アオザイ通信
【2009年4月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<満月の夜の出会い>

この3月にフォトジャーナリストの村山さんが、スタディツアーのために来越されていて、またサイゴンで会うことが出来ました。村山さんの今回のベトナム滞在は約一ヶ月の期間でした。

彼がベトナムに来る時は、スタディツアーの事前準備のために、ツアー参加者の一行よりは、いつも一週間ほど先に来ています。

ツアーがいざ始まると、彼は引率責任者になり忙しくなります。しかしツアー参加者が来る前までは、まだ少し時間に余裕があるので、いつも私たちはべン タイン市場前の屋台で食べたり、飲んだりしています。

そういう時に、私は村山さんを見ていてホトホト感心することがあります。彼が知らない人たちと、たちまちのうちに人間関係を築く能力の凄さ、見事さにいつも驚かされるからです。

サイゴンに来た時に彼が常宿にしているのは、バックパッカーなどの旅行者がたむろしている安宿街なのですが、いつ通っても白人やアジア人の旅行者が荷物を背負いながら歩いていたり、朝や夕方になると大型バスが何台も出発、到着しています。

彼はその安宿街でツアーの準備も進め、取材の仕事もしながら、毎回のツアーの構想も考えているのでした。そして夕方になって時間が空けば、宿の近くにある路上の貝料理屋で、貝をツマミに氷入りのビールのコップを傾けています。

ちなみにこのベトナムの貝料理というのは、牡蠣や赤貝やハマグリのように、日本人が見たらその種類がすぐ分かるものもありますが、路上の屋台の貝屋さんなどで見るそのほとんどは、日本には生息していないような貝が多いです。

赤貝などは、まだ大きくなる前に獲っているからなのか、その大きさは日本のアサリくらいです。そういえば、ベトナムではアサリは見たことがないですね。

サイゴン市内の至る所の路上の屋台では、日本名では何というのか、その名前が分からないような種類の貝が、安い値段でたくさん売られています。そして女性や若い学生なども、仕事や学校の帰りに、よくオヤツ代わりに食べています。

北部などの田舎では、電気の灯りもない路上で、ランプの光の中で日本のシジミ貝のような小さな貝を、ピンセットで突付きながら身を取り出して食べていました。それは遠くから見ると、大変幻想的な光景でした。

こういうふうに今のベトナムでは、路上の屋台や小さい店で貝を食べるというのは普通の光景ですが、日本ではそもそも貝料理の専門店自体がありませんよね。

そしてベトナムで食べるいろんな種類の貝は、これがまたビールのツマミなどには大変おつなものです。値段もさほど大して高くはありません。大体の料理方法ですが、貝は炎天下でザルや皿に入れてあり、路上に置いたテーブルの上にそのまま放置してありますので、生で食べると食虫毒の危険性が高く、ベトナムの人たちもみんな煮たり、焼いたりして、一応は火を通して食べています。

村山さんが泊まる宿の近くの路上にも、このような貝料理の屋台が多く、彼もこの貝料理が大変気に入っているようです(実は私も大好きですが)。太陽が傾き、日が暮れようとする前の涼しい時間ころになると、大体そこで数人と貝を突付きながら話しています。

そして彼はそこで貝を食べながら、ビールを傾けながら、近くを日本人らしき旅行者が通ると、「日本のかたですか?こちらへ来ませんか。」と気軽に声を掛けていき、いつのまにか今まで全く知らない他人を、彼の交流の輪の中に入れていきます。

それが自然流に出来るところが、彼の不思議な能力でもあり、魅力です。司馬さんの作品の中の言葉だったかと思いますが、やはり村山さんも「人間という生き物が好き。」なんでしょう。

日暮れ頃になると、そういうふうにして知り合った人たちが、いつの間にか十人近くにはなり、村山さんはみんなをベン タイン市場前の屋台に連れて来ます。私が新参の若者たちに、「いつ村山さんと、このサイゴンで知り合いましたか。」と聞いた時に、一番短い時間は「今朝」でも「今日の昼」でもなく、「30分前です。」という人がいました。

そういうある日、ツアーの参加者とはまた別に、同じようにして夕食会に混じっている人がその日も5・6人はいました。遅れて着いた私のために、村山さんがある一人の男子の大学生の前に席を空けておいてくれて、そこで彼を紹介してくれました。

村山さんがニヤニヤしながら、「まあー、彼の名前を聞いてみて下さい。」と言いました。村山さんがどういうつもりでそういうことを言うのか、最初は分かりませんでしたが、私は彼(名前はS君)に何の疑問も持たず、普通に「名前(姓)は何ですか?」と聞きました。

すると、何と彼の姓は私とその読みも漢字も同じでした。そして「出身はどこ?」と聞きますと、S君は「熊本です。」と答えました。それで私も「ええーっ!」と驚いた次第です。

私の姓は日本では珍しいほう(なのかな?良く分かりませんが)のようで、元々佐賀にいた一族が熊本まで流れて来たらしく、佐賀には今でも多いようですが、熊本には少ないはずです。

実は村山さんが、いつものように夕方くらいに路上の屋台で貝を突付いている時に、これまたいつものように安宿街を歩いている日本人らしき人たちに、「こちらへ来ませんか。」という例のパターンで、彼・S君やほかの数人と前日にたまたま知り合い、風呂場で使うような低い椅子に座って、路上でみんなと話していたそうです。

そして村山さんがみんなに、「君の名前は?君は?」と次々と聞いていったら、S君から返ってきた答えが偶然にも私の名前と同じ読みであり、さらに続けて「その名前は、漢字でどう書くの?」と聞きますと、これまた同じ漢字なので、村山さんも大変驚いたのでした。

さらにまた田舎を尋ねますと、私の田舎と同じ「熊本です。」という答えを聞いた時に、「実は君と同じ姓の名前で、同じ熊本の人がこのサイゴンにもいるよ!」と言うと、S君も最初は驚き、しかし半信半疑だったということでした。それで村山さんは、(これは大変面白い。明日二人を会わせよう。)と思って、今日のこの日にS君を連れて来てくれたのでした。

私は目の前にいる明敏な顔付きをしたS君に、「熊本のどこなの?」と聞きました。そして彼が最初に答えた市と、次に彼の口から出て来た村の名前を聞いて、私も大いに驚きました。彼が答えてくれたその村の名前は、全く私と同じ村だったのでした。

そしてさらに続けて「君のお父さんの名前は?」と聞きますと、「○○です。」という返事を聞いた時には(こんな事があるのか!)と、驚きを通りこして一瞬言葉に詰まり、しばらくポカーンとしていました。

その時に彼が答えたそのお父さんの名前の家というのは、なんと実は私の実家のすぐ隣の家だったのでした。

「僕の父を知っているのですか。」と質問したS君に、私は「知っているもなにも、子どもの頃はいつも兄貴君と君のお父さんたちと一緒に遊んでいたよ。でもその顔を見ていたのは私が高校生くらいまでなので、もうずいぶん長い間会っていないねー。」と話しました。

するとS君も「へ〜、そうなんですか。」と、自分の父を知っている人間に、このベトナムで会ったことに不思議な縁を感じていたようでした。私もまた村山さんが結び付けてくれたこの出会いに、ただの偶然というにしては不思議すぎる、奇妙な思いがして来ました。

ですから私はいま目の前にいる青年・S君とは、この時が初めての出会いなのでした。S君に話したように、彼のお父さんというのは、私の同級生の弟にあたる人物なのでした。しかし私はその弟であるK君とは、この40年近くも会っていません。それで、私自身はここでS君と会うまでは、あのK君にこういう息子さんがいるということも当然知りませんでした。

そしてS君の父のK君は今はその村に住んでいるわけではなく、県外に住んでいます。そしてS君もまた長じるまでは、父と一緒に県外で育って来たので(今はS君は東京の大学に通っていますが)、私の実家があるその村に来たことも、まだ数回しかないと話していました。

それにしてもここでこうして私と彼の父・K君が、実は日本での実家を隣同士にしている縁で繋がっていること、そして私とそのK君の息子さんの二人が、今こうしてサイゴンで話しているというのは、何という奇遇というべきでしょうか。

彼は今回大学の春休みを利用して、アジアの国々を旅行する途上にあり、数日前にベトナムに着いたばかりなのでした。

日本でもまず出会うことのない状況にある二人が、異国の地・サイゴンでこのようにして出会うというのは、限りなくゼロに近い、低い確率でしょう。

そしてこの日はたまたま旧暦の十五日に当たり、私たちの頭の上にはみごとに美しい満月が出ていて、サイゴンの街に明るい光を照らしていました。

あのAさんも今日のこの席には来ていました。Aさんは、今日の私たち二人の奇跡的な出会いについて、「満月が招き寄せてくれた不思議な出会いでしたね。」と、大変詩的なことを言ってくれました。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 今月のニュース <水が出なくて眠れない> ■

今ホーチミン市のいたるところで、水道の水が足りない状況が続いていて、住民は気が休まることがない。この状態は浄水場から遠い市外地だけではなく、ホーチミン市内の一部にも及んでいる。

それで水の足りない地区の住民は、夜通し起きて手桶やバケツに水を汲むなどして、毎日眠れない夜を過ごしている。

「この数日間は強烈な暑い日が続いているけれど、シャワーや洗濯をする水が足りないので辛くて、苦しいわ!」とBinh Thanh(ビン タン)区のBinh Loi(ビン ロイ)通りに住むある主婦は、我々にこう嘆息をもらした。実際にこの区域では、今もそのような状況が続いている。

◎多くの区域の住民が、寝ないで水を確保◎

Binh Loi区のこのように水が足りない状況は、実は今回が初めてではない。昨年の乾季の時にも、同じようなことが起こったので、水を販売している会社が、トラックに乗せたタンクに水を積んで売りに来たのだが、今年もまた何も改善されていない。

この地区の住民Tha(ター)さんは、「数日前に私は直接水道局に足を運んで掛け合って来たが、状況は何も変わらない。彼らはまだ全く何もしない。」と言う。

「この3月23日には特に水の出が悪かったので、私は夜中もずっと寝ないで、蛇口を全開にしてもポタポタとしか出ない水を桶に汲み移す作業をしないといけなかった。」とも話してくれた。

「私の家は5人家族だけれども、家族全員がシャワーを浴びたり、洗濯をしたり、炊事などに使う水は一日100リットル汲み置いておいても十分でないことがあるんです。」とThaさんは溜息を吐いた。

さらにまたその近くに住むHoan(ホアン)さんも、「今のように、水が水道管から全然流れてこない状況のままだとラチがあかないので、結局この辺りに住む人たちは、一立方平方メートルにつき5万ドン(約280円)の水を買っているような状態です。」と話した。

◎一立方平方メートルの水が、何と16万ドン!◎

この水の値段だが、特に水不足が厳しい新興開発区の7区などでは、以前は一立方平方メートルが10万ドン(約560円)だったのが、今は何と16万ドン(約890円)にまで値上がりしているという。

また別の地区の多くの家も見てみたが、各々の家には水を入れるタンクが2つほど置いてあって。それに毎日水を汲み入れているような状態だった。しかしBinh Loi区の人たちは、苦しい状況ながらも、まだ何とかして一応は水を確保できているからいいほうだろう。

4区のBen Van Don(ベン バン ドン)の住民の話では、一日の中で水を全員が使うような朝や夕方などの「高い時間」ころになると、段々と水の勢いが弱くなっていき、そして突然水が全然出なくなることもあるので、汲み置きも間に合わないと手をこまねいている状態である。

4区の住民であるThuy(トゥイ)さんは、「この数日は連続して、夜の12時から朝5時までずっと起きていて、バケツやタンクに水を汲んで移す作業をしていましたよ。これは私だけではなく、この地区の人たちはみんな同じようなことをしています。」

「我が家には幼い子たちがいるので、シャワーや洗濯などで使う水の量も多いのです。それでも足りない時には、4区の別の通りの知り合いに水を分けて貰いに行きます。」と嘆いていたのだった。そして今もまだ、このような状況は改善されていないのである。

<解説>
先日JICAから派遣されて来た青年と話していました。彼はもう少しでベトナム滞在が一年になるそうですが、彼は環境問題というテーマを持ってベトナムに来ました。

彼に「ベトナム滞在もうすぐ一年の感想はどうですか。」と私が聞きますと、「食べ物とかは美味しくて、全然問題ないんですが、河の汚染がもの凄いですね。あんな状態だと、市内に住む人たちの飲料水が不足してくるんじゃないでしょうか。大変心配になります。」という感想を述べてくれました。

私はそれに対して、「今の時点で、もう水不足の状態が出て来ていますよ。」と、たまたま少し前に読んだ、上の記事の内容を簡単に説明しました。

ホーチミン市の人たちの生活用水の主な水源は、サイゴン川やドンナイ川と地下水の三つのようですが、その二つの主要な川に工場廃水や、住民の生活排水の垂れ流しが続いている状態です。少し前には、台湾系の化学調味料会社の廃液の垂れ流しが摘発されました。

実は私もいまは4区にいますが、この地区は以前から水の圧力は弱い状態でした。ただ、今のところは水が突然出なくなるという事態は起こってはいません。しかし今後どうなるかは分かりません。

さらにまた同じ水に関した問題で、最近次のような記事が出ました。

●ボトル入り飲料水業者、半数が活動停止処分●

ホーチミン市保健局査察部は24日、2月16日からこれまでに市内のボトル入り飲料水生産業者57社を検査した結果、ほぼ半数の27社に食品安全衛生に関する規定違反があったため活動停止処分にしたことを明らかにした。微生物汚染やペーハー(pH、水素イオン指数)基準を満たしていない飲料水が発見されており、これまでに約5万リットルが封印処分されている。(引用=ベトジョーNews)

これですと、市販されているペットボトル飲料水の2本に1本は飲むのに適していないということになります。

実は私は、もう3年ほど前から外でペットボトルの水を買うことはしていません。その理由は水の安全のためというより、路上や店で買い求めても、冷えたペットボトルの水が時々ない場合があることと、水そのものが売っていない場合があって困ったことがあるからです。まあしかし、一番の理由は毎日店で買うのが面倒くさいし、ただの水よりもお茶のほうがまだ美味しいという、ただそれだけのことです。

毎日が暑いこの国では、一時間もするとすぐノドが渇きます。それで一年を通して、水は必携品です。しかしベトナムでは外出時に水筒を持っている人たちはまれです。至る所の路上に、カフェー屋さんや、ジュース屋さんが営業しているからでしょうか。路上に、“Giai Khat(解渇)”と看板が掲げてあるのがそういう店です。

しかし私自身は、ノドの渇きを癒すためだけには、あまりそういう所には足は運びません。自分でいつも冷たいお茶を持ち歩いています。

それで私が3年前からやっている方法ですが、外出する前日に家でお茶を沸かしておいて、それを湯冷まししてから、ペットボトル数本に分けて冷凍室に入れておきます。そして翌日それを取り出しますと、ペットボトルの中のお茶はカチン・カチンの氷の状態になっています。

外に出かける時には、それをペットボトル入れの容器に入れて、毎日バイクにぶら下げて出かけます。そして冷凍室から取り出した時にカチン・カチンだった氷は、暑い外気に晒されて徐々に溶けていき、しばらくすると冷たいお茶(チャー ダー)になります。朝それを持って出かけたら、昼過ぎまではまだ冷たい状態が続いています。

それでこの記事を読んで、半数の会社が活動停止処分になっても、また別の会社が同じようなことをしそうな予感がしますので、このベトナムいる限り私は、どこへ行くにも今後もずっと、「自家製ペットボトル入りチャー ダー」を持ち歩いて行こうと思います。

日本では自動販売機が至る所にありますので、そういうものを持ち歩く必要はないのですが・・・。



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