アオザイ通信
【2003年12月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<1年で一番幸せな月>

1年の中で11月という月は、ベトナムで「先生」という職業に就いている人にとっては、大変幸せな月です。なぜならこのベトナムには11月20日に、「先生の日」という羨ましい日があるからです。

公立の小学・中学・高校・大学で教えている先生たちであれ、私立で日本語を教えている先生たちであれ、一年の中でこの日は自分たちのクラスの生徒たちから、いろんなプレゼントをもらい、生徒から先生に対して「感謝と敬愛の気持を表わす日」として、このベトナムでは定着しています。

日本人から見ると、先生に対しての尊敬心を国全体で表わしてくれる麗しい・羨ましい風習だといえましょう。生徒たちからこういうふうに敬われるベトナムの先生は、また先生自身の向上心をも高めて行くことは間違いないでしょう。

クラス全体で、Yシャツやネクタイや花などのプレゼントを先生に進呈するそうです。もちろん生徒たちが自分のお金でそれを買うほど裕福ではないはずですから、その背後には当然それを支援してくれる親がいます。

この日の一日前から、先生に贈るための花を売る花屋さんが道路の到るところに現われます。以前ちょうどこの時期にハノイにいた時に見た花屋さんは、道路の到るところを占拠していて、そのあまりの花屋さんの多さに驚きましたが、すべてこれが「先生の日」のための花売り屋さんなのだと聞いて、またまた驚いたことがあります。

今年たまたまこの「先生の日」に、ベトナム人に日本語を教えているベトナム人の先生から、「今回の集まりには日本人がいないし、生徒も日本語を勉強したいので来てくれませんか」と請われて、ある日本語学校のクラスの「先生の日」の集まりに私も招待されました。招待してくれた生徒たちは大学生や、大学を卒業したての社会人くらいの年齢がほとんどの人たちでした。

そして夕方7時過ぎにバイクを飛ばして着いた最初の集合場所は、 何とカラオケ屋さんでした。食事もしないでいきなりカラオケ屋さんに来てどうするのだろう?と思っていたら、ここでカラオケを歌いながらついでに食事もして、「先生の日」をお祝いしてくれるという趣向でした。

集まった生徒たちは男女合わせて全員で15人ほどいて、全員日本語学習歴は3ヶ月くらいの初心者クラスでしたが、まだ習って短期間ながらも私がゆっくり・ゆっくり話す日本語を聞き取れるのには驚きました。

みんなで楽しく食事もしながら、歌も唄いました。途中日本語を教えている自分たちの先生にプレゼントを上げる場面があり、その先生は生徒たちからYシャツとネクタイをもらって、嬉しそうにお礼の言葉をみんなに述べていました。

それが終ると次には飛び入りで参加した私にまで、蘭の花を準備してくれていて、それを私にプレゼントしてくれました。そしてこの日のパーティーが終り解散になった時、すべてここの費用は彼等の招待ということでみんなで出し合って払ってくれて、先生たちには一切出させてはくれません。

「招待した側が、費用は全て持つ」というのはまた、ベトナムの宴会には良く見られる風習で、こういう場面でもそれは同じように「先生を招待したのだから、費用は生徒がみんな持って当たり前」という感じでしたが、私から見ると(みんな大して裕福でもないはずだろうに、大丈夫だろうか・・・)と心配したほどです。

家に帰る時バイクで走りながら、今ベトナム全土で昨日・今日と、生徒たちから感謝されている「先生の日」が催されていて、そこにいる先生たちはさぞ楽しい・幸せな笑顔を浮かべているのだろうな〜と思うと、ジーンと来ました。

実はここベトナムの先生の給料は、日本人からすると驚くべきほどの薄給なのですが、この日だけは「先生になってやはり良かったな・・・」と思っているのではないでしょうか。


フーンさんの子育て日記F

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これは日本人と結婚して、昨年初めて赤ちゃんを産んだベトナム人女性・フーンさんの半年間の子育てを、日記ふうに綴ったものです。
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*五ヶ月目*

今月は春さんが日本に帰りました。春さんも子供とのしばらくの別れを、本当に辛そうにして日本に帰って行きました。「日本に帰ったらまた時々電話するからね!」と、子供を抱きながら話していました。私も大変辛かったです。

春さんが日本に帰って一週間後には、赤ちゃんは寝返りを右にも左にも自由に打てるようになりました。それでベッドの右から左まで自由に寝返りを打ちながら移動しますので、大変危なくなりました。少しの間も目を離せないし、ベッドから落ちてもいけないので、そばを離れる時にはベッドの隅に枕を並べて落ちないようにしました。

そしてまた今月も病院に行き身長と体重を測ると、身長が61cmで体重が6.4kgになっていました。でもこの頃からベトナムは雨期に入る前特有の暑い季節になります。部屋の中の温度も38度くらいになり、夜の過ごしにくさと言ったら有りません。今私が寝ている部屋も扇風機は有りますが、クーラーは有りませんので、さすがに赤ちゃんも過ごし難くなって来たようです。

今までは夜中でも2〜3時間は熟睡していましたが、この時期は1時間も経つと夜に目を覚ましてすぐ泣き出します。頭に手を触れるとビッシリと汗を掻いていますので、そのたびにウチワで扇いであげます。

この頃からでしょうか?この前までは離乳食も旺盛に食べていたのが、最近はその量も少なくなり、食べるスピードも遅くなって来ました。お乳や粉ミルクを飲む量も以前よりは少なくなりましたので、やはり食欲が落ちて来たようです。

でもそれとは反対に、他人を見る時の目つきや同じ年くらいの子供に出会った時には、相手をしばらくじっと見つめた後に、ものすごい高い声で「キ〜〜〜、キャー〜〜〜」と猿のような悲鳴をあげて注意を引こうとします。これは本人なりに会話しているつもりなのでしょう。時には相手の髪の毛をしっかりつかんで離さないのです。

春さんからは毎週一回決まった曜日に、日本の家から電話が掛って来ます。いつも「2人とも元気かい?」と尋ねます。その時に赤ちゃんの耳に受話器を当てると、この5ヶ月目でもすでに聞き覚えのある声であることが分かるのか、「ニコ〜ッ」とした顔をするのは不思議でもあり、可笑しくもあります。

さらに一週間に一回だけ日曜日にデパートに出掛けると、その店に入った時からそこで働いている人たちや、そこで売っている物や、店の中に置いてある動いている物、例えばおもちゃの人形や熱帯魚などにはものすごく強い好奇心を示しているのが、そばで見ていても良く分かります。家の中にいても毎日同じ単調な世界しかないでしょうから、やはりこういう家とは違う世界に時々出掛けることは、赤ちゃんにとっては大いに刺激になるようです。

そしてこの5ヶ月目の後半ころから、少しずつ人見知りが始まり出しました。
デパートに行った時なども、ベトナムの人は子供好きなので、そこの店員さんがすぐ抱こうとします。そういう時にも以前は誰に抱かれても、「ニコ〜ッ」としていましたが、最近は人によっては大きな声で泣き出すようになりました。

私の実家に帰った時にも、以前は父母に抱かれても泣き出すことはなかったのですが、最近は母が抱いたり、父が抱いたりした時でも「ワーー、ウエ〜〜ンン」と大きな声で泣き出し始めました。そういう反応を見ると、もうすぐベトナムに帰って来る自分のお父さんの顔を見た時に、(こんな調子でまた大きな声で泣き出さないだろうか…?)と春さんが帰る前に、そのことが少し心配になって来た私でした。

つづく



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