アオザイ通信
【2007年7月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<志を持つということ>
私の手元に今、1個の可愛い携帯電話のストラップがあります。これは実はベトナムの小学生たちが自分たち自身の手で一つ一つ作成したものです。この小学生たちは以前私が紹介した、経済的な困窮と戸籍上の問題が原因で、普通の小学校に行けない生徒たちを救うために、あの日本人Fさんが創ったS小学校の生徒たちです。

彼らが作っているのは、犬や猫や象や豚やウサギやキリンや亀などの動物の形をした、色鮮やかな可愛い小物です。ピカチュウやキテイちゃんのデザインのものまであります。私の携帯に付けているのは、小さいながらも案外精巧かつ丈夫に出来ていて、半年経っても壊れていません。そして実は今、これが海を越えて日本で売られています。

「何のために・・・?」これを作成した子供たちが、自分たちの勉学の費用に充てるためにです。このストラップは昨年だけで1万個ほど日本で売ることが出来ました。それを売るために協力してくれたのは、日本にいるFさんの友人・知人たちでした。

ベトナムから日本へは輸送代を節約するために、日本へ帰る友人・知人に依頼して直接持ち込んでもらい、日本ではまたその友人・知人たちが販路に協力してくれたりして、フェアトレードの商品を扱う店などに置いてくれるようになりましたが、まだまだ十分ではありません。

Fさんの学校の生徒たちとは、テイエラの「マングローブ親善大使」の参加者たちがベトナムにやって来た時にも、2年ほど前から交流会を一緒に開いたりして親交を深めて来ました。日本の子供たちにとって、彼らのような小学生との出会いはいろんな意味で衝撃的だったり、いろんな事を考えさせられたりしたようでした。

日本では『学校に行けるのに行かない生徒(いわゆる不登校)』がいますが、ベトナムでは『学校に行きたくても行けない生徒』がいるという現実があるのです。

そのことにこころを痛めた一人の日本人がFさんでした。そしてそのような学校に行けない子供たちを集めて、小学校レベルの教育を受けさせてやりたいという志を抱いて、ベトナム人の奥さんと小学校を開いたのが今から8年前の1999年でした。そして私がそのS小学校を初めて訪ねたのは、2000年のことでした。

その当時からFさんはあまり他人を当てにせずに、出来るだけ自分たちの力だけで運営していきたいというのが、彼と奥さんの気持ちだったようです。今現在は、他からの援助も少しずつ協力の輪が広がって来てはいますが、原則としてこの方向性は今も続いています。

学校を設立した当初から今に至るまで、Fさん自身が日本に半年ほど帰国しては、建築現場で自ら汗を流して稼いだお金をベトナムに持ち込んで、それを学校の運営資金に充てています。日本にいる時は、Fさんは毎朝6時半には家を出て建築現場に向かうそうです。

そのFさん自身は子供たちを支援していきながら、「ただ子供たちが支援されるだけの受身の姿勢だけでは、将来の子供たちのためにならない。今後は、子供たちにも自立の志を育てていくことにしよう」という気持ちが強くなって来ました。

そこで考えたのが、子供たちの手で何かを作らせて、それを販売して、そこから得た利益を子供たちにそのまま還元して学業の費用に充てるという方法だったのでした。それでスタートしたのが、この携帯電話用のストラツプの作成だったのです。

このストラップを作る作業に慣れてくると、いまは1人の子供が2〜3時間で1個を作り上げます。手先の器用な生徒だと1時間くらいで作り終えるようになってきたそうです。最近は1ヶ月間に、約500個くらいが出来あがるそうです。

そして自分たちの手で作り終えたものが日本で売れて、その時間と労力の報酬として、それを実際に現金という形で受け取る時の子供たちの充実感は、本人にしか分からない感覚でしょう。

実はベトナムでは、学校教育は無償ではなくお金が掛かるものなのです。ですから貧しい家庭の子供たちの中には、学校に行く費用を稼ぐために親からゴミ拾いをさせられたり、ガムや宝クジを夜遅くまで売っているような少年・少女たちが街中にゴロゴロといます。

そういう子供たちは犯罪にまきこまれたり、非行に走ったりすることも少なくありません。そういう意味でも、教室の中でみんなで協力しながらこういうものを作り上げていく作業のほうが、教育上も精神的にも子供たちにとってはるかにいい方法だと言えるでしょう。

Fさん自身が何の代償も求めることもなく(と言うよりほとんど自分の手出しの状態ですが)、恵まれない子供たちに教育を受けさせてあげたいという強い「志」から開いた学校ですが、今そこで学んでいる子供たちに、自分たちの手で作った物で学費を稼いでいきながら、「自立という志」を教え育てていこうとしていることに私は強い感銘を受けています。

そして実は、Fさん自身には子供がいません。「学校に来ている子供たちが、私の子供のような気持ちでいます」と、いつもの淡々とした、明るい表情で話してくれました。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 今月のニュース <日本での不合理な“研修生・実習生”の待遇> ■

今に至るまで日本は、外国人労働者に対して門戸を閉ざした政策を維持している。しかしそれにも拘わらず、今も毎年十数万人の外国人が日本で働くためにやって来ているのだが、彼等の日本での扱い方はしっかりした対策が採られていないのが実情である。だから多くの人たちは、政府のそのような閉鎖的な政策は「時代に逆行した政策だ」と呼んでいる。

さらには、現在約1万5000社の日本企業で、16万人の外国人“研修生・実習生”を受け入れて、その“研修生・実習生”たちが実際に働いている。このうちベトナム人は約1万人に上る。しかし彼等の給料は、日本人の給料の最低レベルの半分くらいしかないのである。

愛知淑徳大学で社会学を教えているTrung(チュン)教授は、日本にいる“研修生・実習生”たちが、今日本で引き起している複雑に絡み合った問題が、実は日本政府のこの“研修生・実習生”に対する「あいまいな政策」が原因だと指摘する。

政府が通達している規則では、各企業に対しては3年間の日本滞在期間の間に、最初の1年間は各企業での研修期間として定め、残りの2年間を実習期間として定めている。しかし実際にはこれは全然守られていなくて、名目上は研修でも、彼等は日本に着いたらすぐ労働に従事させられているのが実情である。

企業側からすれば、日本人よりも安い賃金で働かせることが出来るためである。特に小さい企業では、このように法の不備を利用したやりかたで、人件費を安く済ませるために彼等を働かせている。

しかし本国での給料のレベルと比較したら高い給料であっても、日本国内では安い賃金で働かされている彼等は、もし事故や怪我などの災難に遭った時や、突然企業から解雇されたりした時などに、日本の実情にも疎く、言葉もまだ不自由な彼等はどこに訴えていいのか分からないのである。

2006年の終わりまでに、総計では2百万人の外国人たちが日本政府から正式に滞在許可を出されて日本に来たが、そのうち百万人は労働に従事している。またその中には日本で働くために、普通は滞在許可が出ないのに、非合法に滞在している者もいる。

注意すべきはこのようにして日本で非合法に滞在しているベトナム人は年を追うごとに増えていって、今現在は約4,000人ぐらいになっているということである。この数は、日本の中での非合法に滞在している国別の割合でトップ10に入る。

このようなことから、日本の法務省は外国人研修・技能実習制度の厳格化を目指して、制度の見直しや関連法改正の準備を進めている。新しい規制案には、ブローカーが介在する研修生の受け入れを禁止し、出国前の保証金納付や研修生の給料からの手数料天引きなどの不正が発覚すればその研修生の入国は許可しない、などの内容が盛り込まれる見込みである。

(解説)
私が日本に帰った時に、中国から農業研修という名目で私の田舎に働きに来ている10数人の中国の人たちがいました。彼等はミカンの収穫の手伝いに来ているということでした。

彼等の評判を聞くと、「朝早くから夕方まで良く働いてくれるよ。今の日本の若い人たちは、ああいう単調でしんどい作業を嫌ってやらないので、大変助かっている。」という好意的な意見でした。

少子化の進む日本では、確かにこれから労働力が不足して来るでしょうし、今も現に不足しているのが現状でしょう。ですから、外国からの労働者を受け入れるのは避けられなくなりつつあると言えます。

現に私が今日本語を教えているところでも、2ヶ月間に1回くらいの頻度で約40人ほどが日本に向かいます。彼等が日本で一体どんな仕事や生活をしているのかは、時々送られて来るメールや手紙を通して知ることが出来ます。

そのほとんどは真面目に、意欲的に日本での労働をこなし、日本での生活を楽しんでいるようです。今のところ「先生!もう日本にいるのはイヤです。早く帰りたいです。」という研修生たちはいません。というよりも、例えそう思っていたにしても他には言わないでしょうが・・・。

私の知っている数人の例では、日本で働いていた縫製会社が倒産して働き口が無くなり、2年目で泣く泣くベトナムに帰国した者もいました。しかも、帰国前の半年間は、会社からは給料が全然支払われなかったそうです。(先日聞いたら、最近ようやく貰ったようでしたが、本来貰うべき総額の8割しか会社側は支給してくれなかったと言ってました。)そういうひどい会社が、日本にあること自体に驚きました。

またしかし残念ながら、日本で万引きをした罪でベトナムに早々と送り返される者も、事実何人かいます。ベトナム人が日本で犯す罪で多いのは、どういう訳か「万引きと泥棒と逃亡」です。特に万引きと泥棒については、こういう彼等一部のベトナム人の行為が、ベトナム人全体の評判を貶めてしまうことに、今日本で真面目に働いている研修生たちも心を痛めているようです。

しかし一部の研修生に問題があるにしても、やはり日本側が彼等のような外国からの研修生に対して今後取り組むべきは、遠い異国から、“目的はお金を稼ぐため”だとしても、“結果としては日本のため”に働き来てくれる人たちの待遇改善をどうしていくかでしょう。

上の記事にある“研修生・実習生”についてさらに詳しく説明しますと日本に着いた外国人の“研修生・実習生”は、最初の1年目は“研修生”という名目で日本に滞在します。「言葉と仕事を研修する」という名目です。

その間には給料ではなく手当てが(ある実例では、1ヶ月6万3千円)支払われます。そして2年目から3年目までは“実習生”として日本に滞在します。それに対してもまた給料ではなく手当て(これも同じ本人の実例では、1ヶ月7万5千円)が支給されます。

実はここにカラクリがあるのです。彼等は名目上は“研修生→実習生”いう異なった名前に変わりますが、何のことない。1年目も2年目も3年目もやっていることの内容は全く同じで、まさしく労働者として働かされているのです。しかも日本人から比べればはるかに安い給料で。

日本では、特殊な技能を持ったエンジニアには働く許可が出ますが、普通の単純労働者には労働の許可が下りないので、名目上は“研修生・実習生”として日本にやって来ているわけです。この点が記事の中のTrung教授が指摘する、日本政府の「あいまいな政策」という意味です。

これに対して隣国の韓国ではどうかというと、外国人労働者は労働者として正式に受け入れていますので、そういうあいまいな政策を採っていません。しかも給料も1ヶ月1千ドルくらいが支給されると言います。ですから実際日本の3倍のベトナム人労働者が派遣されていますし、逃亡者も日本と比べるとはるかに少ないのです。

しかし日本では彼等はこういう低賃金で働かされているので、他から「もっと給料の良い所があるから、こちらに来ないか」と誘われると、ついその誘いに乗って逃亡してしまう者が出て来る訳です。ただ万引きと泥棒については、どんな言い訳も出来ませんが。

ですからこれから日本はどのような「きっちりとした政策」で、外国人労働者を受け入れるかを真剣に考えないといけない時期に来ていると言えるでしょう。

もちろんあまりに多い外国人労働者を入れることは、今のフランスが直面しているようなまた別の大きい問題が発生しますが、必要かつ適正な数の労働者が自国に存在しないことには、私の田舎のミカンの収穫作業がそのいい例で、その国自体がいろんな困難に直面するのですから。


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