アオザイ通信
【2016年1月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<ダ ラットへの旅>

●サイゴン⇒ダ ラットへ

12月23日から26日まで三泊四日でDa Lat(ダ ラット)市へ行きました。毎年恒例の学校の社員旅行です。ダ ラットは標高1575m。フランス統治時代に、フランス人が避暑地として開発した場所です。

ダ ラットには今まで三回ほど行きました。最後に訪れたのは、今から15年前の2000年に「マングローブ植林行動計画」の浅野さんの結婚式に行った時です。2000年11月に浅野さんの結婚式がダ ラット市で行われることになりました。

その時は、「マングローブ植林行動計画」代表の向後さんやその関係者たち全員が日本から飛んで来て、ダ ラットでの結婚式に参加することになり、私も一緒に同行させて頂きました。サイゴンから一台のマイクロバスを仕立てて行きました。

それ以来ですから、実に15年ぶりのダ ラットへの訪問になりました。今回の旅行がダ ラットだと知った時、(あの時の結婚式から15年も経ったのか・・・)と、歳月の速さを感じました。その15年の間に浅野さんには二児のお子さんが、私にも一人の娘ができました。

当日は12区にある学校から朝5時に一台の大型バスで出発。4時に事務所を出て、バイクで学校まで向かいましたが、外はまだ真っ暗で、肌寒いほどでした。5時前には、バスの中の席はほぼ満席になりました。

参加者の中には、昨年のタイ旅行の時にも参加していた、私の教え子の女性もいました。彼女が日本に実習生として行ったのは6年前です。それを聞いた時も、月日の流れは速いものだなーとつくづく思いました。

サイゴンからダ ラットまでは約300km少しあります。事前に渡された予定表を見た時、私の気持ちの中では、「ダ ラットへ行って確かめたいものが一つ」と、ダ ラットへ行く途中で休憩する「Bao Loc (バオロック) 市で是非再会したい人」がいました。

12区を出発したバスはサイゴン市内に入った後、国道一号線を走りました。しばらく走ると、バスの窓からはコンクリートで建設しつつある高架橋が見えてきました。日本の援助で建設されている地下鉄が、地上に出たところの状態をこの日初めて見ました。最近こちら方面には来ていなかったので、それは大変興味深い光景でした。

そして、バスはそれから北上して高速道路に入りました。それは今まで私が通過したことがない道路でした。ベトナム人のガイドさんに聞きますと、<ホーチミン−ロン タン高速道路>といい、約一年前に出来たばかりだということでした。確かに新しい道路でした。Bao Loc市までは全く交通渋滞もなく、快適なスピードで走ってゆきました。

しかし、時にゆっくりと走っているかと思うと、ある場所を過ぎると急にスピードを上げてゆきます。どうも交通警察が待機している場所に差し掛かると、それが事前に分かるらしくスピードを落とし、それがいないのが分かると、急にスピードが速くなってゆきました。でも、今回の旅では全般を通して安全運転を心がけている運転手さんでした。

朝7時半頃に、バスは国道一号線から左に折れて、国道20号線に入りました。この国道20号線に入って北に進んでゆけば、そのままダ ラット方向へ向かいます。そして、この道路はバイクで何回も通ったところでもあります。地図の場所で言えば、Dong Nai(ドンナーイ)省になります。

ベトナム戦争当時にメコンデルタの島でバナナを植えていたYさんが、私を誘って「天然蜂蜜」を採りに連れて行ってくれた時にここを通過しました。少し行くと、いつもバイクを停めて休憩していた「La Nga橋」も見えました。<船上生活>をしている船が川に浮かんでいました。

そして、この日は快晴で、抜けるような青空が広がっていました。前の日は曇り空で小雨が降っていましたので、旅には絶好の天気でした。そしてこの天気の良さは旅の初日から最後まで続いてくれたのでした。四日間の旅の間、一日として雨に降られることもなく、快晴が続きました。

「La Nga橋」を過ぎてしばらくバスが走り続けてゆくと、なだらかな丘陵を昇り始め、道路の周りが緑あふれる森林が広がります。まるで、日本の初夏のような新緑が丘を包んでいます。毎日サイゴン市内のコンクリートの建物に挟まれた道路をバイクで通っているので、こういう光景を見るとこころが安らぎます。

さらに、道路の両側の歩道上にコーヒー豆を干している光景が次々と続いてゆきます。ちょうどこの時期が収穫期だったのでしょうか。干しているコーヒー豆の下には、ビニールシートが敷いてありました。ベトナム南部のメコンデルタ地方にゆくと、最近は少なくなりましたが、道路上に籾を干している光景を見かけることがありました。それと似ているな〜と思ったことでした。

そして9時半頃に、バスはLam Dong(ラムドン)省に入りましたが、森の緑はますます色濃く、樹木は大きく、谷は深く、その谷の下を流れている小川には、サイゴンの近くの川では見ることが無い清流が流れていました。こういう光景を見るとホッとしてきます。11時にバスはBao Loc市に到着。サイゴンからBao Loc市までは約200km近く、Bao Loc市からダ ラットまでは約100km近くあります。

このBao Loc市は私にとって懐かしい地名です。17年前、私が『人文社会科学大学』でベトナム語のクラスに通っていた時、同じ大学の中で日本語を勉強していたある一人のベトナム人の大学生と知り合いました。彼女の名前はLoan(ロアン)さん。彼女の故郷がBao Loc市でした。

2001年に、彼女は私と友人たちを自分の故郷に招待してくれて、Bao Loc市で有名な滝や、少数民族の家まで案内してくれたりして、遠い異国から来た私を親身になって世話をして頂きました。彼女に最後に会ったのは約十数年前になります。
そして、旅行会社から事前に配られた予定表を見た時に、行きも帰りも、そのBao Loc市を通過し、そこで一時休憩することが判りました。その時の強い思い出がよみがえり、彼女に是非会いたいものだと思い、バスでの移動中に携帯から連絡を取ろうとしました。

しかし、昔彼女が使っていた番号は変更になっていて、最初はなかなか連絡がとれませんでした。彼女の友人で、Lan(ラン)さんと言う友人がいました。それで、LanさんからLoanさんの実家に直接電話をかけてもらい、新しい連絡先が分かり、ようやくLoanさんとの連絡が取れました。

何と、今彼女はサイゴンに住んでいました。それを聞いた私は、Bao Loc市内で会うとしても一時休憩の限られた時間内でもあるし、むしろサイゴンに住んでいるのならそちらのほうが都合がいいなと思い、「是非<SUSHI KO>で近いうちに会いましょうね」と約束しました。一旦は(もう会えないかな・・・)と諦めかけていただけに、(十年ぶりにまた会える!)ことが実現しそうになり、サイゴンに戻ってからの楽しみができました。

Bao Locで昼食休憩のためにバスはTam Chau(タムチャウ)という大きなレストランで停車。バスを降りた時、そこで味わう空気が清々しく、肺の中にすーっと空気が広がってゆく感じがしました。やはり、周りを深い森に囲まれた街だからでしょうか、サイゴンで吸う空気とは全然違いました。しばらくその余韻に浸っていました。

12時ちょうどにバスはTam Chauを出発。バスの中から外を見ると、コーヒーの木の畑があり、さらに進むと、丘一面に植えられた茶畑があります。緑の絨毯を敷き詰めたようにキレイでした。そしてさらに一時間ほど走ると松林が広がる光景が現れました。いよいよダ ラット市があるLam Dong(ラム ドン)省に入ったようです。

私はバスの一番前の席に座っていましたので、前方・左右の光景がよく見えました。緑に覆われたトンネルの中を走っているような気分になりました。メコンデルタの平坦な土地とは違い、また、コンクリートで出来たサイゴンの街中とも比較にならない豊かな森や林がそこにあります。Lam Dongは漢字を当てると「林同」になりますが、そういう林や森の印象が強いからでしょうか。

そして、2時にDatanla(ダタンラ)滝に到着。ここには十数年前に一度だけ訪れた思い出があります。その時には上りも下りも歩いて行きましたが、今年訪れた時にはコースターという乗り物がありました。一台に二人が乗れるコースターの乗り物に乗り、Datanla滝の見物へ行くことが出来ました。一人が5万ドンですから安いものです。

このコースターで滝の近くまで下りるのは、案外スリルがあって楽しめました。移動と停止は自分でレバーを上下させて操作しますが、最初は勝手が分からず、先に前に走っていたコースターに後ろから追突してしまいました。あまりスピードが出ていなかったので事なきを得ました。

Datanla滝は、ダ ラットの滝の中でもさほど大きい滝ではありません。しかもこの時期は滝を流れている水の量が少なくて、滝の水がゴーゴーと音をたてて流れていることもなく、滝の対岸まで歩いて渡ることが出来ました。すると、その対岸にはどういうつもりか、日本の着物を着たベトナム人の女性が立っていました。Datanla滝をバックにして、観光客と一緒に写真を撮る仕事をしているのでした。

この日の水の流れはふだんよりも少なかったのですが、森の奥深くを流れる滝を見ていますと、こころが洗われてきます。車やバイクの騒音も聞こえず、周りは滝の音と鳥の鳴き声だけです。平日だったせいか、観光客もさほど多くなかったので、静かに楽しめました。

そして、Datanla滝観光の後、3時過ぎにダラット市内のホテルに到着。サイゴンを早朝5時に出て、途中休憩やDatanla滝観光の時間も含めて、約十時間かけて着きました。ホテルの名前は「Dalat Plaza」。四つ星のホテルでした。Xuan Huong(スアン フーン)湖のすぐ近くにありました。

ちなみに、「Xuan Huong」という名前は、漢字を当てると「春香」になります。「Xuan Huong」というベトナム語の発音といい、その漢字表記の実に詩的な名前といい、私は好きです。Xuan Huong湖はハノイ市内にある「Hoan Kiem(ホアン キエム)湖」よりもはるかに大きい湖です。「ダ ラットへ行って確かめたいものが一つある」と最初に書きましたが、それはXuan Huong湖の周りにあるはずでした。それは日本から持ち込んだ「桜の木」でした。

それで、ダ ラットのホテルに着いて一旦荷物を部屋に入れた後、、すぐにフロントまで行き、「Xuan Huong湖の周りに桜の木が植えてあると聞きましたが、どこにありますか」と受付の女性に聞きました。すると彼女が言うには、

「ホテルの前の道路の向かいに桜の木が植えてありますよ!」

と言うではありませんか。「ええーっ!」と私は驚きました。それを確かめるべく、すぐにホテルを出て道路に出ました。すると確かに、その位置から道路沿いに木が植えてありました。さらに道路を渡って近付きました。やはり「桜の木」でした。

しかし、まだ幹周りは片手でつかめるほどの若い「桜の木」でした。私はXuan Huong湖の周りだけに「桜の木」が植えてあるものと思い込んでいましたが、少し離れた所にも植えてあるのでした。この「桜の木」も日本から持ち込んでそこに植えたのかは分かりませんでしたが、「桜の木」であるのは間違いありません。感動しました。

それを発見して大変嬉しくなり、すぐに同僚のS先生に連絡しました。夕食の時間が来るまで、同僚のS先生と私はXuan Huong湖の湖面にある喫茶店に行く約束をしていたからです。S先生もすぐにホテルを出て、「桜の木」のそばに立っている私の所まで歩いて来られました。「本当に桜の木ですね〜」と言われました。

後でホテルの従業員に「あの桜の木はいつ頃咲くのか」と聞きました。すると、「12月の末頃から咲き始める。あと一週間くらいで花が咲くでしょう」と言う返事でした。それはちょうどダ ラットで今年開催される「Flower Festival」の時期と重なっていました。

ダ ラットに来て確かめたかった目的の一つは果たせました。しかし、(あの桜の木も果たして日本から持ち込んだ桜なのだろうか?)という疑問は残りました。そのままS先生と二人で喫茶店まで歩いて行きました。夕食まではまだ少し時間があるので、二人でビールを頼みました。

ところが、ビールを頼んだのはいいけれど、持って来るのが遅い・遅い。十分待っても持ってきません。(料理を注文した訳ではないし、たかがビール二本だけを持って来るのに何故こうも遅いのだ?)と二人で不思議に思いながら、さらに催促してようやく持って来ました。

すると持って来たのはいいが、何とビール瓶のフタも開けていない状態で、そのままビール瓶とコップだけをテーブルの上に置いて立ち去ってゆくのでした。さらにまた「お〜い!」と呼ぶと、ビール瓶のフタを開けるだけのために、また別の従業員がやって来ました。やれやれです。

しかし、湖畔でビールを飲みながら湖の向こうに広がるダ ラット市内の景色を眺めるのは最高の気分です。1500メートル以上の高原地帯にあるダ ラットの気候は暑くもなく、寒くもなく、湖面を涼しい風が吹いていて快適そのものです。そして、この快適な気候は旅の間じゅうずっと続きました。一日として雨も降りませんでした。

S先生と私が湖畔の喫茶店でゆっくりしながら湖の対岸を見ますと、湖の土手沿いに樹木が植えられています。しかし、その喫茶店からは遠いので何の木かは判然とはしませんでしたが、その木の形や葉の色から私は桜の木ではないかと思いました。私の熊本の実家にも、桜の木は何本もありますので、遠くから形を見たら桜かどうかは分かります。

(もしかしたら、あれが日本から持ち込んで植えた桜の木では・・・)

と想像しました。そして、翌日その近くをバスが通過した時、ベトナム人のガイドさんにそれを聞いたら、「そうですよ」という答えでした。以前読んだ新聞記事の「日本から持ち込んで植えた桜の木」の現物をその時初めて目にすることが出来ました。

以前読んだ記事では「2008年9月に日本からの寄贈で40本ほどの桜を植えた」という内容が載っていました。それがこの湖の土手に植えてある「桜の木」なのでしょう。この時ダ ラットの湖の土手で育っているその桜を見て、7年前の記事と結びつきましたが、この後にダ ラットで「桜の木」をいろんな場所で見て、「日本からの寄贈の桜はどこまでなのか?」が、よく分からなくなりました。

S先生と私が喫茶店でしばらくゆっくりした後、夕食の時間も近付いて来たので、「そろそろホテルに戻りましょうか」と二人で話して「お勘定!」とベトナム語で言うと、レシートだけは時間を置かずに、サッと持って来たのには二人で笑いました。

そして夕食会場へバスで移動。夕食後にまたホテルへ戻り、ダ ラット市場へ同僚の先生たちみんなで歩いて行くことに。この時夜の7時半を過ぎていたのですが、いや〜、市場が賑わっていたこと。多くの観光客や地元の人たちで溢れていました。

私たちは市場の中にある屋台のような店でビールを飲み、ツマミを食べながら、ダ ラットの最初の一夜を過ごしました。やはり、みんなが言いました「ダ ラットの気候は快適ですね」と。

事実、ホテルの部屋にはクーラーは付いていませんでした。「ダ ラットのホテルにはクーラーは要らない」と言うのでした。従って、この旅の間はバスの中だけはクーラーがついていましたが、ホテルではずっとクーラーの無い日が続きました。

● ダ ラットの旅・二日目 ●

朝6時半に起床。部屋の中にある温度計を見ると26度になっていました。寒くもなく、暑くもなく、快適な温度です。8時にバスに乗って、すぐ近くにある「2016Flower Festival」の会場に到着。

入り口には大きなアーチ状の門が花を集めて造られています。その門の上にはベトナム語で「Vuon Hoa Thanh Pho Da Lat」という文字が掲げられていました。「ダ ラット市・花の庭園」という意味です。ここが2016年の「Flower Festival」の会場になるのです。「Flower Festival」自体は二年に一回開催されていて、今年で六回目になります。そこにいた係員の人に聞きましたら、この庭園は1962年に開園したということでした。

今年の「Flower Festival」は2015年12月29日から2016年1月2日までの期間で開催されました。事前に新聞に出た記事では、「50万人の観光客が押し寄せるので、ホテルは満室となり、値段も普段の三倍から四倍になる」と書いてありました。

私たちは「Flower Festival」開催の直前にダ ラットを訪問したわけですが、この「Flower Festival」の会場で今準備が進行しているのを見物していて、(50万人の観光客が押し寄せる)というのは有り得るかもと思いました。

会場内にはブーゲンビリアの花、ランの花、バラの花、アジサイの花、その他名前も知らない花などで埋め尽くされていました。「Flower Festival」まではまだ五日間ほどありますから、これから急ピッチでさらに多量の花が運び込まれて、会場内に溢れることでしょう。

それで(この「Flower Festival」の間に私たちも家族で来て、その「Flower Festival」を見たいな!)と思い、すぐ女房に「1月1日と2日・3日は娘は学校が休みかどうかを聞いてくれ」と連絡しました。すぐに連絡が来て「休みだ!」とのことなので、さらに「それでは<旅行会社のSinh Café>に聞いて、三人ぶんの席があるかどうか聞いてくれ」と言いました。

女房がすぐに旅行会社のSinh Caféに連絡をして、その期間にダ ラットのホテルに宿泊出来るかどうかを確認したら、やはりその期間はダ ラット市内のホテルはすべて満室で空きが無いと言う返事でした。念のために、私が泊まっている「Dalat Plaza」にも直接私がフロントで聞きましたが、やはり満室でした。残念ですが、家族旅行での「Flower Festival」見物は諦めました。

9時15分過ぎに「花の庭園」を出て、次は「生物研究センター」という大きな博物館に到着。ここには、ダ ラットの近郊の森林地帯に生息していた熊、鹿、猿、象、トラなどの動物や、鳥類や昆虫や蝶。さらにはサルノコシカケなどのキノコ類など実に様々なものが展示してありました。日本には生息していない動物や、昆虫などの標本もありました。

お土産売り場には「ジャコウネコの糞から取り出したコーヒー豆」も売られていました。「ジャコウネコの糞から取り出したコーヒー豆」は世界で最も高価なコーヒー豆だそうですが、ここでも他の種類のコーヒー豆と比べても、二倍以上の値段が付けられていました。「これは滅多にない、貴重なものですよ!」と言って、私の同僚もお土産に買っていました。それを飲んだ感想はまだ聞いていませんが・・・。

そこを11時前に出て、ユリや菊の花を栽培している園芸農家に立ち寄りましたが、まだ花は咲いていませんでした。そこを見学して11時過ぎに「Da Lat Xua Restaurant」に到着。ここには私の眼を惹くものがありました。「桜の木」「少数民族の民家」です。

「Da Lat Xua Restaurant」は坂道を上ってレストランに行くようになっていて、その坂道の両側に「桜の木」が植えられていたのでした。道路の両側に植えられた「桜の木」は全部で30本ほどありました。ここに植えられていた「桜の木」の一本・一本は、片手で幹をつかめるくらいの大きさで、さほど大きくはありません。しかし、(ここにも桜の木があった!)というのは、私には大きな驚きでした。

それで、もっと探せばまだまだあるかも知れないと思い、さらにレストランの上にある高台に上りますと、果たしてありました。そこには私の片手ではつかめず、両手を回してようやくつかめるほどの大きな「桜の木」があったのでした。

日本の私の田舎の気候で育つ桜と、ベトナムのダ ラットで育つ桜を単純に比較は出来ませんが、日本での桜の大きさから言えば、おそらく15年以上の樹齢ではないかと想像しました。こうなると昼飯どころではなくなり、そのレストランの敷地内にある「桜の木」を調べる時間で、私の昼食時間は無くなりました。

するとまたまた、レストランの厨房の前にある土手にも、さらに大きな「桜の木」がありました。そこにあった「桜の木」は大きな幹が四本に分かれていました。これはどう見ても(優に二十年は超えているのではないか・・・)と想像しました。

このレストランには、先に述べた「少数民族の民家」を復元したものがありました。実は、私の学校の同僚には、その少数民族出身の女性のK先生がいます。このレストランにあった民家は、K先生と同じ出身の少数民族の民家だというのでした。

K先生に「ダ ラットには幾つの少数民族がいますか」と尋ねますと、「KHO族」「MA族」「CHIR族」「LAT族」の四つの少数民族がいるというのでした。K先生は「KHO族」の出身です。

高床式で出来たその民家は、吹き抜ける風が大変心地良いものでした。軒先に吊るしてある竹製の楽器が、その風に吹かれて「カラン・コロン」と涼しい音色を奏でています。民家の中には少数民族の人が使う装飾品、銅鑼や石板などの楽器や槍などの武器。さらには食器や鍋などが展示してありました。まるで、「少数民族のミニ博物館」のような建物でした。

昼食後に一旦ホテルへ戻って少し休憩した後、午後の訪問地「THIEN VIEN TRUC LAM」へ。漢字を当てると「竹林禅院」となります。その名前の通り、「禅寺」です。その敷地は広大で約6,000平方メートルあるとガイドさんが説明してくれました。その名前から連想する「竹林」も確かにありました。

「竹林禅院」内の坂道を下ると、広い湖がありました。名前は「Tuyen Lam(トゥィン ラム)湖」。湖にはアヒルの形をした乗り物が浮かべてありました。観光客がそのアヒルに乗って遊んでいました。天気もいいし、これもまたのどかな光景でした。

そこを見学して、次は4時に「Duong Ham Dieu Khac」へ到着。訳せば、「Duong Ham=通り道」「Dieu Khac=彫刻」、「彫刻の通り道」くらいの意味です。確かに、ここには粘土色をした奇抜な形の大きな彫刻群が、道路の両側に聳え立っていました。

ダ ラットにある有名な建物、「駅」や「教会」や「有名なホテル」や「有名な人物像」や「ダ ラットの特産物」などの一つ・一つが、切れ目なく、連続して彫られていました。私自身はこういう人工的な造形物にはあまり関心を抱きませんでしたが、ある建物を通った時、諺のようなものが彫られているのに興味を持ちました。そこには、

Ca an kien  kien an ca

という文句が彫られていました。「Ca=魚」「an=食べる」「kien=蟻」。(魚が蟻を食べる。蟻が魚を食べる。どういう意味だろうか・・・)と考えていました。すると、たまたま私の側を通りかかった、学校のL顧問がその意味を説明してくれました。ちなみにL顧問は二年前までは社長でしたが、今は顧問になりました。

L社長は「これはベトナムではよく知られた諺です。魚を釣る時に蟻を餌にすることがありますが、その蟻に魚が食べられる時が来る。自分よりも弱いと考えていた者からいつかやられてしまうことがある。油断は大敵という意味です」というふうに解説してくれました。「はぁー、そうですか」と、この彫刻の諺だけは印象に残りました。

そこを5時に出て、夕食会場の「Mai La」に到着。「Mai =屋根」「La=葉っぱ」。その名前の通り、屋根が木の葉で覆われていました。夕食はバーベーキューで、テーブル上にベトナム式の七輪が置かれていました。鹿の肉、イノシシの肉、ウサギの肉が皿に盛られていました。これはビールのツマミによく合いました。

さらにはL顧問の振る舞いで、少数民族のお酒「Ruou Can(ルー カン)」がみんなに提供されました。これは壷の中に麹と籾殻が入れてあり、水を注いでしばらく経つと、その水が甘酒のような味に変わるという不思議な飲み物です。ストローのような形の竹の管を上から挿して飲みます。私はこの日は風邪気味でしたので飲みませんでしたが、みんなは一気飲みのように手を叩いてはしゃいで飲んでいました。

私が座った席の前にはL顧問の家族が座りました。ちょうどいいと思い、彼に今回のダ ラット訪問時に抱いた疑問を率直に聞きました。実は、この日の午後に「Duong Ham Dieu Khac」へ行く途中にも、道路沿いに「桜の木」が植えてあるのを見つけたからです。

「今回ダ ラットに来て、Xuan Huong湖の周りだけではなく、いろんな場所に桜の木があるのを見ました。桜の木と言えば日本から持ち込んで植えたものだと思っていました。しかし、日本から持ち込んで植えた桜は2008年9月であると新聞記事には載っていました。ですからまだ7年ぐらいしか経っていないはずです。でも私がレストランで見た桜の木は7年どころではない大きさでした。とすると、あれはいつ、どこから持って来たのでしょうか」

そういう質問をL顧問にしました。彼とは二年前にカンボジアへ社員旅行に行った時にも同行していろんなことを教えてくれました。まだ若いながら、大変な博識です。彼が言うには「そうなんですよ。ダ ラットにもともと桜の木は自生していたのですよ!」と答えたのでした。

後日、新年明けてからのことになりますが、私は浅野さんと一緒に、日本から来た知人に会いましたので、いい機会だと思い、浅野さんにそのことを聞きました。すると、浅野さんの奥さんの実家はダ ラット市内にあるのですが、その敷地内には大きな「桜の木」があるというのです。さらにそれはフランス統治時代からあったというのでした。それで、いろいろ調べると、約十年前のベトナムの代表的な新聞「Tuoi Tre」に以下のような記事があるのを知りました。これは見落としていました。

<ダラットで樹齢100年を超える桜が発見される>    (2004/10/25)

Da Lat市中心部から30km離れたXuan Truong村Phat Chi集落で先月、樹齢およそ100年と見られる桜の木が発見されたが、Da Lat都市建設管理会社は先ごろ、さらに古い2本の木を発見した。

1本は直径0.8m、高さ12mで、Tran Hung Dao通りにあるヴィラの庭に、もう1本は幹の直径が約1mで、形も美しく保たれており、Le Lai通りにあるヴィラの庭に生えている。同社はこれらの木をNgoc Lanホテル前に植え替え、一般に公開する予定だ。

HOTNAM ■ 

いずれにしても、「桜の木は日本にしかない」と思い込んでいたものが、今回のダ ラット訪問であっけなく崩れました。しかし、あの美しい桜が日本だけではなく、実はベトナムにもあったのだということが“事実”だとすれば、それもまた“嬉しい事実”だと思います。この日はいろんなことを考え、学びました。そしてホテルに着いてすぐに寝付きました。

●ダ ラットの旅・三日目 ●

ダ ラットの旅・三日目の朝8時に、ダ ラット駅に到着。駅構内に入ると蒸気機関車がありました。みんな珍しがって、写真を撮っていました。これは観光用に置いてあるだけで、実際には動いていないということでした。

我々はダ ラット駅から出る電車に乗って行きました。私たちのグループは電車の中ほどの車両に乗りました。しかし、そこからだと窓の片方の景色しか見えないので、同僚のS先生とHS先生と私は最後尾の車両に立って景色を眺めていました。車掌が切符のチェックに来ましたが、私たちのガイドがすぐに来て説明してくれたので、問題はありませんでした。

20分ほど乗って、電車がとある駅に到着。そこから歩いて行きます。どこに行くのか、我々には分かりません。歩くこと10分もしないうちに、奇抜なデザインの、大きなお寺に着きました。日光の東照宮を超える絢爛さです。名前は「LINH  PHUOC(リン フック)寺」。漢字を当てると、「LINH=霊」「PHUOC=福」と言う意味です。

そのお寺の中には金色に光る仏像がドーンと鎮座していました。多くの人たちがお参りしていました。私もせっかく来たので、お参りしました。ケバケバしい寺院群を見るのにも飽きて、少し歩いていると、「地獄18ヶ所巡り」という看板が出ていたので、そこを見学に行くことに。

「地獄」だけに、地下二階まで歩いて行きます。閻魔大王がいたり、いろんな地獄絵図がありましたが、ぜんぜん怖くありません。日本のお化け屋敷のほうがまだ怖い。「キャーッ!」と驚くような場面や音声も無かったので、拍子抜けしました。

しかし、この「地獄」へ行く途中の地下一階に据えてあった一枚板の大きさには驚きました。直径が大人の身長ほどもある、一本の大きな木を切り倒して、一枚の板に加工してありますが、一体樹齢何百年が経っているのだろうかと思うような巨大さです。かつて、この地方の山に、このような巨大な木が立っていたのでしょう。

「LINH  PHUOC寺」を出て次に「MAI ANH(マイアン)教会」へ。この教会は1930年に建てられた教会だということで、「この教会は何が有名なの?」とガイドさんに聞くと、「大きいので有名だ」と。L顧問が説明してくれた話では、「南ベトナムの元首相・Nguyen   Cao Ky(グエン カオ キー)の奥さんは、この中にあった女学校で学んだ」とのこと。それだけです。

そしてそこを出て昼食へ。この日のお昼ご飯の前にお土産屋さんへ立ち寄りましたが、みなさん大量に買うこと・買うこと。私はまた帰りにBao Locに立ち寄るので、そこでお土産を買うつもりで、ここでは買いませんでした。「荷物になって大変じゃないか」と呆れて聞くと、「どうせバスに乗せるし、ここのほうが安い」という話でした。

お昼ごはんは二日目と同じく、また「Mai La」へ。昼食時間を利用して、近くを歩いていると、またまたありました、「桜並木」が!ここの並木は最初の日にホテルの前で見た「桜並木」よりもはるかに元気がよく、大きく、高く育っていました。後十年も経てば、さぞ見事な「桜並木」が出来ていて、花見も出来るのではと思いました。

そして、また一旦休憩のためにホテルへ戻り、午後は有名な「Lang Biang(ラン ビアン)山」を訪問。「Lang Biang山」は2167mあるそうですが、実際に現地に着いて「あれがLang Biang山だ」と言われても、そんなに高い山という感じがしません。
それを言うと、「すでに今立っているところが、海抜1500mを超えているのだから」というガイドさんの答え。それを聞いて納得しました。バスを全員降りてから、七人乗りのジープに乗って行きます。途中の景色は道路の両側に松林が生えています。歩いている人もいました。ジープに乗って15分で頂上に到着。

頂上は大変眺めが良くて、素晴らしい景色が眼下に広がっています。天気もいいので、ずいぶん先のほうまで見ることが出来ました。みんな記念撮影に余念がありません。私はここで同僚の女性の先生から「Lang Biang山」にまつわる<悲恋の物語>を聞きました。

「Langは女の子の名前。Biangは男の子の名前。昔この山には種族の違う部落が二つあり、その二つの種族はふだんから仲が良くなかったのです。LangもBiangもその二つの違う種族に生まれました。LangとBiangは出会ってすぐに恋に落ち、愛し合うようになりました。しかし、二人が結婚したいと思っても、それは許されず、LangとBiangはこの山の奥深くへ駆け落ちしました。厳しい寒さの中で、ついに二人は亡くなりました。その後、二つの部落は仲直りをし、部族を一つに統合することを決めました。それが今のKHO族です。それからこの山がLangBiang山と呼ばれるようになりました」

そういう<悲話>を彼女は<実話>のように話してくれましたが、実際にその山に登って、「Lang Biang山」の伝説を聞きますと、(本当の話かもしれない)と感じてくるから不思議です。この山の頂上にはその二人の石像もありました。「Lang Biang山」の見学を終えてまたジープで下ると、上った時の半分の時間で着きました。

そのまま夕食会場のレストランへバスで乗り付けました。しかし、そのレストランは一日目と同じレストラン。私は風邪気味の状態がまだ続いていたので、しばらく外を散歩することに。実は一日目にバスでホテルへ帰る時に「屋台」と書いてある提灯のようなものをチラッと見かけたからでした。(あれはもしや、路上の日本料理の屋台ではないか)と想像しました。

それでブラブラ歩いて行くと、果たして「屋台」がありました。提灯には店名として「屋台」という漢字と「YATAI」とローマ字で書いてありました。まさしく「屋台」の日本料理屋でした。このダ ラットにもサイゴンにある「SUSHI KO」のような、日本料理屋が存在していたのです。歩道上の席にはお客さんがたくさんいて、空いている席はカウンターしかありません。私はそこに座りました。

メニューを見ますと、焼き鳥があり、コロッケがあり、たこ焼きがあり、ラーメンまでありました。刺身はありませんでしたが、巻き寿司はありました。しかも、すべてが一品で15,000ドン(約80円)でした。ビールはありませんでした。冷たいお茶もなく、熱いお茶が出てきました。

私はコロッケと焼き鳥とたこ焼きを頼みました。食べてみましたが、15,000ドンにしては上出来です。小さい黒板には日本語で「今日のおすすめのメニュー」と書いてありましたので、そこにいたおじさんに「この日本語は誰が書いたの」と聞きますと、屋台の中の厨房にいる若い女性を指さして「彼女が書いた」と答えました。

それで、その彼女に「あなたは日本語が出来ますか」と聞きますと、「はい、日本の愛知県で実習生として三年間働いていました」と日本語で答えてくれたではありませんか。「この店はいつ開いたのですか」とさらに聞きますと「三ヶ月前に開いたばかりです」と言う返事でした。私も嬉しくなりました。

ここに来ている人は若い人たちが多かったです。たまたま私の右側に座った若者二人に質問しますと、「ダ ラットの大学で日本語を二年間勉強しています。この店にはよく来ます」と笑いながら言いました。そこを出る時「美味しかったですよ。頑張ってくださいね!」と言いますと、彼女もそこのスタッフの人たちもニコッと笑ってくれました。ダ ラット最後の夜にいい思い出が出来ました。

●ダ ラット ⇒ サイゴンへ ●

朝8時にホテルを出発。久しぶりに訪れた美しい街・ダ ラットともお別れです。15年前にダ ラットに行った時には、あまり意識してダ ラットの美しさに関心を払いませんでしたが、今回の旅でダ ラットという街の魅力に眼を開かれました。

私には昨年日本に帰った時に訪問した「奈良」と重なってきました。ダ ラットと奈良はその歴史も、風土も、気候も違いますが、どちらも街や通りや街路樹や森全体に人間の手で創り上げた自然との調和や、落ち着いた美しさがありました。

バスの中で今回の旅を反芻しながら、(収穫の多い旅だったな)と感じました。何よりも、日本から寄贈して植えた「Xuan Huong湖」の周りだけでなく、ダ ラットの到る所にあった「桜の木」を直接見たこと。ダ ラットには「桜の木」がもともと存在していたのだという事実を再認識しました。

そしてダ ラットの旅の最後に、「屋台」の日本料理屋さんにたまたま出会ったこと。思い出が深い旅になりました。バスは夕方4時半過ぎにサイゴンの12区に到着。そこでみんな解散しました。私は翌日に嬉しい再会が待っていました。

十数年ぶりに出会ったBao Locの人 ●

「ダ ラットへの旅」を終えた翌日に、約束通りBao Locの人・Loan(ロアン)さんと「SUSHI KO」で再会することが出来ました。実に十数年ぶりの再会でした。彼女は昔の面影のままでした。お互いに十数年ぶりに会ったのですが、すぐに分かりました。

彼女は現在サイゴンに住んでいます。そして、「今の仕事は?」と聞きますと、何と「日本語の先生をしています」と答えてくれたではありませんか。ここで再会するまでその事を聞いていませんでしたので、それを聞いて感無量になりました。

「ご両親はお元気ですか」と尋ねますと「はい、元気ですよ。今日十数年ぶりに二人で会うことを話したら、両親も感動していました。昔私の家に訪ねてきてくれた時のことを両親もよく覚えていましたよ」と言ってくれました。

彼女の印象が昔とあまり変わらないので、私自身が十数年前に戻ったような気持ちがしてきて、昔の思い出(大学でのこと、Bao Locでのこと)が甦ってきました。今回たまたま社員旅行でBao Loc市を通ることから、彼女の存在を思い出し、結果として2015年の終わりに再会出来たわけですが、実にラッキーでした。

振り返れば、2015年は様々な出会いや偶然の出会いが多かったです。日本に帰国した時に、奈良で<岡潔先生の教え子>の「中井さん」に出会ったこと。電車の中や神戸駅で「教え子」に出会ったこと。故郷の玉名で「ラッセル先生」に再会したこと。

そして、2015年が暮れようとする時にLoan(ロアン)さんに再会出来たこと。偶然というには不思議な偶然の出会いや再会が多い一年でした。「偶然の女神に感謝!」です。

※春さんは1997年春よりホーチミンに駐在しています。今ではすっかり現地の人となって、見分けもつかなくなっています。春さんに質問や相談があればメールをお送りください。




「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ テトの新春花祭り開催、市内131か所で花市も

ホーチミン市1区のタオダン公園(Cong vien Tao Dan)と3区の国際広場(Cong truong Quoc te)で2月3日(水)から14日(日)までの12日間、2016年のテト(旧正月)を祝う市内最大規模の新春花祭りが開催される。入場料は2万VND(約106円)、12歳未満は無料。

今回の花祭りのテーマは「ホーチミン市〜平和・繁栄・発展」。国内外の数百種類の花や花を用いたオブジェのほか、観賞魚や観賞用植物などが展示される。

花祭りでは、国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産に登録されている南部の民族音楽「ドンカータイトゥー(Don ca tai tu)」の演奏や子供向けゲーム、書道展、サーカスやマジックのパフォーマンスなど、様々なイベントが予定されている。

また、2月1日(月)から7日(日)まで、例年通り市内各地で花市が催される。市が開く大規模な花市は、◇9月23日公園(1区)、◇ザーディン公園(ゴーバップ区)、◇レバンタム公園(1区)の3か所。このほか、市内21の区・郡内128か所でも花市が開催される。

◆ 解説 ◆

今年のテト2月8日(月)になります。すでに街中には、昨年12月の末頃から恒例の「テトがやって来た!」の音楽が流れ始めています。クリスマス頃から、街中のメイン・ストリートにきらびやかなイルミネーションが飾られて、太陽暦の正月を過ぎてもそのまま飾り続け、テトの旧正月までそれは続きます。

私がベトナムに来た頃のテトはベトナム人経営の食堂は従業員がほとんど田舎に帰ってしまうために、「テト休みの間は店もお休み」のパターンが多かったのです。それで、テト休みの間もたまたま開いていた「ヤギ鍋屋」などで、浅野さんと一緒に毎日「ヤギ鍋」をつついていた思い出があります。

しかし、最近はテト休みの間も開いている店が多く、全然食事には困らなくなりました。あの「SUSHI KO」もテト休みの間もずっと開いています。おそらく、テトの間も多くの外国人や日本人が押し寄せることでしょう。

そして、サイゴンでのテトの楽しみは何と言ってもこの「花市」です。「花市」で家族と一緒に花を見ると嬉しくなり、「花市」で花を買って帰ると、どういうわけか心がウキウキしてきますね。

以前は蘭の花などを買っていましたが、肥料や水遣りが下手なせいか、翌年も同じような花は咲かせてくれません。「花市」できれいに咲いている花を、翌年も同じように咲かせるのは難しいですね。しかし、やはりプロは違います。テトの時期に合わせてきれいな花を咲かせるように調節しているのです。

それで今年も「花市」には出かけるつもりですが、手間の要らない「ブーゲンビリア」の小さいのを買うつもりです。南国の強い太陽の下でもあまり水をやらなくても、手を掛けなくても、また来年もきれいな花を咲かせてくれますから。



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