第4次スマトラ沖地震津波レポート
2005年4月21日〜28日
◆4月22日 インド・デリー
 2001年のインド・グジャラート地震以降、出会った地元NGO=SEEDSの新しいオフィスを訪ねる。最近引っ越したようで、デリーの少し高級住宅街的な家並みの一角にある3階建てのビルを借りている。なんと今、スタッフは30名に膨れあがっていた。
 代表のマヌ・ブクタとは今年1月、神戸で開催された国連防災世界会議で会って以来だ。「04・12・26スマトラ沖地震津波災害」後、いち早くインド・アンダマン諸島の被災地に飛んだことはメールニュースで知っていた。今回知ったのは、すでに津波発生の6ヶ月前に地震についてのワークショップのために現地に入った経験があったことだ。SEEDSは、グジャラート地震後、被災地の大工さんや石工さんたちをトレーニングし、技術者を増やしてきた。被災当事者でもある現地の技術者が、次なる被災地でも活躍できるように、こうしてワークショップを開いている。「ピア・トレーニング」とでも言おうか、すばらしい活動を展開している。
 昨年、約140人で「SEEDS MASON ASSOCIATION」という組織を立ち上げたようだ。今回の津波災害で、述べ40人の技術者が現地リトル・アンダマンに入り、緊急救援から仮設住宅建設(約350戸)の活動を続けている。ポルトブレアには、現場オフィスも設けており、現在3名が派遣されている。私たちは今晩チェンナイに一泊し、明日ポルトブレアに入る。現場では、SEEDSのスタッフでMs.シバンギが待ってくれているとのこと。彼女もグジャラート地震以降の友人だ。私は三年ぶりの再会になる。
 さて、マヌの話では、アンダマン諸島も第二次世界大戦時に日本軍の統治下にあった時期があったとのこと。ポルトブレアには当時の砲台が戦争の傷跡を残すものとして展示されているそうだ。同様の話はこうした南アジアの各地で聞くが、アンダマンもそうだったとは知らなかった。気持ちを引き締め、緊張して向わなければならない。
 アンダマン諸島には、テン ディグリー チャネル(Ten Degree Channel)というラインがあり、そこから南のニコバル諸島などへは外国人はもちろん、インド人も入島出来ないそうだ。震源地との位置関係で想像すると、おそらくほぼ全滅ではないかと懸念する。
SEEDS…2001年のインド・グジャラート地震の後に知り合った建築家や都市計画の専門家の集まり。CODEとはグジャラート地震の時、被災地であるパタン県パタンカ村の再建で一緒に活動しました。SEEDSは、被災当事者である技術者を巻きこみ、当事者自身が他の被災者や他の地域で防災・減災を訴えるという活動を展開しているところが注目される。

◆4月23日 インド・ポルトブレア
SEED事務局にてスタッフに防災教育の説明(ポルトブレア、4月23日)
 神戸を出発して2日目で、やっとアンダマン諸島のポルトブレアに来た。明日早朝6時に船で、さらに南のアンダマン諸島、リトル・アンダマン島のHUT BAYに5時間かけて行く。
インド南部にあるチェンナイ空港からポルトブレアまでは約2時間半ほどのフライトだ。チェンナイ空港でポルトブレア行きの飛行機に乗るため、空港内を移動 するバスに乗ると突然私たちに日本語で話しかけてくるインド人がいたのだ。「えっ?」とビックリしながらよく聞いてみると、なんと地震工学の研究者で1993年から1996年まで東大で学んでいたとのこと。片山先生や目黒先生の名前が出てきたのでまたビックリ。しかも今年の神戸で開催された国連防災世界会議にも出席していたとのこと。なんでも今回は5人くらいのチームで地震による建物破壊や地盤のダメージについての調査に行くそうだ。
 ところで、ポルトブレアは今回の津波の被害は少なかったようだ。発生直後3日間ほどは、ここと南のニコバル諸島が注目されましたが、リトル・アンダマンには援助者は行かなかったようだ。SEEDSがリトル・アンダマンに入ったのは地震発生から2日後だそうだ。
 ポルトブレアにあるSEEDSの事務所には、グジャラート地震以降、SEEDSの調整員をしていたMs.シバンギが忙しく仕事をしています。彼女はここに来てもう3ヶ月になるそうだ。 SEEDSは、今年の9月頃を目処に防災のための資料館的機能も備えた「支援センター」を建設する予定。プログラムの中には子どもたちを対象にした防災教育なども考えられており、CODEがスリランカやタイで展開しようとする「稲むらの火・現地バージョン」のことを彼女に話すと大変興味深く聞いてくれ た。スリランカ、タイに続き、インドでも具体化されることが楽しみだ。

◆4月24日 インド リトル・アンダマン
<目的地リトル・アンダマンに到着>
地震で被害を受けた建物(リトルアンダマン、4月24日)
 いよいよポルトブレアからリトル・アンダマンのHUT BAYに向けて、定刻午前6時半に船は出港した。5時間ほどの船旅でHUT BAYに着いたようだが何か変だ。乗船客は岸壁と反対側のデッキに出ている。つまり海側。みんなについて出てみると、何故か小さな小舟に乗り移っている。「えっ?ひょっとして途中の違う島か?」少し不安になる。実は津波で港が壊れており、船は接岸できるが人は降りられないため、少し離れた、石垣を積んだだけの仮の岸壁につくのだった。
 港に着いて、目に飛び込んでくる津波被害は悲惨なものだ。港の破壊や砂浜のヤシの被害を見ると、話に聞いた高さ20メートルの津波の想像がつくが、穏やかなアンダマンの海を見ていると、ここに突如として20メートルの波の壁が襲ってきたことは全く想像できない。目の当たりにした人にとっては長くトラウマになるだろう。TSUNAMIというものが、どんなものなのか全く知らなかった人びとにとっては、大変な恐怖となる。
 地方政府は、死者64名と発表しているが、この地にいる日本のNGO=アドラ・ジャパンのスタッフによると港の近くだけで200人は亡くなったはずと言っている。人的被害はスリランカの方が明らかに大きいのだが、海岸の破壊度はここの方が大きいと感じた。決して復旧が遅れているという訳ではない。よく見てみると、家のあったところは、それなりに片づけられ”表札”が建てられている。瓦礫の中に表札が立っているこの光景は、 10年前の阪神淡路大震災を思い出す。
<自然にやさしい仮設住宅>
林の中に作られた仮設住宅(リトルアンダマン、4月24日)
 さて、今は島に2000戸の仮設住宅が建設中である。被災者はそこに入居できるのを待っている。SEEDSが建設しているサイトは林の中だが、そこのエリアの木をすべて伐採して建てるというやり方ではない。木は大切なのでできるだけ伐採しないで木と木の間に手パイプの枠組みをつくっている。アドラ・ジャパンのスタッフ曰く、「仮設はいずれ壊すため、セメントなどは 使わず建設することになっている。セメントを使えば、もうそこには木が生えてこないから」とのこと。すばらしい考え方だと教えられる。
 建設の時期はスリランカに比べるとはるかに遅い感じがする。しかしこれがいつもCODEが主張する「ちまちま復興」の姿ではないだろうか?外部から見ると「ちまちまと何をやっているんだ!」と思われるかも知れないが、被災当事者が納得すればゆっくりでいい。この間に将来の「住まい方」をよく考えて欲しいと願う。ただ、気候はどうすることもできない。5月から10月くらいまでのモンスーン期に間に合うように仮設住宅を建てなければならないようだ。
 SEEDSはさすがにグジャラート地震を経験しているだけに工夫をしている。SEEDSが受け持っている約300戸の仮設建設には、できるだけ被災当事者が関わっている。グジャラート地震のあとにできた大工さんと石工さんの協会から25名の専門家が来ているが、被災者は彼らの指導で動いている。インドでは当たり前の光景かも知れないが鮮やかなサリーを纏った女性たちが、土を掘り、各々の家に運んでいる。男性は鉄パイプを切ったり、溶接をしたりし、また別の男性はトタン板と木材との組み合わせでドアをつくっている。分業がなされているようだ。今年中には恒久住宅の建設も始まるだろうが、あわてずにじっくり考えて欲し い。
 住まいも大事だが、仕事の確保も急がれる。現在も行われているが、仮設建設期、恒久住宅建設期などで発生するしごとを「CASH FOR WORK」のようにつなげればとりあえずの稼ぎにはなる。建設に関わることだけではなく、「暮らし」が始まろうとすると他にもスモールビジネスが生まれやすくなるだろう。是非、中長期的な視野で復興を考えて欲しいと願う。

<現地で活動する日本NGO>
 日本のNGOが頑張っている。ジャパンプラットフォームのミッションでアドラ・ジャパンが活動をしている。今回アドラ・ジャパンは、いち早くニコバル諸島に入ったアドラ・インディアからの情報を得て、12月30日にリトル・アンダマンのHUT BAYに最初に入ったそうだ。今は日本人スタッフの女性が一人おり、仮設住宅建設のためのコーディネーターとして活動している。またプロジェクトリーダーとして現地スタッフを雇用し、事務所も構えて活動を展開している。彼女が2ヶ月前にここに調査で来た時は、テント持参で何もわからず宿泊先も決まらず、とにかく来たという状況だったようだ。
 津波に襲われる前のHUT BAYの目抜き通りは賑やかなバザールだったらしい。今日、日中車で被災地を見て回ったがそんな面影はない。今、彼女が最も苦労するところが、仮設建設のための資材が途中で足りなくなった時に、5時間かけて船でポルトブレアまで行かなくてはならないこと。ここアンダマン諸島の中心地がポルトブレアであることから、SEEDSもそうだがポルトブレアにも事務所を置かなければ仕事にならないようだ。アドラのように世界的にネットワークを持ち、実績の高いNGOがこういう時にリーダー的存在であることは被災地にとっては心強いだろう。

◆4月25日 インド リトル・アンダマン
<「働くことが楽しい!」という女性たち>
仮設建設に携わる地元女性たち(リトルアンダマン、4月24日)
 今日でHUT BAYを離れるので、朝9時頃SEEDSのキャンプサイトを訪問した。昨日は汗をかいて働く女性の姿が目をひき、男たちは昼寝でもしているのだろうか?と思っていたが、朝の6時半から働くチームは、午後2時くらいで終わるそうだ。昨日私たちが現場についたのは午後3時頃だったので女性しか働いていないように見えたのだろう。ただ、女性は午前中もいろいろな家事をした上で、午後労働しているケースも少なくないだろうから、どこか不平等な気がしないでもない。
 ちょうど船着場の近くで、SEEDSで働く女性のグループ約20人が、リーダーを取り囲んでいた。今日は支援金を地方政府から受け取る日のようだ。彼女たちはリーダーに「毎日仕事があって楽しい!」といっていた。土を掘り、重たい土の入った篭を頭にのせて運ぶという仕事はどう考えても重労働だろうが、彼女たちにとっては生きがいなのか?想像もしなかった津波災害に遭い、家や財産を失って打ちひしがれることなく、「働くことが楽しい!」と聞くと、こちらが励まされるというものだ。

<インドNGOの女性支援>
 「04・12・26スマトラ沖地震津波災害」発生直後には、ここアンダマン・ニコバル諸島には国内外から100を超えるNGOが入ってきたそうだ。明日26日で丸4ヶ月が過ぎるが、今も活動をしているのは10ほどである。そんな中で直後から医療活動を中心に続けているインドNGOがある。「Aparajita」という医療救援NGOであり、コミュニティヘルス(地域レベルの医療)を中心に、今は被災者の主体的な再建=セルフヘルプをサポートする活動にまで広がっている。
 リトル・アンダマンのHUT BAYに設置したヘルスセンターでは、医療・保健相談を軸に、生活再建支援もはじめた。訪問した時には、常駐の医者が何人かの診療をこなしており、看護師と思われる女性が薬を出していた。隣のスペースでプログラム・オフィサーのSHIRIR RANJAN DASHに話を聞くことができた。本来は医療救援専門のNGOのようだが、今では生活再建支援まで視野に入れている。どういうことをしているかというと、食用油や石けんなど生活雑貨を中心に約30種類の品物を津波で働き手を亡くした女性や貧困家庭に配布し、貰った人たちはそれを元手に商売をし、2回目からは自力で商品を仕入れるというサポートしている。物資を配るだけではなくこうしたシステムを導入することで被災当事者のエンパワーメントにつながるすばらしいシステムだ。

<ヤシで生計を立てるニコバリー>
 まだ出港までに1時間ほどあったので、SEEDSのスタッフも初めてのキャンプ地に一緒に行くことになった。ここには、「ニコバリー」という、1973年にニコバル諸島から4300人が集団移転してきた人々が住んでいる。彼らは、この地で津波に遭い今はキャンプ生活を送っているが、こちらのロータリークラブが仮設住宅を建設している。「ニコバリー」は、ヤシで生計を立てていたので今回の津波で相当被害があったのだろう。ただ、ヤシの木の間を走る道路を車で走りながら見ていると、すでに隙間がないほどヤシの木が生えているので、被害がどれほどあったのか判らない。ヤシの実の収入は年間4000ルピーから5000ルピー(100ルピーは約240円)だそうだ。

◆4月26日 インド 南アンダマン
水田だったが、水害によって使えなくなった(南アンダマン、4月24日)
 今日はアンダマン諸島の南アンダマン地域を案内してもらった。この地域は農業被害が大きい。しかし、津波が襲い水浸しになった水田が多いと説明を受けてもすぐには理解できない。被災現場に何カ所か停車して説明を聞きながら思い出した。そう言えば、チェンナイからここアンダマンに来る飛行機の上から見えた光景がこれだったのだ。その時は、目に飛び込む田畑がかなりの範囲で水浸しになっていたが、もう4ヶ月も経過しているし、海からの距離もわかりにくいこともあって、津波の被害なのか半信半疑だった。こうして実際に冠水の現場を見て「ヤシの木の向こうに海があり、その水がここの内陸にある水田を襲ったのです」という説明を聞いて、やっと理解できた。なんと、4ヶ月経った今現在も、海の水が道路を越えて田畑の方に流れ込んでいるのだ。床下浸水になりながらもそのまま雑貨商を行っている姿や、ニワトリが水から避難する場所を求めて、かろうじて残されたコンクリートブロックの上に乗っかっている光景を見ることができる。
 さてSEEDSは、ここポルトブレアに「市民資源センター」や内陸部に女性のためのトレーニングセンターなどを建設する予定だ。「市民資源センター」というのは、サイクロンや今回の津波などの災害に対する減災対策や災害が発生した後の対処の方法などを学ぶことができる施設をイメージしているそうだ。予定地は、市内から空港への行く途中の所で非常に目につきやすいことから、ミュージアム的な内容も考え観光客にも見せたいと抱負を語っていた。一方、内陸部にはすでにある女性労働者のための一時託児スペースを改良して、女性のためのトレーニングセンターをつくる計画がある。もともとこういう一時託児所は村にあるようだ。道路工事や側溝工事に出ている女性のために、子どもを預かっている。 SEEDSは、ここを改良し従来の機能に加えて、女性が縫い物をしたり、その他の作業をするための場にしたいとのこと。それにしてもアンダマンの女性のみならずインドの女性もよく働く。アンダマンはカースト制度がないともいう。従って女性がこうして道路工事などの仕事をするのは必ずしもカースト制度のためとも言えないかも知れない。昨日、HUT BAYで語っていた女性たちの笑顔を思い出す。