アオザイ通信
【2012年10月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

日本人が設計した学校

9月下旬、日本から建築家の友人・ TS さんがベトナムに来ました。 TS さんとは三年前にこのサイゴンで知り合いました。まだ三十代半ばの若さです。 TS さんといろいろ話していますと、彼は大変な博識でもあります。

彼の家は神戸の近くにあるということもあり、私が日本に帰国した時には、いつも神戸で夕食を共にしています。今年はベトナムに戻る前にも、神戸で会いました。 TS さんを紹介して頂いたのは、 2011 年 3 月までサイゴンにおられた SB さんです。

SB さんは Binh Duong( ビン ユーン ) 省 にある、有名な喫茶店 Gio va Nuoc( ゾー バー ヌック : 風と水 ) で、経理の仕事を中心に働かれていました。 TS さんはその Gio va Nuoc の喫茶店の建物の作り方にも興味を抱き、たまたま歌のイベントがそこで開かれると SB さんから聞き、ローカルバスで見物に行ったと話していました。

Gio va Nuoc の喫茶店を設計したのは、ベトナムの若き異能の建築家・ Vo Trong Nghia( ボー チョン ギア ) です。私も SB さんに招かれて、一度だけその喫茶店を訪問したことがあります。

やはり、異才・ Vo Trong Nghia 氏が設計しただけあって、日本でもベトナムでも、今までに見たことのない卓抜な設計の喫茶店でした。高い天井と、広い空間を意図して設計されたその喫茶店は、竹の素材を基調に造られていました。

じっと座っていますと、私たち日本人にはこころが静まります。また密集した住宅街の中にあるわけでもなく、隣には竹林が迫り、その中を吹きぬけて来る風も涼しく、気分が爽やかになって来ました。ベトナム人の若者たちにも人気があるというのも肯けます。

「設計の仕事」という共通点がある TS さんにとって、 Vo Trong Nghia 氏が設計したその喫茶店は、「設計の仕事」の視点から見た時にも、大いに興味をそそる建物だったようでした。建築家という職業は、あらゆる観光地に足を運んでも、その場所にある「建物」にまず一番の関心が向くと言います。

TS さんはベトナム到着後数日して 「カンボジア」 に旅行に行きましたが、 <アンコール・ワット> の雄大かつ壮麗な寺院の遺跡を見て、

(どういう設計図を基に、どのような構想でこのような建物を建てたのか?)

に、最初に関心を抱いたと言います。そのような話を聞きますと、やはり普通の観光客の視点とはずいぶん違うなーと思いますね。

そして TS さんがそのカンボジアにいる時に、「サイゴンに戻ったら、学校の建物を見学に行きたいと思いますが・・・」という連絡が来ました。それを聞いた私は、 ( 学校?学校などどこにでもあるし、このベトナムに特に変わった設計の学校などありませんよ・・・ ) と答えようとしたら、 TS さんは続けて次のように話されたのでした。

「実はその学校は、親友の二人の日本人が設計した学校なのです。」

その親友の「二人の日本人」の名前を聞いて驚きました。そのお二人も、 SB さんを通して二年ほど前にベンタン屋台村で紹介して頂いた方たちなのでした。 NS さんと SD さんと言います。これからベトナムで、建築の仕事を手がけようとしておられました。初対面でお会いした時の印象は、お二人とも 「非常に礼儀正しい人だなー」 という印象を持ちました。

その時は、お二人ともまだ三十代初期でしたが、この時同席していた、あのベトナム戦争当時に Cai Be( カイ ベー ) でバナナを植えていた Y さんも後に、「うん、彼ら二人は言葉遣いといい、態度といい、大変謙虚ですね〜。」と感心されていました。しかしお二人は、それから建築の仕事が忙しくなって来たようで、なかなか会うことが出来ませんでした。

そして TS さんはそのお二人と、東京大学の大学院時代に一緒だったというのです。ですから大学院時代からの長い付き合いがあるのでした。さらには、そのお二人をベトナムに引き寄せたのが、 Vo Trong Nghia 氏なのでした。やはり専攻分野を同じくする人たちというのは、いろんな会合やセミナーで繋がっているようです。(そしてお二人は、世界の建築学界の賞を取られたということも、後で TS さんから聞きました。)

そういう話を TS さんから聞いていまして、(あのお二人が設計した学校であれば、ベトナムに普通にある学校の設計とは恐らくずいぶん違うだろな〜)と想像しました。それで、(よし、私も一緒に見に行ってみよう!)と思い、 TS さんにその希望を申し出ましたら、「ええ、良いですよ。一緒に行きましょうよ!」と快諾されました。

当日は朝の9時過ぎに、タクシーで行くことにしました。行き先は、 Gio va Nuoc がある場所と同じく Binh Duong( ビン ユーン ) 省です。途中の道までは、私もタクシーの運転手も分かります。しかしその学校の近くに到着した所で、事前に NZ さんから頂いた地図と、住所を頼りに探しましたが、なかなかすぐには分かりませんでした。

タクシーの運転手も、車から降りて地元の人に何人か聞いて回りますが、こういう田舎の番地の表し方は、サイゴン市内にあるように、各自の家や商店の前に番地が書いてあるのが少なかったですね。それで、その番地を見つけるのに苦労しました。(そういう点では、サイゴン市内の番地の表記方法は実に便利に出来ているな〜)と、あらためて思いました。

サイゴン市内で、自分が行くべき目的地を目指す時には、サイゴン以外の遠くから来た人でも、まずは 【通りの名前】 を探します。サイゴン市内の道路は、車が通るような道幅の道路であれば、そのほとんどの通りに、 <歴史上のベトナム人の名前> が付いています。そして、その人物名の【 通りの名前】の道路に入ったら、次は 【番地】 を見ます。

目指す家の番地が {奇数か} {偶数か} で道路の右側か左側に分かれます。もし目指す家が偶数の番地なら、道路のどちらか片方は全部偶数番号だけになっていて、その偶数がずーっと続いているので、その道路側だけを見ていれば良く、やがて直ぐにたどり着きます。こういう街の造りであれば、確かに <カーナビ> は不要でしょう。

しかしこの郊外は、サイゴンのように隣り合わせに家が続いて建っていない通りもあり、番地が切れている場所もありました。サイゴンでは、商店の看板の下には必ず通りの名前と番地が書いてありますが、ここではそういう看板自体も少なく、今何番地にいるのかが分かりにくいので、運転手さんも困り果てていました。彼は主にサイゴンで働いていますので、こういう郊外までの道を知っているわけではありません。それで、私が直接 NS さんに電話しました。

「今学校がある通りの名前の近辺までは来ましたが、番地を見ても、地図に書いてあるような横道に入る道路の場所が分かりません。地図に書いてある運動場の近くまでは来ているようなのですが・・・」と言いますと、 NS さんが、「その近くの道路上で、電線の高さくらいの場所の通りの入り口に、学校の場所名が入った横長の大きな看板があるはずですが。」と言われるのでした。

「大きな看板ですか・・?」と、タクシーの中から携帯で答えながらも、外を見たのですが、それらしき看板は見えません。それで、私一人がタクシーから降りました。そしてふと、上のほうを見ましたら、何と真上にその看板が大きく掲げてあったのでした。 〔 Phan Chu Trinh( ファン チュー チン ) 学校〕 と書いてありました。

私たちは看板の真下にタクシーを停めていたわけでした。「有りました!」と、 NS さんに連絡しました。この時 10 時半を少し過ぎた頃でした。やっと学校の場所が分かり、 TS さんもホッとしていました。しかしそこは車一台がやっと通れるほどの道幅しかありません。そして道の両側には、濁った雨水が溜まっています。

舗装もされていない、水が溜まって深く窪んだ細い道をタクシーはゆっくりと進んで行きます。 ( こんな道の先に、果たしてその学校があるのだろうか・・・? ) と、 TS さんと私は顔を見合わせて、不安になりましたが、やがて白い、大きな、鉄柵の門が見えてきました。

私たちが車から降りて、門番に来意を告げる必要もなく、その鉄柵の門がスルスルと横に開きました。我々がこの時間頃に学校に到着することは、事前に NS さんから連絡が来ていたので、学校側も我々の到着を待っていてくれたのでしょう。

その門を抜けて、タクシーから降りて、あらためてその学校の敷地の広さと、白で統一された建物の大きさと美しさに目を見張りました。広い土地が豊かな田舎だからということもあるのでしょうが、このように開放的かつ、素晴らしく見事な校舎の建て方を、ベトナムで初めて見ました。まだこの時には授業中だったようで、生徒さんたちは教室の中にいるらしく、誰も外には出て来ていません。

中庭に据えてあるテーブルに、先生らしき人が男女二人おられましたので、私たちが挨拶をしますと、向こうも挨拶を返されました。 NS さんから事前に紹介されていた人に会いたい旨を告げますと、女性の方が事務所のほうに行かれました。私たち二人は、そこに立って校舎をじーっと眺めていました。

校舎の建物は五階建てで、その屋根の先はカーブを描くような設計になっていました。建物が白いだけに、まるで白鷺が空に飛び立つようなイメージを連想しました。そのような着想で設計されたのかは聞いていませんが・・・。

そしてこの校舎の真ん中に、真っ青な色をしたプールが作られていました。そのプールは満々と水を湛えていました。そのプールは、校舎のどの位置から見ても、休憩時間に廊下でくつろぐであろう生徒さんたち全員の眼下に入るように設計されているのが良く分かりました。

日本の学校でのプールは、私が通っていた小・中・高では、校舎とは少し離れた場所に造ってあったような記憶があります。そうでないと、校庭が様々な行事などに活用出来なくなるからでしょうが、この学校は校舎の中庭に当たる部分にそれが配置してありました。

そして私たち二人で話していましたら、一人の中年の女性が現れて来ました。校長先生ではなく、この学校の経営者でした。名前を Bich( ビッキ ) さん といいます。「 NS さんの紹介で、今日この学校を訪問させて頂きました。」と言いますと、「分かっています。分かっていますよ。」という表情で、笑顔で迎えて頂きました。彼女から、この学校の概略について説明をしてもらいました。

「この学校の敷地面積は、 5 千平方メートル以上はあります。この学校は私立の学校で、小・中一貫の教育をしています。この校舎は、 2010 年の 8 月に完成しました。 5 階建てです。設計して頂いたのは、あなた方の友人の日本人の、 NS さんと SD さんです。今は生徒数が 160 人ですが、将来は 900 名の生徒たちをこの学校で教育させたい。

今ここには、小学生と中学生が学んでいます。生徒たちは、毎朝7時から夕方の 4 時まで、毎日 8 教科を学んでいます。授業料は、小学生 ( 小 1 〜小 5) が毎月 150 万ドン ( 約 5,700 円 ) 。中学生 ( 中 1 から中 4) が毎月 390 万ドン ( 約 14,700 円 ) です。」

私自身は、ベトナムで私立の学校にして、小・中一貫教育の学校を訪問したのは初めてでした。そしてその授業料の高さにも驚きました。裕福な家庭の子どもでなければとても通学出来ないでしょう。しかし、今後ベトナムにもそのような裕福な層が着実に増えてゆくことを見越して、「将来は 900 名の生徒たちを・・・」と言われたのだろうかと思いました。

「構内や教室内を自由に回って下さって結構ですよ。」という、 Bich さんの厚意に甘えて、私たちは校舎の中を見学させてもらうことにしました。一階の教室内には、パソコンが十数台設置してある部屋がありました。 Bich さんの話では、ある日本の企業が全て寄贈してくれたとのことでした。

ちょうどこの頃、小学生たちは朝の時間帯の授業が終わったようで、校庭に出て行き、給食を摂るために食堂のほうに向かって来ました。私たち二人の顔を見ると、立ち止まり、腕組みをするように手を両手に添えて、元気な声で「先生!こんにちは。」と挨拶してくれました。外部から来た人には、みんなに「先生!」という挨拶をしているのでしょうが、こういう挨拶はベトナムの学校では、生徒たちが自然に、当たり前のようにしてくれます。

彼ら生徒たちと一緒に、給食室の中まで付いて行くことにしました。給食室に入る前にふと見ますと、食事の前に手を洗うための、洗面所がありました。 ( やはり、日本人の手による設計らしい、緻密な気配りがあるな〜 ) と感じたことでした。

中に入ると、早く来た生徒から列を作り、みんな順番を守って、自分の給食をもらうまで静かに待っています。ベトナムで良くある 【割り込み】 をするような生徒たちはいません。 ( やれば出来るのだな〜 ) と思いました。外部の人がいない、学校の中だからという環境にもよるのでしょうか。

その食べているオカズ類や品数は、今私が教えている研修生たちの食べているものと遜色ないものでした。もっとも、研修生たちは二十代の盛りですので、白ご飯を山盛りについで食べています。

でもここの小学生たちはまだ体も小さいので、ご飯は普通の量で、みんな賑やかに楽しく食べていました。私たちにも、先生から「一緒に食べていきませんか」と誘われましたが、その厚意にはお礼を言いつつ、生徒さんたちと食べることは遠慮しました。

そして二階に上がりますと、まだ中学生の授業中でした。女性の先生が英語の授業をされていました。授業中にお邪魔しては悪いので、中には入りませんでした。廊下側から見学しました。みんな静かに授業に集中していました。教室には、約 30 名の生徒たちがいました。また教室の後ろには、昼寝用のゴザと枕が積んでありました。

二人でずっと見学していましたら、ある教室は授業としては使われず、生徒のカバンや私物が置いてあり、そして洗濯物が干してある部屋になっているのを見ました。 ( ここで寝泊りしているのだろうか・・・ ) という感じでした。想像するに、この学校には遠くから来ている生徒たちもいて、学校の部屋を借りて、寮代わりにしてここで寝起きしているのでしょう。

TS さんとじっくりと校舎内を一階から五階まで、そして屋上までも見て回りました。 TS さんはやはり設計の観点から、この学校を観察されていました。この校舎には、廊下側に格子状の長い、白いコンクリートが縦に装飾されていますが、外から見ると非常に洒落た外観をしています。

TS さんが言うには、「あの格子状のコンクリートは外観の美しさだけではなく、直射日光や夕陽の射し込みも防いでいるように考えられていますね。後、窓からの転落防止の目的があります。」ということでした。やはり同業だけあって、その分野には大変詳しいですね。私はただ、「外から見た時の美しさを意識しているのかな。」と思っただけでした。しかしこういう美しい学校で勉強出来る生徒さんたちは、実に幸運というべきです。

そして昼食後は、全学年が 《お昼寝タイム》 に」なりましたので、あまり教室の中に入って邪魔をしないようにしました。生徒さんたちは、教室の中にゴザを敷き、枕を置いて、体の上には薄い毛布を一枚かけてすぐ眠る体勢に入りましたので、私たちも Bich さんに別れの挨拶をして、その学校を去ることにしました。

そして数日後に、 NS さんと SD さんにお会いしました。私が「あそこで学んでいる生徒たちは、自分たちの学校が 〔日本人が設計した学校〕 だと知っているのでしょうか。」と、 NS さんに聞きました。

すると NS さんは、「ええ、知っていますよ。学校の開校式には ベトナムの副首相 も来てくれて、そこで私たちが 〔 Phan Chu Trinh(ファン チュー チン)学校〕の設計者として紹介されましたので。」と答えられたのでした。

私たちの知り合いでもある〔日本人が設計した学校〕で、これからも毎日ベトナムの生徒さんたちが勉強してくれているのかと思うと、同じ日本人として大変嬉しい限りです。

※春さんは1997年春よりホーチミンに駐在しています。今ではすっかり現地の人となって、見分けもつかなくなっています。春さんに質問や相談があればメールをお送りください。
info@te-campus.com ※件名を「春さんに質問!」にしてくださいね。 尚、パソコンからのメールを受信できない設定にしていると、春さんからの返信が届きませんのでご注意ください。




「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

ハス売り十年、ひらめきが生業に

ホーチミン市 Cach Mang Thang Tam (カック・マン・タ-ン・タ-ム)通りと Nguyen Dinh Chieu (グエン・ディン・チウ)通りの交差点で、ハスを切りそろえ、人々の目にとまるように並べる女性がいた。

昼の最中、花がしおれぬようマメに水をかけるが、その人は陽射しに立ち尽くす。立ち寄る人があると、それが道を尋ねるだけでもにこやかに応じる。この朗らかな人柄もあってか、十年以上ここでハスを売る彼女のもとには、なじみの客がよく訪れる。

「ハス売りが職業だなんて、誰も言いませんけどね。私だって、そうですよ。でも苦しい時にふとした思い付きが、家族の重荷を減らす助けになったのです」。 Nguyen Thi Lan (グエン・ティー・ラーン)さんは、この仕事をするようになった縁をこう語る。

Tien Giang (ティエン ザーン)省からホーチミン市に出てきて縫製工をしていた彼女は、1999年に結婚。夫婦はお金を集めて、 Thu Duc(トゥー ドゥック) 区の両親からもらった土地に、小さな家を建てた。はじめ暮らしは安定していたが、子供が生まれると、彼女の工員としての給料と、夫の不安定な収入では、家族を養ってゆけなかった。

仕事を辞めることになったのだが、あるとき家の近くの蓮池を通りかかると、美しい花が咲いていた。「これを売ったらどうかしら?」彼女はハスを買い、市場で売ることにした。思いがけず花は飛ぶように売れ、それから彼女はこの仕事を続け、もう十年以上になる。

ラーンさんによると、最近ではこの仕事をする人も増え、仕入れも以前のように簡単にはいかなくなった。花を確保するには、かなり早起きしなければならない。蓮池での花 1本の売値は2,500ドン。それを10〜11本の束にして、1束4万ドン(約2ドル)で売る。毎日20束以上売れるという。この安定 した収入のおかげで、2人の子供を学校にやっている。

「以前は生活も苦しかったので、花のことなんて何も考えていませんでしたが、十年もつきあっていると愛情が出てくるものですよ。家にはいつもハスが活けてあります。下の息子はまだ 8歳ですが、ハスがとても好きで、いつも一緒に売りに行きたいって言うものですから、日曜には連れてきています」。

<ベトナムガイド .com より

◆  解説 ◆  

5 年以上も前から、私が朝いつもバイクで走る通りに、 「ハスの花」 を売るバイクが同じ場所に停まっていました。その「ハスの花」の広げ方の見事さ、「ハスの花」の色の美しさに、バイクで通過しながら、いつも ( 何とキレイなのだろう〜! ) と、感心しながら見ていました。

無数のバイクが通り過ぎる道路の右側に、「ハスの花」がバイクに乗せて置いてあるのですが、そこの一ヶ所だけがバイクの騒音から切り離されたようにポツンと印象的に浮かび上がり、静かな空間があり、その鮮やかな「ハスの花」の美しさが眼に焼きついていました。私はそれを横に見ながら、バイクでただ通り過ぎて行くだけでした。

ですから、その「ハスの花」売りさんのことについては、ただバイクで通過するだけで、バイクから降りて話をすることもなく、何も知らぬままでした。しかし、この<ベトナムガイド .com >の記事を読んで、感動しました。十年もあの場所で、「ハスの花」を売っているということを初めて知りました。

それでこの記事を読んですぐに、仕事に行く途中で「ハスの花」の前にバイクを停めて、「あの新聞記事を読みましたよ!」と言いますと、彼女は笑っていました。 花を売ってくれた女性の名前は、新聞記事に載っていた、その人でした。今年 37歳だということでした。 ということは、 27歳から「ハスの花」をそこで売って来たということです。

写真も撮らせてもらいました。彼女はニコニコとして写真に収まってくれました。この時は、私は仕事に行く途中でしたので、「ハスの花」は買いませんでした。朝買ってそのまま仕事をしに行き、仕事が終わってからそれを持ち帰る頃には、おそらく萎れているだろうと考えました。そして彼女も、この「ハスの花」は朝だけしか売っていないのでした。

しかしその数日後、その 「ハスの花売り」の店にまた行きました。そして『ハスの花』を買いました。 10本が一束になっていて、値段は4万ドン(約150円)でした。これも新聞記事の通りでした。信じられないくらい安いというべきでしょう。

不思議なのですが、花を買う時の気持ちというのは、どういうわけかその日一日中が、その花を見ているだけで、「Happy!」な気分になりますね。買った時には、ハスの花に水がかけてありました。これも、新聞記事の通りでした。間近で良く見ると、実に美しい色をしていました。

しかし泥の中から、このように美しい花が現れて出て来るというのは、実に 《自然の神秘》 としか言いようがありません。しかもその根は [レンコン]として食用になり、ベトナムではハスの実もお菓子代わりに普通に食べられています。

ベトナム人の同僚に聞きましたら、今はまだツボミの状態なので、3〜4日後には花が開くそうです。この翌日がベトナム人の同僚の先生の誕生日だったので、このハスの花をプレゼントしました。あまりにキレイだったので、「ハスの花」が誕生日のプレゼントとしていいのか、どうかまでは考えませんでした。でも、その先生は喜んで受け取ってくれました。

それで、その「ハスの花」が開いた瞬間は残念ながら見られませんでしたが・・・。

 



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