春さんのひとりごと

<『ベトナムマングローブ子ども親善大使』十六周年を終えて>

今年で16回目に入ったこの夏の海外合宿「ベトナムマングローブ子ども親善大使」ですが、着実にベトナムの地に根を張り、芽を出し、枝を広げてきたような実感がします。ちょうど、生徒たちが植えた「マングローブの苗」と同じように・・・。

ティエラが実施している合宿には国内合宿もあれば、海外合宿もあり、主要教科を勉強する合宿もあれば、それ以外の合宿もあります。この「ベトナムマングローブ子ども親善大使」は海外で行う合宿ではありますが、主要教科を勉強する合宿ではありません。しかし、「学び」の合宿です。では、何を「学ぶ」のか。

1、「異文化」を学ぶ・・・日本からベトナムに行き、ベトナムの文化や歴史を学ぶ。

そのために、「ベトナム戦争」についての事前レクチャーを行い、その後「戦争証跡博物館」を訪問し、郊外の「クチ・トンネル」にも足を運ぶ。 カンザーでの「マングローブ植林」も行い、ベトナム戦争で破壊されたマングローブの植林活動を継続してゆく。

2、「国際交流」を学ぶ・・・ベトナムの生徒たちと交流会やホーム・ステイを実施する。

そのために、自己紹介出来るレベルの「ベトナム語」を身に付ける。それを指導するのもベトナムの生徒たち。ホーム・ステイではそれを駆使して自己紹介をしてもらう。

3、「自立心」を学ぶ・・・両親も家族もいない環境の中で、「自分のことは自分でやる」。

これは国内の合宿でも同じ。合宿中は部屋の掃除、片付け、洗濯、忘れ物無しなど、自分の持ち物、身の回りの「自分のことは自分でする」精神を養成。

4、人に対する「気遣い」「やさしさ」を学ぶ・・・異年齢集団の中で学ばせること。

先輩が後輩の面倒を見たり、先輩⇒後輩、後輩⇒先輩に対するように、相手を思いやる気持ちを育成。

● 今年を振り返って ●

1、行事の継続性

毎年同じ行事を続けているので、ベトナム側にも一週間の中でどういう行事をやるのかが分かってもらえるようになり、こちら側からは行事を行う予定の日程(ホテルの宿泊日、車の手配日、交流会の日、マングローブ植林の日)を通知するだけで、準備を漏れ抜けなくしてもらえるようになりました。

2、いろいろな変化の激しさ

<ホーチミン市内の変化>
ホーチミン市自体の街の変貌が目まぐるしい。定番の宿舎にしていたホテルが改修中で、昨年までずっと使用出来ていた小部屋が使えないままでした。 さらには、定番のベトナム庶民の味の「指差し食堂」が休業していたこと。昨年までは営業していた「指差し食堂」の経営形態が変わっていて、已む無くラーメン屋に行くはめに。

<カンザー郡での変化>
カンザーで行っていた「マングローブ植林」でもまた変化が。カンザー到着二日目に、日本の生徒たちだけで植えていた場所に小屋が建ち、以前植えていたマングローブの半分以上が刈り取られていました。仕方なく、今年は別の場所に植えることに。 よくよく聞けば、我々がいつも歩いて行っていた先で橋の工事をしていて、その橋が完成した時、今までボート・トリップで訪問していた「ゲリラの基地」まで歩いてゆけるようになるとのこと。

実際に、この二週間後に大阪の『追手門学院大学』の学生たちがカンザーでマングローブの植林を行った翌日、ここを全員徒歩で行くことになりました。係員の説明では「片道二キロ。歩いて25分で到着」と話していましたが、事実その通りでした。

今まで「ゲリラの基地」に行くためには、ボートに乗って行くしかなかったのですが、そのボートは海水が干潮の時には動かず、海水が満ちて来るまでじーっと待たなければいけなかったのです。この移動手段だと、ボートに乗るのは不要になります。

カンザーでの、日本の小・中学生とベトナムの小学生たちによる「日越友好マングローブ植林」を終えた第一日目、カンザーのホテルに着いて地下足袋の汚れを海で洗いに行くことに。今年その海に行こうとして驚きました。ホテル近くの海の周りに長い塀が張り巡らされていたのは昨年もそうでしたが、それでもゲートは開いており、観光客は自由にそのゲートの開いた場所から出入り出来ていました。

しかし、今年はそのゲート自体が閉まり、中に入れない。仕方なく、ゲートまで近づいて行き、そこから先のほうを見ると、さらに驚くべき光景が・・・。海が見えない!昨年まで広がっていたはずの海が見えない。ずっと先まで土砂を入れて埋め立てられていたのです。

塀の前に掲げてある完成予想図を見ると、ここは港湾になり、その湾の回りに大きなビルやマンションが描いてあります。かなり広い範囲で海を埋め立てて、そこにビルやマンションを建ててゆく計画のようです。

ここを一年に一回しか訪れない我々にとっては、海で地下足袋を洗えない、海で泳ぐことが出来ないくらいで済みますが、カンザーの海を目当てにやって来る観光客を相手に商売をしている商店やホテルやレストランは大打撃でしょう。事実、我々が泊まっていたホテルには、この二日間我々以外のお客はいませんでした。平日だったということもありましょうが・・・。今年は様々な変化を目にした年でありました。

● <親善大使>1日目 ●

★ ベトナムに到着。オリエンテーション ★

今年もまた2016年度の『ベトナムマングローブ子ども親善大使』が始まりましたが、今年は全員で10人、ちょうど上手い具合に男子・女子5人ずつでした。今年の女子生徒の面倒を見てくれるのは、Trang(チャーン)さん。今年初めての参加です。

彼女が今年の女子班の世話役に決まったのは、「親善大使」がベトナムに来る10日ほど前のことでした。彼女に面接した時に、体は小柄ながらも、その受け答えがしっかりした返事だったので、「今年はこの人に決めよう!」と思いました。そして。それが正解でした。さらには、彼女は「私は子どもが好きです!」とも言ってくれました。

そしていろいろ話してゆくうちに驚いたことが・・・。彼女は今「ホーチミン市師範大学」の三年生なのですが、そこで以前日本語を教えておられた「井浦あすかさん」が受け持っていたクラスの教え子なのでした。「井浦さん」はそこで、日本語を教えながら「居合道」も教えておられました。

「井浦あすかさん」は私も知っていますよと言いますと、今度はTrangさんも驚き、表情がパッと明るくなりました。Trangさんと別れた後、井浦さんにそのことを報告しますと、井浦さんも「そうですか!」と言って喜んでくれました。

今年はこのTrangさんという小柄ながらも、子ども好きなスタッフが女子の世話係りとして仲間に加わり、2016年の「ベトナムマングローブ子ども親善大使」を一週間乗り切ってゆきました。

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Trangさんとは当日早めに落ち合い、一緒に昼食を摂りながら、一週間の運営案を渡して打ち合わせしました。そして、バスで空港に向いました。私達二人が空港に着いた時にはまだ「Arrived」の表示は出ていません。しばらくゲートの前で待つことに・・・。

そして、しばらくした頃、みんなゲートから出て来ました。今年の引率は今までのYさんからFTさんに代わりました。FTさんはベトナム訪問は初参加でしたが、アメリカでの合宿には毎年生徒を引率していますので、合宿経験は豊富な人です。

空港正面にある<日越友好のパネル>の前で写真を撮るために全員整列。そして、車に乗り込み、ホテルに向けて出発初。今年の生徒たちも、バスに乗って席に座るやいなや、すぐカメラを取り出して、窓の外に流れるバイクの群れの光景をバチバチと撮り出しました。Trangさんはそれを見て笑っています。ベトナム到着初日の強烈な第一印象は毎年このバイクの群れです。

そして夕食前に、ベトナム初日の「オリエンテーション」。まず私からベトナムについての簡単な説明をし、今回の一週間のベトナム訪問で、ベトナムの国のこと、文化、歴史、料理、習慣、・・・などなど、いっぱいいろんなことを学び、さらには、この「親善大使」の合宿で『このベトナムで初めて出会ったみなさんが、この一週間仲良く過ごし、いい思い出を創って日本に帰国してほしい』ことを伝えました。さらに、男子・女子の班長や役割分担も決めました。

そして生徒たちには、①『自己紹介』から始め、②この『合宿に参加した理由』。③『この合宿での目標』について一人・一人に話してもらい、後でそれをレポートにまとめてもらうことにしました。

『自己紹介』を終えて、夕方6時から夕食へ。この夕食会場へは、昨年と同じようにSaint Vinh Son 小学校の運営責任者・Fさんもご招待しました。そして夕食会場へ移動。夕食会場は昨年と同じく、ホテルの近くにあるHue(フエ)料理の店『Mitau』

最初に飲み物の注文をします。今年も全員一致で【ココナッツ・ジュース】。すぐに出てきました。Trangさんがココナッツの飲み方を紹介してくれます。フタを取るとその裏側に白いのがあり、それをスプーンで削ると食べられることを実演してみせます。

しかし、この日の夕食では全員食欲旺盛で、出されたものは全部平らげてしまいました。みんな元気でした。この時、日本時間では9時を過ぎている頃でしたが、眠たそうな表情をしている生徒は一人もいませんでした。

そして、夕食後ホテルに戻り、「ベトナム戦争」についての勉強会。明日『戦争証跡博物館』を日本人の生徒たちとベトナム人の生徒たちと全員で訪問しますので、事前学習をすることに。私が事前に用意していた「ベトナム戦争」についての概略を配り、それについてFTさんがさらに解説。

● <親善大使>2日目 ●

★ ホーチミン市内観光。ウエルカム・パーティー ★

今日からいよいよ、ベトナムでの「マングローブ子ども親善大使」の活動が開始。今日は朝から10人のベトナム人の生徒さんたちが集まってくれました。食堂の中で、日本とベトナムの生徒たちを集めて、お互いに簡単な自己紹介。

今回も日本の生徒たちをサポートしてくれるのは、『村山富市記念日本語学校』の生徒さんたちです。全員で10人がこの日に集りました。この「村山富市記念日本語学校」というのは、あの「村山元首相」が資金を援助して、ベトナムの公立学校の中に創った日本語学校です。

この日集まってくれた10人のベトナムの生徒さんたちは、今「村山富市記念日本語学校」で日本語を教えているHuong(フーン)さんが声を掛けてくれて、ここに参加してくれたのでした。そして、これから続く交流会において、メンバーは入れ替わっても、Huongさんはいつも10人の生徒さんたちを集めてくれました。Huongさん自身がかつて同じようにこの行事に参加してくれていたので、積極的に教え子たちに呼びかけてくれたのでした。有り難いことです。

ホテルを出て最初に向かったのは、両替屋さん。バイクで道路を渡る時の注意点を念押してからホテルを出発。十分足らずで両替屋さんに到着。今日の両替レートを聞くと何と、「1円=220ドン」。昨年2015年のこの時期は「1円=176ドン」。2014年は「1円=205ドン」。2013年は「1円=214ドン」でしたから、今までの中で一番レートが良かったです。今年の生徒たちは大変ラッキーです。生徒たちは2000円ほどの日本円をベトナムドンに両替しました。

その後、昨年新しく出来上がった「歩行者天国」のNguyen Hue(グエンフエ)通りへ。ここには以前、人民委員会の前に「子どもを抱いたホーチミンさんの銅像」がありましたが、この通りが「歩行者天国」になったことで撤去されて、新しい「立って右手を掲げたホーチミンさんの銅像」になりました。その前に立ちみんなで記念撮影。

次に「聖母マリア教会」に行き、そこでも記念撮影。この日は快晴でした。青い空にレンガ色の教会が美しく映えています。その前に立ち、全員で記念撮影。その後、すぐ眼の前にある「中央郵便局」へ。

そして、統一会堂前の公園に着いて毎年恒例の「実践ベトナム語教室」の特訓。もはや、「親善大使」の定番になりました。毎年涼しい木陰の下でのベトナム語教室を開いています。今年の日本から来た生徒は10人。この日集ってくれたベトナム人の生徒さんもちょうど10人。一対一のマン・ツー・マンで出来ることになります。

3人掛けのベンチにベトナム人の大学生と日本人の生徒が座って「ベトナム語」の勉強会が始まりました。事前に「ベトナム語・シート」を配り、その中の単語、文例を中心に学びます。日本人の生徒たちとベトナム人の生徒たちが今年も同じ人数ですので、マン・ツー・マンで教えることが出来ました。これもあのHuongさんの尽力のおかげです。

毎年この公園では、ホーム・ステイ先で必ず使うであろう、「こんにちは」「こんばんは」「私の名前は○○です」「○○歳です」「○年生です」「ありがとうございます」「美味しいです」「さようなら」などを、特に中心にして覚えてもらうようにしています。何回もやり直ししては、先生役のベトナム人の大学生からやり直しをさせられます。

10時45分から始めた「ベトナム語教室」は11時40分に一旦終了し、みんなの前で一人・一人がその成果を発表してもらうことに。ベンチの上に立ち、「こんにちは」「私の名前は○○です。」「○○歳です。」「ありがとうございます」・・・などをベトナム語で発表して、それを聞いたリーダーのHuongさんがチェックします。この公園で「実践ベトナム語」を勉強したのは一時間足らずでしたが、短時間ながらみんな結構上達しました。

そして、十人の生徒のうち五人ほどが終ろうとする頃、空に黒々とした雲が漂い始めました。(ああ、もうすぐ大雨が降るな・・・)という予感がしたので、出来るだけビルに近い場所で発表しようとして、そこで一人目が発表している時に、やはり大雨が!すぐに近くにあるDiamond Plazaビルに駆け込みました。少々濡れましたが、滑り込みセーフ。

Diamond Plazaビルにあるフード・コートにそのままエスカレーターで上がります。昨年と同じようにLotteriaで昼食を摂ろうとしたら、その店は無くなり、ピザ屋さんに変わっていました。仕方なくそこに腰を下ろしました。

今のサイゴンはとにかく変化が目まぐるしい。「昨年あった店やレストランが今年もそのままあると思うな!」が、今後の戒めです。まあ、でもレストランそのものが無くなったわけではなく、別の店がそこに入って営業はしているので、食事すること自体は問題なし。

そして。午後一時半頃にようやく雨が止んだので、Diamond Plazaビルを出ることに。ビルを出た所で、大雨で中断していた残り四人の自己紹介を再開。このビルの警備員が寄って来て、注意をするでもなく、じっとそれを見つめています。「日本人の生徒か?」と聞くので「そうだ」と答えると、ニコッとして笑います。

そして、次は『戦争証跡博物館』に行くことに。そこに行く時には「村山富市記念日本語学校」の前を通ります。今日案内してくれている大学生たちの母校でもあります。ちょうど生徒たちの下校時間になり、生徒たちがぞろぞろと門から出て来ました。そこで「村山富市日本語学校」の看板をバックにして、全員で記念撮影。

そして『戦争証跡博物館』に到着。ここ『戦争証跡博物館』では、二時間ほど見学しました。昨年Linhさんが生徒たちに説明してくれたやり方と同じように、今年もTrangさんの側で解説を聞きながら順路を回るようにしてもらうことに。但し、ここは毎日観光客が多いので、写真をじっと見ているうちにはぐれることは大いにありえるので、もしはぐれた場合の集合時間と場所を指示しておいて、Trangさんに先に歩いてもらうことに。

『戦争証跡博物館』訪問を終えた頃、またまた空が雲って来ましたが、いつものようにアイスクリームが有名な喫茶店「Bach Dang (バクダン) Café」へ。『戦争証跡博物館』訪問を終えた後には、いつもこの店でジュースを飲みます。ここで有名なのがココナッツの中にアイスクリームが入ったもの。数名がそれを頼んで「美味しーい!」と言って喜んでいます。

さらには、一人の生徒はアイスクリームを食べ終えたその外側のココナッツの殻を「記念に持ち帰りたい!」と言って、中の白く柔らかい部分をスプーンで必死にこそげ落としています。全部落としたものをビニール袋に入れて、ニコニコして「これを日本に持って帰ります」と喜んでいました。(しかし、残念ながら翌日それを部屋に置いたまま外に出かけて、またホテルに帰ると、掃除婦の人がゴミと思ってそれを捨ててしまっていました)

そして、夕方から「ウエルカム・パーティー」がスタート。当日蓋を開けてみるまでは、実際に何人の生徒たちが参加するかは私自身も分からないので、不安な気持ちで待ち続けているのですが、6時10分頃にはすでに8人ほどが到着。

しばらくしてさらに一人が来て9人が揃いました。最後の10人目となる一人はホーチミン市内の地理に不案内のようで、一時間ほど遅れてようやく到着。一時間遅れても<交流会>に行こうと思う、その気持ちが嬉しいですね。結局、最終的に10人が参加しました。全てこれもHuongさんが声を掛けてくれたおかげです。

席の配置は日本の横にベトナムの生徒が交互に座るようにして、お互いが自己紹介しやすいようにしました。ジュースが出て、料理が出始めたころからだんだんと打ち解けてきました。料理が一通り出て、一段落した後、日本人の生徒たちが歌うとベトナム人の生徒たちも歌い始めます。後は自然と「交流会」の名に相応しい雰囲気になってきました。今年も大いに盛り上がりました。

8時半頃に「ウエルカム・パーティー」が終わり、みんながお別れの挨拶をします。そして、この後は日本の男子・女子別れて、それぞれのホーム・ステイ先の家に行きました。

● <親善大使>3日目 ●

★ 「友好協会」訪問。ベトナムの生徒たちとの交流会 ★

朝に男子・女子の班がホーム・ステイ先から帰りました。この日は「ホーチミン市友好協会」に行き、そこでもまた交流会をします。そのために、午前中いっぱいの時間を使い、交流会で披露する出し物の準備。

「友好協会」での交流会の開始時間は3時からですので、2時半頃ホテルを出ました。2時45分に「ホーチミン市友好協会」に到着。ベトナム側の生徒たちも少し遅れて、次々と部屋に入って来ました。

我々が部屋の中に入りますと、昨年と同じく「ホーチミン市友好連合委員会」の議長・Nguyen Cong Tanh(グエン コン タン)さんが出て来られて、我々に挨拶されました。Tanhさんは昨年も私たちの対応をして頂きました。私とは今から18年前にお会いしたことがあります。

3時過ぎには生徒たち全員が集まりました。ここでも最終的に10人が揃いました。ここには男子のホーム・ステイ先の生徒も参加してくれました。座席配置は、ベトナム人の生徒と日本人の生徒たちが隣同士に座るようにしました。

最初にTanhさんから歓迎の挨拶がありました。

「今年もまた日本からみなさんがベトナムに来て頂いて大変感動しています。今年もまたカンザーでマングローブの植林をすると聞いています。大変素晴らしい活動だと思います。そして、今回もまたこのような交流会にも参加して頂いて、嬉しいです。今後もこのような形での交流会が続き、さらにまた日本とベトナムの友好親善が長く続くことを希望しています。今日は、特にみなさんが毎年訪問されるクチについて話したいと思います」

と言われて、「クチ・トンネル」についての話を、日本語でゆっくりと説明されました。
Tanhさんは日本語も達者ですので、通訳の必要はありません。15分くらい「クチ・トンネル」についての説明をされました。それに対して私がお礼の挨拶と、今回の「親善大使」がベトナムに着いてから今日までの活動を説明しました。

そして次にベトナム、日本双方の生徒たちの自己紹介をしました。そしてまずベトナム側の生徒たちが歌を歌います。それに対して、日本の生徒たちもまたお返しに歌を歌いました。最後はベトナムの生徒、日本の生徒全員が舞台に出て「ドラえもん」の歌の合唱になりました。

交流会は夕方5時までぐらいまで続きました。生徒たちはお互いの連絡先を聞いたりしていました。この「親善大使」の行事が終っても、この生徒たちの中から連絡を取り合い、交流を続けてゆく生徒たちも出てくることでしょう。

夕食後ホテルで、翌日の「カンザー」での<マングローブ植林>のために、マングローブについての「マングローブ学習会」を食堂で実施。この時、生徒たちにはマングローブの本のコピーを全員に配りました。マングローブについての概略と、それが海岸地帯で果たす役割について説明。翌日はそのマングローブの現物を自分の眼で見ることになります。

● <親善大使>4日目 ●

★ カンザーへ移動。第五回<日越友好マングローブ植林> ★

今日からいよいよ『マングローブ植林』のために、2泊3日のカンザーへの移動です。『マングローブ植林体験』への意欲は、全員が抱いていました。今年頼んだレンタカー会社も昨年と同じく、私の知り合いの会社。運転手さんも昨年カンザーに行ってくれた人と同じでした。それだけに、カンザーでの行程を良く知っているので、私も苦労が少なくて済みました。

9時ちょうどにフェリー乗り場に到着。全員車から一旦降りてフェリーに乗り換え。対岸に着いたところがカンザー郡。この日は快晴。フェリーが対岸に着いたところで、『カンザー森林保全局』で待機しているLong(ロン)さんに連絡しました。

今年もこの時点で、「ベトナムの生徒たちはもう着いていますよ!」というメッセージが届きました。毎年「何時頃森林保全局に着くか」のパターンが分かっているので、向こう側も対応し易くなっているようです。車は一路目的地『カンザー森林保全局』を目指して走ります。

途中で、毎年恒例の「マングローブの森が一望に見える橋の上」で記念撮影。そして、予定通り、ちょうど10時半に森林保全局に到着。日本の生徒たちが会議室のような広い部屋に入ると、今年もベトナムの生徒たちが拍手で迎えてくれました。ベトナムの生徒さんたちも昨年と同じく10名待機していました。今年は5年生が5人。4年生も5人です。この中には、昨年も参加していた生徒が二人いました。

すぐに、ベトナムの生徒たちには日本から持ち込んだ名札を渡しました。先ずは、ベトナムと日本の生徒の双方が自己紹介をしました。ベトナム側の紹介はTrangさんが通訳します。日本の生徒たちは昨日覚えたばかりのベトナム語を駆使して、ベトナム語で紹介しました。たどたどしいながらも、みんな一人・一人最後までベトナム語で自己紹介をしました。それを聞いて、ベトナムの生徒たちも笑っています。

それから先ずベトナム側の生徒たちから、日本の生徒たちのために、歌の合唱をしてくれました。2曲も披露してくれたので、そのお返しに日本の生徒たちも同じく2曲を歌いました。そして次は、「ドラえもん」の歌を日本の生徒たちとベトナムの生徒たちの全員で歌いました。そして、日本の子どもたちは日本から持参したプレゼントの進呈。ベトナム側の生徒たちからもプレゼントのお返し。

さらに、昨年の「日越友好マングローブ植林」の写真を学校と「森林保全局」にプレゼント。日本側の男子・女子の代表が一人ずつ出てもらい、学校の先生とLongさんに渡してもらいました。

そしてその後、いつものようにLongさんがパワーポイントを使用してカンザーの歴史やカンザーの特産物について説明。彼がベトナム語で話しているのを、今年はTrangさんが日本語で説明。

お昼になり、昼食場所まで歩いて移動。昨年と同じく、今年も「森林保全局」の中にあるレストランで昼食。席の配置はこの時も日本とベトナムの生徒が交互に座るように着席。

料理が出てくるまでの時間を利用して、日本の生徒たちが折り紙をベトナムの生徒たちに指導。この日ベトナムの生徒たちのために、前日までたくさんの折り紙を作成していて、それをここに持ち込みました。それをベトナムの生徒さんたちにプレゼントしました。

料理が出てくるまでの間、この折り紙での交流を続けていましたが、最初にお互いの名前も知らない状態から交流を進めるのに、この折り紙というツールは大変効果的でした。

しばらくすると料理が出てきました。この日のメニューも、昨年と同じく、事前に私のほうに4種類ほどの選択誌の中からメニューを選ぶようにという依頼が来ましたので、その中の一つを選びました。魚の煮付けや野菜炒め、鍋類を頼んでいました。貝類を食べてカンザーで具合が悪くなってはいけないので、敢えてメニューには入れませんでした。

昼食後はプレゼントしたサッカー・ボールでみんなが楽しんでいました。今年はこのサッカー・ボール以外にいろんな小道具を持ちこんでいました。「紙風船」「剣玉」です。たまたまある生徒の一人がこの「紙風船」と「剣玉」を持ち込んできていましたが、これもまた数人で遊ぶには便利なツールでした。これは室内ででも出来るし、広い空間を必要ともしないし、費用もさしてかかりません。

昼食後しばし休憩して、2時前頃に「森林保全局」のほうにみんな移動。ベトナムの生徒たちはそこで長靴に履き替え、日本の生徒たちは地下足袋に履き替えます。この事務所の入り口の壁には、このカンザーに来たいろいろな団体の写真が掲示してあります。今まで寄贈したTierraからの額入りの写真も掲示されていました。

2時にバスに乗って植林場所に移動。ベトナム人の生徒用には、車が別に一台用意されていて、ベトナム人の生徒さんたちはそれに乗って出発。15分ほどして車は植林場所に到着。

しかし、今年もいつもよりも手前の場所でバスは停車。前日の雨で道が悪路になっています。あまりに穴が深くて、板を渡している箇所もあります。植林場所に着いたようで、 右側の林の中に入りました。その地面がぬかるんで、ベトナム人の生徒たちも日本の生徒たちも悲鳴を上げます。確かに、足首まで入り込みます。ここを通過するだけで泥だらけになりました。

そして着いた植林場所には、すでにその前の人たちが種子から植えたマングローブが広がっている区画がありました。一年くらい前のようです。その近くに、苗と地面に穴を掘るためのスコップが置いてあり、それを各自手に持って植林の開始。

「ベトナム人の小学生の生徒たちと一緒に交流会&植林活動」

の第5回目がいよいよ始まります。

生徒たちは、一人がマングローブの苗を3・4本手に持ちました。今年も種子を地面に挿す植え方ではなく、土をスコップで掘り、事前に苗床で育成されて、少し生長した苗を植える方法です。「森林保全局」のスタッフがみんなに植林の仕方を説明します。

苗は2~3年掛けてポットの中で育てて来た苗で、高さが1mくらいに成長していました。今年植える苗の種類も、昨年と同じ「ルムニッツエラ」という名前のマングローブです。今年も昨年と同じく一人につき5本用意してもらいました。

穴は縦横が30cm、深さが40cmになるまでスコップで堀り、そこにポットから出した苗を入れる。地面に穴を掘る作業は簡単なようですが、日本の小・中学生にはこれがなかなか難しい。

しかもこの日の植林場所の地面は固い。スコップの歯に足を上から当て、子どもの全体重を掛けて上から押し、スコップを地面に突き立てて、それをボコッと上にこねないと穴は空きません。そのコツをつかむまでに、3・4回は掘らないと分りません。

今日のこの時間太陽はジリジリと照り付け、炎天下の中での穴掘りになりました。しかし、今年の日本の生徒たちとベトナムの生徒たちは意識して、協力して苗を植えるようにしましたので、お互いが力を合わせて植林している光景になりました。

一人が穴を堀り、一人が苗を入れて植える作業をお互いに組んでやっていました。全員最後まで協力して植林を完了しました。まるまる一時間半ほどかけて、参加者全員で植林終了。それから、ベトナム人と日本人の生徒さんたち一人・一人に【植林証明書】の手渡し式。

封筒の大きさで、今日の日付、各自の名前が印刷されていました。今年も日本人の生徒たちに加えて、ベトナム人の生徒さんたちの分も作成してもらいました。日本の生徒たちにはFTさんが渡し、ベトナムの生徒たちにはTrangさんから渡してもらいました。

【植林証明書】を渡した後、そこから少し離れた場所にある、マングローブの苗が生長しているところで、「2016年第5回日越友好マングローブ植林」完了の記念写真の撮影。多くの人たちの協力を得て、5回目の「日越友好マングローブ植林」が終わりました。今年もまた大成功でした。日本からは10人、ベトナムからも10人の生徒たちが同数で参加してくれました。

二時半過ぎから始めて、三時半頃まで植林活動を一緒に行いましたが、ベトナムの生徒さんたちともここでお別れです。来年また会える生徒たちもいることでしょう。マングローブの苗の生長と生徒たちの成長が楽しみです。

● <親善大使>5日目 ●

★ カンザー動物園&ゲリラの基地訪問。マングローブ植林体験2回目 ★

カンザーでの二日目。この日は終日カンザーで行動予定。朝から快晴。朝食はいつものビュツフェ形式と思いきや、お客さんが我々以外はほとんどいないので、各自が自分で食べたいものを選ぶやり方。この日のメニューは三種類だけで、麺類かパンと卵焼きのどちらか。

ホーチミンの時のホテルの朝食の時と同じように、食べ物にどんな物があるのか、飲み物は何があるのか、日本の生徒たちが眼で見て分かるように、その実物のサンプルを和ぁつぃから従業員の人にお願いしてカウンター上に並べてもらいました。ベトナム人であれば、ベトナム語で朝食のメニューを説明すれば分かります。

しかし、日本の生徒たちはベトナム語のメニューを言葉で説明しても想像が出来ません。それで、こういう風にこの日のメニューのサンプルを眼の前に置いてもらえれば、自分がそれを見て好きな物を容易に選ぶことが出来ます。

朝食を終えた後、9時に「カンザー動物園」に向けて出発。入り口で切符を購入。今年の入場料も昨年と同じく日本人は一人6万ドン(約330円)。ベトナム人は半額の3万ドン。バスから降りたところにもサルがいました。

それで、再度諸注意をします。【各自の手にはビニール袋類を持たないこと】や、女子5名のうち、特に体の小さい子を取り囲むようにみんなで歩くように指示。サルは女の子や、背の小さい子どもに集中的に襲い掛かるので、【背の高い男子で囲んで女子を護る】ようにする。昨年は三人もサルにメガネを奪われたという苦い経験があるので、特にメガネをしていた生徒にはこの時メガネを外すように指示。

その後、「カンザー博物館」に入場。館内には、『戦争証跡博物館』にあった写真と同じものが掲示されています。サイゴンの、あの博物館にあった写真の幾つかは、実はこのカンザー地区に撒かれた枯葉剤で枯れたマングローブの写真であることを説明しました。

目の前にマングローブの林が広がっています。かつてこの区域には、このようにマングローブが茂っていたことを説明。ここ「カンザー」も、ベトナム戦争当時は激しい戦いがおこなわれ、大量の枯葉剤が撒かれてマングローブの森が消滅したことを話しました。

そこを出て、クリークの中を流れる水を見ると、低い水位になっています。「何時頃ボートに乗れるか?」と聞くと、何と「午後2時頃だ」との答え。午前中の「ゲリラの基地」訪問は無理になりました.であれば仕方無し。ワニ園に先に行くことにしました。

生徒たちには毎年恒例の「ワニ釣り」に挑戦してもらおうと思いました。そこに着いてから係員に聞くと、「今日は出来ない。ダメだ」との返事。どうやら、「ワニ釣り」のエサに使うウナギが調達できなかったようでこの日は無理でした。残念でした。

この日この時、ボート・トリップもダメ。「ワニ釣り」もダメであれば、第二回目のマングローブ植林を行うことにしました。それで、一旦また車の場所まで戻り、地下足袋に履き替え。

地下足袋を履いたそのままの格好で歩いて「第2回マングローブ植林」に行くことにしました。向こう側から歩いてくる観光客たちが、生徒たちの足元を指差しています。地下足袋は外国には無い靴なので、オカシク思ったのでしょう。

いつも歩くまっすぐの一本道を歩いて行きます。歩きながら、道の上に落ちているマングローブの種子を各自で拾い集めます。至る所に落ちています。20分ほどかけて自分たちで種子を拾い集めました。一人平均で20本以上は拾いました。みんな手に持っています。手にビニールを持つとサルに襲われて危険なので、今年も苗は手に持って移動することにしました。

しかし、いつも植林している場所まで歩いてゆきましたが、今年は昨年とは違う変化が・・・。今までこの一本道を歩いている時、我々以外は誰にも出会わなかったのに、今年はバイクが二台、三台と我々が歩いている横を通り過ぎて行きます。良く見ると、公安の制服を来た男性もバイクに乗っています。

(何が起きているのだろうか・・・)

と不安になりながら、昨年生徒たちが植えた場所まで歩いて行くと、そこには思いがけない光景が!!今まで植林していた場所の真ん中に小屋が建っていたのでした。そのために、今まで生徒たちが植えていたマングローブの半分以上が切り取られて無くなっていました。

まあ、この場所はたまたま川沿いの空き地を見付けて今まで植林していたので、切り払われても文句は言えないのですが、今まで植えた苗が大きく育つのを見るのが楽しみだっただけに残念です。

さらにそこから左に曲がり、先に進んで行くと、橋の工事をしていました。何の工事をしているのか、Trangさんに聞いてもらいました。すると意外な返事が・・・。この橋は「ゲリラの基地」に歩いて行く観光客のために工事していると。

今まで「ゲリラの基地」まで行くにはボートに乗って行かないとたどり着けないのでしたが、この道を通れば歩いてそこまで行けるというのです。「ゲリラの基地」にボートで行くには、一隻のボートの値段が60万ドン(約3千円)します。

それで、歩いてでも行けるように、こういう工事をしているのかな?と予想しました。とすると、さっき見た小屋は、歩いて「ゲリラの基地」に行く人たちからそこで入場料を取るためか、または売店なのでしょう。(事実、後に訪れた時には、ここに飲み物が置いてありました)

しかし、我々がさらに歩いて行くとまたさらに橋が架かっていましたが、ここまで来てもまだ「ゲリラの基地」自体は見えてきません。後で聞けば、そこから後200mくらい行けば着くとのことですが、結構な距離があります。それで引き返しました。

今年は工事していた橋の下で植林することに。この時若い男性が一人橋の工事をしていましたが、何も言いませんでした。むしろ、興味深そうに眺めていました。今年ここに植えた生徒たちにとっては、新しく場所を変えて植えたので、ここが初めてになり、自分たちが植えた苗の成長ぶりを見ることが出来ます。

植林が終り、レストランで昼食を摂ることにしました。このレストランはポテト・フライとチャーハンが絶品で、男子はお代わりをしていました。そして、お昼を食べ終わった頃から強烈なスコールが襲来!!まさに「車軸を叩きつけるような雨」という形容が相応しいような大雨です。

ボートに乗るにもまだ時間は早いし、外で遊ぼうにも大雨だし、レストランの中で待機するしかないので、ここで昨日と今日の「マングローブ植林体験」の感想文を書いてもらうことに。感想文書きのタイミングとしてはいいタイミングでした。

しかし、この「感想文書き」のために、車に入れていた筆箱を取りに行った男子が筆箱を車から出して手に持った瞬間、サルが奪い去ってゆきました。その間一瞬の業。サルはすばやい。油断は出来ないと思っていたら、今度はTrangさんが手にしていたジュースの缶もサルに奪い去られました。今年の被害はこの二つ。

そろそろ二時になって来たので、二時過ぎに私がボートのほうに行き、そこの係員に聞いても「まだダメだな。今日は3時頃にならないとボートは動かない」との返事なので、それまで待機。その間またまたスコールの来襲。しかし、今年の生徒たちは運がいい。建物の中にいる時にだけ大雨になりましたが、外に出た時には雨は降らず。

スコールがちょうど終った頃、ボートでゲリラの基地に行くことが可能になりました。この日は雨で待機していたせいか、ゲリラの基地を訪問する観光客が多かったですね。今年のボート代も一隻が60万ドン(約3300円)。2隻で行くことにしました。

3時半には目指すゲリラの基地に到着。建物は今までと違い、至る所で改修工事が進んでいたので、やはりあの工事中だった橋の道路と繋がるのは間違いなさそうです。ゲリラの基地訪問は4時30分に終了。カンザーでの行事はこの日で終了しました。

● <親善大使>6日目 ●

★ カンザー⇒ホーチミン市へ。「Saint Vinh Son小学校」訪問 ★

この日はホーチミン市に戻って、午前中に「Saint Vinh Son小学校」を訪問します。
ホーチミン市に戻る途中で、十年前に生徒たちが植えたマングローブの林の前でバスを停めてもらいました。今年参加した生徒たちに「今から十年前に君たちの先輩たちが植えたマングローブを見せてあげますね」と言って、生徒たちにも見てもらいました。

そこは道路のすぐ側にありますので、生徒たちの足でも歩いて行けます。昨年もバスから降りて見ましたが、今年はさらに大きく成長していました。生徒たちに「最初に植えた時には、鉛筆くらいの大きさしかなかったのに、今はこんなに大きくなりました。みなさんが今年植えたマングローブも、十年後にはこのように大きくなっているでしょう」と話しますと、生徒たちもじーっと耳を傾けていました。

9時半過ぎにニャー ベー・フェリー乗り場に到着。そこから歩いてフェリーに乗り、対岸に渡ったところで、Fさんに「今からそちらに向かいます!」と連絡。ここからだと10時半ぐらいには「Saint Vinh Son小学校」に着くでしょうと連絡を入れますと、「分かりました。生徒たちも待っています」との、Fさんからの返事。

生徒たちにはこの学校訪問の前に、「君たちが今日本にいるティエラの生徒の代表として、【がんばりポイント】を寄付してくれた生徒たちに代わって、“頑張ってね!”と、こころを込めて制服を渡して下さいね。」と話していました。

今年も生徒たちに新しい制服をプレゼントするので、それを渡す時に昨年と同じように、「頑張ってね」をベトナムで言えるように練習。Trangさんがまずその言葉をベトナム語で教え、その後生徒たちがそれに続きます。車の中でその言葉の練習が続きます。何回も練習してゆくうちに段々上手くなってきました。運転手さんも車を運転しながら笑っています。

そして、10時半少し過ぎに「Saint Vinh Son小学校」に到着。Oanhさん、生徒さんたちが待っていてくれました。日本の生徒たちも挨拶をします。今日のこの時間帯には、小学4・5年生の全学年の生徒さんたちが勉強していました。我々がクラスに入ると同時に、ベトナムの歌を披露してくれました。これは二つのクラスにおいてそうでした。

Oanhさんから、日本から来た生徒たちの紹介があり、私が改めてベトナムの生徒たちに、この学校を訪問した目的(毎年一回の交流会と生徒たちへのプレゼント)を話します。そして、日本の生徒たち一人・一人がベトナム語で自己紹介をします。

それから、この日に集まった全ての生徒たち一人・一人に、日本の生徒たち一人・一人が自分の手で制服を渡してくれました。ここ数年は制服の進呈をすることが恒例になっています。今年はさらに、ボールペンとノート一式。インスタント・ラーメンも用意してありました。

生徒さんたちも、実に嬉しい笑顔をして受け取っていました。日本の生徒たちはここでもまた深い交流が出来て嬉しそうでした。そして貧しいがために学校に行けない生徒たちがこの地球上に、そしてこのベトナムにもたくさんいるのだという現実も知りました。

この日、4・5年生たち全てのクラスの中に入り、全員に渡しました。「また来年会いましょう!」と言って、一時間ほどの「Saint Vinh Son小学校」訪問が終わりました。Fさんからは、今年も日本の生徒たち全員と私たちにまで、生徒たち自身が作ってくれたビーズのストラップを貰いました。

ホテルに着いて、交流会最後になる<フェアウエル・パーティー>の準備をします。パーティーでの歌や出し物の準備、練習していました。この日も、最終的にはベトナム側からは10人集まってくれました。

先に食事をしてから7時半頃からベトナムの生徒たちが歌い、そして日本の生徒たちが歌います。日本の生徒は「散歩」を歌いました。ベトナムの生徒、日本の生徒たちが次々歌を披露してくれます。この日は大いに盛り上がりました。ベトナム側の参加者の中には、今までずっと交流会に来てくれた子もいたりして、この日がお別れだというのが分かり、なおさら別れを惜しんでくれました。

結局、ホテル側には8時半まで食堂を借りると伝えていたのが、9時半くらいまで生徒たち同士の交流会は続いてゆきました。お互いが連絡先を交換したりしていました。ベトナム側の参加者の中には、今まで5年間ずっと参加していますという生徒さんがいました。日本の生徒たちのベトナム到着を毎年心待ちにしていてくれる、こういう生徒さんもいるのです。

結局<フェアウエル・パーティー>が終わったのは9時半過ぎ。いよいよ翌日が、【2016年マングローブ親善大使の最終日】になりました。明日は『クチ・トンネル見学』を終えて、深夜便での日本帰国になります。

● <親善大使>7日目 ●

★ クチ・トンネル探訪、ベトナムとお別れ、~そして帰国へ~ ★

8時半にホテルを出て、「クチ・トンネル」に向かいました。運転手は、カンザーの時にも同行してくれた、Thang(タン)さんでした。昨年も同じこの人でした。彼は生徒たちに対しても、この合宿中非常に優しく対応してくれました。

そして10時40分に「クチ・トンネル」着。入場料は外国人が9万ドン(約500円)。ベトナム人は2万ドン。これは昨年と同じ料金でした。私たちが着いてから、案内人がどの国の言葉のビデオを見に行くのか聞いてきましたので、「日本語だ!」と答えると、その棟の建物に案内してくれました。

それから、いつもの20分弱の日本語でのビデオ上映が始まりました。ここを訪問する人たちが、どこの国の人たちかによって、案内する建物が違うのです。別の建物を通過している時には、英語やフランス語、韓国語の声が聞こえてきました。

ビデオの上映が終わると、女性の係員がクチ・トンネルについてベトナム語で説明します。この時我々以外の日本人のお客はいなかったので、私が今年も日本語で通訳しました。Trangさんもクチ・トンネル自体に詳しいわけではないので、私が話すのをじっと聴いていました。

そのビデオを生徒たちが見た後、いよいよクチ・トンネル探訪。いつものように、最初に枯れ葉に覆われたトンネルの葉っぱを取り除き、フタを開けて、「誰かこの中に入りたい人はいませんか?」と聞きます。コースには先に欧米系の観光客が大勢いました。

その人たちが全員その縦穴の中に入ります。しかし、白人の体型では窮屈そうです。次に、ベトナム人の案内係りが生徒たちにも声を掛けます。すると、全員の生徒たちがその中に入ってゆきました。

次に生徒たちは、最初に10m、そして、15m、次に30mのトンネルを潜りました。いつもはここで「もういいです。きついです」と言って、最後の50mに挑戦する生徒はあまりいないのですが、この日は半分の生徒たちが50mに挑戦しました。さすがに、くぐり終えた時はハー・ハーと息を荒くしていました。

トンネル探訪を終えて、次はゲリラの食事<キャッサバ>のサービスの場所へ。いつもは地下にある簡易食堂のような場所で食べるのですが、今日は地上にあるテーブルで食べることになりました。しかし、今年も出てきた皿の数は二皿だけ。お茶のサービスも食べ終えてから出てきました。

それから、土産物屋さんのところで、お土産を買うことにしましたが、今年はこのお土産屋さんが改築されて大きな店に様変わり。置いてあるお土産の種類も豊富です。生徒たちもいろいろ品定めをしています。FTさんも友人に買うお土産探しで眼を凝らしています。Trangさんがまた値段交渉を手伝ってくれます。

午後一時過ぎにクチ・トンネルを出て昼食へ。昼食場所は毎年同じ、小島の中にあるレストラン・【Ben Nay】へ。ここは大変静かで、落ち着いた雰囲気の店であり、トイレもきれいで、日本人や外国人には評判の良いレストランです。着いてすぐに全員ジュースやコーラを注文。

この日も、多くの白人さんの団体が来ていました。ここの料理は大変美味しいです。期待を裏切りません。運転手さんも一緒に呼んで食べました。しかし、運転手さんは大変遠慮深く、出された料理をあまり進んで食べようとはしません。これはこの合宿中ずっとそうでした。

そして昼食を終えて、一路サイゴンに向かいます。4時10分にホテル着。ホテルに着いてすぐに、全員買い物へ。途中両替が必要な生徒は最小限の日本円を持参して、両替屋へ。帰国までまだいろいろすべきこともあるので、買い物タイムは30分に限定。みんな必死でフロアを回ります。これが最後の買い物タイムになりました。

そしてホテルに帰り、全員筆記用具を持って一階の食堂に集合。今からベトナム訪問最後の感想文書きに入ります。夕食も摂らないといけないし、帰国まであまり時間がありません。その間に、交替でシャワーも済ませないといけません。Trangさんとは生徒たちと別れた後、空港でお別れしますので、彼女も自分の荷物をまとめないといけません。

実は、この合宿中にTrangさんには「日本語能力試験N2合格!!」という嬉しい知らせが届いていました。生徒たちには事前にそれを知らせておいて、(Trangさんに男子が一枚、女子が一枚みんなで寄せ書きをプレゼントしてね!)と話していました。そして、私とFTさんはこの日買い物に行った時に、ブラウスを買っていました。それをこの場で彼女にプレゼント。彼女も大変喜んでくれました。

感想文書きに入る前、一日目から最終日まで行って来たことの一つ・一つを今年もまた思い出させました。

「この合宿でいろんな体験をし、いろんな友達が出来て、いろんな交流をし、いろんな行事に参加出来ました。この合宿で自分なりに感じたことを、今回の<ベトナム訪問>の自分の記録として感想文として書いて下さい。先生に見せるための感想文ではなく、自分のベトナム訪問の思い出として書くつもりで。」

食堂の中に鉛筆の音が響きます。30~40分ほど経ち、一人・二人と「出来ました!」と言って、感想文をもってきます。それが終わり、夕食に行くことにしましたが、またまた大雨が降り出しました。それで、仕方がないので、ホテル横にあるフエ料理の店に行くことに。結果として、夕食後まで雨は止まなかったので、ホテルにすぐ帰ることが出来て正解でした。

そしてホテルをちょうど9時半に出発!ホテルを出る時、フロントの人に生徒たちがお礼の挨拶をします。空港に向うバスの中では、もうすぐ日本に帰るという嬉しさからか、みんな大はしゃぎです。Trangさんとも最後のお別れが近づいて来ているので、特に彼女に一番可愛がられた男の子がしきりに話しかけています。

空港に着いて車を道路の端に寄せて、荷物を降ろしました。私とTrangさんは中には入れないので、ゲートの外で見送ることにしました。その前に全員を集めて記念写真を撮りました。これが、ベトナムでの最後の写真になりました。一人・一人と固い握手をしてお別れしました。

今回の「ベトナムマングローブ親善大使16周年」は、参加した生徒さんたちの<やる気、協調性、友情(日本とベトナム双方)、国際交流、環境意識を育てる>という意味で昨年以上に大変充実し、成功した合宿だったと思います。特にいろいろな交流会に生徒たちの参加を促してくれたベトナム側の協力は大きいものがありました。

特に、カンザーでの「第5回日越友好植林」は、カンザーの小学生たちと一緒に植林活動を行うスタイルが年々定着して来ました。「友好親善」のやり方、進め方もだんだんとそのノウハウが身に付いてきました。

4回・5回と回を重ね、日本の生徒たちはもちろん、ベトナムの生徒たちにも強い印象と、思い出を創ることが出来ました。今後もカンザーの小学校とますます絆が強まり、交流を持続させてゆくことになるだろうと確信しました。

 

「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

在日ベトナム人歌手、「手紙~拝啓 十五の君へ~」をベトナム語でカバー

在日ベトナム人歌手のハイ・チュウ(Hải Triều)さんがこのほど、日本の女性シンガーソングライターのアンジェラ・アキさんによる「手紙~拝啓 十五の君へ~」をベトナム語でカバーし、ハイ・チュウさん自らも出演するミュージックビデオ(MV)を発表した。

「手紙~拝啓 十五の君へ~」は、アンジェラ・アキさんが2008年に第75回NHK全国学校音楽コンクール中学生の部の課題曲として書き下ろした「手紙」を自身の歌唱 用にアレンジしたもので、同年9月に8枚目のシングルとしてリリースした。15歳の自分が未来の自分に宛てて書いた手紙がテーマで、日本では合唱曲として も広く歌われている。

ハイ・チュウさんが歌うベトナム語バージョンのタイトルは、「Lá thư cho tuổi 15(ラー トゥーチョー トゥオイ ムオイ ラム=「15歳への手紙」)」。ハイ・チュウさんは、オリジナルの歌詞の意味をほぼそのまま保ちつつ、ベトナム人の価値観により近いベトナム語に翻訳したという。

ハイ・チュウさんは、「手紙~拝啓 十五の君へ~」をベトナム語に翻訳して歌った理由について、「1つ目の理由は、この曲の中に自分自身の姿を見つけたからです。私は小さい頃から内向的で、 いじめられたこともあります。自分に自信がなく、大人と話すことも少なかったので、いつも将来に不安を感じていました」と話す。

「2つ目の理由は、ベトナムの中高生向けの曲というと、友情や先生への愛情、愛校心、夏の終わり、中高生時代の後悔などに関するものばかりで、この年頃 ならではの思いや不安などを歌った曲がなかなかないからです。この曲の歌詞をベトナム語に訳すことで、ベトナムの中高生に共感してもらい、ベトナムの音楽 に新たな風を吹き込みたいのです」。

MVの舞台は、北中部地方トゥアティエン・フエ省フエ市にある国立高等学校で、阮(グエン)朝(1802~1945年)時代の1896年に創立された名門校、クオックホック。約40人の在校生らが撮影に参加した。女子生徒らが着る白いアオザイと、ホウオウボク(Hoa phượng)の赤い花が織り成す美しいシーンもMVの見所だ。ハイ・チュウさん自身も、母校に帰って15歳の頃の自分を懐かしむ卒業生を演じている。

ハイ・チュウさんは、「私が日本の曲をベトナム語に、またベトナム語の曲を日本語に訳して歌うのは、ベトナム人と日本人を音楽を通じて繋げるためです。今、多くの日本語学校などで、私が日本語に訳したベトナムの名曲『母の日記(Nhật Ký Của Mẹ=ニャッキークアメ)』、またベトナム語に訳した日本の名曲『花は咲く』が教材として使われています」と語る。

近く発表するアルバムには、「母の日記」の日本語バージョンのほか、郷ひろみの「お嫁サンバ」ベトナム語バージョンや、ティエン・ティエン(Tiên Tiên)の「Say you do」とボー・ティエン・タイン(Võ Thiện Thanh)の「Ước gì(ウオックジー=「希望」)」の日本語バージョンも収録する。

ハイ・チュウさんは今後、日本人の友人と共に、両国の言語や文化に興味を持つベトナム人と日本人向けにユーチューブ(Youtube)でチャンネルを開設する計画だという。同チャンネルを通じて、日本語とベトナム語を教えながら、両国の文化を紹介し、情報を提供する。ハイチュウさんは、「私たちのチャンネ ルを観て、日本人とベトナム人が互いに関心を持ち、交流する機会を作ることができれば」と思いを語ってくれた。

<VIET JO>

◆ 解説 ◆

「ベトナム人歌手のハイ・チュウさん」については、2015年7月号のBAOでも紹介しましたが、この「手紙~拝啓 十五の君へ~」のベトナム語バージョンのYoutubeのアドレスは以下です。
https://www.youtube.com/watch?v=IUGijndf5xM

そして、この「ベトナム人歌手のハイ・チュウさん」と「フォト・ジャーナリストの村山さん」が実は知り合いだというのを、私は最近知りました。2年前に村山さんがHoang Sa(ホアン サー)諸島に取材に行った時、それを知ったハイ・チュウさんが「海の上で頑張っているベトナム人と日本人カメラマンを応援する歌です」というコメントを付けて村山さんに歌を贈ってくれたというのでした。日本人カメラマンとは村山さん、その人です。

歌の題名は<海の声>です。

<海の声>

ふるさとで 待つ君に 伝えたい
おだやかな 潮風と 海の声
祈ってる いつの日も
雲のたれこめる 嵐の夜でも
君の星空を 僕は守っている

光あふれる朝 夢見て おやすみ
なつかしい歌に こころ あずけて

村山さんは、2年前にハイ・チュウさんと知り合って以来、「あれ以降の彼の活躍は素晴らしい!」と褒めていましたが、確かに「花は咲く」のベトナム語の歌を聴いて、私もそう思いました。

その村山さんは、今年8月末から9月中旬までベトナムに来られました。中部への取材と友人の結婚式に参加のためでした。今回で43回目の訪越ということでしたが、友人の結婚式の直前には日本から奥さんも飛んで来られて、久しぶりに再会することが出来ました。

ハイ・チュウさんが「私が日本の曲をベトナム語に、またベトナム語の曲を日本語に訳して歌うのは、ベトナム人と日本人を音楽を通じて繋げるためです。」と述べられているように、今彼はいろんな分野の日本の歌に挑戦されています。

彼がベトナム語に翻訳して歌う歌、「花は咲く」やこの「「手紙~拝啓 十五の君へ~」などは、教室で私の生徒たちにそのまま紹介しても、素直に理解してもらえるだけに、私自身今後の彼の活躍を楽しみにしています。

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