アオザイ通信
【2012年9月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<カンザーで日・越友好のマングローブ植林>

毎年恒例の 『ベトナムマングローブ子ども親善大使』 が 8月末にベトナムに来ました。今年は6名の小・中学生が日本からやって来ました。

『ベトナムマングローブ子ども親善大使』は、今年で 12回目になります。そして例年と同じく、彼ら「親善大使」たちは、今回のベトナム訪問の中で、 「村山日本語学校の生徒さんたちとの交流会」「青空ベトナム語特訓教室」「ホーチミン市内観光」「ホームステイ体験」「ホーチミン市友好協会訪問」「カンザーでのマングローブ植林」「 Saint Vinh Son 小学校との交流会」「クチ トンネル訪問」 などの一つ一つの行事すべてに積極的に参加し、実に充実した一週間を過ごしました。

さらに今年は、『ベトナムマングローブ子ども親善大使』の生徒さんたちが取り組んだ行事の中で、特筆すべきプログラムがありました。

『ベトナム人の小学生たちと一緒に、交流会&マングローブ植林活動』

です。

今までカンザーで実施して来た 11回にも及ぶ 「マングローブ植林」 は、全て日本人の小・中学生たちだけで行って来ました。それが今年初めて、ベトナム人の小学生たちと一緒に植林活動を行うプログラムが実現出来たのでした。

今まで森林保全局の中にある小学校で時々顔を合わせていたカンザーの小学生たちに、文具の進呈などを通しての「交流会」はありましたが、今回のような「植林活動」は初めての試みでした。

そもそもそこの小学校の生徒たちとは、彼らがたまたま学校の補修に来ている日には会えましたが、会えない時が多くありました。またたとえ会えたとしても時間が限られていて、「交流会」が終わるや否や、先生も生徒たちもすぐに昼ごはんを食べに家に帰るために、そういう話をじっくりと持ちかける時間自体が取れないのでした。

以前から「何とかベトナムの生徒さんたちと一緒に植林活動が出来ないだろうか・・・」と模索してはいました。しかし、我々がカンザーを訪問するその時期は、学校も夏休みに入っているので、なかなか連絡が取れませんでした。それでも、カンザーでのいろんな関係機関に働きかけて、徐々に具体化するメドがついて来ました。

実は、この企画はちょうど一年前から我々ティエラの合宿部門と打ち合わせを重ねて具体的な条件を煮詰め、それを 「森林保全局」 の副局長の Longさん に提案し、 Longさんがそれを受けて地元の小学校に掛け合い、そこの小学校の先生方と交渉してくれて、ようやく実現に近付きました。ですから今回のプログラムの実現に当たっては、Longさんの粘り強い尽力に負うところが非常に大きいのです。

ベトナムで日本側の交渉の窓口に立つ私は、条件面・経費面・運営面上の問題点を具体的に詰めてゆき、 「来年からの植林活動は、こういう形での植林活動にしたい!」 という提案を、昨年の夏にカンザーを訪問した時に、 Longさんにしようと考えました。

それで、我々が日本語で作成したその提案書を、昨年「ベトナムマングローブ子ども親善大使」の女子班のアテンドに参加してくれた Tu(トゥー)さん がベトナム語に翻訳してくれて、それを持ち込みました。

言葉だけですと、このベトナムでは何の記録も残らず、「話して別れたら、それで終わり」になりますので、詰めが甘く、弱くなります。それで慎重を期すために、詳しく相手に分かるように、相手側に渡す書類を Tuさんに翻訳してもらったのでした。Tuさんはカンザーに行く前日まで推敲を重ねて、ホテルにある備え付けのパソコンの前で、深夜遅くまで作業をしていました。Tuさんにも、今あらためて感謝しています。

その時我々が提案した内容は、次のようなものでした。

「 2012年度から、ベトナムの小学生たちと一緒に植林活動と交流会を行いたい。」

さらには、我々が考えるその 「プログラムの内容」 を、次のように Longさんには説明しました。

【ベトナムの小学 4 年生・ 5 年生の中で、毎年「成績良好な生徒」を 10 名ほど担任の先生に選んでもらい、その 10 名の生徒たちと一緒に植林をし、交流を行いたい。】

そして、参加してくれた 10 名の生徒さんたちには、「日本の文具などのプレゼントをしたい!」こと。 その生徒の選抜は全て、担任の先生にお願いしたい旨を伝えました。

カンザーの小学校側への提案趣旨の中で説明した、 <その目的とねらい> については、

@ ベトナムの生徒たちにも、カンザーの環境を守る意識を育ててゆきたい。

Aベトナムの生徒たちが、4年生になったら「成績優秀者 10 名」に選ばれることを目標に、毎日の勉強を頑張るようになってほしい。

Bそして、毎年の日本の生徒たちとの交流・対面をこころ待ちにしてくれる生徒が現れてくれば、彼らにとって励みにもなる。

C日本とベトナムの生徒たちが一緒に植林し、地球環境を考え、日々の暮らし中で緑を護る大切さを考えるようになって欲しい。このような交流会を毎年継続して行うことで、真の意味での「草の根交流」の輪を広げたい!

と、昨年ここを訪問した時に Longさんに説明したのでした。

すると、それを聞いた Longさんは、 「グッド アイディアです!」 と喜んで、即賛成してくれました。 Longさん側の反応は、大変好意的なものでした。彼が言うには、

「ホーチミン市内の学生たちは、いろんな外国の生徒たちとの交流もある。しかし、カンザーの小学生たちは、ホーチミン市の中でも田舎にあるので、外国の生徒たちとの交流会などは皆無に等しい。そのような申し出をカンザーの先生や生徒たちが知れば、大いに喜ぶことでしょう。」 と。

いずれにしても、日本の生徒たちが「マングローブ」を通してカンザーの生徒たちとの結びつきが強まるというのは、何とも理想的な光景に思えます。そしてそれは、カンザーに住んでいるベトナムの生徒たち自身にも、『環境を護る意識』を育ててくれるのでは・・・と期待が持てます。

「僕たちが一緒に植えたマングローブは、その後どんなふうに育ってる?」

と日本の生徒からのメッセージが、もしベトナムの生徒に届けば、ベトナムの生徒たちが自転車を漕いで行き、その成長を手紙や写真などで連絡してくれるかもしれません。

そしていよいよ、 8月20日に私たちはカンザーへ移動。ニャー・ベー・フェリー乗り場に着き、一路 『カンザー森林保全局』 へ。道中の景色はまた昨年とは変わっています。途中で、毎年恒例の 「橋の上での記念撮影」 。橋の上からは、目にも鮮やかなマングローブの森が見えます。ここで、 「カンザーのマングローブの森」 について、 「戦争証跡館」 で見た枯葉剤の写真や、カンザーについての歴史とマングローブについて簡単に説明。

そして、 10時40分に森林保全局に到着。責任者の Long(ロン)さん が我々の車が着くと同時に、外に出て来ました。この建物の名前は、正式には「環境教育センター」という名前。実は 10時頃に、Longさんから途中で私の携帯に、

「もうベトナムの小学生たちは先に着いて、待っているよ。」

というショート・メッセージが入りました。

(いよいよカンザーでの、小学生との交流会と植林が実現するのか・・・!)

と思うと、もうすぐしたらベトナムの小学生たちに会える期待に、胸がワクワクして来ました。

昨年我々が提案したその企画の実現に向けて、この一年間 Longさん自身が音頭を取って動いてくれました。そしてこの日、我々の期待通りにそれが実現しようとしています。日本から来た今年の 「ベトナムマングローブ子ども親善大使」 に参加した生徒さんたちは、カンザーでの、その初めてのイベントに参加出来た、実にラッキーな生徒さんたちでした。

「森林保全局」に我々が部屋に入りますと、その後にいよいよ待ち焦がれていた、期待のベトナム人の生徒さん 10人が入って来ました。日本の生徒たちはすぐ立ち上がって拍手。今年初めての、カンザーのベトナム人小学生の成績優秀者10名は、男の子1人、女の子9人でした。参加者全員が制服を着ていました。まだ可愛い盛りの年頃です。

そしてその後、日越の小・中学生が一同に会した部屋で、 Longさんがパワーポイントを使用して、カンザーの歴史やカンザーの特産物について説明。彼がベトナム語で話しているのを、今年の女子班のアテンドの Hien( ヒエン ) さん が日本語で説明。

Hien さんは今年大学四年生で、 【マングローブ植林行動計画】 の浅野さんが企画している 「南遊会・マングローブ植林」 のイベントに昨年参加して、カンザーで日本の大学生たちと一緒に植林した体験があります。ですから、すでに日・越の大学生同士では、すでに先行して浅野さんが実施しているのでした。私たちは今、その小学生版をやろうとしているのです。

HienさんはLongさんが話しているマングローブの説明や専門用語は、今回見るのも、聞くのも初めてなので、良く理解出来ないところは私が補足説明しました。ベトナム人の小学生たちも、この建物の中に招じ入れられて、このような話を聴くのはおそらく初めてだったことでしょう。緊張しながら、真剣な表情で聴いていました。

それが終わり、日本とベトナムの生徒さんたちが、お互いの自己紹介をしました。日本の生徒たちは、ローマ字書きしてある名札の面を、ベトナム人の生徒たちみんなに見えるようにさせて、自分の名前と、カンザーでの目標を簡単に紹介しました。

ベトナム人の生徒たちには、紙に生徒たちの <ベトナム名> を担任の先生に書いてもらい、私が <カタカナ名> を日本語で書いて生徒に手に持ってもらい、彼らベトナム人の生徒たちがベトナム語で話したのを、 Hienさんが日本語に通訳しました。

そしてさらに続けて、ベトナム人の生徒による歌の披露。全員が実に元気に、明るく、大きな声で歌ってくれます。代わって、日本人生徒による共通の歌をまた披露。ここでは日本の国歌 君が代を披露。

♪ 君がぁ〜代は〜 千代にぃぃ〜 八千代にぃぃ〜 ♪

ベトナム人の生徒さんたちは神妙な表情で聴いています。わたしが、「これは日本の国歌ですよ。」と説明しますと、先生が「それではこちらもベトナムの国歌を歌いましょう!」と言って、<ベトナムの国歌>を披露してくれました。

さらにまた 「ドラえもん」 の歌のベトナム語版を歌ってくれたので、日本の生徒たちも日本語での「ドラえもん」の歌を披露。その歌詞は私が事前にコピーしていたので、問題なく歌うことが出来ました。

歌を通しての交流会が続いてゆくうちに、だんだんと打ち解けてきました。そして、ベトナムの生徒さん側から、日本の生徒たち一人・一人に、 「赤いスカーフ」 を進呈してくれて、それをベトナムの生徒さんたちが、手ずから日本人の生徒たちの首に巻いてくれたのでした。

この「赤いスカーフ」は、ベトナムでは 「少年・少女隊」 の活動に参加する子どもたちの首に巻くもので、それを日本人の生徒たちに親愛を込めてプレゼントしてくれたもののようでした。少し年長になると、 「青年団」 に入り、その時には 「徽章」 を付けるといいます。

さらにこの時には、個人的に日本人の生徒たちに、プレゼントを自分で用意して来ているベトナム人の生徒たちもいて、それを日本人の生徒たちに渡していました。初顔合わせの交流会ながら和気アイアイとした雰囲気になって来ました。この雰囲気は、そのまま昼食会まで続いてゆきました。

その後、 12時ちょうどに昼食に出発。毎年恒例のマングローブ林の中にあるレストラン。最初に魚の煮付けとご飯。そして、ハマグリや赤貝などの貝類が山のようにテーブルの上に広げられていました。最後には、「魚の鍋」が出ました。

私が当初に考えていた企画では、双方が昼食を終えた午後から対面させて、植林活動の時間だけを一緒に過ごそうと考えていたのですが、 Longさんの考えでは(朝から一緒に双方を集めて、「カンザーの文化・歴史の説明」「食事会」、そして 「マングローブ植林活動」 までの長い時間を共有したほうが、交流の度合いも深まるのでは・・・ )と提案して頂いたのですが、その通りでした。

ベトナム人と日本人の生徒さんたちを交互に椅子に座らせての食事会が始まりました。サイゴンでベトナム人の生徒から習ったベトナム語を駆使して、必死に自分の名前を伝えようとする日本の男子の生徒。ニコニコしてベトナム人の生徒に話しかける日本の女子の生徒。ベトナム人の生徒たちは、日本人の生徒たちに、目の前にあるベトナム料理の食べ方を説明してくれています。

赤貝の開け方、ハマグリの食べ方を教えます。ベトナムの生徒たちは、本当にみんなが 「もてなしのこころ」 が豊かで、日本人の生徒たちと短時間で打ち解けていました。食事後も、出発までみんなでいろんな遊びを楽しんでいました。その光景を見ていて、(やはり、朝から交流会を始めて良かったな〜)と思いました。食後の休憩が終わり、午後二時前にいよいよ 「日・越友好のマングローブ植林」 に出発。

車に乗って約 15分で植林場所に到着。そこは大通りから横道に入った場所にあり、かつて塩田に使用していて放棄された土地を、今マングローブ植林に活用していました。今その細い道を、日本とベトナムの生徒たちが手を繋ぎながら歩いています。彼らが手を繋ぎながら歩いて行くその先のほうには、

「初めての日本・ベトナム友好マングローブ植林」

の大きな植林の舞台が広がっています。

植林場所に行く手前で、苗と地面に穴を掘るためのスコップが置いてあり、それを各自手に持って移動。生徒たちは、一人がマングローブの苗を 5・6本手に持ちます。今年の植林場所は、昨年と同じ場所にありました。昨年の生徒たちが植えたマングローブも、その七割がたが活着していました。

今年も種子を地面に挿す植え方ではなく、土をスコップで掘り、事前に苗床で育成されて、少し成長した苗を植える方法です。 Longさんが言うには、

今日の植林場所は少し高い地形にあるので、今までのように種子をただ地面に挿すやり方では芽が出る前に枯れてしまいます。それで、森林保全局で事前に育てた苗をここに持ち込みました。

とのこと。 2〜3年掛けてポットの中で育てて来たそうで、高さが1mくらいに成長していました。今年は1人につき6本用意してもらいました。今年植える苗の種類は、 「ルムニッツエラ 」という名前です。

穴は縦横が 30 cm 、深さが 40cm になるまでスコップで堀り、そこにポットから出した苗を入れて、周りを土で踏み固める。簡単なようですが、日本の小・中学生にはこれがなかなか難しい。地面が田んぼのようには柔らかくないので、手の力だけで簡単にはとても掘れない。スコップの歯に全体重を掛けて上から押し、スコップを地面に突き立てて、それをボコッと上にこねないと穴は空かない。そのコツをつかむまでに、 3 ・ 4 回は掘らないと分らない。

しかし、日本の生徒たちはそれぞれが長靴を履いてスコップに足を掛けていますが、ベトナム人の生徒たちは全員が裸足なのです。私も裸足でやってみましたが、スコップの歯の部分に足の裏が当たると痛い、痛い。

さらに、今日のこの時太陽はちょうど中天に昇り、炎天下の中での穴掘りになりました。裸足で地面を歩いていると、焼けた鉄板の上を歩いているような、猛烈な、ヤケドしそうな熱さが足の裏に伝わって来ます。人が歩いた足跡の上を歩くと、さほど熱くはありません。(ベトナムの生徒たちは、裸足でよくも平気で歩けるな〜)と感心します。

しかし、サクサクとスコップの歯が立つ砂地ではなく、熱い太陽に照らされて、固くなった粘土質の土地なので、なかなかすぐには穴が空きません。3本目の苗を植える頃になった時、日本の最年少の小 4 の生徒が最初に根を上げます。「せ―んせ―え〜い、疲れたぁ―!」と。

「まだまだだ!ベトナム人の生徒たちもあんなふうに頑張っているじゃないか。最後までやれ!諦めるな!」と叱咤します。実際に、参加者全員が、この炎天下の中で、汗をたらたら流しながら、一緒に 【穴掘り⇒苗入れ】 を共同してやっています。苗を袋から出すのもポットのビニールがすぐに破れず、一苦労です。

しかし炎天下の中で、頭がクラクラしながらも、時に水を補給し、手を休めて、一時間半ほど掛けて持ち込んだ苗の全てを植え終わりました。苗が最後に近くになると、だんだんと皆んなの表情が元気になって来ます。そして、最後の一本になって、それが終わると「やったあ!」と歓声。みんな手も足もクタクタになりましたが、全部で約 100 本近くの苗を完全に植え終わりました。

ちょうどその頃満潮になり、水が土地に入り込んで来て、くぼ地になっていた所が池に変わったので、みんなその中に入って、汚れた手足を洗います。中には足が滑って、池の中に入り込んで、腰から下がずぶ濡れになったベトナム人の生徒もいます。

そして、ここで 【 2012 年のマングローブ植林完了】 の記念写真の撮影。日本の生徒さんたちが前列に座り、ベトナムの生徒さんたちが後列に立ち、全員集まってパチリと記念すべき写真が撮れました。さらに、「森林保全局」の Long さんから一人・一人に 【植林証明書】 の手渡し式。今年は日本人の生徒たちに加えて、ベトナム人の生徒さんたちのぶんも一緒に作成してもらいました。 Hien さんや、私のぶんまでもありました。

【植林証明書】はちょうど封筒大の大きさで、当日の日付、各自の名前がアルファベットで印刷されていました。将来の、みんなの大切な、思い出に残る宝になることでしょう。これで今回の参加者の大きな目的である、初めての 「日本とベトナムの生徒たちによるマングローブ友好植林」 が終了。大成功でした。

二時から始めて、三時半頃までの植林活動を一緒に行いましたが、ベトナムの生徒さんたちとはここでお別れです。そしてここでも、特に親しくなったからなのか、小さな箱に入ったプレゼントを日本の生徒に渡している子がいました。来年もまた、間違いなく確実に、 「第2回・日越友好マングローブ植林」 が実現する感触を得ました。

日本とベトナムの生徒たちのこころの中にはこの 「2012年の夏の思い出」 が鮮烈に残り、熱い太陽が照り付けるカンザーの大地には、日本・ベトナムの生徒たちが植えたマングローブが、その友好親善を深めた思い出を膨らませてくれるかのように、年々大きく成長してくれることでしょう。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ ベトナム人のこころに驚いて ■

私は母国の学校で習った歴史の授業を通して、長い間ベトナムについて知ってはいたが、当然ながらそのほとんどは、過去の戦争にまつわる知識や写真だった。

しかし最近私は、多様な文化を持ち、風光明媚な景観に富み、そして活気に満ち溢れる 『新しいベトナム』 のことをたくさん聞くことが出来た。私はそれを自分の眼で確かめようと思い、友人と一緒にベトナムに行こうと決心した。

私と数人の友人たちは、ベトナムに行くに当たって、ベトナムの貧しい生徒たちを支援する資金を集める目的と、旅行を兼ねて行こうと決めた。集める目標の金額は【5千ポンド(約 65 万円)】だった(これは決して容易な目標金額ではなかった)。

それで、イギリス国内の人たちからお金を集めるために、いろいろなアイディアを出さなければならなかった。そして考えたのは、ベトナム国内を列車やバスで移動するのではなく、自転車を漕いで北から南まで踏破しようと考えた。そしてこの計画を実現するまで、我々は六ヶ月間の準備期間を要した。

6 月初旬に、ハノイからその旅がスタートした。我々は北から南までのルートを自転車で走っている間に、さまざまな困難に遭遇した。自転車を漕いでいる時の外の温度は、ほとんどの場所で 40 度を超えていた。

言葉の違いや、食べ物の違いによる苦労もあった。さらには、メンバーのほとんどが 「食中毒」 になり、体力を奪われて、途中で体が疲れてしまった。それで、参加したメンバーの中で「もう止めようか・・・」と言い出した者が現れた。旅行を始めて八日目に、みんなで集まって話をして、いろんな解決策と知恵を出し合った。

最終的には、みんなが自分たちで決めたこのスケジュールを、最後まで続けて行こうということになった。今回のこのスケジュールは、ただ自分たちだけの旅行ではなく、ベトナムの貧しい学生たちを支援する “ボランティア” をも兼ねた 「目的」 があるからだった。

それで考えたのは、今後の「食中毒」を防ぐための一番良い方法は、自分たちが食べる料理の材料は自分たちで買って、自分たちで料理する方法が一番いいだろうということになった。

そして実際に Thanh Hoa( タイン ホア ) では、全員が自分たちで材料を買ってきて、自分たちで料理を作ったので段々と健康を回復してきた。時々、軽い病気に罹ったことはあったが。しかし残念なことは、道路沿いに提示されて売られている屋台の食事を味わう機会がなかったことである。

今回の旅程の終わり頃には、友人たちからの寄付が次々と集り出したので、みんな嬉しくなって来た。そして遂にホーチミン市内に足を踏み入れた時、私たちは感動の余りお互いに抱き合った。このスケジュールをついにやり遂げることが出来たのだった。

そして今回集った金額は、何と 「 1 万 5 千ポンド」 にもなったのである。そのお金を 『サイゴン小児慈善協会 (SCC) 』に寄付した。これだけでも十分な意義があることだし、今回の “自転車による旅” を通して私が分かって来たことは、今ベトナムは発展の真っ只中にあるということだった。

さらに他には、ベトナムの人たちは “お客をもてなすこころが豊か” であるということだった。私たちが自転車を漕いで走っている時に、「ハロー!」と手を振ってにこやかに挨拶してくれたり、いろいろ私たちを助けてくれたりした。

今でも私は思い出す・・・。例えば、私たちが Hai Phong( ハイ フォン ) から Vinh Loc( ヴィン ロック ) まで行こうとしていた時に、全然モーテルが見つからなかった。我々は困り果てていた。

すると Vinh Loc に住むある一家が、その時一夜の宿を提供してくれたのである。その家族は心から私たちを歓迎してくれて、夕食や入浴までも勧めてくれた。その家の人たちとは、今まで会ったこともないし、全然知らない人たちだったのにもかかわらずである。こういうことはイギリスでは見たことも無いし、聞いたことも無い。今思い出しても 「驚きの出来事」 だった。

私はまた、私たちに多くの励ましといろんなサポートをしてくれた、 Khan( カーン ) というトラックの運転手さんを覚えている。さらにまた Hoi An( ホイ アン ) では、私たちをあたかも家族の一員であるかのように世話してくれた Tam( タム ) という名前のおばさんを忘れることが出来ない。全てのスケジュールを終えて、今あの旅を振り返る時に、多くのベトナムの人たちから受けた、様々な 「支援と愛ともてなし」 に 大変感動している。

照り付ける太陽と、雨と風の中を、 28 日間に亘ってずっと自転車に乗り、距離にして 2,200 キロ、自転車のサドルに乗っていた時間は 139 時間にもなった。回った車輪の回数は 100 万回にもなるだろう。今回の “自転車による旅” は、みんなにとって 『忘れられない思い出』 になった。

SAM WILSON [20 才・ Bath 大学・イギリス ]

◆ 解説 ◆

WILSON さんの旅は約一ヶ月近くになりましたが、この記事を読んでいて、私にも共感出来ることがありました。私がベトナムに来て数ヵ月後に、サイゴンからベトナム北部までの旅をしました。

ハノイに到着した後には、市内観光をする時に自転車で回ったことはあります。しかしそれは数時間のことで、私の旅の手段のほとんどは、自転車ではなく、列車とバスでの旅でした。列車とバスでの旅を続けながら、途中々での惚れ惚れするような景色を眺めながら(一度ゆっくりと、バイクか自転車でベトナムを縦断したいな〜)と、その時に思いました。

しかし今に至るまで、その機会は訪れて来ていません。それでこの WILSON さんの、自転車による 【ベトナム縦断の旅】 を読んだ時に、大変羨ましく思いました。そして【ベトナム縦断の旅】の夢は、私とあの 〔 Cai Be でバナナを植えていた〕 Yさんが、数年来に亘って話していることなのです。(但しまだ若い 20 才の WILSON さんと違い、私たちの場合はバイクでの移動になるでしょうが・・・。)

私がベトナムの観光地を訪問した時には、お客さんがバスから降りた途端に、物売り屋 ( 絵葉書、扇子、ガム、宝くじ、飴、センベイ・・・などの ) さんが雲霞のごとく集って来ました。白人の観光客はそれに恐れをなして、バスから降りて来ない人たちもいました。そして観光地で食べる料理も高く、タクシー代も高かったですね。言わば、外国人やベトナム人の観光客からぼったくるパターンが当たり前でした。

しかし、それがそのような観光地を離れると、ここに WILSON さんが書いているように、非常に親切で、こころ温かく、もてなしの情愛に富んだベトナムの人たちに、私も会いました。稀には、有名な観光地の中心でもそういう体験をしました。

あれは Hoi An( ホイ アン ) でのことだったでしょうか。ホイアンにある 『日本橋』 の近くの屋台での出来事でした。一人旅を続けていた私が、当然ながら一人で晩ご飯を食べていた時に、たまたま横にベトナム人のおじさんが4・5人ほど座りました。

彼らは自分の席近くに座っている私が外国人であるのはすぐ分かったようで、私に向かって「あなたは何人ですか?」と英語で話しかけて来ました。「日本人ですよ。」と答えますと、どういうわけかみんなの表情が明るくなり、「こちらへ来て飲みませんか?」と誘われました。その時まで一人で晩ご飯を食べていた私は、「有難う!」と言って、遠慮なく席を移しました。

さあ〜、それから先は飲んで、食べての宴会になりました。一気飲みで、「ドンドン飲め!」と私に勧めて来ました。私も勧められた酒を断ることはしません。「カンパイ!カンパイ!」の音頭と共に、何杯も飲まされました。しかしいろいろ聞いていますと、この時は私服なので分かりませんでしたが、実は彼らは公安警察のメンバーなのでした。この時の飲み代は全て彼らが持ってくれました。

そして翌日の朝、私が前日の飲みすぎた余韻を引きながら、路上で朝食の「フォー」を食べていますと、その路上沿いに一台の公安の車が近付き、私の近くで停まりました。私のそばに座ってフォーを食べていた多くのベトナム人たちが、「ギョッ!」として見ています。

私が何げなく、ふとその方向を見ますと、車の中から私のほうに向かって手を振っている男性がいました。じ―っと見ていましたら、何と、昨日の夜遅くまで一緒に飲んでいた、あの公安さんなのでした。この時には制服を着ていました。朝の巡回時間に、路上でフォーを食べている私を目ざとく見つけたのでしょう。私も車の中にいる彼に向かって、手を振りました。

そいうこともあったので、 WILSON さんが述べられた “ベトナム人はお客をもてなすこころが豊か” であるという点に関しては、私も共感しています。私が訪れた旅先のいろんな場所で、 WILSON さんと同じように、私もベトナムの人たちから 【親切にされた体験】 がたくさんあります。そういう体験は、ベトナムの田舎に行けば行くほど数多くあります。

ですから私自身も、いつかYさんと一緒にベトナムの山岳部のルートをバイクで縦断する夢を捨て切れていないのです。 「いつか実現しましょうね!」 と、ベトナムの旅の話題が出るたびに、二人で話していることでした。



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