アオザイ通信
【2003年7月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<ナム・カムとベッカム>

日本ももうそろそろ梅雨が明ける頃でしょうか。こちらは毎日夕方近くには大雨と雷に襲われます。まあ最近はこれにも慣れてきましたが・・・。むしろ雨が降った後は、涼しくなって気持がいいくらいです。

前回はSARSの影響で日本からも世界からも、ベトナムを訪問する観光客が大幅に減り、ベトナムの観光産業が大打撃を受けているという話しをしましたが、ようやく最近少しずつ日本人観光客が戻って来つつあるという記事が、こちらの新聞・Tuoi Tre(トウイ チェー)に載りました。確かに極端に減った時と比べると少しは増えて来たような印象です。

2002年は約1600万人の日本人が海外に出掛けて、そのうち約28万人の日本人がベトナムを訪問したといいます。この記事には以前は毎年伸びていた日本人観光客が、今年はSARSで大打撃を受けたが、残る後半で少しでも昨年並みに近づいてくれたら・・・という気持が込められていました。

さてそこで最近、ベトナム全土の耳目を集めたニュースをひとつ。ベトナム戦争終結後、ベトナムの犯罪史上空前絶後にして、最大・最悪のマフィアの親分と言われたナム・カムという人物に死刑判決が下りました。この日に判決を受けたのは全部で155人で、そのうち5人に死刑の宣告が下されました。

この裁判の模様は、法廷内にテレビカメラを持ち込んでの全国生中継という大掛かりなもの。裁判の公平さへの自信と、今後の見せしめのためにも公開したがいいという上層部の判断があったようで、このテレビ中継時にはみんなが路上にバイクを停めて食い入るように見ていました。

このナム・カムは、麻薬やワイロ・高利貸し・売春・殺人傷害事件などの犯罪でベトナムの裏社会に君臨していた大物マフィアで、人の噂では一ヶ月単位で日本円にして何と、約1千万円の収入(単純に考えても日本円に換算して1億円!)があったというくらいの、ものすごい大金を手にしていたといいます。

さらには公安の上層部にもワイロを贈り、公安の情報をつかんだり、捕まらないようにいろんな手を打っていて、これに連座してワイロをもらった公安も長期の懲役刑。裁判所の外ではみんなが塀の外に鈴なりになって見学していました。

そのナム・カムの事件の後に今度は、こちらの日本人の耳目を集めたニュースをまたひとつ。

サッカー界のスーパースター、あのベッカムがベトナムを訪問。日本でCM広告などでしっかり稼いだ後、今度はベトナムにも足を延ばして、こちらのCMにも出演してまた大金を稼いで帰って行きました。

ただこちらのベトナム人は、ベッカムに対しては日本ほどは騒がないし、熱狂的な追っかけファンもいません。その点はあっさりとしたもので、これは国民性というよりも、そういうのを煽るTVや雑誌など、日本のような狂騒的なマスコミがないせいかな〜と思います。

ベトナム人の友人に「ベッカムが来たようだね?」と聞いても「ああ、そうだね(それがどうした)」と、それ以上の反応はありません。

しかしベトナム人も熱しやすい証拠には、サツカーで外国との試合にベトナムが勝った時には、狂ったように国旗を手にしてバイクで繰り出す人が多い国ですので、そういう下地はあるのでしょう。

SARS対策で早めに情報を公開して、世界でいち早く終息宣言を出したことや、ナム・カムの裁判を全国にTVで生中継させて国民に見せたことなど、SARSの情報公開に致命的な失敗をして世界に失態をさらした中国とはまるで違うぞと言わんばかりに、ベトナムにも情報公開の考えが、以前よりも着実に上層部の方針として出来つつあるのかな〜という予感がしないこともないような・・・。

いずれはこのベトナムもTVや雑誌の統制がゆるくなり、ベトナムにも狂騒的なTVや雑誌などのマスコミが現われて、日本のようなスターの追っかけファンが出て来るのかもしれません。


フーンさんの子育て日記A

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これは日本人と結婚して、昨年初めて赤ちゃんを産んだベトナム人女性・フーンさんの半年間の子育てを、日記ふうに綴ったものです。
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*退院*

病院には2日だけ泊まり、家にはタクシーで帰りました。二階から昇り降りすると食事や、赤ちゃんの行水や、人が来た時に応接することなどが大変なので、実家から20年以上は経つ昔の大きい木のベッドを持ち込んで、一階に据えて寝ることにしました。

すべてが木で出来た昔のベッドですので柔らかいマットなどはなく、木の板の上にゴザを一枚敷いて寝ます。さすがに十日もすると背中や腰が痛くなって来たので、後では薄いマットを敷きました。しかも一階にはクーラーなどはなく、天井でクルクルと回る大きな羽根の扇風機だけですが、慣れているのでさほどさほど暑くは感じません。

私の母は寝る時には、固いタイルの床の上に薄いゴザを一枚敷いて寝ています。体の上には薄い一枚の生地の毛布を掛けているだけです。結局私が元気になるまで一ヶ月半は、そういう生活をして炊事や洗濯などをいろいろ助けてくれました。母には本当に感謝しています。

退院してもまだ私は体が完全には回復していないので、ずっとベッドに寝た状態でした。毎朝母が近くの市場に出掛けて、その日の食事の材料を買い、一日の食事を作ってくれます。そして一週間だけ病院の看護婦さんが家に出張して、赤ちゃんの行水の仕方を教えに来てくれました。

左手に赤ちゃんを水平に抱え、耳に水が入らないように右手で頭や顔を洗い、最後に体を洗います。そしてヘソの尾に薬を塗って帰って行きます。全部で30分も掛らないのですが、やはり慣れているのでしょうか、赤ちゃんは頭を洗っている時には、目をじっと閉じて気持良さそうにしています。これで一日30,000ドン(約230円)を払うことになりました。

それで私の母が、「毎日来てお金を払うのはもったいないから、洗い方を見て覚えたら一週間で断って、その後はあんたが自分で洗って上げなさい」と言うのでそうしました。そして自分で頭を洗って上げたのですが、やはりまだ慣れていないので、最初の日は気持良さそうにはしてくれませんでした。

私の手の上で動いて、あの看護婦さんのようにじっとしていてはくれません。でも2・3日すると私も慣れて来て、赤ちゃんも気持ち良さそうにじっと目を閉じてくれるようになったので安心しました。

つづく



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