や自動車が流されている映像をテレビで観て、実際に日本で起こっている事だと思うと、とてもこわくなって来ました。日が経つにつれ死者の人数も増えて、小学校などに避難している人もいまだ、たくさんいます。電気、ガス、水道などが通っていない所もあります。テレビからの情報をいろいろ聞いて、ぼくに何か出来る事がないかと考えてみました。まず始めにぼくがした事は、募金をしました。たくさんする事は出来ませんが、少しずつしていこうと思います。家では、こまめに電気を消したり、一枚上着を多めに着て暖房をつけなかったりしています。これからも、被災者の人の気持ちになって、何をすればよいのか考えていきたいと思います。

ぼくのお母さんは、阪神淡路大震災を経験しています。その時の話を聞くと、家の中はつくえや食器棚がたおれぐちゃぐちゃになって、タンスの下敷きになったそうです。でもおばあちゃんが、お母さんの上におおいかぶさってくれたのでお母さんは無事でしたが、おばあちゃんはタンスで頭を打ってけがをしたそうです。それを聞いて家族ってすごいんだなあと思いました。

どんなつらい状況でも家族や友達、まわりの人と助け合いながらんのりこえる事が出来ると思います。

「東北がんばれ」 向田 修大(垂水・小6)

ぼくが、この地震を知って僕が出来ることを考えました。メッセージを贈れるのも一つなので、メッセージに勇気を付けて贈ります。  食料を不足してる、慣れない環境にいる、家族や友人の行方が分からない人もいるでしょう、でもみなさんの心の光はまだ消えていない、一生懸命がんばれば、復興できます。その時は、心の光は、輝くはずです。ぼくは、東北のひとを信じています、いや世界の人々みんながみなさまの復興を信じています。

それにみなさんは、地震なんかに負けない強い絆と心で、新しい力強い一歩をふみ出してください。

学校に行けない人は、早く学校が始まるといいですね。

ぼくの母さんは阪神淡路大震災にあって神戸の街もきずついたそうです。でも復興することができました。なのでみなさんが復興することができると思います。

あと僕は出来る事を考え募金をしました。それに日本で苦しんでいる人がいることで力になりたいと思い、気持ちをこめてお金を入れました。

復興には、勇気、お金などいろいろできることがあるので、さらに募金を続け、節電、勇気、希望など一生懸命にがんばるみなさんの役に少しでもたてるようにがんばりたいです。これからもみなさんのことをずっと、ずっと、ずっとおうえんしていきたいと思っています。復興までがんばってください。

「復興の種」 片渕 麻尋(諫早・小6)

今、日本中の誰もが知っている、東日本大震災。僕は、三月十一日に、学校から帰って、テレビを見ようとすると、すべてのテレビ局が、東日本大震災のことが、ながれていました。最初は、地震は、怖いなぁしか思いませんでしたが、でも、多くの人の尊い命をうばったのは、地震だけではなく津波も押し寄せて来たのです。

僕は、津波の映像を見ると、とても恐ろしかったです。今、テレビでは、福島第一原発の事が、放送されています。皆さん放射能には、十分気を付けてください。以前お父さんが、口にしていました。「がんばれを、気安く言ったら、被災者の皆さんに、申し訳ないよね。」と言っていました。僕もそう思います。僕達子供達には、被災地の苦しさは、分かりづらいと思いますが、今は、頑張らなくていいですから、今自分が、取り組める事に一生懸命やってください。一日でも、早く復興できる日を願っています。

「東日本大震災被災者の皆さんへ」 谷口 由依(長崎・小6)

私は、この大震災で、「世界が協力する」ということの大切さを学びました。そして、今、私達が、すべきことについて、考えてみることができました。

今、私は、長崎でふつうに勉強し、食事をし、生活しています。けれども、私がこのようなことを毎日できるのは、ただ「運がよかった」からだけです。もしかしたら、あの日長崎に大震災がきていたかもしれません。また、私の知り合いの方や家族が亡くなっていたかもしれません。そう考えると、とても悲しくなってきます。きっと、みなさんの中にも、そういう方がたくさんいらっしゃると思います。だから、私は、被災者のみなさんのことを「かわいそう」などとは、思えません。私は、5年生のとき、「かわいそう」は、上から目線だと、先生から教えていただきました。私も、そう思います。よく、「被災者のみなさんはとてもかわいそう」と聞きます。確かに、今、ふつうに生活している私達とくらべると、かわいそうかもしれません。けれども、私達にできることは、「かわいそう」や「がんばって」と被災者のみなさんに言うことだけではありません。水や電気をせつやくしたり、物を送ったりといろいろなことが私達には、できます。そして、今こそ、世界中が協力するときだと、私は、思います。

被災者のみなさん、今は、とてもつらいと思います。しかし、今こそ、みんなのチームワークがためされるときだと思います。これからは、世界中が協力し、新しい世界を作りましょう。

「元気になって」 筒場 凌雅(長与・小6)

被災地のみなさん、今回の災害を心よりお見舞いします。

被災されたみなさんの中には、友人や家族を失った方もいると思います。そんな、悲しい時は、おもいっきり泣いてください。つらい時は、だれかにたよってください。1人で悲しみやつらさをためこんでしまうと、心の傷が深まってしまうだけだとぼくは、思います。遠く離れていても、同じ日本人です。今、日本中の人がみなさんを応援しています。いや、日本だけじゃなく世界中の人達が、みなさんを応援しています。だから、みなさんも元気になってください。たしかに、悲しくて元気にまれない事もあると思います。でも、いつまでも元気になれなかったら、前に進めないじゃないですか。だから、勇気を持って一歩ふみ出しましょう。ぼくたちも、募金をしたり、節電をしたりして、少しでも応援する努力をします。だから、みなさんも元気を出してください。遠くながらも応援しています。

「復興のことば」 江崎 奈津子(ホロン長与・小6)

私はテレビや新聞で、よくあの津波と地震を目にしたことが、何回もあります。とても、恐ろしいこう景を見ると、私の心もズキズキいたみます。時には、「まだあるのかな。」と、先を予そくしてしまう事もあります。私の好きなテレビ番組を見ている時に、画面のすみに、地震速報がよく表示される事があり、父が、「また来たか。」と、地震速報の文字の部分を番組には目を向けずに、じっと見つめることが、ここ最近、よくあります。私もそれにつられて番組より、地震速報の文字をじっと見つめます。すると、その時地震があった所は、わたしの思ったとおり、東北地方のところでした。私の住んでいる長崎県は、地震も津波もこないし、長崎にはなにも来ない事を最初はあたりまえのように思っていました。電気や水道も、いくらでも手に入るので、いかに、今までムダ使いをしていたのが、あのニュースを見て、つくづく思います。なのでこれからは、被災者のみなさまのために、節電や節水などにも気をつかい、被災者のみなさまがどれだけ苦しんでいらっしゃるかを、自分でじっくり考えてみたいと思います。そして、被災者のみなさまは、本当に必要としているものは何か。また、何をのぞんでいるのかを、考えたいと思います。

私の学校でも、被災者のためにと、節水や節電をつづけています。ムダ使いはやめて、必要な時だけに電気を使ったり、いつも使っている水の量をできる限り減らしたり、必要以上に水をつかっている人がいたら、よび止めて、必要以上に使ってはいけないということを、おしえてあげたいなと、今も思います。今の私にできることは、節水や節電くらいしかありませんが、すこしでもいいので、復興の手助けになれば、わたしもうれしいです。私の家族も全員、応えんしているので、一緒にがんばっていこうと思います。つらい事が今までずっと続いて来ましたが、けっして一人ではないので、みんなで頑張りましょう。

「復興の種」 坂口 舞(道ノ尾・小6)

今、私たちにやれることは何でもやります。災害にあわれたみなさん、家族や友達をなくしてしまったみなさん。日本全国の人が応えんしています。おちついていられないみなさんも、この応えんを少しでも受け入れてください。

ひなん所生活は、大変だと思いますがひなん所のみんなで助け合いながら生活してください。私たちはいつも協力し合い生活しています。だから、きっと大丈夫です。これからも協力し合い助け合いながら生活していきましょう。

私たちにできること、節電、水の節約、色いろな物のリサイクルなど何でもやります。私たちも災害の場所に行って何が必要か聞きに行って、必要な物を災害の人たちにやりたいくらいの気持ちでいます。だから、学校でもやっている災害の人たちへの必要な物を集める事にも協力して、やってきました。だからがんばってください。色いろな人が応えんしています。日本は一つになる時がくるんです。だからといって、私たちは応えんしかしないということではありません。私たちには家族をうしなった気持ちは分からないかもしれませんけど私たちはせいいっぱい応えんし続けます。日本はいつでも協力し合えるんです。

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