アオザイ通信
【2008年11月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<Gさんの志とその活動>

私の古くからの知人であるGさんから、「今度9区で絵画の作品創りを通して、障害者と健常者の交流を進めるプログラムを企画しましたので、是非来て下さい。」との誘いがありました。

知人のGさんがベトナムに来たのは1997年ですから、ちょうど私がベトナムに来た時と同じですね。彼は日本でも手がけていた農業関係の仕事を、こんどは(日本とは違う異国の大地でのびのびとやってみたいという思い)から、このベトナムという国に降り立ったのでした。この時彼は33歳でした。

そして田舎の貧困農家に8ヶ月間下宿して、農家の仕事の手伝いをしていました。さらにはそこの農家の主人は病気で寝込んでいたので、力仕事はその主人に代わって、彼が中心にやってきたといいます。今はベトナム人の奥さんと、4歳のお子さんと来年生まれる予定の第二子がいます。

彼は日本にいる時から、障害者支援のボランティア活動を続けていて、このベトナムでもそれを継続したいと考え、今年から彼が住んでいる9区でその活動を始めようと思い立ちました。それで数ヶ月前から、その準備を着々と進めていきました。

彼が今住んでいる9区には、障害者(おもにはダウン症の子どもたちですが)を受け入れる公共の施設はなく、各家庭で家族みんなが、そういう子どもたちの面倒を見ています。彼が訪ねたある家の中には、障害者の子どもを外から鍵を掛けて家の中に閉じ込めている家もあったそうです。

彼はそういう家庭を一軒・一軒回っては、今回の活動に参加するようにその両親に話しました。「ふだん家の中にしかいない子どもたちを外に出して、絵画作成を通して、健常者との交流を進めるのです。」という話を、家族たちに根気良く話していきました。最初は何のための活動なのかが良く分からないでいた親たちも、彼の話をしばらく聞いていくうちに理解を示してくれるようになりました。

そして次は肝心の会場探しです。ベトナムでのこういう活動は、人民委員会の許可を得ないといけません。しかしこの人民委員会という役所に出向いて、彼の活動内容とその趣旨と目的を説明しても、すぐには許可が下りませんでした。

外国人がベトナムのために、ベトナムの障害者のために、ベトナム政府からお金をもらうわけでもなく、全くのボランティアでやろうという彼の志は、そういうベトナムの影の部分を公には見せたくないのか、やはりすんなりとはOKの許可が下りませんでした。

さらにはまたベトナムという国の考え方として、外国人が主催して集会や団体活動をすることを簡単には許してくれません。そしてもし万が一許可が下りても、そこに待ち受けるのは今の中国と同じ(と言いますか、中国に詳しい知人に聞きますと、中国の役人のタカリのレベルはベトナムの十倍くらいさらに凄いと言いますが。)賄賂とタカリの構図です。

事実今回のこのプログラムを人民委員会の幹部のメンバーに説明した時、彼らから返って来た言葉は、「それは素晴らしい活動ですね。全面的に協力しますよ。」⇒(この人たちは話が良く分かるな〜)という言葉ではなかったということでした。

あまりにも志の低い、彼ら人民委員会の幹部のメンバーがGさんに言い放った言葉は、「そういう活動は難しいなー。でもこれだけのお金を払えば許可が下りるかもしれないなー。」という、公然たる賄賂の要求なのでした。

今のベトナムでは、いくら外国のボランティア団体が、善意の支援活動をしようとしても、そこに待ち受けているのは、賄賂とタカリ社会の構図です。こちらが無償で何かをしようとしても、相手のベトナム側がそれに無償で応えるかというと、まずそういうことはありません。

今ベトナムには外国からいろんな植林支援団体が来ていますが、わざわざ遠い異国から旅費を使い、ホテル代を自分達で払い、辺鄙な田舎までマングローブ植林のために足を運んで来ても、彼らが(いや〜、ようこそ遠い国からベトナムへ植林にいらっしゃいました。みなさん、どこにでも好きなだけ植えて下さい。有難うございます。感謝致します。植林するに当たっては、一切お金は頂きません。無料で結構です。)という対応を、現地の役人からされることはまずありません。

マングローブを植えるこちら側が、植えて上げている相手側に対して、お金を払わないといけません。そういう意味ではマングローブを植える私たちの側の意識が、「ベトナムまで出かけて植えて上げてやっている。」ではなく、「ベトナムという大地に植えさせてもらっている。」というふうに切り替らないと、こういう活動というのは長続きするものではありません。

以前日本の医療機関が、医療器械を無償でサイゴン市内にある病院に寄付しようとしましたが、やはりそれでもベトナム側は無料ではその器械を受け入れてくれなかったと言います。彼ら通関の役人が言うのには、「こういう器械をベトナムに入れるのなら、手数料(ワイロ)を払え!」ということでした。

日本側の支援団体が、「この器械はベトナムに無償援助でプレゼントするのだ!」と説明しても、頑としてお金を要求して来たという話でした。いくら病院にその器械が入っても、彼らは自分たちの懐にお金が入らないと満足しないのでしょう。

そういう話を聞きますと、いくら外国の支援団体が善意の援助をしても、それに対する理解が乏しいベトナムのお役人の志の低さには、何か空しくなってきますと言うGさんの嘆きでした。

しかしそういう苦労を乗り越えて、今回初めて9区の人民委員会の中の文化会館で今回のイベントまでこぎ着けたのでした。今回使用する部屋は、二百平方メートルほどの広さがありました。

私はその会館に朝8時半頃に着きました。私が着いた時には参加者の到着はまだ数人しかいませんでしたが、Gさんとその通訳としてNさんが来て、参加者の誘導に当たっていました。

実はこのNさんという女性は、今年ホーチミン・人文社会科学大学を卒業したばかりなのですが、日本の早稲田大学に一年間留学した経験があり、若いながらもその日本語能力はすでに一級を取得している才媛なのでした。

彼女はある日本の総合商社から、その高い日本語能力を買われて採用の通知をもらっていたのですが、Gさんと知り合い、Gさんの活動に共鳴して、それを辞退して、今は彼が立ち上げたNPO団体に所属しています。

私はこれ以前にも3回ほど会っていますが、彼女はいつも笑顔を絶やさず、ハキハキとした話し方をする女性です。そしてその日本語能力の高さは、さすがに見事なものです。

そして9時前くらいに、障害者の参加者たちが続々と集まってきました。このほかには、Nさんと同じ大学の学生ボランティアが20数名と、麻薬更正クラブのメンバーが10数名集まりました。そしてこの日は、招待された人たちが50名ほど来ていました。

この「麻薬更正クラブ」というのは、元麻薬中毒者たちが麻薬更正者の相互支援のために作ったクラブで、今回は彼らもボランティアとして、一緒に障害者たちとの交流を行うということでした。

9時過ぎには、障害者の参加者たちは、最終的には10数名くらい集まりました。Gさんたちのグループの代表が、開会の挨拶を簡単にして、それからいよいよ絵画創りの開始です。

縦1.5m×横2.5mの白い布のキャンバスに、障害者たちがペンキで色を塗っていきました。ただし好き勝手に描いているわけではなく、あらかじめ原画の構図と配色を見せて、それを大学生のボランティアのメンバーが手助けしていきながら、障害者たちが主体となって描いていきます。

絵を描く主体は障害者たちなのですが、障害者の中には満足に絵筆を持てない者もいるので、そういう子どもたちを側面から手助けをしながら、今回の絵画作成の完成に協力しているような感じでした。

私は最初ダウン症の子どもたちが多いと聞いていましたので、最後まで集中して絵を描き切れるのか不安でしたが、この絵を描いている時の障害者たちの集中力は本当に必死な感じでしたね。そして約一時間ほど掛けて、全部で3枚のキャンバスに描き終えました。そしてそれを会場の外の広場にしばらく干しておきました。

20分くらいしてそれが乾いたころに中に取り込んで、全員で記念撮影をして、障害者たちには記念品を上げて、11時ころにはこのイベントは無事終了しました。

最後に障害者のみんなと別れる時に、Nさんがみんなを抱き寄せて、頬を合わせてこころから喜んでいた姿は、日本語の通訳として人民委員会の役人たちと交渉して来た彼女にとっても、今回初めての企画が無事終わったことで、さぞ感無量のものがあったことでしょう。事実子どもも親もニコニコしながら、手を振って帰って行きました。

Gさんに「今回のこのイベントの感想はどうでしたか?」と聞きますと、「ここに至るまでには、ベトナムの人民委員会の役人との交渉などで散々腹が立つことも事実多かったのです。」「でもそれを上回る、良いベトナムの人たちの支援や協力がありました。そういう人たちの存在があるから、私もこういう活動をやって来れたし、今後も続けて行くつもりです。」と、答えられたのでした。

Gさんはまた今後も、継続してこの活動を続けて行くつもりです。志の低い役人たちと戦い、良いベトナムの人たちの理解と支援と協力を受けながら・・・。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 今月のニュース <日本の一主婦の、環境保護の経験を学ぼう> ■

ヘンミ キクコさんは日本人で、英語の翻訳の仕事をしている。桜の国・日本に住む彼女は、一主婦の立場で実践している環境保護活動について、その体験を分かち合いたいという思いから、ベトナムの新聞社に以下のような内容を寄せてくれた。

私たちは、今自分たちが住んでいる地球上の環境が、昨日よりも明日にはさらに良くなるように、出来るだけ改善していかなければならない責任があると思うのです。”

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◎小学校から環境教育◎

私は、日本の西のほうにある滋賀県に住んでいます。滋賀県には、県の面積の6分の1の面積を占める大きな琵琶湖があります。それで滋賀県の住民は、他の県の人たち以上に、自分たちの飲み水の水源には大変敏感です。

小学生の時には、学校の授業活動の一つとして浄水場の見学があります。そしてそこからの水が、自分たちの家の近くまでどう流れて来ているのかを生徒たちが勉強しているのです。

そして水源の水の質と、生活廃水の流れている家の近くの水質は、その環境の影響次第でいかに違うかも学んでいます。

東京においては、「無駄なエネルギーの使用を止めよう!」という看板が目に付きます。公共のバスなどでは、路上で長時間停車する場合は、自動的にエンジンが切れて、排気ガスを出さないように改良してあります。車のエンジンから出る排気ガスは、大気の汚染を引き起こすことは、みんなにも周知の事実なのです。

さらにまたこのことは、ガソリンの節約にもつながることになるのです。私自身も交通渋滞の時には、ふだんからそのようにしています。そのことは環境資源の節約にもつながるからです。

◎食用油の処理の仕方◎

日本人はてんぷらやトンカツなどの揚げ物料理が大好きです。その時に使った油はまた使いますが、それをしまう時には日光をさえぎる容器に入れておくようにします。

何故なら、日光が当たると油は変質して劣化するからです。そして何回か使用して、茶色に変色した頃にその油を棄てますが、その時にも台所の流しに直接棄てたりはしません。

ではみなさんは、私がどうして棄てているのかお分かりになりますか。私は棄てるべき油を一旦紙で出来た牛乳パックに入れて、台所の片隅に置いておきます。

家の中には古いシャツや、破れたシーツやベッドカバーなどがあり、それにこの古い油を少しづつ染み込ませて、直接台所の流しには棄てないようにしています。

また油で汚れた茶碗や皿などの食器も、まず最初にこうした布で拭き取ってから、その後で洗剤で洗うようにして、下水道に流れる洗剤の消費量を減らす努力をしています。浄水場から流れて来た水は各家庭まで引かれていますが、各家庭で使った後の水は、また私たちの水源である琵琶湖に流れていくからです。

◎分別ゴミの出し方◎

分別ゴミの出し方についてお話ししますと、日々家庭から出るゴミはその種類もますます多くなり、その分別方法も大変複雑になって来ているので、私には覚えきれません。それで毎日出るゴミの種類がいつ出せばいいのかが分かるように、冷蔵庫のドアに貼り付けています。

今私が住んでいる町は、9種類の分別の仕方でゴミを出すようになっています。その中の6種類は「資源ゴミ」と呼ばれる種類に入り、飲料用のビンや、ペットボトルや、アルミ製品や、鉄類などがそれに当たります。

家具や掃除機などの粗大ゴミもまたゴミとして出されますが、ゴミの種類によってその回収は一ヶ月に2回だったり、1回だったりします。またスーパーで買った時に食品を包んである発泡スチロールなどは、家庭のゴミとしては出さずに、またそのスーパーに持って行き、専用の箱に入れます。そのゴミはまた再生されます。

今各家庭から出るゴミの多くが、また再生出来る資源として活用されて成功しています。私自身も家庭で使うトイレットペーパーは、再生紙で出来たものしか買いません。

その紙の質は確かに柔らかくはありませんが、再生紙でないものと比べて長さが3倍は違います。古新聞などは廃品回収業者に引き取ってもらい、それを売った代金は学校に寄付させてもらっています。

◎3つのR◎

環境保護に関しては、良く言われている“3つのR ”が大切なことだと思います。Reduce(ゴミの減量)、Reuse(再使用)、Recycle(リサイクル)の3Rです。Reduceに関して例を挙げると、部屋を出る時には電気をこまめに消し、長時間使わない場合は、電源を根元から抜いておきます。

ReuseとRecycleでは、紙の使用が一番改善が出来る点だと思います。一度使用した紙でも、何も書いていない白紙の面は、子どもたちの勉強時に計算用紙などになります。またいろんな目的に応じて再使用が出来ます。

今日本では「もったいないの精神」がみんなに良く知られて来ました。モノが古くなったからといってもすぐ捨てずに、モノを大切に、出来るだけ長く扱いましょうという考え方です。

時には環境に優しい生活の仕方というのは、不便なこともままあります。でもみんながもっとより良いやり方や、効果的な方法を実現出来れば、その困難さは克服出来るでしょう。

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(解説)
この記事の中にある、「小学生の時から授業活動の一つとして浄水場の見学」というのは大変良い課外活動ですね。

この記事が出た時に、たまたまあの村山日本語学校のLuan先生に会うことがあり、この記事が載った新聞を見せて「今のベトナムでは、先生のご存知の範囲内で、小・中学生がこういう活動をしていることを聞かれたことがありますか。」と、私が質問しました。

Luan先生の答えは、「いやー、ベトナムでそういう活動をしている学校は聞いたことがないですね。」という答えでした。私が、「先生はベトナムの教育界にも顔が広いので、この記事をヒントにベトナムの生徒たちにも主要教科の勉強ばかりで終わるのではなく、こういう活動を採り入れるように提案したらどうですか。」と話しますと、Luan先生はただ笑っておられました。

実は村山日本語学校のそばには、サイゴンに観光で訪れた人なら誰しもが訪問する、「戦争証跡館」があります。ここには夏休みなどになると、ベトナムの遠い田舎からも、大型バスを何台も仕立てて、 小学生や中学生が先生に引率されてやって来ます。そしてベトナム戦争についての説明を、熱心に聴き入っています。

過去の歴史を学ぶそういう教育もまた大切なことなのですが、ベトナムのこれからの将来に向けての視点から、未来のベトナムを背負う小学生や中学生や高校生たちに、環境教育の大切さを教えるという観点から言えば、バスの行き先を時には少し変えて見ることも必要なのかもしれません。

そしてさらにLuan先生に、「ハノイでは分別ゴミの出し方が採り入れられたと聞きましたが、サイゴンではまだなのはどうしてですか。」と聞きますと、「いくら住民が家庭から出すゴミを分別しても、ゴミ収集車が集めた後に、その分別ゴミを処理するシステムがないので、結局はまた一緒にしてしまうことになるでしょう。今の段階では無駄というべきです。」という答えでした。

確かにこの記事を読みましても、分別ゴミを何種類にも仕分けしてそれを徹底するというのは、面倒臭いし、手間暇が大変ですね。このやり方を継続して実行するには、住民の人たちのマナー遵守も求められます。

今のサイゴンで果たして分別ゴミの出し方がすぐ出来るかどうかは、大いに疑問符が付くところですが、最近は私もハノイに行かないので、ハノイの人たちのこの点についての今の現状をぜひ知りたいものです。

実は分別ゴミについては私も研修生たちに、「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「空き缶・瓶類」の3種類に分けてゴミの捨て方を実演してみせて、二週間ほどもう一人の日本人の先生と徹底して指導したことがありました。そしてしばらくは、完璧とは言えないまでも、まあまあのレベルまで来ていました。

しかし私とその先生が日本に一時帰って、またベトナムに帰った時には、何もかも一緒にして捨てている、元のやり方に戻ってしまっていました。



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