アオザイ通信
【2007年3月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<熊本弁を話すオーストラリア人に逢う>
「失礼ですが、日本のかたですか」と、一人の外国人が綺麗な日本語で私に話しかけて来ました。それはサイゴン市内の、外国人旅行客が多く集まるカフェで、最近日本から来た友人と私が話していた時のことでした。

「そうですよ」と、私が答えますと「日本のどこですか」と聞き返してきましたので、「熊本です」と言いました。それを聞くと「え〜、本当ですか!」と、彼の表情が変わりました。

彼はその場に立ったまま、続けてこう言いました。「私は13年間、熊本に住んでいたんですよ」と。それを聞いて、今度はこちらのほうが驚く番でした。

「まあ、お座り下さい」と言って彼に着席を勧め、改めてお互いの自己紹介から始めて、滞在歴13年の彼の「日本体験記」をコーヒーを飲みながらじっくり聞くことが出来ました。

彼の出身はオーストラリアで、背は高く、年齢は40代半ばくらいでした。彼は高校生の時に日本に留学することになりました。その高校がまた何と、私の田舎の近くにある高校なのでした。どうりでびっくりするほど、私の田舎の地理もよく知っていました。

「あの橋を渡って右へ曲がると、こういう建物があるでしょう」と説明してくれましたが、事実その通りなのでした。彼の日本での高校留学は一年間だけでしたが、彼はこの熊本での生活や人との出会いが大変気に入り、またいつか熊本に戻ってこようと決心しました。

また彼の異国での留学生活は日本以外の地にも及び、中国や韓国へも行きました。中国では、天安門事件にもたまたま遭遇したそうです。そして彼はオーストラリアの大学を卒業した後、希望通りまた熊本に帰って来たのでした。

そして熊本市内の大学で、英語を教える仕事に就くことになりました。大学で英語を教えているその間に、彼は熊本の高校と、オーストラリアの自分の母校との交流を進めたり、あの熊本の名士<ばってん荒川〉さんとコンビを組んで、熊本弁まる出しの漫才もしていたといいます。

それで熊本で彼は、「熊本弁を話す外国人」として人気者になったそうです。また細川元首相の知遇も得て、細川さんが東京で外国から来た要人と話す時には、その通訳をしていたとも言いました。さらに驚くべきことには、彼は日本にいる間に日本語教師の資格も取得したと話してくれました。

彼に「一体全部で何ヶ国語を話せるのですか」と私が聞きますと、「母国語の英語の他には、仏語、日本語、中国語、韓国語です。そして今ベトナム語と格闘中です」という答えでした。

彼は私にこう言いました。「あなたと話していると、熊本弁が全然出ませんね。これから二人で話す時には熊本弁で話しましょう」と。

言われて見れば確かにその通りで、私自身がこのベトナムで同郷の人に逢ったのは今まで一人しかいません。その人と話す時も、すべて熊本弁で話すことなどありません。

いわんや、彼のような外国人と熊本弁で話すこと自体が初めての体験でした。しかしそれにしても、このベトナムで同郷の人に逢うことすら珍しいのに、流暢に熊本弁を操る外国人に出会ったというのは何という偶然と言うべきでしょうか。

そして彼は旅行で訪れたベトナムが大変気に入り、しばらくはこのベトナムに住んでみようかという気になり、今仕事を探しているということでした。そしてこの3月過ぎから、このベトナムでも英語を教える仕事に就けそうだと言っていました。

「10数年日本に住んで、日本人についてどう思いましたか」と、彼に聞きました。すると、「日本の人たちは、世界の中でもすばらしい資質を持った人たちだと思います。しかし日本人の仕事に対する考え方には時に首をひねることがありました。日本の人たちは何のために仕事をしているのだろうか?仕事のために仕事をしているのではないかと思うことがありました」。

「それに対してベトナムの人たちは、仕事以上に家族を大切にしますね。仕事は人生の幸福の実現のためにあるんだという考えをしっかり持っていますね」と、日本人である私には耳が痛い助言をしてくれました。

彼の名前はマイケル・ラッタさんといいます。これから彼と会って話す時、熊本弁を使って縦横に意思の疎通が出来るのかと思うと少し奇妙な感じもしますが、異国での友人がまた一人増えて嬉しい限りです。


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