アオザイ通信
【2004年10月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

< Quoc(クオック)さんの笑顔 >

今年4月に訪れたアヒル飼育の農家を、またフォトジャーナリストのMさんと一緒に訪問して来ました。しかしそこを訪問するに当たって、事前には何の約束もしていなかったので、今がどういう状態であるのかこの時には全く分りません。

また元のように仕事を始めていれば良いが、もしダメだったら・・・。最初私達も行く前に迷いましたが、近くに来たついでだからと、思い切って訪ねることにしました。一家の人たちの元気な姿と再会出来ることを願いながら。

今から訪ねるそこの主人は、Quocさんという30代半ばの人ですが、昨年ベトナムでも発生したトリインフルエンザ騒ぎで、飼育していた一万羽のアヒルを全て失い、前途を悲観して農薬を飲んで自殺を図り、あやうく一命を取り止めた人です。

家の近くでバスを停め、大きい道路からは小型バスも入れないので、バイクタクシーを雇って2人でまたそこを訪ねました。どういう表情で再会出来るだろうか?期待と不安が入り交じりながら、すぐ彼の家の近くに到着。

すると彼の家のすぐ近くの小屋の中で、アヒルの卵の選別をしている若い2人がいました。それがQuocさん夫婦でした。その横にはまたおじいさん・おばあさんも仕事をしていました。以前来た時には本人は非常に落ち込んでいて、このおじいさん・おばあさんが話を聞かせてくれました。

4人とも私たち二人を見るなり、ニコーツとした笑顔をして大変喜んでくれました。それを見て、来る前に心配していたことが杞憂に終って、私たち2人も大いに安心したことでした。

すぐ家の方に案内してくれて、お茶を飲みながらいろいろ聞きました。今のアヒルの飼育は3ヶ月前から再開したこと。以前は一万羽飼っていたが、今は1500羽のアヒルがいること。それが毎日400〜500個のタマゴを産んでくれるので、それを毎日市場に出していること。今は以前の十分の一以下の数でしかないが、これからまた頑張って以前と同じくらいまではアヒルを飼いたいという目標を持っていること。

などなどを嬉しそうに、元気良く話している姿を見て、私もMさんも大いに安心しました。そしてまた外国人である我々にも、本当に率直に苦しかった時の状況から、今に到るまでを話してくれるその気さくさにも感心したことでした。

今年またトリインフルエンザが再発するかどうかは分りませんが、ここにはその試練を乗り越えた一軒の農家の人が間違い無くいました。最後に別れる時に「また来年も来ますからね。その時にはもっと多くのアヒルを見せて下さいね」と言うと、「分かった。分かった。」と返事してくれて、力強く握手して別れて来ました。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ ■ 今月のニュース 「 一人の日本人の女性と平和の村 」 ■ ■

一年半前に、日本で看護婦の仕事を退職した一人の女性が、ハノイ市郊外にある「平和の村」を訪れました。そしてその後も何度もここを訪ねて、今回は7回目の訪問となりました。

今回は日越友好協会の友人たちと一緒にここを訪問し、ここに住んでいる枯葉剤被災者の子供たちに、健康診断器などをプレゼントしました。彼女の姿を見た時に、ここの子供たちは嬉しさで全員が泣いて出迎えてくれました。 この女性の名前は、マツモト マサコさん。

この平和の村には、今116人の枯葉剤被災者の子供たちがいます。2003年3月にマツモトさんはここを初めて訪れ、手足や顔や体や皮膚に、枯葉剤の後遺症が今もある子供たちを見て大きな衝撃を受けました。

そして日本に帰ってから、ここの子供たちの写真を見せて、この子供たちに救いの手を差し伸べる運動を始めたのです。マツモトさんが日本のみなさんに協力を訴えると、多くの同情が集まりました。

マツモトさんはその中でも特に可哀想な、一人の子供を日本に呼んで治療を受けさせたいと思い、そのための活動を続けました。その子は13才の女の子で、枯葉剤の影響で顔や体に黒いシミが大きく・深く・広い範囲で表われていました。それを完全に治療するには、日本円にして一千万円くらいかかるということです。

その子を日本に呼んで手術を受けさせて、普通の体に戻してあげたいというマツモトさんの情熱的な行動に、一人の医師が立ち上がりました。その医師はレーザー治療の世界的な権威で、オオシロ先生という医師です。

オオシロ先生はその女の子の治療費をすべて無料で治療することを申し出てくれました。それでその子は2003年10月に日本に行くことが出来て、オオシロ先生の治療を受けることが出来ました。

日本での滞在中は、45日間の間ずっとマツモトさんの家に滞在して、その子は「マツモトさんの家では私は自分の家のように過ごすことが出来て、みんなが私を家族のようにもてなしてくれました。日本のみなさんの親切を、私は一生忘れることは出来ません」と感激していました。

そして今もこの平和の村にはいろんな外国から、子供たちを慰め、励まし、手助けしようと多くの人たちが訪問してくれています。

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(解説)
先月号のBAOでもお知らせしましたが、この枯葉剤被災者の子供たちを保護している「平和の村」は、今ベトナム全土にあります。生まれ落ちた時からすでに身体に傷害を背負った子供たちの存在は、改めて戦争の悲惨さを今も訴えています。

そういう施設に今日本をはじめとして、多くの外国からの訪問者が来て子供たちに物心両面でいろいろ支援しています。この日本人のマツモトさんは、ずいぶん以前からそういう子供たちの支援に立ち上がっていたことをこちらのベトナムの新聞で改めて知り、こころから頭が下がりました。

実は今現在、今月号のアオザイ通信にも載せました、フォトジャーナリストのMさんも、南部の枯葉剤被災者で彼の知り合いの一人の子供を日本に連れて行って治療を受けさせる運動を計画しています。

その後援には日本のある新聞社が協力してくださることになっています。また本格的にその支援活動始まりましたらみなさんにもお知らせ致します。


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