アオザイ通信
【2007年9月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<サイゴンのベトナム茶会>
日本にいる時には私は緑茶が大好きで、いつも一回で急須一杯くらいは軽く飲んでいました。特に私の田舎では、家の中で使う水は今でもすべて、鬱蒼とした森が茂る裏山の地下をくぐって流れている水を掘った井戸から汲み上げて使用していますので、夏は冷たく、冬は温かく、またその井戸水の美味しさも昔と変わらぬ味を今も保っています。

日本に帰り、故郷にたどり着いてから飲む熱いお茶は、その水のうまさといい、茶の葉の香りの良さといい、何杯飲んでも飽きがきません。特に新茶の時期に、街中のお茶屋の前に“新茶入荷!”の昇り旗が立っているのを見ますと、湯呑み茶碗の中に注がれたあの色鮮やかな新茶の緑色が目に浮かび、口の中から鼻の奥に広がるあの新茶特有のなんともいえない芳香が甦り、ついお茶屋さんに入って買ってしまいます。

日本のお茶の美味しさを出すには、やはり美味しい水がないとダメですね。ベトナムに来た当初、私はサイゴンに日本の新茶の葉を持ち込んでお茶を淹れてみましたが、どうやっても日本と同じような美味しいお茶の味は出ませんでした。やはり水の質が違うからでしょうか。

そもそもベトナムの人たちの風習の中には、新茶の季節に新茶を味わうというのはありません。もちろんお茶の葉が収穫出来たすぐ後(北部では3月と10月頃くらい)には、それがベトナムの「新茶」になるのですが、ベトナムの人たちはそれを日本人ほど有り難がったり、新茶だからといって値段が高くなるということもないということです。

お茶を栽培している農家の人などの、ごく一部の人たちだけはそれを味わっているわけでしょうが、都会に住んでいる人たちの間ではふつうは新茶を味わう風習はありません。いわんや、日本のように街中に“新茶入荷しました!”などの昇り旗が掲げられることもありません。

そういえば、「新米」を味わう風習もありませんね。私は今まで、ベトナムの人たちが「新米」を珍重して味わっている光景を見たことがありません。普通のベトナムの人たちは「新米はまずい。古米のほうがうまい」という感覚です。

さらに驚いたことには、ベトナムでは米の種類によっては、古米のほうが新米よりも値段が高いことがあるということです。ですから市場などでは、わざわざ“高い古米”に“安い新米”を混ぜて売ることがあるようです。

面白い話としては、私の知人のベトナム人の先生が言うには、子供の頃から彼の田舎では、今年買った新米には敢えて手を付けずにそのまま一年間家の中に置いておいて、来年になって初めてその米を食べるというやりかたを今でもずっと続けているそうです。どうにも日本人には信じられない話ですね。

私自身も今まで、「ベトナムの新米」を食べたことがありません。というか、日本人が有り難がる新米が、ベトナムでは“新米入荷!”という宣伝のようなやりかたでは市場でもまず見かけることがないので、時々市場から女房が買って来て今食べている米が新米なのか、古米なのかなどさっぱり分かりません。しかし普通に考えれば、メコンデルタ地方では年に三回も米が獲れるのですから、年に三回はベトナムの新米が味わえそうなものですが・・・。

それにベトナムと日本では米の種類が違うので、どんな米が美味いのかの嗜好が、ベトナム人と日本人ではかなり違うようです。ベトナムの人たちは、日本人が好む粘り気のある米よりは、パサパサした米のほうを好みます。ベトナムの人にとっては、日本の米は柔らかすぎてお粥のような感じがするといいます。

ですから、「コシヒカリ」や「ひとめぼれ」などの最上級の新米を日本から持ち込んで、ベトナムの人に「はい!これは日本からのお土産ですよ」とプレゼントしても、彼等は全然喜ばないだろうということは言えます。

しかしそれにしても、日本では毎日熱いお茶を朝も昼も夜もすすっていた私ですが、このベトナムに来てからというもの、特にサイゴンでは熱いお茶はほとんど飲みません。食後には冷たいTra Da(チャー ダー)を飲むだけです。Traは茶、Daは氷の意味です。この冷たいお茶には氷が入っていますので、よっぽど濃く入れない限りはお茶の芳香も、お茶の美味しい味もしません。

サイゴンでは、みんなは大体が一年中この冷たい、お茶の味などほとんどしない、不味いお茶を飲んでいます。まあただの水を飲むよりは、お茶の色の付いた冷たい水を飲みたいというくらいの気持ちでしょう。

まれに南でも氷が手に入り難い地方の田舎や、朝早い時間に肌寒く感じる時季(テトの前後の頃)には、家の中で熱いお茶を飲むことはあるようですが。南部ではお茶よりも、やはりコーヒーの文化が発達していると言えるでしょう。しかしそのカフェーもまた、カフェー ダー(アイス コーヒー)にして飲むことが多いですね。

何しろとにかく一年中暑いサイゴンでは、朝食後も昼食後も食事の後では体も熱くなって、汗が出てノドが乾きますので、いつも食堂ではみんなが「チャー ダーを下さい」というのが普通です。「熱いお茶をくれ」という人はほとんどいません。クーラーのガンガン効いた部屋で食事をする時には、そういう熱いお茶を所望することもあるというくらいです。夜は冷たいチャー ダーが、冷たいビールに代わるだけのことです。

しかし反対に、寒い季節のある北部では食後も熱いお茶をお猪口のような小さい湯呑みで飲むのが当たり前で、普通の食堂ではチャー ダーではなく、熱いお茶が出て来ます。チャー ダーは特別に頼まないと出てきません。

この熱いお茶を飲む風習は北部の人たちには普通の習慣で、特に冬の時期になると、路上で低い椅子に座って朝は早い時間から、そして昼間でも、夜でも飲んでいます。

ハノイに出かけた時には私もこのお茶を愛飲していましたが、不思議なのは長い時間急須の中に入っていたであろうに、日本のお茶のようにはあまり渋くなっていないことです。今から7〜8年前で、その当時が小さい湯呑み一杯で2百ドン(約1, 5円)でした。今は千ドン(約7円)になっているそうです。

実はこのサイゴンでも、北部の若い人たちを中心にして毎月ベトナム茶の会合が開かれているのを最近知りました。たまたま私が日本語を教えている青年Ha(ハー)さんが、その茶会のリーダーだったのです。彼から「先生、今度ベトナム茶を飲む会があるので、是非来て下さい。私が先生にお茶を点てますので」という誘いがありました。場所は市内の中心部にある青年文化会館です。

私は特に今までベトナム茶には関心は持っていませんでしたが、どういうやりかたでお茶を飲んでいるのかには興味もありましたので出かけて来ました。当日青年文化会館の中に作られていたお茶の会場は約30畳ほどの広さで、お客がその上に座ってお茶を飲めるように4つの台が設けられ、その台の上には赤い緋毛氈ならぬ、赤いカーペットが敷かれていました。

壁には、ベトナム語の詩を毛筆で書いた掛け軸が一面に掛けてありました。照明も薄暗くして、提灯をぶら下げたりしてあり、会場の中央には多くの蓮の花が大きい樽のような入れ物に活けられ、水が回流していたりして、いい雰囲気を醸し出していました。

私は午後にそこに着きましたが、すでに20人ほどが来ていました。若い青年たちが多かったです。入った時には一人の若い男性の歌手が大きな声で歌っていました。それを数人がビデオ撮影していました。この茶会の風景をバックにして歌を唄って、後でテレビ放映すると言ってました。これだけは余計でしたが。

Haさんは私を見ると、待ちかねていたように私をその台の上に座るように勧めてくれました。しかし日本のように正座ではありません。男はアグラをかき、女性は横座りをしています。ベトナムの人にとって正座は大変苦しい座り方ですから、これは当然といえます。

そして彼の周囲をよく見ると、彼から見て左側には炉が仕切られ、その中には電気コンロでお湯を沸かすような仕組みの磁器製の茶釜らしきものがあり、沸いたお湯を掬うココナッツ椰子で出来たひしゃくがその上に乗っています。

さらに右側を見ると、大きいドンブリの中にお湯を浸して、その中に急須が入れてあります。入れたお茶を冷まさないように、あらかじめ急須を温めているのでしょう。ここらあたりは、ずいぶん凝ったやり方の工夫をしているなあーと思いました。

さて、いよいよ彼の“お点前”が始まりました。お師匠である彼も、弟子である私も当然アグラをかいたままです。そしてここで飲むベトナム茶は抹茶ではないので茶筅などは当然なく、ベトナム茶の葉を入れた器からこれまたココナッツ椰子で出来た茶杓で葉を三杯ほど掬って、あらかじめドンブリの中に入れて温めておいた急須に入れました。

その中に熱湯を注いだ後、さらにまたその急須の上からお湯をかけました。こうするとお茶が冷め難いし、またお茶の匂いを外に逃さず、味が引き立つからだそうです。そして今度はその急須から直接湯呑みに注ぐのではなく、別の入れ物に移し代えてから最後に小さい湯呑みに人数分のお茶を注いでくれました。

この時の彼の手付きは大変手馴れたものでした。日本の茶道の影響を強く受けているような仕草を感じました。私がこの時飲んだお茶の種類は、Tra Sam Dua(チャー サム ズーア)という名前でしたが非常に芳ばしい香りの強い、大変美味しいものでした。ちなみにSamは薬草という意味があり、Duaは香りのある葉っぱという意味だそうで、お茶の葉を加えたこの三種類をブレンドしてこのお茶が出来ていると言ってました。

彼とお茶を飲みながらいろいろ話しました。実は、こうしてお茶を飲みながらいろんな話をして楽しむのがこの会合の趣旨だそうです。彼等の会の名前は「ベトナム茶を愛する若者のクラブ」という名前で、約2年前からここでずっと毎月の初めの金・土・日の三日間だけ、入場料無料のこの茶会を定期的に開いているということでした。お茶の葉などの準備物は、会員の人たちがお金を出し合って購入しているとのことです。

彼にベトナム茶の種類を聞くと、「緑茶、烏龍茶、蓮茶、タイ グエン茶、ジャスミン茶、生姜茶、百合茶、バラ茶、菊茶、アザミ茶、苦瓜茶、ドクダミ茶、ウコン茶、ビンロウ茶」などを即座に挙げてくれましたが、私がベトナムで今まで飲んだのは、緑茶、タイ グエン茶、ジャスミン茶、生姜茶、菊茶、アザミ茶、苦瓜茶くらいでしょうか。 すべて熱いお茶にして飲みましたが、この中で私が一番気に入っているのはタイ グエン茶とジャスミン茶と苦瓜茶です。

そして彼は有名な、ベトナム蓮茶の作り方についても説明をしてくれました。それによると、蓮の花はふつう夜に花びらを閉じて、朝になると花びらが開きます。それで花びらが閉じる前に茶葉を花の中に入れて、翌朝に開いたときに蓮の花の香りが乗り移った茶葉を再び取り出します。蓮茶の中でも上質なレベルの蓮茶は、これを繰り返すこと七回にしてようやく完成するのだそうです。

「何故あなたはこういう会合に参加しているの?」と質問しますと、「私の故郷は北部のハノイの近くのハイ ズーンというところで、父も母も毎日朝からお茶を飲むのが好きで、それで私も小さい頃からお茶を飲むのが好きになりました。田舎では夏でも熱いお茶を飲みますが、するとノドの乾きが収まるのです。でもサイゴンには熱いお茶を飲む風習がないので、同好の士を募ってこうやってお茶会を開いて楽しんでいるのです」という返事でした。

そしてさらに彼が言うには、「北部の人たちは小さい頃から熱いお茶を飲むので、男性も女性も歯が白くて強く、健康な人たちが多いのです。サイゴンの人たちは質の悪い水で作った氷を入れた冷たいお茶を飲んでいるので、男性も女性も歯が黒ずんでいる人たちが多いのです」と話してくれました。

確かに、サイゴンにいる女性たちの中には歯が黒ずんでいる人たちがいます。私は単純に(栄養状態が悪いせいかな)と思っていましたが、そういう考えもあったのかと初めて知りました。

そして今現在、このクラブの会員は150名くらいいるそうですが、その内訳はやはり北部の人たちが多いそうです。時にはホテルへ出張しての実演披露もあるようです。彼は「日本の人たちもお茶が好きな人が多いと思いますので、サイゴン在住の人はぜひ月初めのこの会合に参加して下さい」と話していました。

実はこのHaさんは、今年の11月くらいから東京に技師として三年間働きに行く予定です。「日本には茶道がありますから、3年の間にあなたはそれを学んで、ベトナムに帰ったらここで日本の茶道をベトナムの人たちに紹介したらいいでしょう」と話しますと、彼も喜んで「そうですね。日本に行ったら是非日本の本格的な茶道を学んで帰って、このクラブでまたベトナムの人たちに教えたいですね」と話していました。


※春さんは1997年春よりホーチミンに駐在しています。今ではすっかり現地の人となって、見分けもつかなくなっています。春さんに質問や相談があればメールをお送りください。
info@te-campus.com ※件名を「春さんに質問!」にしてくださいね。


 

「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 今月のニュース <いつも二つの目から二粒の涙を流している子供> ■

読者はきっとこの日本人の顔を覚えていることだろう。今から3年前、ベトナムの枯葉剤被災者の支援のために、ホーチミン市内の街角で約600人の署名を集めた人物である。

今回彼がまたベトナムに戻って来た。彼の名前は村山康文さんである。彼が今までベトナムを23回訪問した中で撮影した49枚の枯葉剤被災者の写真の展示会が、7月27日から8月10日までの期間で戦争証跡館で実現することになったのである。

彼は自分が撮った写真の一枚一枚の人物について、その今の生活と状況について非常に良く知っている。頭の先が尖り、目が突き出た子供の写真を手にして、彼はこころが痛むような表情で、「この子はいつもこのように愁いに満ちた悲しい表情をしていました。私はこの子に最初に遇った時、この子が今までどのような辛い試練に遭って来たのかを考えると、その日は夜遅くまで眠ることが出来ませんでした。そしてこの子は今はすでに亡くなりました。そして今でも多くの子供たちが、この写真の子のように悲しみに暮れていることでしょう」と話してくれた。

彼はベトナムの至る所を取材に訪れ、“民族の英雄たち(彼の造語)”が祖国を守るために戦った時に残した、苛烈な戦いの跡を目にした。

「ベトナム戦争はすでにはるか昔のことですが、その傷跡は今だに残っているのです。日本でも2つの原子爆弾が落とされて、今だにその影響はベトナムの枯葉剤被災者と同じように三世代、四世代までも続いているのと同じことです。あなたたちの悲劇は自分たちの悲劇と同じです。

私はこのベトナムという国を、自分の国と同じように好きです。この写真ような子供を二度と出さないためにも、みなさんの意見を集め、みなさんの協力を仰ぎながら、彼等のような子供たちが正しく救済されるようにしていきたい」と話した。

事実今彼は、枯葉剤被災者の一人の少女を日本に連れて行って手術を受けさせる活動をしているのである。

また彼は次のようにも話してくれた。「私がベトナムで一番大好きなことは、戦争で戦って亡くなった人たちが7月27日に“烈士の記念日”として忘れられずに祭られていることです。この日が来るたびに、戦争で勇敢に戦いながらも運悪く亡くなった人たちをベトナムの人たちは思い出しているのでしょう」と。

(解説)
私は8月8日の8時に、村山さんのパーティに出かけて来ました。この日はベトナムの大手の新聞社や、外国からもBBCやCNNからも村山さんの写真展の取材のために来ていました。しかし日本の新聞社からは一社も来ていませんでした。

そして8月10日が「枯葉剤被災者の日」ということもあり、この日には枯葉剤被災者の子供たちがいる「平和の村」や「トウーズー病院」からも子供たちが続々とバスに乗って来て集まり、ある子たちは車椅子に押されて会場内に入り、最終的には約100人ほどの子供たちがこのパーティに参加していました。その中には、彼が撮った写真の中の子供たちも来ていました。

式の最初に奇術や歌や踊りが披露されました。(こういう厳粛な内容のパーティに、なんでまたこんな賑やかな演出が・・・)と、私は不思議に思いましたが、どうやらこれは当日参加した枯葉剤被災者の子供たちを慰める趣向のようでした。

そしてここの館長さんから村山さんの紹介があり、挨拶に立った彼は今回の写真の展示会の開催にいたるまでのベトナムとの関わりと、ベトナムへの思いを述べていました。

この展示会の時には、彼にスイス大使館やアメリカのハーバード大学からも「一度うちへ来て写真展を開いてみませんか」という打診があったようです。そして今回の写真展と彼のベトナムでの活動内容の記事は、こちらの新聞では二紙に掲載されていました。ある一紙には一面に彼の顔写真と共に大きく載っていました。

彼が今回ベトナムに旅立つ時に、日本にいる彼のお母さんは「くれぐれもベトナムの人たちに、感謝の気持ちを忘れないようにね。あなたがベトナムでそのような仕事が出来るのは、ベトナムの人たちがあなたに協力してくれたお蔭なのだから」と言って彼を送り出したそうです。何といういい言葉なのでしょうか。

今回の戦争証跡館での写真展が、村山さんがこれから世界にはばたくきっかけになってくれればと切に思います。



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