アオザイ通信
【2005年3月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

< ベトナムで『夕鶴』の上演 >
あの木下順二の有名な戯曲『夕鶴』がベトナムで初めて上演されました。演じたのはすべて全員がベトナム人の役者さんたちです。
2月20日から3日間に渡って、ホーチミン市内の劇場で公演されました。喋るセリフももちろん全員ベトナム語でした。

『夕鶴』といえば、たしか私が中学校の時の教科書に出て来た記憶があります。その時の担当の国語の先生が、「この戯曲は世界中で今も上演されている、非常に有名な戯曲なんですよー」と説明してくれた記憶があります。でもその時は実際に劇を見たわけでもなく、あくまでも教科書の中だけのことですので、その後関心も薄れてしまいました。

それがこのベトナムで、日本でも実際に見ることのなかった『夕鶴』を見ることが出来るとは、何という幸運というべきでしょう!この戯曲『夕鶴』の上演の知らせは約2ヶ月前から知らされていて、劇場の場所もホーチミン市内ですので、その日が来るのを期待して待っていました。

この『夕鶴』上演にあたって動いたのは、Uさんという70歳を少し超えたばかりの一人の日本の方でした。Uさんは日本では演出家として数々の舞台を手掛けている方だそうです。

そのUさんが3年前にベトナムを訪問した時に、ベトナム人の純粋さに惹かれ、ベトナムで何か公演をやりたいと考えて思い到ったのが今回の「ベトナムの地で、全員ベトナム人の役者による『夕鶴』の上演」でした。ですから3年がかりでようやく実現にこぎつけたことになります。ベトナム人による役者さんたちの練習は、4ヶ月かけて上演直前の夜遅くまで続いたそうです。

そしていよいよ当日。夕方5時半から劇が始まりました。子供のわらべ唄が聞こえてくる中で、ベトナム人の役者の「与ひょう」が眠りこけているシーンから始まります。「与ひょう」が寝ている小さなあばら家は屋根に雪がいっぱい積もっている風景が見事に描かれています。ここだけ見ると、まさに今日本で劇を見ているような光景でした。

そしてしばらく時間が経ち、いよいよ「つう」役のベトナム人女性が、障子を開けて登場しました。白い着物を着て舞台に現れた背のスラリとしたその女性は、見事に日本人の雰囲気を漂わせた「つう」の役を演じ切っていました。(後でUさんに聞いたら、舞台装置などはほとんどベトナムで調達したが、この白い着物だけは日本から持ち込んだそうです)

『夕鶴』の内容はご存知の方がほとんどでしょうから、敢えてここでは触れませんが、私が劇の間に注目して見ていたのは、「つう」役の女性の演技力です。『夕鶴』は何と言っても、「つう」の存在感が大きい戯曲ですし、その演技力がこの戯曲の感動を高めもするし、低くもするのは間違いないでしょう。

ベトナム人女性の演じる「つう」が、日本人女性特有の繊細さ・たおやかさに満ちた挙措動作をどのように演じて振舞うのか?ベトナムの人たちは日本人のような行儀・作法は身に付けていませんから、細かいところでは違和感のあるシーンが出て来るかな・・・?と思いながら見ていました。

それがどうでしょう。1時間10分に亘った劇の間、「つう」のベトナム人女性は見事に日本人女性の身のこなしや作法を、本当の日本人かとみまちがうくらいに身に付けていました。そして最後に「与ひょう」との別れの終盤のシーンでは、感動的なレベルまで高めてくれました。

あっという間に終った1時間10分の劇でしたが、劇の終了と同時にベトナム人の役者さん全員に花束が贈られ、最後にベトナム側の代表のかたとUさんがお礼の挨拶を述べて、ベトナム人・日本人の観客の拍手の中で無事、ベトナムで初めての『夕鶴』の上演が終了しまし。

私の隣に座っていたベトナム人のお客さんに「どうでしたか?」と聞きましたら、「大変素晴らしい劇でした。そして質の高い・深い内容のある劇だと思いました」と喜んでいました。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ ■ 今月のニュース 「 日本の劇『夕鶴』ベトナムで上演・・・2分・2cmのこだわり」 ■ ■

まだ劇の練習をしていた時の、今から約1ヶ月前に、日本人の演出家・Uさんは、上演前に招待された観客の人たちの前で、「まだ舞台の道具も十分に揃っていなくて、大変申し訳ありません」と弁明していた。

また続けて「今日は予定時間通り、1時間10分で終りますが、上演当日は、観客の皆様がたに挨拶もありますから、1時間12分の時間を予定しています」と話していた。
すると招待されて席に座っていた、あるベトナム人の男子学生はプッと吹き出して思わず笑った。・・・(この日本の人は何を考えているんだろう?たった2分くらいのことをわざわざ言うこともないだろうに・・)と。

しかし結果としては、「たかが2分間」のことではなかったのである。
この劇の上演に参加した、画家のリーダーのLe Van Dinh氏は、首を振りながら感嘆したように言った。「彼等日本の人たちの仕事ぶりは、センチメーターまでどころか、ミリメートルの単位までも求めるくらいの正確な仕事ぶりだった」と。

我々ベトナム人は「大ざっぱな考え方」に慣れている。舞台に使う家の柱の大きさが、20cmだろうと22cmだろうとだろうとあまり気にしない。もし後で間違えていることが分ったら、(またやり直せばいいや)と考える。

しかし日本から来た舞台画家のA子さんは、舞台の景色を描く時に、細かい作業で色を吹き付けたり、霧のように吹いたり、色を何度も塗り直したり、線をこすったりして何度も納得のいくまで仕事をしていた。さらに驚いたことには、舞台にいる観客からは見えるはずもない家の中の天井にも、本物と同じように線を入れ、色を付けていたことである。Aさんが言うには「確かにお客さんからは見えませんが、すべてがいいかげんではダメです。本物に近い部屋で演技をすることが大事なんです」ということだった。

障子も最初は布で貼ったが、より本物に見せないといけないということで、紙を使用することにした。舞台に降らせる雪も純白の色ではなく、少し濁った白色を使っていた。そのほうが、実際の雪の色に見えるからだという。

また部屋にある囲炉裏の火もイミテーションの火の色をした布を使うのだが、その布が燃えるような感じを出す時に、いつも同じ高さの炎ではなく、高くなったり、低くなったりして、より本当の炎らしく見せる努力をしていた。

照明の技術もベトナムではあまり多種類の照明を用いないが、この劇では、楽しい時・悲しい時・驚いた時・孤独な時・一人で考えている時など、それぞれの場面でいろんな色の照明を番号を付けて、照明担当のリーダーの人が指示していた。

ベトナム人の照明係りも「今だかってこのような仕事のやりかたは経験したことがない。見ていると大変複雑に思えるが、一つ一つが細かく指示されているので、安心して仕事が出来る。本当にプロの仕事ぶりだなあと思う」という感想を述べていた。

先のLe Van Dinh氏は将来美術設計者の養成学校を開くのが夢だが、「私たちが見た日本の人たちは、何とすごいプロ意識に徹していることだろうか。本当に羨ましい」と称賛していた。

「つう」を演じた主演女優のPhuongさんは、上演前にその長い髪を、日本女性の髪型に合わせるために切られて、大変悲しそうにしていた。しかし日本の着物を何回か着ているうちに、だんだんと立ち居振る舞いも日本人特有のゆっくり・ゆっくりした動作が自然に出るようになった。Phuongさんは劇が始まる前には、こう語っていた。「私は今自分自身が日本人に変身したような気持ちです」と。

「与ひょう」役のTrungさんは、「彼等は本当に注意深い仕事をする人たちですね。おかげで全然ストレスなど感じることはありませんでした」と。

日本の劇『夕鶴』は大舞台で上演されるような劇ではない。一時間足らずの劇で、ストーリーも大変シンプルで、お金に目がくらんで夫婦の情愛を捨ててしまい、失って初めてその大切さが分るというような内容である。それはあたかも、ちょうど茶道の小さい一個の茶碗の中のような劇である。

しかしこの劇の素晴らしさももちろんあるが、この劇の上演の準備や練習を通して、日本人はいかに仕事に緻密で、細かく、準備を入念に怠りなくする人たちであるかを、ベトナムで演劇を学ぶ多くの人たちに教えてくれたこともまた大切なことなのである。

(解説)
この劇が終った数日後の新聞に、ベトナムの劇と日本のこの夕鶴の劇の違いが少し触れられていました。日本の劇・夕鶴は「つう」がそのまま亭主の「与ひょう」と別れて舞台は終ります。

しかしこの新聞の記事では、ベトナムの劇だったら、一度奥さんが家を出て行った後、「もうそろそろ亭主も後悔している頃だろな・・・」と思って、奥さんはまた家に帰って、奥さんの予想どうり亭主の後悔の言葉で最後はメデタシ・メデタシの形で終るだろうと書いてありました。

それを見て私も、「なるほどなあー」と思いました。どちらの形で終るほうがより余韻が残るだろうかなーと、しばらく考えたことでした。


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