アオザイ通信
【2016年2月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<サイゴンで迎えた今年のテト>

今年のベトナムのテト(旧正月)2月8日(月)でした。中華圏の国々は同じ日にテトを迎えています。2016年度のベトナムの日めくりカレンダーを毎日一枚ずつめくってゆく時、テトが近付くにつれ、(もうすぐテトだなぁー)と、ウキウキした感じを覚えます。

今年のカレンダーを2月5日、6日とめくってゆくうちに、<大晦日>にあたる2月7日が、旧暦では12月29日で終わっているのにふと気づきました。旧暦での<大晦日>はいつも12月30日まであるのに(おかしいなぁ〜・・)と思い、女房に聞いてみました。すると、

 「今年はうるう年(Nam Nhuan)に当たるので、旧暦も29日で終わりなのよ」

と答えたのでした。この点では、太陽暦も旧暦も一致していました。どちらが先にうるう年を使い始めたのかは知りませんが、旧暦でもその部分を調整しているのを知り、思わず(ほー、そうなの)と感心しました。

ベトナムではテトが近づくにつれて、街中がテト・モードに入ります。街中の街路樹に電飾がクリスマスの時期から飾り付けられ、それはテトが終わるまでそのまま飾られています。また、「テトがやって来た!」という音楽が、路上をバイクで通り過ぎる時に、到る所から流れてきます。今年も一月末ごろから流れ始めました。

そして、歩道上にはさまざまな花が置かれ、バイクで乗り付けた人たちがそれを買い求め、荷台に乗せたり、バイクの後ろに座った人が両手でそれを抱えたりして、バイクで走って行く光景が多くなります。みんなが買うのは黄色い花を付けた、Hoa Mai(ホア マーイ)や菊のような花が多いですね。

さらにはテトの時に、ベトナムの人たちは家族が集まってBanh Chung(バイン チュン)Banh Tet(バイン テット) というのを良く食べますが、それを包むためだけの葉っぱも売られます。バナナ(Chuoi)の葉や、ボン(Vong)という葉で包みます。

ちなみに、主にベトナムの北部で食べられるのがBanh Chung。形は四角い形をしています。南部で食べられるのがBanh Tet。これは筒状の形をしています。中身は同じようなものですが、「所変われば品変わる」で、その形も違う、包む葉っぱも違うというのは興味深いですね。これについて、ベトナム情報の記事で有名な<Viet-Jo>で触れてありましたので、紹介しておきます。アドレスは以下です。

http://www.viet-jo.com/news/special/160202083341.html

テトの一週間前からは、街中のいたる所でテトに関連したこういう「花」や「物」が売られ始めます。それで、テトを迎える準備のために、「人と物の移動」が多くなり、大変な交通渋滞が発生します。テトの3・4日前にはそれがピークに達しますので、みんな仕事に行くのも大変です。

「9月23日公園」での花市

テト二日前の2月6日に、家族で「9月23日公園」の花市に行くことに。そこでの花市がこの日で終わりと聞いたからです。昼過ぎに着くと、広い公園を桃や菊やバラやホア・マーイやブーゲン・ビリアや蘭など、さまざまな花が覆いつくしています。壮観な光景です。盆栽類もあります。ドラゴン・フルーツが実を付けていて、植木鉢の中に仕立てられていました。ここに置いてある花や盆栽などはすべて売り物です。ジュース類や軽食なども売っています。

この公園の中には高い樹木がたくさんありますので、その木陰を歩いてゆけば涼しいです。多くの人たちが花を買い求めて、それをバイクに積んで持ち帰っています。私の女房は小さいバラの花と小ぶりの金柑の木を買いました。私はブーゲン・ビリアの花を買いたかったのですが、行くのが遅かったせいか、バイクで持ち帰れるような手ごろの大きさの花がたまたま売り切れていたので、今年は断念しました。

女房が買い求めた花を私が両手に持って帰ります。昨年もそうでしたが、それらを両手にぶら下げて歩いていると、通り過ぎる人たちが「それはいくらしたの?」と何人も聞いてきます。自分たちも同じようなものを買う時のために、予備知識を仕入れているのでした。ここに置いてある花類には値札が付いているのもあれば、付いていないのもあります。まあしかし、値札が付いていても、大体の人は値切りますね。

「タオ ダン公園」での花市

 テト前日の2月7日は「Tao Dan(タオ ダン)公園」へ。ここにもまた多くの人たちが集まっていました。ここにはさまざまな種類の花や果樹が盆栽に仕立ててあります。その盆栽の大きさがすごい。(これだけ大きく、見事な盆栽になるまで仕立て上げるのに、一体何年掛かるのだろうか・・・)と思うような、その前に立つ人たちを魅入らせる盆栽がいっぱいあります。

これらの盆栽は売り物ではなく、観賞用です。この公園には毎年このような盆栽が展示されていますが、毎年期待を裏切らない、大きい、見事な盆栽が集められています。一年に一回のテトに向けて、一週間足らずの観賞のために、枯れないように、病気にならないように、それらを管理するのは大変な労力だろうと思います。多くの人たちがその前に立ち、家族連れで、夫婦で、友人たち同士で一緒に写真を撮っています。

さらにこの公園には花だけではなく、熱帯魚、錦鯉、鳥なども展示されていました。「Fish Massage」書いてある区域があり、コンクリートで囲った水槽の中には小さい魚がたくさん泳いでいます。その水槽の縁の上に腰掛けて、多くの若者や子どもたちが両足を水の中に入れています。その足めがけて小さい魚がツンツンと突いてきます。その度に、子どもたちはキャッ・キャッ言って喜んでいます。

「9月23日公園」には子ども用の遊び場や乗り物などはありませんでしたが、ここには家族連れでも遊べるような、さまざまな娯楽施設もあります。一緒に連れてきた一歳の甥っ子も、コインを入れると五分ぐらいは上下に揺れる白鳥や象さんの乗り物で楽しんでいました。二・三時間は大人も子どもたちも楽しめる「タオ ダン公園」でした。
 
そしていよいよ迎えた大晦日。2月7日の深夜0時。サイゴン市内では四ヶ所で恒例の花火の打ち上げ。私の女房の実家はサイゴン川に近い所にあるのですが、毎年そこの屋上からこの花火を見て楽しんでいました。しかし、最近は周りに高いビルやマンションが建ち、打ち上げられた花火がその後ろに隠れてしまい、花火の一部しか見えなくなりました。残念です。

テトの日は実家に集まり食事会

2月8日のテトの日。毎年テト初日のお昼は女房の実家に、女房の家族たち全員が集まり食事会をします。その数、今年は約15名。出される料理は毎年同じように、豚の角煮、煮た卵、ラッキョウ、香菜など。これらをライス・ペーパーで包んで食べます。そして、鶏肉入りの野菜サラダや鶏のお粥もあります。

全員が一同に集まったところで、いつものベトナム式に「1(モッ)・2(ハーイ)・3(バー)・ヨーッ!!」と乾杯。女房の家族みんなが集まり、その中で食べて、飲んでいる輪の中にいますと、およそ50年前の日本での正月の光景が脳裏にまざまざとよみがえってきます。

以前にも触れたことがありますが、私の父は本家の長男だったので、私の小学生時代には正月二日に父の兄弟や子どもたち全員が本家に集まり、新年のお祝いをしていました。今から50年前の昔は子どもの数も多く、大体三人から四人くらいの兄弟・姉妹が普通でしたから、その時には三十人くらい集まっていましたね。

(あれからおよそ50年も経つのか・・・)と、感慨深いものがあります。そういう意味でも、50年前の日本の正月に兄弟・姉妹やその子どもたち全員が集まったのと同じように、今のベトナムにはその風習がまだ根強く残っているのです。

テト二日目はThanh Daでエビ釣り

テトの二日目に、女房の家族全員でThanh Da(タン ダー)地区Binh Quoi(ビン クイ)へ魚釣りに行こうということになりました。Thanh Da地区はサイゴン市内からバイクで約三十分掛かります。そこに行く途中の道路が大変空いていることには驚きました。多くの人たちが故郷に帰ったからでしょうか、バイクや車の数が実に少ないのです。

二年前のテトにはサイゴン市の7区に、女房の家族全員で魚釣りに行きました。私の娘や甥っ子が魚釣りが大好きだからです。その時には多くの魚が釣れましたので、今年は場所を変えてThanh Da地区に魚釣りに行くことにしたのでした。しかし、テト休みのためか、今年はここの地区は魚の釣堀が全然開いていませんでした。

でも、「エビ釣り」という看板が幾つかあり、そこは開いていました。(魚の釣堀は開いていない。エビの釣堀だけは開いている。どうしようか?)と、家族全員で相談しました。「せっかくここまで来たのだから、エビ釣りをしよう!」ということに決まりました。エビ釣りは娘には初めての体験でした。

着いた所は、「Ho Cau Tom Giai Tri」と言う名前の釣堀。Ho=湖、池」「Cau Tom =エビ釣り」「Giai Tri=娯楽」というくらいの意味です。釣るエビはブラック・タイガーではなく、手長エビです。このエビは伊勢えびよりは小さく、ブラック・タイガーよりも大きく、その味は大変美味しいものです。

ここの娯楽施設は屋根付き、床はタイル張りで、快適な空間でした。この施設で料理も食べられるようなサービスもあり、そのメニューが写真付で壁に掛けられています。お客さんたちもビールやジュースを飲みながら、料理を食べながら、のどかな雰囲気でエビ釣りを楽しんでいます。

エビの釣堀の周りには、20人くらいのお客さんが座ってエビを釣っていました。この時家族の中でエビ釣りに挑むのは、私の娘と、娘と同じ年齢くらいの甥っ子の二人だけ。他は料理を食べたり、ビールを飲んだりしながら、エビ釣りの見物に回ります。

ここの料金のシステムを聞くと、最初の一時間は11万ドン(約600円)。その後さらに追加を希望すれば、一時間10万ドン(約550円)。釣り上げた手長エビはお持ち帰り自由で、無料です。私たちより先に来たおじさんは、その時まで何時間粘っていたのか知りませんが、すでに三匹の手長エビがビクの中に入っていました。

娘と甥っ子だけの二人が手長エビ釣りに挑戦している間、家族の他のみんなは料理を食べ、ビールを飲んでいました。三十分経ちましたが、まだ全然釣れません。一時間近く経ちましたが、まだまだ釣れません。仕方なく、さらにまた一時間延長しました。

しかし、上から水面を見ても波が立っていて、釣堀の水の透明度も高くないので、水底にいる手長エビの姿はまったく見えません。エビは魚と違い、水中をスイスイと泳いでいるわけではないのでしょう。どこかに身を寄せているはずです。みんなはおそらく勘で、自分の好きな所に釣り糸を垂らしているのです。

その間、隣のおじさんはさらに三匹も釣り上げました。その前にすでに三匹釣り上げていましたから、十分すぎる釣果でしょう。(エビが集まる場所を経験で知っているのかな。それとも、この釣堀の常連さんかな?)と想像しました。

そして、30分おきに一回くらい、従業員がバケツに入れている手長エビを釣堀の中に投げ込みます。みんながエビを釣り上げてしまうとこのゲームは終わりになり、そうなると誰も来なくなるので、一定の時間になると定期的に手長エビを補充しているのでしょう。

一時間近くを過ぎてしばらくして、娘が握っている釣り竿に当たりが来ました。娘が喜ぶこと、喜ぶこと。釣れた手長エビは店員が針を外してくれます。そしてそれをビクに入れて、釣堀の中に垂らします。手長エビに使うエサは、海にいるゴカイのような虫です。そのエサも店員が付けてくれます。ですから、手は全然汚れません。

しばらくして、次に甥っ子にも当たりが来ました。そこから30分後にまた、一人一人の釣竿に手長エビが釣れました。そして、手長エビ釣りを開始して時間切れの二時間近くになった頃、甥っ子の釣竿に手長エビが一匹釣れました。まさに制限時間ギリギリの時でした。この日の釣果は娘が二匹、甥っ子が三匹の成果でした。そして、この五匹のエビは翌日のエビ鍋に入れて料理され、家族のみんなで美味しく頂きました。

● Flower Street 見学

テト三日目の最終日2月10日は、Nguyen Hue(グエン フエ)通りに出来たFlower Streetを見学。このFlower Street自体は毎年Nguyen Hue通りで行われていましたが、昨年は地下鉄工事の区域内にその道路がかかり、すぐ隣のHam Nghi(ハムギー)通りに場所を移して行われました。そして今年からまたNguyen Hue通りに戻ったわけです。

この日の前日、Thanh Daに行って手長エビ釣りをし、みんなで食事をした後で家に帰る途中にこの通りの前を過ぎましたが、この区域は大変な賑わいで、多くの人たちで道路も混雑していました。車やバイクが渋滞を起こしていました。その時(明日もこのような感じかな・・・)と、少しゲンナリしました。

しかし、新しく「歩行者天国」として造られたNguyen Hue通りのFlower Streetですから、期待して女房と出かけました。Flower Street自体は2月12日まで開かれるということでしたので、ゆっくり見ることが出来ました。

やはり当日も多くの人たちで賑わっていました。毎年、このFlower Streetにはその年の干支の動物が大小置かれています。今年は干支の申年にちなんで、お猿さんの造形物が到る所にありました。そのお猿さんの前で家族連れが写真を撮っています。

しかし、女房と二人で歩きながら今年のFlower Streetを見物しましたが、(前よりも花の数が少ない。種類が少ない。今年は低い位置に展示してある花が多く、高く仕立てられた花の飾りが少ない)と言うのが私たち二人の共通した印象でした。

以前は高い位置に造られた造形物や、高い位置に飾られた花や、ベトナムの田舎の風景を再現した池や竹林や椰子の木などの区画がありました。しかし、今年はそういうものは皆無でした。見上げないといけないような高い造形物はありませんでした。

良かったのは、普段はホーチミン像の前には近寄ることが出来なかったのが、(像に近づいただけで、すぐに守衛が飛んできて、追い払います)今年はその像の間近まで近づくことが出来ました、守衛も近くにいましたが、この時は何も言いませんでした。

あと一つ面白かったのは、コンクリートで覆われた地面から、突然噴水が噴き出すことです。そこにいたお客さんたちには事前に知らされていなかったようで、近くを通っていた人や、その側に座っていた人たちみんながびっくりして跳びあがりました。

しかし、子どもたちはやはり遊び上手ですね。突然噴き出したその噴水に向かって、服が濡れることなどお構いなしに突進してゆきました。回りを囲んだお客さんたちはニコニコして笑っていました。やはり服はビショ濡れになりましたが、みんな喜んでいます。

二月のこの時期に平気で水浴びが出来るのも、南国サイゴンの楽しさ・面白さでしょう。やはりこの時期のサイゴンは雨も降らず、朝夕は涼しく、田舎に帰った人たちが多いので道路は空いているし、街中は花で溢れるし、いろんな場所で花市が開かれるし、一年で一番良い季節だと思います。

※春さんは1997年春よりホーチミンに駐在しています。今ではすっかり現地の人となって、見分けもつかなくなっています。春さんに質問や相談があればメールをお送りください。




「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

父戦死のベトナムに保育園を建設・・・「懸け橋期待」

太平洋戦争で戦死した父の慰霊のためベトナムを訪れた際、世話になった恩返しにと、岡山市南区福富中の中元輝夫さん(78)が、岡山県内外から募った寄付金約350万円で同国に建設していた保育園が昨年12月に開園した。幼児約140人が通っており、中元さんは「健やかに育ち、ベトナムと日本の友好の懸け橋になってほしい」と成長を楽しみにしている。

保育園が開園したのは同国中部の都市クアン ガイ郊外にあるティン・アン・ドンという町。れんが造りの平屋約120平方メートルで、保育室と職員室、トイ レを備える。中元さんの呼び掛けで集まった寄付金を元に地元の行政機関が資材をそろえ、昨年9月から、地元住民がボランティアで建設した。寄付金は園で使うテレビやパソコンの購入などにも充てられた。

12月19日に現地で完成式があり、中元さんや募金活動を支えた友人ら7人が出席。その際、現地責任者の発案で園名は日本語表記の「かけはし保育園」に決まったという。

中元さんの父・猛さんは1944年12月、乗っていた陸軍輸送船が米軍の攻撃でクアン ガイ沖に沈み、命を落とした。ベトナム政府などの協力で沈没地点が判明し、中元さんは2010年2月、海上から慰霊。供えの花輪が用意されていたことにも感動し、現地の要望を踏まえて保育園の建設を決意した。

14日に県庁で記者会見した中元さんは「多くの皆さんの温かい気持ちのおかげで立派な園ができた。できれば遊具も現地に贈り、完成式では会えなかった子どもたちと触れ合いたい」と話した。

[ 山陽新聞社提供]

解説

これは日本の新聞に載った記事ですが、大変深い感銘を受けました。そして、これを読んだ時、(ハタ!)と思い当たる節がありました。それは、この中元さんがクアン ガイを訪ねた時に、通訳としてアテンドしていたのが、あの「マングローブ植林行動計画」浅野さんだと以前聞いたことがあったからです。

その記事は確か「日越友好協会岡山支部」のWEBサイトに載っていたはずでしたが、今はそのWEB自体が見当たりません。それで、浅野さんに次に会う時にはその件を確認したいなーとずっと思っていました。

そして、その機会は意外に早くやって来ました。あの「さすらいのイベント屋」のNMさんがサイゴンに来られることが分かった時、事前に元「ベトナム スケッチ」の編集長のNAさんと浅野さんに連絡しました。「あのNMさんがサイゴンに来られますので、ご都合が良ければみんなでSUSHI KOでお会いしましょう!」と。

私を含めた四人がお互いに顔見知りではありました。実はNMさんがサイゴンに来られる時、今までお二人には数回打診していましたが、NAさんは編集の仕事でいつも忙しく、浅野さんは地方へ出張でサイゴンにいないことが多く、なかなかNMさんと私を含めた四人が会う日は来ませんでした。

それが一月下旬、ようやくその機会が訪れました。NAさんは多くの原稿の締め切り日を抱えておられるのでいつも忙しいのですが、それをやり繰りされてこの日「SUSHI KO」に来られました。浅野さんもたまたまこの日は地方への出張が無くて、いいタイミングで参加されました。

まずはお互いの久しぶりの再会を祝して「乾杯!」しました。しかし、NAさんはビールを飲まれませんので、ジュースで乾杯です。NAさんと浅野さんは実に約13年ぶりの懐かしい再会になります。2003年7月号「ベトナム スケッチ」の記事の中に<ベトナムの日本人>というコーナーがありますが、そこに浅野さんが登場しています。そして、その浅野さんにインタビューをされたのがNAさんでした。

お互いにいろんな話をしました。そしてしばらくして、私は浅野さんに確認したいことがありましたので、この新聞記事を印刷したのをこの場に持ち込んでいました。それを渡して浅野さんに読んでもらいました。(その記事は後で、NAさんにもNMさんにも読んで頂きました。)すると浅野さんは次のように言われました。

「ああー、中元さんがクアン ガイを訪問された時に、アテンドさせて頂いたのは確かに私です。あの時は事前に手配していた通訳が体調不良で急に来れなくなり、私にその通訳の依頼が来ましたので、引き受けました」

「中元さんは、亡くなられたお父さんの場所辺りまで来た時、海に向かって大きな声でお父さんの名前を叫ばれて、涙を流されていました」

浅野さんは今から六年前の当時を振り返りながら、しみじみとした口調でそう話されました。それを聞いた私は、その時の中元さんの心中は如何ばかりだったろうか・・・と想像しました。そして、その時に協力して頂いたベトナムの人たちの厚意に応えて、クアン ガイの土地に保育園を建てられました。素晴らしいことだと思います。

これからそこで学ぶ園児たちは、ベトナムの地で70年以上も前に亡くなられたお父様を偲ぶ、その中元さんの熱い思いを、幼いこころに刻んでゆくことでしょう。



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