アオザイ通信
【2007年12月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<日本語能力試験が終わって>
12月初旬に日本語能力試験が実施されました。ハノイでは約5千人、そしてこのサイゴンでは8千人を超える受験者の応募があったそうです。ですから今年は、ベトナム全土では合計1万3千人強の受験者が日本語能力試験に挑んだ訳です。

本番の試験の2週間前には、試験監督員(これはベトナム人が担当します)と試験監察員(これは日本人が担当します)に対しての打ち合わせがありました。この会合には、私も当日出かけていきました。

会場の大広間に集まっていたのは、圧倒的にベトナム人の方が多く、日本人は30人に満たない数でした。あとで試験担当の責任者であるT先生に聞きますと、今回の試験に当たりベトナム人の試験監督員は約500名、日本人の試験監察員は約30名いるということでした。

この日の会合では、試験当日の注意点や、当日に自分が赴く会場や、試験監督員たちの集合時間などが伝達されました。

そしていよいよ12月のこの日、本番の試験日を迎えたのでした。私は人文社会科学大学に、まだ外が薄暗い朝6時前には到着しました。
さてしかし到着したのはいいのですが、会場の入口には誰もいなくて、これからどこに行けばいいのかがさっぱり分かりません。(誰もいなくても案内の掲示物くらいはあるだろう)と思って探しましたが、それらしき物も全然見当たりません。

まあしかしこの日には(おそらくそういう事が予想されるだろうな)とは私も想像出来ましたので、事前の会合の時に「当日は、試験監督の人たちはどこに行けばいいのかを案内してくれる人が、入口にいますか?」と質問しますと、担当のベトナム人は「ええ、大丈夫ですよ。案内する人が出ていますから」という答えでしたが、やはり私の懸念した通りでした。それらしき人は一人もいませんでした。

私以外にも、後から来た人たちも(どこに行けばいいのか?)と途方に暮れています。それで私は(外から見て、電気が付いている部屋がおそらく集合場所だろう。そこに行けばいいんだろう)と想像して、その部屋に入るとやはりそこが集合場所でした。

ベトナムにいると、日本ではあまり発生しないような、こういう事態がよく起きます。ですからそういうふうに当日発生するであろう問題点を事前に予測しておいて、それで当日問題が起きたら、その都度対処方法を考えないといけません。

今回私は日本語能力試験の監察員として初めて参加しましたが、私なりにいろんな問題点が見えて来ました。細かい問題点はいろいろありましたが、その中でも最大の問題点は、「情報伝達能力の低さと連絡・確認の弱さ」という点でしょうか。

ベトナムの人たちは、「報告・連絡・相談」という、日本では大変重要視されるものを、日本人ほどはあまり重要なものだとは思ってもいないし、その必要性も感じてはいません。お互いに確認した約束などでも悠然と遅れたり、平気で約束をスッポカシたりする人もいますね。この点は、ベトナムでベトナム人を使って仕事をしている日本の人たちが、毎日頭を抱えているところです。

今回のことで言えば、具体的には試験当日に生徒たちが集合する時間の連絡の徹底が全くなされていないということでした。この事は、日本人の時間感覚に対しての厳しさと、ベトナムの人たちの大らかな(裏を返せば無頓着な)時間感覚との大きな違いを現しているといえるでしょうか。

サイゴンでの結婚式なんかでもそうですね。いつも時間通りに始まったためしがありません。だいたい1時間〜1時間半遅れが普通です。2時間遅れたこともありました。といいますのは、招待状に書いてある開始時間になっても、普通は誰一人として来ていないからです。

しかし新郎・新婦は、招待状に書いてある時間の30分前には式場の入口に立ち、式が始まるまではお客を迎えるためにずっと立ちっぱなしです。そして、招待客の8割くらいが来た頃に外での出迎えを終えて、それから式場の中に入っていきます。ですからふつうは約2時間くらいは外に立っていることになります。実際私の時がそうでしたから。

最初のころはそういう風習を知らない“時間に厳しい日本人”が早めに行くと、誰も来ていない中で何もすることもなく、誰と話することもなく、ピーナッツだけを肴にしてビールを3本も、4本も飲み続けるということになってしまいます(まあ、飲まなくてもいいんですが)。

そしてこの試験時間の件に関しては、実はある日私が教えているクラスの中の5・6人の生徒が、試験の十日ほど前に「先生、私たち全員が試験当日は学校に何時に集まるのかが分からないんですが・・・?」と聞いて来たことから、その試験時間に関する連絡・確認の不徹底が判って来たのでした。

私は、「何ば、今頃そがんこつば言うとっとか!」と、思わず熊本弁で答えてしまいました。「でも受験票のどこにも、当日の集合時間も試験開始時間も書いていないんですが・・・」という返事なのです。

「そんなバカなことがあるか。どれ受験票を見せてみろ!!」というと、ある生徒がたまたまその日持参していた受験票を見せてくれました。私はそれを手に取り、表と裏をじっくりと見ました。

すると何と、やはりそこには日付だけは書いてあるものの、集合時間や試験開始時間などは、どこにも全く記入されていなかったのです。
その受験票を手にしてしばらく見つめながら、(う〜ん)と私も唸ってしまいました。

この受験票自体はおそらく日本国内で作成したものらしく、日付は世界統一標準で決められた日が印刷されていましたが、時間はその国の現地の都合や、会場使用の事情があるので敢えて書いていなくて、「現地で決めた都合の良い時間を書いて生徒たちには渡して下さい」という意図なのだろうと推察しました。しかしこのサイゴンでは、現地で決めたその時間自体がそもそも書いてないのです。

試験当日の集合時間や、試験の時間が明記されていない受験票を、平気で生徒たちに手渡すということはどういうことなのだろうか。日本人の感覚では考えられないことです。

「この受験票を貰う時点で、担当者は試験が何時から始まるかをあなたに伝えなかったの?」と聞きますと、「何もなかったですよ。ただこの紙一枚を呉れただけで終わりでした。」と言うではありませんか。

その時に「試験は何時から始まるんですか?」と自ら質問しない生徒もまた生徒ですが、少なくともサイゴンでは(8千人を超える受験生のうち、その大部分が当日の試験の開始時間を知らないのか・・・)と想像すると、鳥肌が立って来ました。

私はその授業を終えてからすぐ教室を抜け出して、私の知り合いのベトナム人の試験担当者に、当日の時間を確認して生徒たちにまた伝えました。しかしこうして学校に来ている生徒たちには先生から連絡することが出来ますが、まったくの個人で申し込んでいる生徒たちには、どうやって当日の試験時間の連絡をするんだろうかと不安になりました。

後日念のために、私の知人のベトナム人の先生たちの中にもこの日本語能力試験を受ける人が数多くいますので、その中の一人の先生に「試験時間は何時からか知っていますか?」と聞きますと、何とその先生も、「いやー、そう言われれば私も正確な時間は知りません。」と言うではありませんか。

「あなたは正確な時間を知らないのに、当日はどうやって決められた時間までに行くのですか?」と再度質問しますと、「私は昨年も受けています。それで昨年があのくらいの時間だったので、今年も同じだろうと思い、その時間頃までに行けばいいかなと思っていました。」という、何ともおおらかな答えでした。

さらに良く聞けば、「昨年も受験票には時間は明記されていなかった」という彼の返事でした。要は正確な時間を生徒に伝える立場にある当の先生たちの中にも、試験当日の正確な時間を知らない先生がいたということです。

この点は、この日の試験当日にサイゴン市内にある主だった日本語学校の先生たちにも聞きましたが、やはり知らない生徒が数多くいて、「7時集合だろう。いや7時半集合だろう。8時前に行けばいいんじゃないかな?」などと、いろんな情報が飛び交っていたということです。

さて当日の正しい時間は、7時から7時半までに集合して、7時半から点呼を取ってから試験の受け方についての説明をして、8時から試験のスタートという流れでした。

興味深かったのは、このような不充分な連絡の仕方でも、あまり大した混乱もなく始まり、それほど心配した大量の遅刻者もなく、淡々と試験が始まって、ほぼ予定時間通りに終わりましたから、しっかりとした運営能力はあるのでしょう。

しかしこの試験には主催団体として、「国際交流基金」の名前が書いてありましたが、とうとう最初から最後までその人たちの姿を見ることはありませんでした。最も大事なこの試験当日に、「国際交流基金」のスタッフの方々は、一体どこで何をされていたのでしょうか。

そして試験当日はサイゴン市内に5つの会場が設けられいて、私が担当することになった人文社会科学大学には、全部で約1000人の受験生が集合したということでした。

しかしやはり心配していたように、試験開始後20分くらいして男の生徒2人が息を弾ませて走ってやって来ました。試験開始後の10分までの遅刻は入室が許されていますが、この男子生徒2人はそれを10分も超過しています。

「試験時間は何時から始まるのか知っていましたか。」と監督員が聞きますと、「知りませんでした。」という返事をしていました。(小さい子供じゃあるまいし、知らなかったのなら何で、いろんな所や友人に前日に電話してでも聞かなかったのか)と、その呑気さにも呆れてしまいます。

しかし決められた規則は規則として、涙を飲んで厳格に適用せざるを得ず、残念ながら2人の生徒は失格となり、この試験を受けることが出来ませんでした。肩を落として悄然として階段を降りて行く2人の姿を、今でも思い出します。

さて私が受け持った教室は全員が2級の受験者たちで、試験終了後に廊下で「どれくらい日本語を勉強していますか?」と聞きますと、3年から4年くらいという答えが多かったですね。「何のために日本語を勉強しているのですか。」と質問しますと、「日本の会社で働きたいから。日本に留学したいから。日本のことを良く知りたいからです。」という返事でした。

今回の試験で私がもっとも懸念していたのは、ベトナムの学生によくある「カンニング」でした。しかし今回は、そういう心配していた場面はほとんどありませんでした。

ただ数少ない例外としては、私が見回っていたある一つの教室で、3人掛けの机に座っていた真中の生徒の一人が、しきりに両隣の答案に目配せをしていたのを発見したので、すぐ別の席に移動させました。それ以外は、みんな真面目に試験に取り組んでいました。

数多い受験生たちが、朝から続々と教室に入る光景を眺め、そして私たちの母国語である日本語の試験に、今目の前で必死に取り組んでいる姿を見ていますと、今のベトナムでの日本語教育の広がりを実感して本当に感無量の思いがしました。

そして私は、(試験の最後に、受験生たちに何か励ましの言葉を贈りたいなー)という気持ちが無性に湧いてきました。

試験が終わり、生徒たちが帰る直前に私は、時間の許す限り10ほどの各教室に入り、次のような激励の言葉を受験生に贈りました。もちろん日本語で。

「試験はどうでしたか。難しかったですか。この試験の結果は来年の3月くらいに出ます。しかし大事なのは単なる結果ではなくて、試験の結果がどうであれ、これからも続けて日本語を勉強し続けることです。今回2級に合格した人たちは次は一級を目指して下さい。残念ながらダメだった人は再度挑戦して下さい。来年またお会いしましょう」と。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 今月のニュース <「すみません」という文化を持つ国> ■
現在私の弟は日本で技師として働いています。そして今、交通事故に遭い、ある病院に入院していました。その時点(ちょうどカント−の大橋が工事中に崩落した時)では、弟は集中治療室にいましたので、新聞を読むことが出来ませんでした。それで、弟はその事故のことを知らなかったのも当然なのです。

ある日、一人の日本人の看護婦が弟に会った時に、そのカントーの橋の崩落の事故のことを知らせました。その時には、その看護婦さんが弟の世話をしていたからです。

そしてさらにその日本人の看護婦は、弟に会った時に「すみません。本当に申し訳ありません。」と、深々と頭を下げて謝りました。私の弟は今回の事故に直接何の関係もないこの看護婦さんが、ベトナム人である自分にどうして謝るのかがすぐには理解出来ませんでした。

しかし徐々に、あのカントー橋の建設には多くの日本人も関わっていたから、この看護婦さんは同じ日本人の一人としてこころを痛めているのだろうと感じました。その看護婦さんは、「今回の事故については、本当に残念で仕方がありません。こころから謝りたいと思います。」と言ってくれたのでした。

看護婦さんが弟に対して謝ってくれた時の態度は、「他人から指示されてそういうことを言ってるのではなく、本当にこころから謝りたいという感じだった」と、弟は電話の向こうで話してくれました。私は弟が体験したこの出来事で、日本人の考え方や習慣が少し判ってきたように思います。

その看護婦さんは今回のカントー橋の崩落について、日本人が関係した事故なので、「同じ日本人」として責任を感じ、謝罪の言葉を表したかったのでしょう。

私の弟がベトナム人であるのは見たら判ります。それで「すみません」と言ったのでしょう。そして弟に向かって、ベトナム人全体に謝りたいと言う気持ちを表したものだと思います。私の弟は、カントー橋崩落の直接の犠牲者ではないにも拘わらずです。そしてその看護婦さんは、その気持ちを言葉だけではなく、行動ででも表しているのでした。

この看護婦さんは、日本人が自分の非を認めた時に素直に「すみません」という気持ちを表わせる、素晴らしい教育を受けた人なのだなと思いました。

(解説)
日本国内において、日本人はよく「すみません。」という言葉を至るところでよく使います。それは無用の対立やトラブルを少なくし、社会の潤滑油のような働きをしている面があります。

かたやベトナム国内において、ベトナム人は日本人ほどは「すみません。」という言葉は使いませんね。しかしこれはどうも日本の方が特殊なようで、他国においては「すみません。」という言葉はあまり聞かないと、テトになると帰って来る複数のベトナム人に聞いたことがあります。

そしてさらには食事をする前、飲み物を飲む前に、日本語で言う「頂きます!」という言葉もベトナムには普通はないといいます。

「では、どうぞお召し上がりくださいと言われた時にはどうするんですか。」とベトナム人の先生に聞きますと、「無理に訳すればありますが、普通の言い方としてのベトナム語に当てはまるような、そういう表現はないですねー。何も言わずただそのまま食べるだけです。そして食べ終えてから(大変美味しかったです。ありがとうございました)というベトナム式の挨拶をして終わりです。」といいます。

日本人が言う「すみません。」は社会全体を円滑に営むための、永い年月をかけた日本人の深い智恵が込められているのではと思います。相手が「すみません。」と言ってきたら、少々不満でも相手を赦してあげないといけないという気持ちになります。

一方ベトナムでは、例えばバイクを運転していて後ろから追突された場合、後ろから追突した人が「すみませ〜ん、大丈夫ですか?」ということはあまりありません。そのまま何も言わずに、逃げるようにバイクを走らせて行きます。

そういう習慣の中で育ってきたベトナムの人が日本へ行き、日本人からこのような対応をされたら面喰うことでしょう。そしてそういう異文化習慣の違いを理解し、相互に比較して、その後ベトナムに帰って来たら、(どちらの習慣のほうがいいのだろうか?)と考えてくれるベトナムの人たちが出現してくることでしょう。


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