アオザイ通信
【2014年6月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

< バイクで Dong Nai への旅 >

●サイゴン ⇒ Dong Nai へ ●

三月に Cai Be ( カイ ベー ) で行われた <古川さんの奥さんの法要> に参加した時に、古川さんの子どもさ んたちから、 「今度は Dong Nai( ドン ナイ ) にも遊びに来てよ!」 と誘われていました。

Cai Be で 60 歳の生涯を終えられた 元日本兵・古川さん には、六人の子どもさんたちがいます。そのうち、長女 A( アー ) さんと次女 B( ベー ) さんと三女 Thuy( トゥイ ) さんの三人の方は、 今は Dong Nai 省 に住んでおられます。ちなみに、【 A さん】【 B さん】という名前はあだ名ではなく、本名です。 そこ Dong Nai 省 で A さんと B さんと Thuy さんたち は、国から 50 年契約で土地を借り受けて、今は果樹園を営まれています。

実は、Yさんが五月末、私が六月初めの同じ頃の時期に日本に一時帰国する予定でいましたので、その誘いを受けて「では、私たちの日本帰国前に Dong Nai へ行きましょうか。」と話していました。それで、 「南部解放記念日」 である 4 月 30 日からの連休に、Yさんと一緒にバイクで行くことにしました。

そこの正確な住所は、Yさんから直接聞きました。 Dong Nai( ドン ナイ ) 省 Dinh Quan( ディン クアン ) 郡 Thanh Son( タン ソン ) 村第四部落 と言います。しかし、外国人はまずほとんど足を踏み入れたことがない場所です。もちろん日本人の姿を見ることもありません。

しかし、何と後日 「さすらいのイベント屋」 のNMさんに聞きましたら、彼は以前そこを訪れていました。Yさんもそれを聞いた時「ええーっ!」と驚かれていました。何故なら、そこは国道に面した場所ではなく、国道からかなり奥に入った所にある村だからです。Yさんはホーチミンに滞在中はそこを頻繁に訪れていますが、私は今回で三回目の訪問になりました。そこまでは、バイクで約 120km の距離です。

Dong Nai まで行くには、まず < 国道一号線> に入らないといけません。最近は二区からも国道一号線に繋がりましたので、一区と二区を結ぶ、地下トンネル 『 Thu Thiem( トゥー ティム ) トンネル』 を通過した先で、我々は待ち合わせることにしました。私がそこに着いた時には、Yさんはすでに着いておられました。聞けば、 20 分ほど前には着いていたとのことでした。そして朝 7 時 45 分に、私たちはいよいよサイゴンを出発。

しかし、何と国道一号線にすぐ入った段階で、バスと乗用車とそしてバイクの <大渋滞> に巻き込まれました。まあ、日本でもゴールデンウイークの時は同じような大渋滞が発生しますが、ベトナムの大渋滞はバイクの数が多いのが特徴です。道路一面がバイクの群れで埋め尽くされています。

この日の大渋滞は、連休を利用して・・・「@休みに観光地に出かける人たち。A休みに故郷に帰る人たち。」・・・が理由です。最初のバイクの大渋滞の集団の一部は、 「Suoi Tien( スイ ティン ) 公園」 に入ってゆきましたが、まだ減りません。そして、さらに次の バイクの大集団は、 「 Vung Tau( ブン タウ ) ビーチ」 方面 に向うバイクの一群が国道一号線から逸れて右に曲がって行きましたが、まだまだそれでも数が減らない。

さらには、よりによってこの日に(と言うか、祭日のこの日だからなのでしょう)、国道一号線のサイゴン方面に向う片側車線を交通規制して、 <自転車レース> まで が行われていました。Yさんは 「こんな日にレースなどするな!!」 と怒っていました。

それで、<自転車レース>を見物している群衆と、サイゴンから北に向う車やバイクの群れがますます入り乱れて、大混乱状態でした。大多数のバイクはゆるゆるしか進まない国道を走らずに、歩道の上まで乗り上げてビュンビュンと走って行きます。

結局、 <ダ ラット> に向う 「国道 20 号線」 の入り口まで大渋滞は続きました。その 20 号線に入って、ようやく車もバイクも少なくなりました。この時、時間は 10 時 45 分。距離にして約 60 km。ちょうど3時間掛かりましたが、いつもだと2時間ほどで着きますので、大渋滞のために一時間も遅れました。

「国道 20 号線」に入ってすぐの所にある、いつもの喫茶店で休憩しました。しばらくの間コーヒーを飲みながら、暑さと交通渋滞の疲れを癒しました。この喫茶店の前では、 「グアバ」 を売っていました。聞けば、ここから国道一号線の先にある Long Khanh ( ロン カーン ) 地方 の名物だとのこと。

喫茶店で私たち二人はしばらく休んで、「さあー、出ましょうか。」と言ってバイクにまたがり空を見上げると、これから向う<ダ ラット>方面の空には黒々とした雨雲が湧いていました。 (これは大雨が来るなぁ〜〜!!) と予想し、雨具を着込んでいざ出発。

そして、喫茶店を出てすぐに、やはり来ました。もの凄い量の大雨が直撃。顔や額に大きな雨粒が容赦なく直撃して、顔も痛い、目も痛い。防塵メガネをかけていても、目の中に雨が流れ込んできて、沁みます。赤土のある道路を走っている時には、泥水と化した雨水が道路を川のように流れていて、横を突っ走る車がその泥水を私達にバチャ・バチャと跳ねてゆきます。

しかし、私達はバイクで目的地までひたすら走るしかないのでした。途中で雑貨屋に寄り、宴会用のビールを二ケース買いました。そこの店の前の道路も濁流交りの川になっています。そこを出ても豪雨は続き、上から下まで全身がずぶ濡れになりました。こういう状態になりますと、 (もうどうでもいいや!)という心境になってきます。

喫茶店を出てから 雨具を着て走ること 一時間ほどして 、向こうから走って来ているバイクの人たちの姿を良く見ますと雨具など無しで、普通の服装でバイクに乗っていました。これはベトナムでの不思議の一つなのですが、雨が降った場所と、降っていない場所が、ある所を境にして見事に分かれているのでした。

そして、 12時10分 頃、 我々は La Nga ( ラー ガー ) 橋 に到着。距離にして、休憩した喫茶店からは 約 35 km でした。この時、雨は完全に止んでいました。 La Nga 橋の下には、船上生活者の船やイケスがたくさんあり、橋の上からその光景が良く見えました。この時には豊かな水が流れていて、橋の下には船上生活者の船が数多く浮かび、魚の養殖をしている生簀が良く見えました。

ここから見える光景は、私が好きなものの一つです。ここを流れている川が、サイゴンまで続く Dong Nai 川 で、ここがその上流になるわけです。橋の上からじーっとそれらの船を見ていますと、一幅の絵画のような、 実に美しい光景に見えました。

そして、 La Nga 橋から 10 分 くらい走ったところで、国道 20 号線から左折して田舎道に入りました。国道 20 号線はバスやトラックや乗用車がひっきりなしに走っていましたが、ここからは車やバイクの数が極端に少なくなります。

田舎道に入り 20 分 ほどしたら、茶色をした水が流れている川があり、バイクと人は小さいフェリーでその川を渡ります。車やトラックは専用の大きなフェリーに乗せます。人間一人とバイク一台で 5000 ドン ( 約 25 円 ) 。

2010年の10月に最初に Dong Nai を訪問し、このフェリーに乗った時にはワニの子どもがこの川を泳いでいました。 それを見たお客さんが脱兎の如く走って行きましたが、舟を漕いでいた夫婦が先に捕まえてしまいました。しかし、今回はワニの子どもは泳いでいませんでした。

そしてフェリーを降りたところで、また買い出しをしました。缶ビールは2ケースを途中で買いましたので、そこではスイカを買いました。 そして、ここから後 20分ほどで、目指す古川さんの娘さんの家に到着します。

しばらく舗装した道を走って、右に曲がりました。ここから舗装されていない、赤土の細い道に入りました。この先にその長女と次女の家はあります。この赤土の道は、以前来た時は大変な悪路でした。

この悪路はパルプ用の木材を積んだ大型トラックが走るので、太い車輪が刻んだ、深いワダチがあるのでした。そして、この日もスゴイ道路の状態でした。しかし、今回はその悪路の横にバイクが通れる別の道が新たに作ってあり、その悪路を走らなくて済みました。

そして1時 10分にようやく、目指す家に着きました。ここに着いた時は、雨は完全に上がり、青空が広がっていました。バイクのメーターはサイゴンから120kmを示していました。この日肝心のAさんとBさんは所要のために不在でしたが、そのご主人たちはおられました。 この家にも古川さんご夫妻の写真が祭壇に飾られていました。

そして、我々は少し遅いお昼ご飯を頂きました。 AさんとBさんのご主人と、近所からも男性二人が集っていました。 まずはビールで乾杯しました。この家の主人の名前は Hong さん と言います。古川さんの次女のBさんが奥さんです。

Yさんが良く冗談で「 Hong さんはベトナム共和国(南ベトナム)の副大統領を務めた < Nguyen Cao Ky( グエン カオ キ ) >にそっくりなんだよね。」と言われます。 Wikipedia で調べると、確かによく似ています。

この周り一帯は果樹や林に囲まれ、家の崖下には小川が流れています。サイゴンから来た時に遭遇した、車やバイクの大渋滞と騒音がウソのような静けさです。

そして、家の周りには数種類の果樹が植えてあります。 マンゴー、ジャックフルーツ、ドリアン、バナナ など。ドリアンはまだ植えてから数年くらいでしたが、この時ちょうど小さな実を付けていました。以前、果樹園の農家の人から 「 ドリアンは 4年で実を付ける 。」 と聞いたことがありますので、ここのドリアンの樹もそのくらいの年数なのでしょう。

ここに植えてあるマンゴーは、そのほとんどがベトナム品種のマンゴーですが、一本だけタイの品種のマンゴーがありました。 Cai Be から持って来たそうです。タイのほうは濃い緑色をしています。

食後のデザートに、そのタイ品種の青いマンゴーに塩をつけて食べてみましたが、全然渋くなくて、大変美味しいものでした。ベトナムのマンゴーも、 黄色い色のマンゴーがサラダになって出てきましたが、実にサッパリした味でした。

ふと庭先を見ると、コナッツ椰子の実が黒いビニールのポットに入れてあり、その実から芽が出ていました。これも後で畑に植えるのです。椰子の実がなるのは、また数年先のことでしょう。

さらに、この家では実に多くの生き物が飼われています。犬、ヤギ、ニワトリ、アヒル、ガチョウ、そしてイノシシまでいました。ヤギは 10匹もいました。いないのは、ネコくらいのものでした。 木の上に止まっているニワトリもいました。夕方暗くなっても下りて来ず、夜はそのまま木の上で寝るといいます。敵から襲われないためにです。

そして、ベトナムの田舎に来ていつも驚くのは、犬とニワトリが共存していることです。犬の目と鼻の先をニワトリやヒヨコがよちよち歩いていますが、ワンちゃんは全く無関心です。ニワトリもワンちゃんを全然怖がらない。ワンちゃんはニワトリに襲い掛かることも、食べることもありません。これは今も 「ベトナムの七不思議」 の一つです。

ヤギは朝と夕方にはヤギ小屋から出して、外に放ちます。放たれたヤギさんたちは、雑草を食べたりしていますが、あるヤギさんたちはジャックフルーツを美味しそうに食べていました。

昼の宴会は三時過ぎには一旦終わりました。私は庭先に吊ってあるハンモックに揺られて昼寝をしました。ハンモックの中でうつらうつらしていると、Yさんの大きな声が聞こえてきます。この日は朝の三時半頃起きたと言われていましたが、昼寝もせずに元気そのものです。私は一時間ほどぐっすり寝ました。

そして夕方6時から宴会がまたスタート。美味しい料理がテーブルの上に並べられました。全てがこの家の長男の奥さんの手作りの料理です。いろんな種類の料理が出て来ました。

夜の宴会には、私を入れて全員で 11人の人達が集まってくれました。その全てが、隣の家に住む人や、家族の友人達です。連休で故郷に帰って来た若い女性たちも参加しました。こういう宴会の場合、女性たちは普段別の部屋で食べるのですが、この日はみんなが一緒になって料理を食べ、ビールを飲んでいました。

この日に参加した中には、生まれて初めて外国人(Yさんと私のことです)と直接話したと言う男性がいました。名前は Thao(タオ)くん で、 46歳だと言いました。彼はシャツをめくって背中を向け「これは戦争で受けた銃弾の傷です。」と言って、私たちに見せました。年齢から言って( 「中越戦争」 時の傷ではないかな・・・)とは、Yさんの推測です。

そして、さらに陽気な男性がいました。 Hieu(ヒユ)くん といい、 34歳でした。彼はドリアンの果樹園を営んでいます。しかし、Yさんが三月末にここ Dong Nai に 来た時、強い竜巻が発生し、多くの果樹がなぎ倒されました。彼のドリアン園も大きな被害を受けたそうで、実が落ちただけなら来年の収穫が期待出来ますが、根元から倒れてしまったのでした。

この年の収入が無くなり、大変な損害です。その時の写真も後でYさんから見せてもらいましたが、確かに大きな根をむき出しにして倒れていました。しかし、ここに参加していた Hieuくんは悲しい表情など全然見せずに、務めて陽気に振舞っている感じです。

さらには、ここに来た時に手土産として、缶ビールを一箱抱えて来ました。「なかなか出来ることじゃないですよ」と、Yさんも感心していました。そして、私に向かってYさんがこういう話をされました。

「こういう田舎に住んでいる人たちは、非常に純朴で、フレンドリーで、温かいのですよね。このように初めて会った私たちにも、永年の友人のごとく接してくれます。私も永い間ベトナムの人たちと付き合って来ましたが、田舎の人たちに多く見られるこういう振る舞いは、 <ベトナムの人たちの美質> と言えるでしょうね。 」

冗談好きなYさんの話で宴会は大いに盛り上がり、何と深夜 12時まで続いたのでした。Yさんは昼間の宴会からこの時間まで飲み続けて、話し続けておられたのです。その間、私のように昼寝をすることもなく、ベトナムの人たちを相手にされていました。信じられないタフさと言うべきです。

そして私は、 こういうベトナムの田舎に来て、ベトナムの庶民たちとベトナム語で楽しく、賑やかに話しているYさんを横で見ていまして、

「何という国際交流力を持っている人だろうか!!」

と、ただただ感嘆の念を覚えたのでした。

● Thanh Son 村 滞在 ●

朝6時に起きると、Yさんから 「今からこの村にある市場に行きましょう!」 と誘われましたので、一緒に行きました。バイクで走ること 20分ぐらいして、その市場に着きました。その市場はフェリー乗り場の近くにありました。名前は 「Cho Thanh Son(タン ソン)市場」

市場に入ってすぐのところにマンゴーがありました。見ただけで種類が違うというのがよく分かりました。おばさんに聞くと、 「タイ品種のマンゴー」 「台湾品種のマンゴー」 だと教えてくれましたが、同じマンゴーでも、色が違いました。

肉売り場では肉を売っていますが、「 1 キロくれ。 2キロくれ。」というふうに目方売りです。魚介類売り場では、生きたタコも売っていました。目の前でサツマ揚げを売っているおばさんがいました。私も揚げたてを買いました。一枚が1万ドン。揚げたてだけあって、大変美味しかったです。タマゴ売り場には私の好物のピータンもありました。可愛いワンちゃんまで売られていました。たぶん、あれは食用ではなく、ペット用でしょう。

市場には古川さんのひ孫さんたちも一緒に行きました。彼らが市場の中を歩いている姿を見ていますと、 (この Dong Nai にも、元日本兵・古川さんの血を受け継いだ子どもたちがいるのだ・・・ ) と思い、感慨深いものがあります。

市場から帰ってから朝食を摂りましたが、食事の後Yさんは菜園の手入れに余念がありません。実は、Yさんは一ヶ月前にこの家の庭に日本から持ち込んだ野菜の種を植えました。 「きゅうり」「ミニトマト」「平さや」 などです。この家の人たちに、日本の美味しい野菜を食べてもらいたいという気持ちからです。

しかし、一ヶ月後にここに来て、芽を出しているのは「きゅうり」と「平さや」のみで、「ミニトマト」は芽が出ていませんでした。そして、植えた場所には雑草が生い繁っていました。Yさんはその雑草を自ら手で引き抜きます。

雑草を全部引き抜き、きれいになりました。雑草を取り除くと、 大きく伸びていたのは「平さや」です。それを一つのウネに集めて植え直し、犬やニワトリが入らないように、網のネットで囲いをします。

子どもたちも水を汲んできて手伝ってくれます。最初は雑草だらけだったのが、見事にキレイになりました!!ここに至るまで、Yさんは汗ダクになっていました。翌日はさらにこれに支柱を立て、網を張ります。

とにかくYさんはマメな人です。そして、いろんな事についても自分で調べたり、考えたりしています。この日畑の中を二人で歩いていますと、こんな話をされました。

「解放戦線が拠点にしていた区域の名前を <Cゾーン> <Dゾーン> と言います。<Cゾーン>はクチとタイニンにあり、<Dゾーン>がこの Thanh Son 村にありました。しかし不思議なのは、 <Aゾーン> <Bゾーン> と言う名前の区域が無いのです。このことについて、 石川文洋さん にも聞きましたが、石川さんも (そう言われればそうだねー。何故なのだろう・・・?)と首を捻っておられました。」

この日の夜もまた宴会がありました。この日の夜は参加者も少なく、この家の家族の方たちだけでした。Yさんはまた次のような話をされました。

「先月来た時に、ベランダの手すりに腰掛けて、一人で本を読みながらビールを飲んでいると、視界の中にチラッと動くものが見えてね〜。その時、すぐ目の前には犬がいたので、その子犬かな・・・?と思い、視線をそちらに向けると、何と白黒マダラのヘビが床を這い回っていたんだ。」

「そのヘビは毒ヘビだというのは知っていたので、すぐに家人を起して大捕り物。今そのヘビは他のヘビと一緒に焼酎に漬けられて、瓶の中で眠っているよ。ハッハッハ!!」


笑いながらそう言われました。隣りの部屋を覗くと、 その瓶は私たちが寝るベッドのすぐ横に確かに置いてありました。

● Dong Nai ⇒ サイゴン へ ●

この日の朝も 6 時に起きました。朝ごはんは軽くインスタントラーメン。この二泊三日、朝・昼・晩と全ての食事を、 Hong さんの息子さんのお嫁さんに作って頂きました。ただただ感謝です。

そして、この日に Dong Nai を去りますので、Yさんは 今朝もまた菜園の手入れに余念がありません。「平さや」のツルが伸びてゆきやすいように、今朝はネットを張っていました。ようやく「Yさん菜園」の完成です。また一ヶ月後に来て、その生育ぶりを見るそうです。

この家を去る前に、Yさんと一緒に畑の中を歩いて行くと、池がありました。その中から、我々を呼ぶ声がします。(誰だろう・・・?)と思い、池のほうを見ると Muoi( ムーイ ) さん でした。池の中で泳いでいました。服も洗濯していました。

彼は元日本兵・古川さんの長女Aさんのご主人です。彼は果樹園の仕事の傍ら、 「天然蜂蜜」 の採集もしています。 果樹は毎月・毎月実を付けるわけではなく、一年に数回しか収穫が無く、現金収入がありません。

それで Muoi さんは果樹の収穫が無い時には、森の中に入り、 「天然蜂蜜」 を探しに行きます。時には一日3時間から4時間も山の中に入って行きます。 山の中に入り、蜜蜂の巣を見つけると、それを採集して蜂蜜を絞り、それを売ります。

しかし、それでも収穫がゼロの日が何日も続くことがあります。それも当然で、彼が探す蜂蜜は 「養蜂の蜂蜜」 ではないのです。純度 100 %の全く純粋な「天然蜂蜜」なのです。
この日、 Muoi さんが森の中に入り、純粋な「天然蜂蜜」を採集している時の光景を撮った写真をYさんから見せて頂きました。

Y さんはその時一緒に Muoi さんに同行して、 Muoi さんが「天然蜂蜜」を採る時の様子をじっくり観察して写真に撮られました。貴重な記録と言うべきです。 彼が「天然蜂蜜」を探す時の方法は、次のような やり方だとYさんから聞きました。

まず 森の中に入り、一匹の蜜蜂を見つけると、その後を走って追いかけて行くのだそうです。そして、追い掛けた蜜蜂が羽を休めたところに、「天然蜂蜜」の巣があるのです。その時も同じようなやりかたで、森の中を飛んでゆく蜜蜂を見つけて、その後を追いました。すると、ものすごく密集した竹ヤブの中にその蜜蜂が入るのを確認しました。

Muoi さんは竹ヤブの中に入り、「天然蜂蜜」を探そうとしますが、その竹ヤブは普通の竹ヤブではありません。竹から無数のトゲが出ていて、人の侵入を拒みます。蜜蜂の智恵というのは、スゴイものです。鳥や動物や人間から、その「天然蜂蜜」を獲られないように本能的に護ろうとしているのです。

そして、 Muoi さんはその竹ヤブのトゲを剪定バサミで切り開いて、「天然蜂蜜」に近づいていきました。その剪定バサミはYさんが日本で買い、彼にプレゼントされました。顔を覆うネットも日本で買い、それを上げましたが、この竹やぶのトゲの中でそのネットを被ると、トゲに引っかかって仕事が出来ないので、それは使わないでいます。

さて、 そこからが要注意です。「天然蜂蜜」の巣の 周りには、無数の蜜蜂たちがいます。それを追払わないと「天然蜂蜜」の巣は採れません。多くの蜜蜂に刺されたら、時にショック死することがあります。蜜蜂が集団で襲って来たら、実に危険です。

実際に、私がこの日の昼に庭さきに出ていたら、一匹の蜜蜂が私の服に止まり、それを捕まえようとして手を伸ばしたら、その蜜蜂に刺されました。チクリとした痛みがして、思わず手を離しましたら、すぐに蜜蜂は飛んで逃げて行きました。しかし、刺された箇所が痛くて、痛くて、三日間ほどその痛みは続きました。

それで、 Muoi さんは巣から蜜蜂を追払う方法として、タバコの煙を巣にプーッと吹きつけます。すると、蜜蜂たちは巣から逃げてゆき、安全に「天然蜂蜜」を収穫出来るのです。まさに、命がけです。そのようにして、苦労して収穫した「天然蜂蜜」は実に貴重です。

その「天然蜂蜜」を、Yさんが直接見ている前でろ過して、一リットル入りの瓶に入れます。しかし、何せ Muoi さんが一人でやっていますので、数量は限定の少量しか採れません。
なかなか、「天然蜂蜜」は手に入らないので、希少です。私も頂きましたが、天然だけあって、実に美味です。

Y さんはその「天然蜂蜜」を、 「その天然蜂蜜が欲しいので、是非持って来て!!」 と頼まれた知人たちに配っています。Yさんが「何故そうするのか?」と言えば、田舎で現金収入が無い彼らの生活が少しでも良くなってくれれば・・・という思いからです。奇特というべきです。

そして、この家ともお別れの時が来ました。古川さんのひ孫さんたちともお別れです。この日は休みではなく、学校があると言って、お母さんのバイクに乗って学校に行きました。

7時45分に私たちは Dong Nai の家を出ました。お土産にここの果樹園で採れたマンゴーを袋一杯に頂きました。今日の空は快晴です。家族の人たちにお礼の挨拶をして、私たち二人はそこを出ました。

そして、ダラット街道の国道 20 号線が終わる所の、いつものあの喫茶店でまた休憩しました。ここには鳥かごがあり、その中には小鳥がいて、キレイな声でさえずっていました。

そして、ちょうど 11 時 45 分にサイゴン市内に私達は無事に到着しました。途中の休憩も入れて4時間、距離は 120 kmでした。私たち二人が日本に帰る直前に、今回もまた <Dong Nai への旅> を することが出来ました。

Dong Nai で家族の人たちと一緒に宴会をしている時、 Yさんが私に言われた言葉を思い出しています。そして、ここ最近毎年私自身も Cai Be や Dong Nai を訪問しているうちに、同じような 思いを深くしています。

「私にとって <ベトナムは第二の故郷> 。 そして < Cai Be は第三の故郷> であり、 < Dong Nai は第四の故郷>なのです。それぞれの <故郷> に、純朴で、優しい、温かい <家族たち> がいるのです。」





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ アオザイ女性のバイクタクシーでサイゴン体験 ■

旅行サイト「トリップアドバイザー」がランキングした、 191のホーチミン市の観光アクティビティで、アオザイを着た女性が観光客を送迎する <バイクツアー> をベトナムで初めて催行したXO Tours社が1位に選ばれた。

白いアオザイと青いズボンをまとった女性が、バイクで外国人を聖母マリア教会、統一会堂、チョロンといった観光スポットを案内するこのツアーでは、外国人がほとんど訪れないようなローカルフードを提供する店にも連れて行ってくれる。

トリップアドバイザーで XO Toursに対するコメントを書き込んだ1,389人のうち1,334人が 「素晴らしいサービス」 と評価している。5月はじめにバイクツアーを利用したシンガポール人は、 「短い時間で市内を観光、体験するにはもってこい」 と書き込んでいる。

香港の旅行客も、「サイゴンでたくさんの区を探索でき、路地内の麺屋、屋外の焼き物屋、 4区の海鮮屋で食事ができた。地元の人々が選ぶ店は、テーブルやイスは低いが、料理は最高」と綴る。

ほかにもホーチミン市では、 Back of the Bike Tours(8区)やVietnam Vespa Adventure Tours(1区ファングーラオ通り)など、バイクタクシーで外国人観光客の送迎を専門に行なう会社がいくつかあり、市内だけでなくムイネーやニャチャ ン、メコンデルタなども案内している。

<ベトナムガイド .com >

◆ 解説 ◆

ちょうど一年前から私が馴染みになった、路上の屋台寿司 『 SUSHI ◎◎』 が下町の四区にあります。そしてその斜め向かいの店に、時にアオザイに身を包んだ若い女性たちが、十台ほどのバイクで到着します。バイクの後ろに乗せた外人さんたちを降ろし、路上の屋台に並べられたテーブルに彼らを案内しています。

その店はシーフード料理の店で、カニやエビのほかに貝類も豊富です。もともとここの通り自体は、ベトナムの人たちが大好きな貝料理の専門店が集中していて、歩道上にテーブルと椅子を並べた屋台形式の店で、連日多くのベトナムの人たちが食べて、飲んで、賑やかに過ごしている光景をよく見ます。

この記事にある、 「 Vietnam Vespa Adventure Tours」 が行っている、 <Vespaのバイク> に外国人の観光客を乗せて夕食に連れて行く店も、同じくこの通りにあります。アオザイ女性が案内した店から百メートルくらいしか離れていません。

< Vespaのバイク>に観光客を乗せて、バイクでサイゴン市内を案内するツアーのことは私も良く知っていました。しかし、 『 SUSHI ◎◎』の斜め向かいの海鮮料理の店に、アオザイ女性が観光客を案内しているツアーの詳しいことは知らないままでしたが、この記事を読んで初めて分かりました。そして、「 1位に選ばれた」というのは、身近に見ているだけに、実に興味深く思いました。

私は、ベトナムのような常夏の国の魅力の一つは、何といっても路上の屋台で夜風に吹かれながら食べたり、飲んだり出来ることにあると思っています。しかし、私がサイゴンに来た 17年前には、一区にもまだ歩道上で朝はフォーの屋台が出て、夕方にはビールが飲めていたのに、今は禁止されてしまいそれが無くなりました。

さらには、外国人のバック・パッカーが多く集る Bui Vien(ブイビエン)通り には、夕方から歩道上にテーブルと椅子を並べてビールを飲ませる光景が出現し、夜の9時ぐらいには外国人のお客さんたちが道路上まで溢れ出して、車が通れないような状態でした。それもまた、サイゴンの 「観光名所の一つ」 になっていました。

しかし最近、その区域を管轄する部署から通達が出て、その通りにテーブルや椅子を出すことが出来なくなったのです。それで、今はどうなっているかというと、歩道上に何と段ボールを敷き、白人さんの観光客たちはその上に腰を下ろして、ビールを手に持って飲んでいるという、何とも滑稽な光景になっています。

椅子に座るのならいいでしょうが、段ボールに腰を下ろして一時間も、二時間もビールを飲むのは苦痛です。ですから、確実に観光客は減ってしまいました。実は、あのYさんの知人がやっている店がその通りにあるのですが、以前の活気を知るその知人は嘆いていました。Yさんは怒っていました。

「夜はこの通りを歩行者天国にして、車を締め出せばいいんだ!!」

それをしないで、 「歩道上にテーブルと椅子を出すな!」 というお達しが出てからというもの、ここで飲んだり、寛いでいる観光客が激減しました。わざわざ「観光名所の一つ」を潰したようなものです。 Bui Vien通りで観光客相手の商売をしている人たちは困っているだろうと思います。

しかし、四区の 『 SUSHI ◎◎』の通りの路上屋台は、今だに健在です。 Bui Vien通りがそのような状態ですから、今後 ベトナム人が運転するバイクに乗った観光客が四区に流れて来るかもしれません。

実際、今『 SUSHI ◎◎』には多くのベトナム人が食べに来ていますが、最近は欧米の外国人も増えて来ました。でも、彼らは自分でバイクを運転して来ますので、ベトナム滞在が長い人たちでしょう。

確かに、ベトナムに初めて来た観光客が、自分でバイクをレンタルしてサイゴン市内の観光名所に行こうとしても、地理にも不案内だし、交通ルールにも慣れていないので、事故に遭う危険性が高いでしょう。

しかし、サイゴン市内のバイクの運転に慣れたベトナム人の運転に任せれば、自分で運転するよりははるかに安心です。そう考えると、今後もこのような<バイクツアー>の企画が増えてくるかもしれません。



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